コダーイ(1882−1967) 


 バルトークは紛れもなく天才だったが、コダーイは努力した秀才のように感じる。彼は音楽教育者としての実績のほうが高いかもしれない。また民謡を純粋に「分かり易く」クラシックに取り入れ、バルトールのように分解して完全に自己芸術の肥やしとするのではなく、民謡の音楽的価値を高めたとしたら、彼はバルトークより評価されるだろう。

 彼は民謡採集・研究家だっただけあり、合唱や歌曲に才能をのばすが、数は少ないが、管弦楽曲もその旋律性を存分に活かし、分かり易く、コンサートピースとしての魅力を隠さない。
 
 同名のオペラより編まれた 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 と ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲 は特に日本では高名だろう。その他、ガランタ舞曲、マロシェーク舞曲、劇場序曲(元はハーリ・ヤーノシュの序曲だそうである。)、管弦楽曲「夏の夕べ」、さらに純粋音楽として規模は小さいがバルトークのものと同名の管弦楽のための協奏曲などが、録音にある。そのどれもが、豊かな旋律と斬新な構図に彩られた、まことにエンターテイナーな仕上がりになっている。

 それらは、1920〜30年代に集中しているが、29年ころより構想が練られたが中断し最晩年の61年になって完成したのが、彼の唯一の交響曲である。


交響曲 ハ調(1961)

 コダーイ唯一の交響曲には「アルトゥーロ・トスカニーニの想い出のために」なる副題がつくが、音楽の内容を示す意味での「標題」ではない。ただ単に、トスカニーニより作曲の依頼をされ、彼の指揮による初演を用意されていたが、57年にトスカニーニが死んでしまったため、彼との想い出を記念にタイトルとしただけであって、別にトスカニーニとの想い出の主題とかが出てくるわけではない。(ハズ)

 そのようにこの副題を捕えてしまっては、音楽の本質を見誤る。すなわちマーラーがいうところの「聴衆に誤解を与える」タイトルということになる。ので、こだわらないほうがいいし、むしろ聴き手としては、できれば無いほうがよい。これは作曲者の個人的な邂逅にすぎない。これは云うまでもなく、純然たる純粋音楽ということになるだろう。

 ちなみに初演の指揮はハンガリー人指揮者のフリッチャイ。

 アレグロ、アンダンテ、ヴィーヴォの3楽章制で、作風としては新古典主義。25〜30分の中規模交響曲。しかし軽い感じではなく、どっしりとした重量感と満足感を与える。

 低弦より始まるテーマがティンパニの先導で次第に高潮して、やがて主テーマの開示となる。和音がコダーイにしては現代的で面白い。テーマは木管に受け継がれ、全体に展開してゆく。ソナタ形式に寄っているが、純粋にそうなのかは勉強不足で不明。ただ云えるのは進行がコダーイにしてはかなりシリアスで、難しい。音階に民謡調の部分はあるが、ドラマティックに進む。金管のバルトーク並の辛辣さと、弦楽の平易な旋律との対比も面白い。やがて中途半端な印象を残して唐突に楽章を閉じる。
 
 アンダンテ・モデラートでは民謡音階による聴き易い旋律が魅力。必然、牧歌的となる。が、モノローグ的な仄かな暗さは、聴くものを漠とした不安感に支配させる。暗い暗い、森の中の幻想感。木管の奏でるエコーが、耳に残る。

 アタッカで続くヴィーヴォ。再び低弦からこんどは管楽器も交えて一気に上昇し、ホルンの勇壮なテーマ。そのテーマを受け継ぐロンド。展開してゆくごとに、半音進行も飛び出し、一筋縄ではない聴かせ方をする。終結部は堂々としているが、やはりやや唐突な印象も否めない。

 コダーイの管弦楽作品集の中では、シリアスさでは最も聴き応えがあるように感じる。




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