清水 脩(1911−1986)


 実家は大阪天王寺で、父親が浄土真宗大谷派の寺院佛足寺の楽人であった。そのため、幼少時より雅楽の楽器である篳篥や笙に慣れ親しんだ。小学6年生のときに初めて聴いたオーケストラに感動し、音楽を志すが、現大阪外国語大学の仏語科へ入学する。そこのグリークラブ(合唱部)で指揮を行ない、フランス音楽にめざめ、ドビュッシーやラヴェルへ傾倒した。

 しかし当時はプロ作曲家への志望は無く、フランス語を活かしてフランス音楽研究家になることを目指したという。その後、1937年に東本願寺研究生として現東京藝術大学の選科へ入学し橋本國彦、細川碧に作曲を師事した。

 1940年に管弦楽曲「花に寄せたる舞踏組曲」が第4回音楽コンクール1位入選で注目を集める。戦後は1年ほど音楽之友社の編集部長。傍ら、300曲もの合唱曲を作曲する。カワイ出版の社長として、事業家としても成功している。

 圧倒的な合唱曲のほか、日本語としての創作オペラの数々、現代邦楽の先駆者として名高いが、交響曲を3曲残している。


第3交響曲(1960)

 清水は交響曲を3曲残し、第1番(1951)はなんと第1回尾高賞を受賞している。私の知る限り、3曲とも少なくともCDでの録音は無い。しかし、平成30年10月28日のラジオ片山杜秀「クラシックの迷宮」において、▽NHKアーカイブス貴重音源・日本の「交響曲」から と題して、3番が再放送された。初演は1961年2月26日岩城宏之/NHK交響楽団で、都市センターホール「N響 現代音楽の夕べ」 においてであり、その模様が1961年3月26日ラジオ第二放送「NHKシンフォニーホール」で放送されたといい、その再放送になる。

 3楽章制で約30分。冒頭から重厚な和音と共に、不協和ながら日本的とも云える主題が現れる。片山の解説で云うところの、2種類の五音階の合成なのだそうだ。ハープを伴奏としてクラリネットの主題から弦楽がいかにも和の雰囲気を出して、分厚く金管も現れる。一瞬の静けさから、アレグロ主部へ。様々な合いの手を挟みながら細かく動機は展開し、大きく頂点を迎えてから打楽器のソリ、そして雰囲気を変えてゆく。複雑で厚いオーケストラが目まぐるしく変化して、2度目の頂点を迎えるとハープも鳴り、短く終結する。所々に聴こえてくる雅楽のエコーは、作者の原点の投影なのだろう。

 第2楽章は、平穏な空気の元、フルートが無常観ある半音進行の主題を奏でる。やがて主題は弦楽へ移って進行し、木管とハープ、チェレスタ、弦のピチカートなどでおどろおどろしい場面へ。経過部を経て後半は金管も朗々と轟き響いて重厚感を増しつつも、交錯するように木管と弦楽、ハープのアンサンブルへ移行する。揺らめく旋律と、対する弦楽の主題との対比は融合しないまま、静かにハープと共に消えてしまう。

 第3楽章、明るい調子で激しく始まる。半音進行の冒頭から、アレグロへ。打楽器を終始伴ったリズミックな動機が、細かく展開してゆく。途中からはなんと、打楽器が主題をリードしてゆく場面も。続くクラリネットの主題提示も、打楽器が後ろで鳴り続ける。そこから主題と音調が変わるが、冒頭の主題も戻ってきてロンドのような形式をとる。新しい展開でオスティナート的に盛り上がった後、最終場面へ突入する。打楽器が執拗にリズムを放ち、冒頭主題が引き延ばされてアーチを築く。そこからコーダへ。ここでも主題が執拗に繰り返され、終結和音を待たずしてクレッシェンドのまま途切れるようにして終わってしまう。

 YouTubeに参考音源をアップしました。




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