渡邉浦人(1909−1994)

 
 民族主義的作風の交響組曲「野人」がとても高名な渡邉浦人、子息は同じく作曲家の渡邉岳夫である。教育者、サントラ作曲家としても高名だが、やはり代表作の野人の印象が強い。オーケストラ版と、作者本人の編曲による吹奏楽版も高名だ。私なども、吹奏楽のための野人から入ったクチである。

 ところが野人以外だと、急にマイナー作曲家となる。ネット上にまとまった資料も無い。意外とオーケストラ曲も多数書いているのだが、体系的な作品集も無いので、高名なわりになかなか全貌は掴めていない。


交響曲「日本のまつり」(1970)

 しかし、渡邉浦人に交響曲があるとは知らなかった。2021年執筆現在、Wikipediaの作品表にも、載っていなかった。たまたまYouTubeで自作自演のレコードの音源があるのを発見していなかったら、ずっと知らなかっただろう。まさに、ネット時代である。4楽章からなり、演奏時間は約20分。全体には、小交響曲といえる。それぞれの楽章には、以下の通り副題がある。もちろん民族主義的、かつ古典的だ。

 第1楽章 みそぎ

 禊ぎのことだろう。神事の前、神官たちが禊ぎを行う。かつては川へ入り、流れへ身を任せて心身を清めた。現代でも滝に打たれたり、寒中で海へ入ったりして身を清める儀式を行うところもある。

 ホルンによる雄々しくも粗野な雄叫びから、本交響曲は始まる。ブラスの推移が、吹奏楽の大家の実力を伺わせる。無調的な主題が、神事の厳かさ、神秘さを強調する。弦楽によって主題が引き継がれ、小展開しながら執拗に繰り返される。打楽器も加わりながら主題は大きく発展して盛り上がり、頂点で打ち切られる。

 第2楽章 にはび

 火の神に感謝を捧げる庭火祭という神事もあるが、神楽の序曲的な楽曲にも庭火というのがある。また夜に神楽を舞う際、庭に焚く篝火のことも庭火という。

 音調が変わり、楽しげな田楽風の主題が登場。リズムも心地よく、スケルツォ楽章の代わりをする。一定したリズムを刻む打楽器に乗って、曲調は終始田楽風主題とその展開を進めてゆく。楽しげだが、時折どこか不安定で不気味な音調が混じるのは、やはり夜の祭だからだろうか。どこか、伊福部昭にも通じる祭主題が顔をのぞかせる。幻想的なこの楽章は、唐突に闇の向こうに消えてしまう。

 第3楽章 のりと

 もちろん祝詞のことである。神秘的な緩徐楽章。弦楽合奏をメインに、息の長い旋律が無限旋律めいて紡がれてゆく。まさに、延々と祝詞を唱えているかのようだし、祝詞によってトランス状態となった参拝者の精神のようでもある。そのトランスは、神との一体化でもある。後半に、キリキリとした高弦をバックに中低部の弦が流れる様は不気味。やがて無調となり、クラスターにすらなって楽章を終える。

 第4楽章 かぐら

 最後は神楽だ。和太鼓のドンドコドンドコが、急に世俗的な世界を構築。鉦(かね)も鳴って、原始的な神楽舞は盛り上がってゆく。突然のティンパニ大乱舞から、いよいよ祭主題が登場する。打楽器アンサンブルは続き、まるで打楽器が主体だ。執拗な打楽器の合間に、主題の断片が顔を出す。楽章後半になって、やっと主題がピッコロで示されて、全オーケストラに伝わってゆく。やがて冒頭のホルンが帰って来て、激しいポリフォニーを形成。そこから一気に祭は最高潮に。祭主題を何度か繰り返して、コーダ、激しい終結となる。

 民族的な作風の中にもモダンさを取り入れた、小山清茂にも通じる面白い音調の、隠れた名曲だろう。


 参考までに、YouTubeはこちら。




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