伊福部 昭(1914-2006)


 伊福部が交響曲(シンフォニア)と名付けた音楽は2曲あって、1941年のピアノと管絃楽のための協奏風交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)と1954年79年改訂のシンフォニア・タプカーラ(タプカーラ交響曲)である。

 伊福部の音楽の中で、これはきわめて少ないといえる。

 少ないが、たいへん重要な音楽でもある。特に、コンチェルタンテは生い立ちと経緯が、その後の作品にとても大きな影響を与えているのだろう。


ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲(1941)

 伊福部の、事実上5作目の作品。日本狂詩曲においてチェレプニン賞を受賞し、その大管絃楽と大打楽器アンサンブルの狂乱の後、その反動で室内楽的編成(14人1管編成)によるフランス作曲家の組曲のようなエスプリの効いた土俗的三連画。その前に、後に日本組曲として管絃楽に編曲されるピアノ組曲があり、未録音のもので交響舞曲「越天楽」があって、それらに続く、真に本格的な交響的音楽。(※バレー音楽「盆踊」はピアノ組曲第1曲の「盆踊」などへチェレプニンが打楽器を加え、編曲したもの)

 チェレプニンは、来日して短期間伊福部を師事したさい、こう云った。

 「おまえも次は本格的なシンフォニーを書きたいと思うだろうが、まだ未熟である。バラキレフだって、1曲目を書くのに30年かかった」
 
 まあそういうなら、ピアノ独奏をくわえて協奏曲風にして、本格的な交響曲から一歩引こう、と思い、作曲したのだという。というわけで、これは事実上ピアノコンチェルト第1番なのだが、作家が交響曲といっているので、シンフォニーとして分類したい。

 1楽章はヴィバーチェ・メカニコと演奏表記があり、メカニックに演奏せねばならない。当時、科学文明の急激な勃興に接し、若き伊福部はそれを音楽で現したいと思ったのだそうで、常に雄大な自然や、人類民族の血液的な面に従属する文化というものを賛美する伊福部の音楽にあって、この傾向はあとにも先にもこの楽章だけだと思う。

 序奏も無く、カクカク動くトランペットやファゴット、ピアノ独奏によるの主題を伴奏するスネアドラムの律動的な動きが、いかにもメカニック。ピアノ独奏も、そうなると前衛的。主要主題は、総譜の喪失(当時)の後、色々な楽曲へ引用、援用されたもの。 伊福部は若いときの曲にはたいてい序奏が無くいきなり第1主題がスタートする。40代ころより、レント等のゆったりとした序奏を好むようになった。そのころになると、若いときのアレグロ主題スタートは 「若気の至り」 などということになった。もっとも80代になると、自身の60代の作品をまだ 「若気の至り」 などと云っているのだが。

 トランペット、ファゴット、ピアノ、低音等による特徴的にして執拗な5音音階主要主題の後、テンポを落とし、トランペットによる経過部を経てピアノによりやはり違う5音音階第2主題。ここらへんの主題も、後にいろいろと引用されることとなる。ソナタ形式風に、中間部には展開部があるが、厳密なソナタではないようである。雄大にして、音画「釧路湿原」にも通じる静かで硬質な、北海道の冬を思わせるレントの部分、さらには巨大機械が動くような豪快なアンダンテ行進調の部分を経て、提示部に似たアレグロとなるが、展開部の続きのような感じで、再現部ではない。第1第2主題両方現れるので、再現部を兼ねている、ともいえるかもしれないが。そこから、コーダで一気に終結する。

 15分ほどもある、けっこうなヴォリュームの楽章で、日本狂詩曲に比べればオーケストレーション的にはそれほど濃くも無いと感じるのだが、なにせ執拗なオスティナートと律動が続き、初演当時の戦前もそうだが、西洋音楽の流儀でしかクラシックを聴けない耳には、現代ですら異質の中の異質として響くだろう。

 だがそれは、北海道の野生の響きなのだと確信できる。都会のお嬢さんの弾くおピアノではないのだ。
 
 2楽章は、静的な面において、まったくの伊福部節が炸裂し、叙事的であり叙情的な、独特のメランコリックな世界が展開される。この傾向はずっと伊福部作品の本質を貫き、伊福部といえばやれゴジラだモスラだと云っているのもいいし、やれドンチャン騒ぎだというのもいいが、じつは、このような地平線を彼方に観るような遠大なる景色こそが、伊福部なのだということも、認識しておきたい。それは、日本組曲の2楽章、音詩「寒帯林」の1楽章、交響譚詩の2楽章(日本狂詩曲の元1楽章の引用)、そしてタプカーラ交響曲の2楽章、晩年の釧路湿原。さらには室内楽の晩年の歌曲、摩周湖等、いくらでも、伊福部昭のレント、アダージョはある。

 オーボエ、イングリッシュホルン、木管群により五音階のもの悲しい厳冬のテーマ。レント・コン・マリンコニアによる。ここも、タプカーラ交響曲の2楽章に準用、いや流用されている。ピアノの伴奏というには、あまりに雄弁な書法で、今曲が交響曲であることを証左する。やがて、ピアノによる民族的かつ現代的なテーマが現れても、寂寥感は変わらない。

 やおら、絃楽がざわめき、オーボエが吹雪の中の風音をしんみりと歌う。怖いくらいの孤独。北国の雪夜の静寂。ピアノが逆に伴奏となり、テーマはミュート付トランペットへ引き継がれる。フルートのソロによる、最後の歌は、もう、侘び寂びを超えて幽玄の世界にまでつっこんでいる。

 絃楽が悠然と現れ、テーマを続けて奏でる中、ピアノだけは変わらない。そして、終結部も無く、そのまま消えてしまう。
 
 3楽章はピアノがトーンクラスターもぶっ叩き、なかなかはげしい。その部分には譜面に手のマークが書かれている。初演のピアニストがどう演奏してよいかわからず、伊福部に尋ねたら、とにかく叩けと云われて、とにかく叩いたそうですよ(笑)
 
 アタッカとも云える引き継ぎ方で、3楽章は幕を開ける。クレッシェンドからタプカーラ主題と関連する主題による、激しいオスティナート。それにピアノがかぶって来る。機械的なリズムを刻むスネアドラムも復活し、メカニカルな趣を演出する。ピアノは第2主題を奏でつつ、展開させて行く。オスティナートは激しい不協和音や特殊奏法に彩られ、民族的ながらも、モダンさを演出する。アレグロ・バルバロと発想指定があるが、ロンド形式とも、狂想曲ともとれる自由な形式で、主題を繰り返して行く。幾度か少しずつ諦観しつつ繰り返された後、コーダへ収束し、速度感と緊張感、高揚感を増し増しにして、畳みかけ終結する。

 さてこのように今交響曲は3楽章仕立てだが、そもそも協奏曲風でもあるので、それは別におかしくはない。しかし、フランス音楽に通じていた伊福部は、当然のようにフランク以来の伝統であるフランス式3楽章制交響曲に倣ってそれも意識しての「協奏風」であったろうと考えられる。

 なぜなら、およそ10年後に作曲したタプカーラ交響曲は、元より交響曲として想定されながら、何の躊躇も疑問の無く3つの楽章で構成され、ストラヴィンスキーの例によれば「3楽章の交響曲」などというタイトルも書く理由が無いほどに、自信をもって、3楽章制となっている。

 初演は、さんざんにこき下ろされたとか。

 この作品は戦争で楽譜が消失した。そんなわけで作曲者は戦後、この作品の断片をいろいろな作品へ蒔いた。交響譚詩、タプカーラ交響曲、ヴァイオリン協奏曲1番、ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ、である。

 しかし1995年になって、ひょっこりとひょうたん島ならぬNHKの倉庫からパート譜ひとそろいが出てきてそれから総譜を再現。これはもう昔の曲だからとしぶる伊福部を関係者が説得し、うれしい復活となった。
 
 (フィリピン国民に贈る管絃楽序曲という秘曲も戦後行方不明だったが2003年にとある老バイオリニストの遺品からパート譜が発見され、CD化されました。ファンはたまりません。音詩「寒帯林」や北海道讃歌も蘇れ。→原典版ですが寒帯林は復活しました!)

PS
 家でこの曲を初めて聴いたチェロ弾きの友人は、しかし、「あれだねえ、2楽章なんかは、確かに、ぜんぜんコンチェルトじゃないねえ。交響曲なら、これでも納得ゆくよ。これはやっぱり交響曲だよ」 と云った。ほんとうの耳をもっている人は、云う事がちがうと思った。


シンフォニア・タプカーラ(1954/1979)

 交響譚詩を事実上シンフォニアとしても良かったそうなのだが、やめて、1954年に初めて世に問うた3楽章制のまぎれもない交響曲。79年に改訂している。主部の前に短くも雄大な情景を彷彿とさせる序奏(後のテーマを予見させるもの。テーマよりの派生)がついた。

 当時日本楽壇にはいわゆる12音技法による前衛的な音楽がじわじわと浸食してきて、生徒の1人が作曲中のタプカーラの楽譜を見てこういった。
 
 「先生、いつまでもこのような音楽を書いていてよいのでしょうか」
 
 それへ対し伊福部がどう答えたかは不勉強で知らないが、これはまぎれもなく伊福部の代表作であり、前衛全盛時代がまさに暗黒の時代だった伊福部にとって、魂の刻印、信念の結晶、大楽必易の権化として、宝物であり武器であったにちがいない。

 特に2楽章の魂の純粋さ、純潔さは、いったいどうだ。シベリウスにも匹敵する、美しさではないか。

 1.3楽章のリズムはどうだ。ストラヴィンスキーも真っ青ではないか。

 吉松隆はいう。ゲンダイオンガク万歳の時代にあって、確信犯的な調性とメロディの音楽の守護者として大人(たいじん)が二人いた。伊福部昭と別宮貞雄だと。

 ※この吉松の言葉の出典は、「音楽の友」誌に連載していたCDレビュー「今月の1枚」 2002年2月新譜「別宮貞雄チェロ協奏曲」の原稿です。掲載は4月号で、吉松隆のHP「交響曲工房」内でのコラムとしてありましたが、サイトのリニューアルにより現在は見られません。

 とはいえ、そこは管弦楽法の達人である伊福部のこと。
 
 3楽章のヴィバーチェにおけるトロンボーンとピッコロが激しく対抗して主題を奏でるコーダなどは、斬新きわまりない。リヒャルト・シュトラウスにも通じるオーケストレーションで(ドビュッシーはそういうのは嫌ったようだが)まったく近代的だと思うのだが……。

 12音にあらずんば20世紀の音楽にあらずというような迷い言にあっては、そんなすばらしい音楽も、ブタの耳にドッチラケー、なのであろうか。特に伊福部は、室内楽作品において、なんとも渋いマーラーの後期歌曲のようなけっこう怪獣的ならぬ晦渋的な世界を作っているのは、注目すべきことだろう。音列だけが現代ではない。

 では、じっくりと俯瞰してゆきたい。

 第1主題のテンポを倍にした序奏は雄大で、いかにも北海道を思わせるが、実は当初はこのレントによる序奏は無く、いきなりアレグロのフォルテの部分からスタートしていた。1979年の芥川也寸志指揮、新交響楽団の再演で、改訂版初演となった。つまり、いきなり主題からドドンと始まるのは、「若気の至り」 ということだった。そういうのは、60にもなったら気恥ずかしいという感情があったようである。

 雄大にして感傷的。この序奏は、かなり効果的だ。序奏は1分ほどでアレグロとなる。最初はメゾフォルテほどでしっとりと、そして、次第に盛り上がって第1主題。打楽器もドカドカ入って、土俗的雰囲気を盛り上げる。ハープも聴こえる。トランペットの主題と逆進行する伴奏の絃楽も面白い。一通り盛り上がって、ミュート付トランペットにより望郷の彼方へ想いを馳せる第2主題。面白く、アイヌの楽器のようにギロが鳴り、第2主題が絃楽に移って、アンダンテとなってさらに想いは遠く北の地へ。ここからが展開部に相当。この展開部は、西洋式の明確なものではなく、三部形式の中間部としても聴こえる。

 日本狂詩曲や、土俗的三連画、協奏風交響曲はじっさいに北海道の風景を見ているが、タプカーラは、東京から北海道へ想いを寄せて作曲された。ここでは、狂おしいほどの北海道への懐古が聴こえてくる。展開部はずっとアンダンテであくまで堂々と、巨人の行進がごとき続く。このデカサこそ北海道である。

 ホルンのソロ、そしてチェロのソロより、再現部へ。ファゴットに導かれ、第1主題が戻ってくる。トロンボーンの特徴的なグリッサンドより、第1主題の展開は続き、そのまま怒濤のコーダへ行く。(第2主題は再現されない)

 2楽章アダージョは、伊福部得意の緩徐楽章。ポツンポツンとハープが単音を5音階で奏で、それへフルートが6音階で重なってくる。この部分は、弟子の方から伺ったところによると、当時最新のオープンリールにピアノでハープの部分を録音し、1音1音フルートの音が不協和音にならないように慎重に確かめながら作曲したのだという。その旋律はオーボエへ引き継がれ、絃楽も豊かに入ってくる。遠い北海道の景色。地平線の向こうに十勝連山。畑と原生林。原野に人っ子一人いない。それらを、具体的に描写するのではなく、そういうのを思い起こさせる。

 深夜、得体のしれないものが近づいてくるような恐怖感の後、オーボエとコーラングレにより第2部が開始される。ティンパニが、闇の向こうから聴こえてくる。執拗に鳴るオーボエ。絃楽は子守歌。夜の鳥の声。

 再び、朝靄にフルートが戻ってきて、ハープが風の音の粒を拾って行く。絃楽がテーマを引き継ぎ、美しく音楽を紡いで行く。一瞬、第2部が鳴って、終結部はなく、ティンパニの静かな打音で、アタッカのように3楽章へ続く。これは協奏風交響曲に共通する様式。

 第3楽章ヴィバーチェは、まさにこれこそがタプカーラ(立って踊る)そのもの。祭でもあり、儀式でもあり、ただのどんちゃん騒ぎでもある。様式的には擬カノンか擬ロンドであろう。またこれも三部形式にも聴こえるだろう。

 ザムザムと心がざわつく序奏の後、タプカーラ主題が登場する。ここは、1995年の日フィルシリーズの録音で、初めて 「実はアイヌのタプカーラと同じで4拍めにアクセントがあるが、西洋音楽の流儀に従い、あえて譜面には書かなかった」 と作者から告白された。


 「あ え て 譜 面 に は 書 か な か っ た」


 ちょっとそれは、奏者からすれば反則であるww

 話は変わるが、演奏者には譜面第一主義の人がいて、譜面に書いてないものは演奏しなくてよいと本気で思い込んでいる。しかし、残念ながら、たとえばベートーヴェンなどは、当時の(というか今でも、だが)演奏法の常識のようなものは、あたりまえのように譜面に書いてない。そういうのは、指揮者なり奏者なりが当時の演奏法を勉強しないと、間違って弾く事になる。楽譜には書いてなくても演奏しなくてはならないものは、山のようにある。それは感情的なノリとか盛り上がりとかだけではなく、技術的なものでも、だ。

 タプカーラは、作者が生きているうちに告白したので、今後は、楽譜にアクセントがなくとも、そのように演奏しなくてはならないし、口伝で(!)伝えてゆかなくてはならない。

 オーボエによるタプカーラ主題はすぐに金管に変わり、オーケストラ全体で鳴らされる。打楽器も祭り太鼓だ。少しずつ展開しながら、主題が繰り返される。しかし、テンポを落として、ティンパニの合いの手から、静かな変奏に入る。木管や絃のソロによって主題は重なってゆき、カノンとなる。ギロも再登場。楽器達は自ら喜びながら踊りの輪に加わって、タプカーラ主題を再び呼び起こして行く。荒々しいトロンボーン。静謐なヴァイオリン。コミカルなオーボエ。優雅なフルート。

 ティンバレスがリズムを導くと、ヴァイオリンが激しくタプカーラ主題を提示し、オーケストラ全員がそれをひたすら展開しながら繰り返す。ここのオーケストレーションは伊福部一流のすばらしいもので、興奮の坩堝。ピッコロとトロンボーンが激しく奏でる部分の迫力。打楽器群(太鼓類しかない)の集中力。

 そして一気にコーダへ向かい全員で躍り狂って大地に生きる喜びを表現する。

 上記したが、フランス流の3楽章形式で、スケルツォを欠く。しかし、フランク伝統のフランス交響曲は、実は第2楽章が緩徐楽章とスケルツォを合体させたもので、ドイツ伝統の4楽章を内包している。その意味で、ここでも片山杜秀がいうところの、序破急の構成があるのかもしれない。

 ところで、同人誌「伊福部ファン」第1号で同曲を取り上げたさい、私は白老のアイヌ民族博物館(当時)で、舞踊のほうのタプカラを取材した。その際、伊福部の 「タプカラというアイヌの舞踊は、4拍めにアクセントがある」 というエピソードを話し、本当にそうなのか質問した。

 すると、「いや、そんなことはない」 とのことで、笑ってしまうほどびっくりしたのであった。

 しかしタプカラは非常に即興的であり、その伊福部さんが実際に見聞きした、大正時代の音更のコタンでは、そのように行われていた可能性は高い、とのことであった。

 この曲の第3楽章は4拍目にアクセントが来るのだろうが、この曲のエピソードを根拠に、アイヌ舞踊のタプカラもみな4拍目にアクセントが来る、というのは誤りであることを記しておく。


 参考:私の伊福部昭のページ。伊福部ファン第1号「立って踊ってみた」のページ。
 



前のページ

表紙へ