譚盾 タン・ドゥン(1957- )


 現代中国の作曲家では最も高名と思われる譚。現在はアメリカ在住で、国籍もアメリカなのかどうかは分からないが、たぶん中国にはもう帰らないだろう。湖南省スーマオ村の生まれで、周囲には伝統的な道教の祈祷師の存在があったが、文革で全て失われただけではなく自身も学徒動員で農村での「強制労働」に従事させられた。

 その際にも音楽的才能の片鱗を見せ、ガラクタで楽器を作り農民楽団を組織したという。やがて京劇の一座にうまく「もぐりこみ」、強制労働から脱出した。そのツテで中国音楽院に学び、武満徹に影響を受けた。 
 
 1985年に、コロンビア大学へ進学を機に渡米。以後、現代音楽シーンに登場する。武満もまた、次世代の作曲家として譚を評価していた。そのグローバリズムと民族主義と実験精神をうまく融合した音楽は、異彩を放っている。その分、好き嫌いがあるだろう。

 交響曲はCDでは、2011年現在で2種類ある。

 2009年にYouTubeが主催したインターネット交響曲第1番「英雄」というものもあるが、純粋な曲名というより催物の名前のようなので割愛する。


交響曲1997「天、地、人」(1997)

 1997年の香港の中国返還式典のために、中国政府からの委嘱で作曲された。3楽章からなり、70分を超える大曲である。各楽章はさらに細かいパートに別れており、テープによるストリートオペラの録音や、独奏チェロ、さらには2400年前の周王朝時代の遺跡から発掘された古代の打楽器を復元した編鐘なども使用される。特に編鐘は65個からなる青銅製の大小様々な銅鐸みたいな鐘を、長い杵状の棒で突くもので、なんとも素朴かつ奥深い味わいの音が鳴る。まさに悠久の歴史の彼方から響く、時空を超えた不思議な音だ。

 なお、編鐘の演奏には、最低でも5人の奏者が必要なのだそうである。また、各楽章は細かい部分に別れており、続けて演奏され、厳格な交響曲様式ではなく、機会音楽としての組曲に近い。

 平和の歌・序曲では、編鐘の短いアンサンブルから、テーマと女性合唱による民謡が聴かれる。ジャスミンの花が地を、歌う人々が人を、編鐘の古代の音色が天を表す。

 第1楽章「天」は、5つの部分からなる。「天」では、独奏チェロと編鐘と合唱によるスキャット、中国的リズムの打楽器アンサンブルが壮大な音楽の開始を告げる。続くアンダンテのチェロ独奏は哲学的で、瞑想的。合唱の神秘的な響きがそれを彩る。「ドラゴン・ダンス」では、重苦しい金管の咆哮が龍舞の開始を告げる。中華街の、カオのでかい龍が通りを練り歩くあれである。ファンファーレが続き、激しいリズムが勇壮な龍の踊りを表す。中華では龍は皇帝の象徴でもある。次の「フェニックス」は鳳凰の事で、中華では皇后を表す。たおやかな旋律が中華風ファンタジー感を刺激する。「ジュビレーション」は祝賀の音楽。歓喜の歌と中国民謡がコラボレーション。最後の「テンプル・ストリートのオペラ」では、かつて香港の路地裏で行われていたストリートオペラの録音が流される。やがて編鐘が時代を超えて鳴り響く。素朴かつ、荘厳かつ、不思議な音色。

 第2楽章「地」は、4つの部分からなる。全体でチェロ協奏曲として独立している。「地(易3)」は、チェロ独奏は中華風でありつつ、現代的な技法も駆使する。編鐘は高音部を使い、チャンチキのような面白い音がしている。オーケストラも、現代音楽らしい響きをする。「水」でも、チェロのシブー〜イ独奏は続行される。東洋主題を使用しているので、黛俊郎のチェロ独奏曲「文楽」みたいな響きがする。「火」では管絃楽と編鐘が入ってくる。「金属」でも、チェロ独奏が後奏を担う。

 第3楽章「人」は、3つの部分からなる。いきなり映画音楽調になるが、じっさい、譚の作曲した映画音楽からとられている。ここでは阿片戦争と第2地世界大戦の犠牲者への哀悼が歌われる。序奏的な「人」から、「子守歌」では譚盾作詩の哀歌が児童合唱により歌われる。ラストは壮大な「平和の歌」で、冒頭のジャスミンの民謡が戻ってきて、この祝典音楽は締められる。

 機会音楽なので、あまり中身に期待をしてもしょうがないが、やはり70分という時間の割には、中国人らしい大仰な外見だけが目立つ。

 あと、香港返還式典で、この曲の生中継を見てた記憶があるなあ。


2000 Today A World Symphony for the Millennium(2000)

 こちらは機会音楽を通り越して完全に商業音楽であるが、いちおう、シンフォニーという名前になっている。今となっては懐かしい2000年問題(結局何も起こらなかったが)の西暦2000年に、世界中を中継するというテレビ番組の企画のために作曲された。つまり、これは番組のサントラである。

 (西暦2000年なんて何の感慨も無く、1人で白けてはいた。昭和天皇崩御のほうがよほど自分としてはショックだった。そして本当の21世紀は2001年から始まる。)

 楽章でいえば全11楽章にある。サントラなので、楽章というより、部分というべきかもしれないが。2群オーケストラに、合唱、ソプラノ独唱、チベット仏教の声明、アボリジニの伝統楽器、電子音、さらに世界中の大量の打楽器と、サントラとはいえ、なにせ予算(カネ)があるのでタン・ドゥン節大炸裂のヴォリューム。

 Beyond Light
 番組は日付変更線の最初の地、トンガから始まる。神秘的な合唱に、現地の伝統音楽のリズムが響く。鐘も鳴るし、ホーミーみたいな独特の東洋発声もある。既にグローバルな響きが模索される。その中に西洋オーケストラの、ファンファーレが重なって行く。合唱が、テーマ曲「Beyond Light」を高らかに歌い継ぐ。
 
 Reflection
 アジア中の民俗音楽のリズムが交錯する。西洋の代表として、ピアノがBeyond Lightを奏でる。豊かな打楽器群のゆったりとしたリズムに乗って、マンドリンのような、どこかの民族楽器が常に鳴り響く。

 At Sunrise
 西暦2000年の夜明け。トロンボーンのソロが、いかにもヒマラヤのアルペンホルンのように面白く独特に響く。次第にオーケストラがオスティナートを唱え、声明がビョエービョエー〜と響く。

 Africa, Africa
 原始打楽器が人類の起源を言祝ぐ。アフリカンビートが炸裂し、激しい生命の炎を立ち上げる。最後にはアフリカの一部の原語独特の、破裂音のみの発声が残る。

 Crossings
 文明の交錯地点。それは東洋と西洋の合間。乾いた大平原の風。オーボエと先祖を同じくするダブルリードの謎の民族楽器(らしいもの)がコケティッシュなソロを奏で、絃楽が対応する。伴奏するのは革の太鼓そのものの素朴な響き。ヴォカリーズも雰囲気が良い。

 The East
 雰囲気は一気に悠久の中華へ。いや、中華的な、いかにも西洋人の想像するシナのイメージへ。チベットも混ざるし、尺八も聴こえる。琵琶に、箏に、中華旋律も。

 Antarctica
 アンタークティカは、南極の事である。南極って英語でそう言うんだって感じ。タロとジロは出てこない。自由なイメージで、世界中の音楽が重なり合う。

 Dreams
 夢は重なり合う。電子的に変化された、原始リズムに、トランペットの輝かしいソロが渋い。やがて東洋の夢と西洋の夢が、第三世界のリズムで結ばれる。エイコーラーみたいな変な男性合唱も面白い。

 Stones
 石ころが打ち鳴らされる「原始」に、エレキギターがピヨンポヨンと絡んでくる妙。頽廃的なドラムスもなんともイカス。南国ムード満点。ここらへんのなんでもアリアリが、タン・ドゥンの奇人ぶりを表しつつ、面白いところ。さらにオーケストラがムードムンムン。

 Celebration
 一転してシリアスな音調。と、思いきや……スティールドラムのポンヤカパンヤカというノリノリのお気楽ラテンに。そういや、南米は行ってなかったなあ。

 2000 Passions
 いよいよ世界は一巡し、人類は新たな千年紀に突入する。ここにきて西洋音楽文化の大源流たる「聖歌」が。だが、伴奏は、既にワールドワイドな様相を呈する。声明が流れ、聖歌と交錯する。盛り上がって、「愛によって世界は結ばれる。」

 元々サントラ音楽なので、「天、地、人」よりさらに大衆性が強いが、正直、こっちのほうが肩肘張ってなくて面白い。時間も短く聴きやすい。


 PMF1999のレジデントコンポーザーで札幌を訪れた譚の自作自演を聴いたことがある。オーケストラルシアターの4番だったかな。オケの奥にスクリーンがあってジェットコースターの映像(先頭車両に乗っている人の目線)とセットだった。音楽も迫力があって面白かったが、本人の指揮が(笑) カンフーなのか催眠術なのか、とにかくクネクネして妙だった。彼は指揮で「気」を操ってオーケストラの奏者たちを演奏させているという評は、あながちウソではない。





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