連作交響詩「我が祖国」

 
 スメタナ(1824−1884)のページでも良かったですが、スメタナ先生は我が祖国以外は本当にマイナーな作家なので、いちおう我が祖国に絞ってみました。我が祖国以外は録音も少ないですしね。まあ、ホルストと同じ扱いなのでしょう。

 ちなみに祝典交響曲はこちら。
 
 祝典序曲という曲もティンパニ炸裂で、なかなかカッチョイイ曲ですよ。
 
 さて、ひと言に我が祖国と云いましても、なにせメジャー曲だから、たくさんある。その中でも私は、やはり、チェコフィルの我が祖国を愛しているのです。まあいろいろ人によって想いはあるでしょうが、やはり、我が祖国といえば、チェコフィル。チェコフィルといえば、我が祖国と……。他のオケに関しては、正直、聴かず嫌いの、聴く暇も無い状態というだけなのですが(笑)
 
 さて、チェコフィルフリークの方のサイトを参照するに、チェコフィルの我が祖国は、20種類近く録音があるようです。中には廃盤のものや未CD化のSP盤、マニアックな輸入盤もあるようなので、なかなか全ては集められない状況ですが、田舎に住んでる私でもその内で10種類ほど集めているので、意外と入手はしやすいのかな、と思います。


我が祖国とは。
 
 若いときはワーグナーにハマリ、次いでリストにハマったスメタナが、交響詩という音楽の表現手段へ到ったのは自然なことと考えられる。他の作品には歌劇や、人形劇のための付随音楽、序曲等、けっこうあるが純音楽は少ないと思われる。それもやはり、ワーグナーとリストの影響なのかもしれない。
 
 我が祖国は、ボヘミアのオーストリア=ハンガリー2重帝国よりの独立闘士だったスメタナが祖国へのありったけの想いをこめた、まさに愛国無罪な最高に感動的な作品群で、6つの交響詩から成る。このような愛国音楽は数あれど、質といい、規模といい、群をぬいている。それらは(特に第2曲など。)単独で演奏されることも多いが、やはり、連作とされているので、連続して演奏したり、鑑賞したりすると、より完全な形でスメタナの想いを受けとる事ができるだろうと思われる。
 
 作曲は1874年より1879年にかけて、曲の順番の通りにされ、順次初演されていった。全曲の初演は、1882年とのことです。ついでに、プラハの春音楽祭で、初日にこの我が祖国が大統領臨席の元演奏されるようになったのは、1952年からだそうです。作品は愛するプラハ市に捧げられたが、スメタナは梅毒により作曲中に既に聴覚を完全に失い、その初演は聴くことはできなかった。
 
 6曲の交響詩は、神話に題材をとった2曲、自然讃歌の2曲、愛国的動機による2曲という構成で、

 神話=第1・3曲 
 自然=第2・4曲
 愛国=第5・6曲

 となっています。

 また、1・3・5の奇数順曲が過去を、2・4・6の偶数順曲が未来を表しているとのことです。


第1曲 交響詩「ヴィシェフラト」

 「高い城」というタイトルのこの1曲めは、モルダウ川沿いの古城跡のことだそうで、そこの教会付属の国立墓地にはドヴォルザークやスメタナ自身も眠っているとのこと。

 解説によると、情景描写は以下の通り。
 
 古代予言者たちの竪琴〜ヴィシェフラトとボヘミアの地の開花〜勝利と不幸な戦い〜勝利と栄光〜破滅〜痛み〜消え失せた栄光

 2台のグランドハープによるカデンツァによって始まる長大な叙事詩というべきか、大交響曲というべきか。女神の連奏がなんとも印象深いです。
 
 ここではかつて断崖の上にそびえる立派な城が、戦いに破れて、やがて廃墟と化すまでを描いているが、スメタナはそれをそのまま、かつて中世には偉大なる王国を築いたチェコ(ボヘミア)が、強大な帝国に呑まれて滅亡してしまった姿とダブらせています。
 
 東欧ってそんな国ばっかりなんだけども。
 
 ここに登場するヴィシェフラトの主題は、スメタナのスペルをもじった音によって作られ、かつ、連作交響詩全体の循環主題にもなっている。ハープによって示された主題が、じわじわと明るく目覚め、やがて紅潮して激しく鳴り響く様は感動的。
 
 しかし戦いによりやがて城は朽ち果て、古城となってゆくのです。 
 
 ちなみに(演奏にもよるが。)全曲中でもっとも長い。


第2曲 交響詩「ヴルタヴァ」
 
 いわゆる「モルダウ」がこちら。ドイツ語がモルダウで、チェコ語がヴルタヴァだそうです。この第2曲だけが突出して高名だが、連続して聴くと、他の曲の良さも分かるし、ヴルタヴァといえど我が祖国の一部にすぎないのだな、というのも分かる。
 
 1曲めとの関連性があるので、続けて演奏されると効果大。
 
 ヴルタヴァ川のふたつの源流〜ヴルタヴァ川〜森と狩猟〜田舎の結婚式〜月光と水の妖精たち〜古城と廃墟〜聖ヤンの急流〜プラハへ向かう、広くなったヴルタヴァ川〜ヴィシェフラト城下〜彼方に消えるヴルタヴァ川
 
 古城となったヴシェフラトの下には、悠久に変わらぬヴルタヴァ川があるということです。人生はかくのごとく無常であり、山河とはかくのごとく悠久である。ということを云いたいらしい。
 
 木管群によるふたつのせせらぎ(源流)が合体してついにヴルタヴァの主題が登場する辺りは、まさに、人類の宝というべき音楽的喜びですね。

 この曲はそこだけとにかく印象的で、それがヴルタヴァというイメージですが、その後もけっこう描写があり、1曲めにも関連して、最後にまたヴルタヴァに帰るという循環形式で、技術的にもなかなか凝った作り。けして通俗なんとやらでは無いと考えます。
 
 人々の暮らしを眺めながら、やがて下流に到り、1曲めヴィシェフラトの下を通る辺りも、感動です。

 また、簡単そうに聴こえるが、じっさいに演奏すると超ムズイ。特に冒頭からフルートを合わせるのが至難。こういう名曲を聴かすのが、難しい。ただ技術的に合わせるのでなく、チェコフィルのような団体で聴くと、これが自然なのよねえ。自然と合ってる。まさに川の流れのごとし。
 
 ちなみに聖ヤンの急流と呼ばれる場所は、現在はダムによって川底に沈んでいるそうです。 


第3曲 交響詩「シャールカ」
 
 現代の男女同権問題に一石を投じる音楽。女は恐いということ。
 
 恋人に裏切られた女傑シャールカがその復讐のため、敵の男どもを騙して、酒に酔わせ、その隙に自分の女戦士軍団によって皆殺しにするというなんとも凄まじいお話。ちなみにその後、シャールカは敵の大将ツチラトの火葬の火の中に飛び込んで死んでしまう。うーん、神話とはいえ、なかなか意味がわからん。実は両想いだったということなのでしょうか。
 
 恋人に裏切られたシャールカの全男性への復讐の誓い〜ツチラトの従者たち〜シャールカの偽りの嘆き〜ツチラトの悩みと愛の告白〜愉快な酒宴〜泥酔した戦士たち〜攻撃の合図〜復讐の成就

 昔のチャーリーエンジェルズといえば良いか。(ちがう)
 
 いきなり復讐の主題がもの凄まじい。女は怒ると恐いです。その後のトルコ軍隊風の打楽器を伴う行進がツチラトの部下の登場ですが、シャールカの怒りのテーマから派生しているので、なんとも、クラリネットの悲壮的なテーマと合わせ、その後の不幸を暗示しているようで……。チーン。御愁傷様。
 
 シャールカの偽りの嘆き、の箇所では、なんとシャールカは木に縛られて助けを求めて男を騙すというシーンです。うう、ブルブル。そこまでするか。

 また、泥酔した戦士たち、では、ファゴットのブーという小さな音が、男たちのイビキを表しているということなので、聴き逃さないようにしたいですね。その後、シャールカの合図の角笛がホルンで示され……遠くから返事の角笛がして……。
 
 最後は皆殺し。
 
 しかしそんなものでツチラト軍団も騙されるなよ。と、云いたいところだが、男は悲しいもので、騙されるんだよなあ。きっと。
 
 よほどシャールカは美人なのだな。でもマッチョだと思われるが。


第4曲 交響詩「ボヘミアの森と草原より」

 第2曲ヴァルタヴァと同じく、純粋にボヘミアの自然を歌い上げた作品。何も考えずに、調べに耳を傾けることができるでしょう。
 
 原野に入ったときの印象〜村娘たち〜そよ風〜自然への讃歌〜田舎の祝宴

 まず暗い原生林のイメージがあって、それから一気に明るくなる辺りが絶品です。のどかな風景に、民謡を歌う村娘たちの描写も最高に牧歌的でステキです。
 
 あとはずっとそんな雰囲気。最後は、次曲へのつながりも一瞬のぞき見える。

 この曲なんかも、地味に単独で取り上げられる率が高い。分かりやすいからでしょうか。個人的にはちょっと構成が単純で苦手です。


第5曲 交響詩「ターボル」

 ここからの2曲は続けて演奏される必要があります。というのも、同じ主題を用いながら、異なるアプローチをしているので、聴き比べると面白いです。
 
 吹奏楽ファンにはむしろフサによる現代曲「プラハのための音楽1968」に登場する旋律と同じものが使われているのに、驚くでしょう。これはフス教徒というキリスト教の宗教改革の一派たちによる戦いの讃歌によるコラールであって、チェコのさまざまな作曲家が引用しているとのこと。この旋律は、ヴァチカンとそれを支持するドイツ人国王による弾圧に対抗したフス教徒とチェコ民衆を記念して、チェコの反体制運動の象徴となっている。らしい。

 ターボルとはプラハの南にある小さな街で、指導者フスの拠点となった街の名前。免罪符を乱発して金を稼ぎ、堕落したカソリックを見限り、宗教改革を押し進めた哲学者でプラハ大学の学長でもあった改革者ヤン・フスは、異端者として1415年にヴァチカンにより火あぶりとなった。先般亡くなったヨハネ・パウロ2世が1999年になって、謝罪し名誉を回復したとの事である。フスは一時、ターボルに自治政府まで立ち上げた。

 まるで加賀の一向宗のようですねえ。

 ターボルのフス軍団〜祈り〜フスのコラール“汝ら神の戦士たち”〜フス軍団の遠征〜戦闘〜勇敢なフス戦士

 体制に抗う神の軍団か〜〜。死んでも天国へ行けるぞー! 現代では複雑かもしれません。

 いわゆる当時のチェコ最大最強のテロリスト軍団ということで……。

 でも音楽はカッコエエのですよ。これが。
 
 荘厳なコラールに続き、神の軍団の遠征が始まるくだりが、やはり最高にカッコイイですかね。ラストも、素晴らしい悲壮的な盛り上がり方で、私好みです。 


第6曲 交響詩「ブラニーク」

 ターボルと同じ主題を使うが、ここで表しているのは、ブラニーク山の伝説。つまり、ここには救国の守護聖人チェコ王ヴァーツラフ1世の墓があるが、それへフス教徒を合体させた伝説による。ここに眠る戦士たちは、亡国の危機には蘇って戦うという、指輪物語も真っ青の伝説を描く。まあ、聴こえは良いが亡霊の軍団ですか。
 
 1曲めに次ぐ規模を持ち、最後は1曲めも循環形式により回帰して、全曲を統一している。だからやはり、連作交響詩は、内容的には交響曲と云っても可能だということにるでしょうか。
 
 ブラニーク山に眠るフス戦士たち〜ブラニーク山での牧童の歌〜ボヘミアの地に押し寄せる難題〜目覚めたブラニークの戦士たち〜扉を開いたブラニーク山〜フスのコラール“最後には彼らと勝利せん”〜ブラニーク軍団の出征〜チェコ民族の復活〜フスのコラール“汝ら神の戦士たち”〜ヴィシェフラトの主題〜チェコ民族の幸福と栄光

 最も描写が細かいですね。
 
 前曲のラストと同じテーマで、フス戦士の伝説が幕を開ける。
 
 リズミックで豪壮なフス戦士の描写に続き、鳥の鳴き声のような牧童の歌。この対比がなんとも。が、しかし! 低弦から始まる戦慄のテーマが、国難を表す。
 
 次の木管による朴訥としたテーマに古来より英雄を表すホルンがからんできて、いよいよフスのゾンビ軍団、大復活!!(笑)
 
 栄光と共に我はありーッ!

 うーん、カッチョエエ。ターボルに比べて、同じフス教徒のコラールを使っていても、基本的に明るいんですよね。偶数ナンバーだから、未来指向の曲です。1曲めの主題が循環して、ラストは感動的に大団円で締めます。

 パチパチパチ……!

 まるでチェコを襲う全ての悲劇がサウロンの襲来のように聴こえる、最高にファンタジックで愛国的な音楽です。こんな曲を書かれたら、いやでも愛国心に目覚めてしまう。音楽って恐ろしい。

 そしてこんな音楽の国宝があって、全国民で意思疎通して愛せるなんて、チェコの人々が本当に羨ましいですね。


数々のチェコフィルハーモニー管弦楽団による我が祖国

 いちおう私が所持して聴いているものです。(チェコフィルによる我が祖国の全てではありません。)
 録音年代の古い順に並べてみました。
 ただの数字はスタジオ録音、Lはライヴです。発は私が持っている盤の発売年です。再発の場合も新しい方の年です。
 星は、★★★=フツウ ★★★★=スゴイ ★★★★★=超スゴイ 
=気絶
 とします。(今のところフツウ以下は無いです。)


 カレル・シェイナ/チェコフィルハーモニー管弦楽団 1950 MONO
 コロンビアエンターテイメント(SUPRAPHON )COCQ-83806 発2004
 ★★★★
 アンサンブルは正直荒いが、それを補って余りある感情の表出が嬉しい。
 コッテリした演奏に聴こえました。
 新盤なので、リマスタリングが上手にできており、むしろ聴き易いです。


 ヴァーツラフ・ターリヒ/チェコフィルハーモニー管弦楽団 1954 MONO
 日本コロムビア(SUPRAPHON ) COCO-78733  発1995
 ★★★★
 爆発的な表現よりもむしろ端整な色合いの演奏です。
 流麗なアンサンブルが魅力的。
 私の持っている盤は、残念ながら音質的には古いくぐもりのあるモノラルです。
 ターボルの冒頭は、荘厳な雰囲気です。


 カレル・アンチェル/チェコフィルハーモニー管弦楽団 1963 STEREO
 SUPRAPHON SU 3661-2 011  発2002
 ★★★★★
 新しいリマスタ盤だが、音質はやや悪い。(模糊としている)
 これでは、リマスタ前の方が良いらしい。
 端麗なアンチェルの色がよく見える演奏。ただし、彼のハルサイにあるように、3曲めや5曲目など、激しいところは容赦なく、かつフレーズにキレがあって全体的に小洒落ています。 


 カレル・アンチェル/チェコフィルハーモニー管弦楽団 L1968 STEREO
 RADIO ERVIS CR 0292-2-311 発2005
 

 残念ながらステレオといえども音質はやや悪いが、相変わらず切れば血が出る渾身気迫鬼気せまる演奏です。端整で、辛い。アンチェル、只者ではない。ムラヴィンスキーにも通じる芸風だが、もっと気品と悲壮感が漂っている。
 なにより、この年は、先年より続いた動乱の締めくくりに、ソ連軍を主体とするワルシャワ機構軍がプラハに攻め入って民主化の芽を潰した例のあの年です!! その年の、プラハの春のオープニングコンサートという、歴史に残る1人の民主革命闘士の記録なのです!!
 たまたま演奏旅行だったアンチェルは帰国を断念。その後、不遇のままアメリカで没する。彼の最後の祖国においての我が祖国。
 この境遇とこの演奏に何も感じぬ人は、鈍感だと思う。
 チェコ放送の音源。


 ヴァーツラフ・ノイマン/チェコフィルハーモニー管弦楽団 1975 STEREO
 日本コロムビア(SUPRAPHON ) 58C37-7724-75 発1985
 ★★★★
 ノイマンらしいというか、突出して激しくなく、どこか鄙びた田舎臭い演奏。牛のウンコの臭い。
 しかし我が祖国の色というのは案外そういう物なのかもしれません。

 ちなみにこのCDには、スメタナの珍しい諸作品 交響詩「リチャード3世」 交響詩「ヴァレンタインの陣営」 交響詩「ハーコン・ヤール」 そして シェイクスピア祭のための祝典行進曲 が同時収録されています。
 この初期の交響詩3作を含め、スメタナの交響詩全9作がそろうとのことです。
 3作は、初期作品らしく、けっこうリスト的。
 行進曲は、珍しいオーケストラコンサートマーチの傑作です。 


 ヴァーツラフ・スメターチェク/チェコフィルハーモニー管弦楽団 1981 STEREO
 デンオン(SUPRAPHON ) GES-9228 発1988
 ★★★★
 ドイツ風という表現があっているのかどうか。冒頭より伸びやかなるシンフォニックな響きに、酔いしれることができます。
 連作交響詩は、巨大な交響曲でもあるのだなあと、感慨深くなります。
 構成的ですが、その分、色彩としては、淡いです。


 ヴァーツラフ・ノイマン/チェコフィルハーモニー管弦楽団 L1982 STEREO
 デンオン COCO-70604 発2003
 ★★★★
 東京文化会館においての、我が祖国初演100周年記念コンサートの演奏です。
 相変わらず朴訥な奇やてらいの無さながら崇高なまでの陶酔感が魅力。
 誠実、あるいは真摯、といっても良いかもしれません。
 音質がやや悪い。


 ロヴロ・フォンマタチッチ/チェコフィルハーモニー管弦楽団 L1984 STEREO
 sardana sacd-143 a/b 発1999
 ★★★★★
 当年の、プラハの春オープニングだそうです。
 そのせいか、格調高く、ハメを外していないが、それで充分。重々しいというより、この恰幅さ、雄大さ、素晴らしい。さしものマタチッチも、チェコフィルの指揮を受け身に楽しんでいる雰囲気すらあるが、他の指揮でこれほどの懐の深い演奏をするものは無い。
 気の抜けた演奏になりがちなボヘミアの森と草原よりが、こんなにも重厚で意味深な音楽だったとはなあ。
 私のは海賊です。


 イルジー・ビエロフラーヴェク/チェコフィルハーモニー管弦楽団 1990 STEREO
 日本コロンビア(SUPRAPHON )発1990
 ★★★★
 初めて買った我が祖国。(ただ単に当時の新譜。)
 伸び伸びとしているが、けっこうモダンな演奏。
 愛国的な想いというよりかは純粋な戦後世代の颯爽とした楽典主義的な物だが、それでも、この歌い上げは格別な物があります。


 ラファエル・クーベリック/チェコフィルハーモニー管弦楽団 L1990 STEREO
 コロンビアエンターテイメント(SUPRAPHON )COCO-70713 発2004
 ★★★★★
 チェコ民主化後、初のプラハの春演奏会で、クーベリックが42年ぶりに指揮をしたときの模様。その異様な陶酔感と高揚感は、色あせず、かつ遠く離れた日本のスピーカーの前でも、少しだけ伝わって来る。
 フルトヴェングラー級と云われるほどの音楽の揺り動かしは、聴くものを嫌でも感動というチープだが耐えられぬほどに熱い魂のほとばしりを味わわせてくれます。


 ラファエル・クーベリック/チェコフィルハーモニー管弦楽団 L1991 STEREO
 Altus ALT098  発2005
 

 上記演奏会の1年後の、日本でのライヴ。
 上記演奏会を人間の到達する最高の高みとすると、こちらは完全に神の世界に片足をツッこんでいる危ない演奏。
 昇華される魂を音にすると、このようになるのだという真実と事実をかいま見せてくれる恐るべき記録です。大音量で、ぜひ。
 クラシックを聴いていて、オーケストラを聴いていて、本当に幸せだと感じるときは、実演でも、記録でも、こういう人間の魂魄の揺さぶり(魂振り)を感じるときですね。 


 ズデニーク・コシュラー/チェコフィルハーモニー管弦楽団 L1992 STEREO
 sardana sacd-240/1 発2000
 ★★★
 当年のプラハの春オープニングみたいです。詳細は不明ですが。
 さすがにチェコフィルの演奏は素晴らしいが、なんとも中庸な指揮。
 気分でも悪かったのか? それともプレッシャーでの安全運転か?

 私のは海賊盤です。


 小林研一郎/チェコフィルハーモニー管弦楽団 1997 STEREO
 CANYON PCCL-00409 発1997
 ★★★★★
 羽振りが良かったころのキャニオンの伝説のひとつ。
 HDCDもいまとなっては儚き夢か。東洋人で初めてプラハの春で我が祖国を演奏し、初めてチェコフィルを使って録音したコバケンは完全に内燃型の演奏で、ここまで集中力が内部に向かって斬りこんで行くのはなかなか無いです。現役では、いまもって最高の我が祖国指揮者なのではないでしょうか。こういう演奏をSACDで聴いてみたい!


 結果
 個人的には、ドライで純音楽的にとらえているように見えるが内実に潜む悲壮的な愛国のアンチェル。音楽へ真正面から取り組み、劇的な高揚感のある愛国のクーベリックが、私の2大巨頭でしょうか。次点はもちろん普遍的な人類愛に燃えたコバケンと音楽の底力をいつも感じさせてくれるマタチッチです。


その他の我が祖国
 
 ロヴロ・フォンマタチッチ/NHK交響楽団 L1968 STEREO  
 Altus ALT092  発2004
 ★★★★
 おおッ! ヴァーグナー!!
 雄大なテンポ設定により、スメタナの中のワーグナー的な部分をさらけだす問題演奏。
 日本のオケとしては、やはりN響は頑張っているほうです。ただし、指揮者がマタチッチ級のときだけだそうです。
 こんな重厚かつリズミックで雄弁で、良いのだろうか。 


 ラドミル・エリシュカ/札幌交響楽団 2009 STEREO
 オフィスブロウチェク DQC-425 発2010
 

 往年の巨匠もチェコフィルも亡き今、21世紀にこれほどの我が祖国が聴けるとは望外の喜びである。
 遮二無二鳴らしたり同時代性の緊張感、切迫感はもちろん無いが、ここには補って余りある流れる様に流麗なフレージングとパッションの熱さがある。
 滋味深い渋い味わい、何度でも聴きたい真の名演。究極の演奏の1つ。
 




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