12/30

 テンシュテットの未発表音源で、第九を聴く。

 テンシュテット/ロンドンフィル 他
 ベートーヴェン:第9交響曲 L1992

 先日の尾高のベーレンライター版に比べたら、
なんというコテコテぶり!w

 これが西洋人のパワーなのか!

 と、コンプレックスになりそうなくらいのコテコテさです。テンシュテットの第九は他にこのパワーのままさらにぶっ壊れている演奏もあり、これは音が良いですが、燃焼度はイマイチです。それでも、このコテコテ!!(笑)

 1楽章は大してテンポも時間も変わらないが、2楽章が9分。尾高の13分半はそう、リピートをぜんぶつけたんですね(笑) ベーレンライターでリピートつけないことほど意味無いものもないと思うので、それはそれで面白かったですけど。

 そして! 3楽章が18分半!! これぞテンシュテットの極み!!(笑) こうでなきゃアダージョじゃないでしょう?って?ww

 4楽章も27分。合唱にタメも入ったりと芸は細かい。

 そして独唱!! こればかりは、本場の勝ち!! 発音はまあしょうがないとして、声量と表現が段違い。

 他にも面白い盤があるため、思っていたより大人しかったですが、★は5つです。

 テンシュテットはまたCD-R盤でいろいろたまってるので、新年にかけておいおい聴いて行きます。マーラーの9番も(笑) 9番以外のマーラーも(爆)


12/28

 年末だし第九でも聴くか〜〜。。。

 とゆーわけで、尾高/札響のCDなぞを買ってみた。

 いや、ドヴォルザークを新録したっつうから。オマケで第九が1000円だったので。(定期会場で売ってた。)

 尾高忠明/札幌交響楽団
 ドヴォルザーク:第8交響曲 第9交響曲「新世界より」(2007年録音)

 土俗的でありつつ、実に爽やかな、都会的というでも無く、田舎なのだが、田舎の中の都市部みたいな(札幌のことか!)妙に洗練された趣が、サッパリしていて面白い。尾高のドヴォルザークは実演で新世界を聴いたことあるが、やはりそう感じた。フレーズはひっぱらず、サクサク進むが、タメが無いわけでもなく、バランスもよい。メリハリもあり、しかしアクは無い。良くも悪くも日本のオケかもしれない。

 8番は冒頭より控えめで爽やかな涼風のごとし。4楽章ですら、ニコニコして進む。もっとズンタカダッタと韻を踏むのが好みだが、これもよいかな。

 なにより音がきれいなのが嬉しい。

 新世界もその通り。この曲こそ、通俗なんとやらと云われるだけあって、やたらと小節を入れて唸るのが良い演奏のような空気もあるが、それは良くない。小節を入れてもその中に崇高さが出てくるような、ある種の陶酔感まで到達すると、ノイマンとかクーベリック、アンチェルとかの域に達するのだろうが。

 尾高のアプローチは異なる。あくまで、純粋音楽の中でもさらに、古典派に近い。テンポは落ち着いており、音は澄んで、リズムは狂いなく鋭く刺さり、フレーズはけっして重たくならず、どちらかというと颯爽と前へ行く。

 かといって、音楽自体はロマン派(国民楽派)の範疇なのだから、古典派のようなある種の実用音楽(貴族がメシを食うBGM)のような無味乾燥さも無い。熱く、祖国を歌いあげる。

 モダン、ということなのでしょう。コテコテの新世界を聴き飽きた人にはけっこう新鮮かも。

 さて、第九である。

 尾高忠明/札幌交響楽団 他
 ベートーヴェン:第9交響曲 (2002年のライヴ録音)

 第九ともなると、ディープなクラシックファンはほとんど必ず 「私だけの第九」 みたいなものを後生大事に聴き倒すのではないか。フルトヴェングラーだったり、カラヤンだったり、バーンスタインだったり、ベームだったり、たいてい巨匠だろう。かくいう私も、クレンペラーのライヴ録音が大好きで、第九なんて、もう買わない。

 正直に云う。上記のドヴォルザークを買ったら1000円にしてくれるというから買ったようなものだ。

 しかし、冒頭よりなかなか迫力があるぞ。テンポはかなり速めで、呈示部のリピートもあるようだ。とうぜんベーレンライターだろうから、意外とシンプルなのよね。全人類の苦しみを背負った1楽章……などという、どこかの評論家が好みそうな音楽はここにはない。しかし、音楽それ自体の力は遺憾なく発揮されている。

 1楽章は騒動と安寧を繰り返す、人間の生きざまそのものか。快速ながら、軽々しい表現はどこにもない。かといって無駄に深刻ぶるような衒いも無い。ベートーヴェンの記した音譜と、その意味を読み取る努力さえすれば、自然に発生する自然な音楽である。

 この1楽章がいかに快速かというと、15分という演奏時間が全て物語っている。しかし、けして軽くはない。そして重くも無い。あるのは前進あるのみの強い意思のみ。

 2楽章もかなり速いのだが、それでも13分半必要。3楽章は14分半。たっぷりとしたアダージョに聴き慣れた耳には、アンダンテくらいの急ぎ足の雰囲気はある。4楽章はちなみに24分。

 4楽章は前半の合奏部など、素晴らしい流れ! ティンパニの音が古典派っぽい。対旋律もきれいに鳴って面白い。

 歌手は……まあいいや。合唱も雰囲気があって良いですよ。

 最後も迫力あります! ブラヴォー!

 全体に、よく楽譜を読み込んで、ベートーヴェンの音楽に変な意味をつけず、音楽のもつフレーズの前に前にゆく力や、ベートーヴェンにおいてはインパクトというフォルテの意味を表現している。しかも、感情も入っている。尾高の手腕はさすがだと思った。

 
これは、思ってたよりかなりイイ!! です! 買いだった!! もうけた!!


12/18

 マーラー9番の続き。

 今回は往年の指揮者による復刻盤3種。

 ワルター/VPO 1938年の高名なライヴ
 アンチェル/チェコフィル 1966年の録音
 クレンペラー/ニューフィルハーモニア 高名な1967年の録音のART盤

 ワルターはうんと前に、輸入盤でシャーシャーいうのを聴いて、まあこんなもんかな、と思っていたが、OPUS蔵で凄いほとんど未使用のSP盤からの復刻に成功したというので、買ってみたもの。シャーシャーは大して変わらなかったが、その奥にある音楽がモノラルとは思えぬ瑞々しさ。これが本当のSPにかなり近い音らしい。うーむ、凄いです。演奏は、かなり速くて荒々しいのがまた、賛否が分かれるところだろうが、まあナチス云々もあるんだろうが、もともと、じつは9番はこういう荒々しさが内に潜んでいるグロテスクな一面を有する音楽であって、大地などとは根本的に表現が異なる。そこをはき違えて、大地と比較して(同じ後期だからと)お耽美のみで語ろうとすると、ちょっと演奏解釈も異なってくるだろう。正直、そうは云っても3、4楽章が速すぎて、私はどうも苦手。早く終わらせてとっとと帰ろうというワルターの意図が見えるよう。まあ★4つ。

 
アンチェルが、実に良い。
 
 これはひろいものだった。チェコフィルの音も実に味があるものだが、なによりアンチェルの指揮が良い。どう良いかというとなかなか、難しいのだが、どちらかというとドラマ系だろうか。動きが凄い。かといって、動きすぎるというでも無く、79分ほどで1枚におさまってるくらいだから、演奏時間だけで云うと、これは2枚組のどっしりねっとり系の演奏に比較したら淡々と演奏してるほうではないか。

 それでも、このあふれんばかりに放射する音楽のエネルギーは、特筆に値する。生き生きしている。こういう良い演奏はなにが良いというと2、3楽章が良い。中間楽章が面白い。2楽章のアイロニー、3楽章の悪いユーモア。1、4楽章はもう、当然のように良い。つまり全部良い。これは、聴いたことのない方は、絶対に得ですから、聴いてください。9番ファンの方は特に。リマスタ盤で録音もまあまあ。アンチェル、マーラー、9番とかでぐぐったら出てくると思います。★5つ。

 
さあクレンペラー大先生だ。

 
ART盤。

 ART盤が出ているの知りませんでしたよ。いまさらながら買ってしまいました。大地は前に買って、それまでのEMI(特に国内盤)とのあまりの月とすっぽんの音質の差に愕然としたので、これも期待してました。期待通りだった。素晴らしい。本当に素晴らしい。

 クレンペラーは周知の通り テンポが遅い ことで有名だが、実は速い部分はちゃんと速い。身体が不自由なのもあったろうが、遅いのは純然たる藝術表現の意味合いも強いと思う。

 遅いのだが、しかし、クレンペラーはノロノロしない。つまりフレーズが後ろに引っ張られない。常に先へ先へ進む。その不屈の闘志のようなものがスピーカー越しにもビンビン感じられ、それがクレンペラーの藝術の価値を高めているのだろう。

 また遅いことで、間延びしない。つまりリズムが正確。そうすると、スコアがきれいに解読され始める。アマオケでも複雑でできない箇所は、さいしょはゆっくりやる。それと同じ原理だが、完成された表現の結果としてそれがあるのが凄い。

 正しいテンポ設定とはいえ、指揮もオケも技量がついてこず、あまりにリズムがあやふやな演奏を聴くにつれ、グチャグチャというか、ガタガタというか、溶けかけてるというか、9番が空中分解寸前になっていて、マーラーに気の毒になる。それなら少しでもゆっくりやって正確にアンサンブルを奏でるべきだ。

 とはいえ、モタモタしていてはこれも意味が無い。

 話をクレンペラーに戻そう。

 1楽章が特に素晴らしい。悠然たる響きの中に、悠久の精神性を存分に感じることができる。また全身に微塵の揺るぎも無く、恐るべき緊張感が支配している。その美しさは情に流れず、かといって無表情なのではない。無骨とも無愛想ともいえる音楽の流れの中に、確かにマーラーの音楽への意図的に距離を置いた(しかしその中へマーラーとの関係で得た何物にも代えがたい感情がひそんでいる。)冷徹な視点が存在し、その音楽への畏怖が、表現者であるクレンペラーを通して、我々へ迫ってくる。

 2楽章のレントラーも良い。本当のレントラーになる演奏も良いが、あくまでレントラーを模したものであって、9番ではあまり浮かれるのもなんだろうか。しっとりとして、かつ、泰然自若とした佇まいが魅力だ。テンポ2の舞曲のパロディー的な重々しさがまた良い。

 そして3楽章も良い。この暴力的な響きは、マーラーの失敗なのだろうか? そういう人はきっと7番の5楽章も失敗なのだろう。9番は大地のような叙情性に満ちた、耽美な音楽ではない。マーラー自身も指摘しているように、(形式は似ても似つかないが)性格の面ではむしろ4番に匹敵するアイロニーとブラックユーモアを含んでいる。9番は 「全体的にそういう音楽」 であって、9番の価値は1・4楽章にのみあるなどというのは、マーラーの全体を愛でる事のできる真のマーラー聴きには、とうてい受け入れられない意見だろう。

 そんなわけで、クレンペラーの3楽章は時間にして15分ほどと、確かに遅い部類に入るが、ストレット〜プレストからのまさに突撃するような迫力は、最初が遅めなだけ、より顕著な効果となる。3楽章はおそらく9番で最も管弦楽が厚い。このオーケストラ全体で無茶苦茶に突進してゆく面白さは、マーラー流の悪い冗談であり、9番に到ってマーラーの原点回帰のような興味をわかせてくれる。

 1、2、3と良くて4楽章が悪いわけは無い。もちろん、お涙頂戴の演奏では無いので、感情面でややもの足りなく思う人もいるだろう。それにしてもこの圧倒的な音楽の力!

 ART盤ということで、音質も大幅に改善され、気絶級 
 は間ちがない。本当は ☆☆☆ の幽体離脱級であるが、それは個人的感情の度がすぎると思うので、無しにしておきます。


12/4

 先日、NHKBSで夜中に放送された、NHk音楽祭の模様を録画して観た。

 ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団

 チャイコフスキー:バレー組曲「白鳥の湖」
 プロコフィエフ:バレー組曲「ロメオとジュリエット」より
 ストラヴィンスキー:バレー音楽「春の祭典」

 アンコール
 チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」から「パドドゥー〜アダージョ」
 プロコフィエフ:組曲「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」
 チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」から「トレパック」

 2007年11月18日ライヴ。

 いや、うめえな!!

 ゲルギーもうめえけど、オケうますぎる!! なんでこんなにうまいの? ロシア人がロシアものをやるから!?

 絃も管もうますぎるでしょう!! なんであんな音が出るの!? ロシア人だから!? 

 しかも(全員じゃないけど)なんでお姉ちゃは美人でお兄ちゃんはイメケンなの!? ピッコロのお姉ちゃんとかファゴットの兄ちゃんとか、モデル!?

 日本のオケじゃなんでこうならないの!? 練習してないから!? それとも才能がないから!? 日本人にはこういう演奏は永遠に無理なの!?

 そんなわけで、聴いていて凹んで具合悪くなってきた。

 あーもうね、このチャイコのバレーといいつつ交響楽な演出は最高。プロコも良かったけど、選曲がちょっとシンプルすぎたか。

 そしてね、ハルサイよハルサイ!!

 ゲルギーは珍しく長い指揮棒をユラユラしてたけども、みんな必死になってついてくクセに、ソロとか余裕でやんのよ、なんでよもう!

 そして春のきざしとか速いし! いや速けりゃいいもんでもないですけど、とりあえず乱れないのがいやだもうこのオケ(笑)

 この人のフォルテはどうしてこう、大仰にグサッグサッと突き刺さるような、それでいて、「演出ですのでご安心下さい」 的な変な余裕もある。それをあざといととる人はもう聴けないだろうが、まあまあ面白いですよ。ラストは意表をついてスロー。その迫力!

 とにかくね、なんでもいいけど、うまいんだよコンチクショー!! ブラヴォー!!

 そしてハルサイをあれだけガンガンやったあとのアンコールがなんでそんな金管とか音が出て素晴らしいんですか! 分かりません!! ><

 PS 1番ティンパニのお兄ちゃんはドイツ式配置(奏者から見て高い音が左)でドイツ式の持ち方(親指の爪が真上向く)がでした。


11/25

 聴くと重いのであとで聴こう聴こうと思ってるうちに15枚くらいたまってしまったマーラーの9番をようやく聴きはじめる。さすがにいっぺんには聴けないので、少しずつ年末にかけて聴く事とする。

 とりあえず、ぜんぶCD-R盤であるがBPOの9番を4枚、聴いた。

 アバド/BPO L1994
 シャイー/BPO L1989
 カラヤン/BPO L1982/5/1
 カラヤン/BPO L1982/8/27

 BPOのマーラーの9番なんて、しかも指揮がカラヤン、シャイー、アバドなんてもう実演ならば究極のメニューもまっつぁおなんですが、まあ、記録ということで、つたない録音でも我慢です。

 アバドはしかし、超高級の絹織物のような、この上質感はもはや異常ですね。なんというこのビロード感なんだろうか。そのぶん、9番の「生と死のドラマ」という意味では物足りないのだが、まあ純音楽的アプローチという云い方が妥当かどうかという問題を孕むのであるが、純粋にマーラーの中の美、それも純粋な音楽美を丹念に丹念に描き出した、その解釈の最高の演奏。音質も良い。★とうぜん5つ。

 シャイーはカラヤンが去ってすぐの演奏だそうで。カラヤンへの追悼の情がこれでもかとにじみ出ている珠玉の逸品。シャイーの正規盤であるRCOでの演奏も良かったが、このBPOも最高だ。4楽章など、ただ楽譜のみから音楽を引き出そうとする指揮者からは絶対に出てこない魂を揺さぶる人間の精神の根底から湧き上がる壮絶的な表現がある。ただ音質にやや難がある。それでも★5つ。

 さてカラヤン。

 ぜんたい、カラヤンの正規マーラー録音は、カラヤンの実力や魅力の一面しか伝えていない。私流だがカラヤンはライヴでなくば面白くない。6番なんかいい例で、カラヤンのマーラー6番は、テンシュテットに匹敵するどっかどっかの重爆撃系!!

 まあそれは良いとして9番だが、スタジオ録音の他に正規で1982年9月のベルリン芸術週間ライヴ盤がある。これがもう究極の中の究極の演奏で、あんな9番を生で聴いたら幽体離脱してしまうという恐ろしい演奏。これに比べるとバーンスタインは独り善がりの空回り。

 しかし一説によると、それすら超えるというのが、この同年ライヴによる2種類のCD-R盤だという。

 あああ、聴く前から震えがくる。 

 まずは5月1日の、BPO創立100周年記念演奏会2日目の模様から聴いてみよう。

 けっこう荒々しく、第1主題の弦楽なども刀で斬りつけられているようで、ここを優雅に美しく(カラヤンも美しいのだが)演奏する手法が、表面上だけの奇麗事に思えてしまう。展開部の死のテーマの誇張じゃない、自然でいて深刻な鳴らし方。

 素晴らしい。

 2、3楽章の異様な感情の入りようも、カラヤンのライヴならでは。特に3楽章は圧巻。そして4楽章の、なんというカラヤン美楽!! 絃の厚み!! トロンボーンの咆哮!!

 これを聴かずして、9番を語るなかれ!

 いやホント(笑) 


 もう一つは、1982年8月27日の、ザルツブルク音楽祭においての演奏。この年は、3回も9番を取り上げたんですね。

 これも甲乙つけ難い。素晴らしい熱気と、アンサンブル、そして美しさ。マーラーの中の、耽美的な部分を裏やんは完璧以上に描き出している。衝撃的という点では、やや5月の演奏に落ちるかもしれない。つまり、5月に比べて、こなれてきているのだ。2回目だからか? 2楽章なども、5月の荒々しい衝撃は無い。じっくりならす巨匠芸という感じで、そういう意味ではつまらない。いや、ぜんぜん凡百の指揮者に比べたら面白いですけど。

 3楽章などはしかし、この速さで合奏を崩さない(崩れてるけどww)ベルリンフィルはさすが。そして4楽章の太くもあり、儚くもあり、どんなにピアニッシモでも、しっかりと鳴らす技量は素晴らしい。ピアニッシモだと弱々しくやるというのが、日本人の勘違いである。日本のオケでどうにも4楽章で薄っぺらいのは、そのせいだろう。

 弱々しいのではない。どんなに弱くとも、ホールのいちばん後ろにも聴こえないと意味がない。PPPほど、しっかりと芯のような、ピアノ線のような音をださなくてはならない。

 ★5つ。

 さすがBPOとそれを指揮する人々だけあり、みんな高得点となった。


11/13

 タワレコの復刻企画の、武満徹、三善晃、松村貞三を聴く。2枚組でしかも1500円と安く、本当に有意義な素晴らしい企画。特に松村に関しては発売直前の訃報に、感慨深く聴いた。

 武満は地味にほとんど既持ちの音源だったが、音質は向上していたような気がした。とくにアーク第2部は迫力があったなあ。新録より、当時の演奏のほうがやっぱり鬼気迫るものがあります。

 三善は、あまり得意な作家ではなく、現代ものなんかみんないっしょだろ、という人にはなかなか分かりづらいかもしれないのだが、この三人は三種三様でじつに興味深く、面白く聴き比べができる。その中で三善がいちばん、私にとってカオスwww

 この人の音楽は本当にメチャクチャだ(笑) とくにオーケストラ曲で凄まじく、音響の塊がさらに幾つかより集まって重なり合い、異様に複雑な構成をしている。しかも、そのくせ三善本人はソナタ形式とかの古典的構成に凝っているから、そのギャップが非常に興味深い。意外とスコアは整然としているのだろうか。

 特に協奏曲と変容曲は良かった。交響三章は三善の交響曲という人もいる名曲だが、何回聴いても、気がついたら終わっているwww 終わっても、「ああ、終わったんだな」 ならまだ分かるが、「???」 になってる自分が面白い(笑) 祝典序曲は、悪いが笑ってしまった。ショスタコと規模的にも同じくらいの祝典曲だが、ゲンダイすぎるだろがwww 素直に祝ってやれやwww

 それでも初期の室内楽は聴きやすい。三善といや、いまでは合唱のほうがオケ品より数があるだろうか。今回の盤には入ってないが、響紋などはカオスすぎて何階聴いても 「???」 で良いww

 さて松村だが、松村は創作姿勢がシビアすぎて、そんな作品ももちろんえらいシビアなのだが、数が少ない。少ないまま亡くなってしまった。録音も、作品数にしては黛などよりはあるほうだが、まだ足りないと思う。

 それで今回、初CD化音源多数で、しかも、初CD曲も多く嬉しかった。万博用の音楽は、特に良い。アプサラスと祖霊祈祷は、面白い。BGMゆえの構成のなさはあるが、コンサート音楽としても、質は高い。アプサラスの濃密な浮遊感と、祖霊の地下の底の怨霊の呻き見たいな、なんかホントにそれでいいの?的な「ヘンな濃さ」は、松村を聴く楽しみだwww

 詩曲も良い音楽だが、元がお茶室のBGMなのと、始めて書いた邦楽曲だそうで、ちょっと、薄いか。

 室内楽では、松村特有の濃密さが薄れる嫌いがあるので私はあんまり、好きではないのだが、そういう曲調じゃないギリシャは、松村のリリカル面が出てきて、良い曲であるばかりでなく、作風としても興味深い。

 その中で、圧倒的なのがやはり阿知女で、カメラータの解説か何かで松村自身がちょっとやりすぎたと思ってたらしいが、しかしこの音楽は、良い意味での伊福部流のオスティナート主義と松村流の原始怨霊主義がレッツコンバイン!した珠玉の珍品もとい逸品だろう。

 カメラータの録音の藍川の強烈すぎる(巫女というより女王いや女帝!!)存在感に比べて、この初期録音の常森の凄烈な歌声は、まさにイッっちゃう巫女という感じでよかったですハイ。まあ迫力には欠けますけど(^^;A


11/3

 七人の侍 早坂文雄の世界

 本名徹次/オーケストラニッポニカ

 早坂文雄:交響組曲「七人の侍」(松本敏晃編曲)/二つの讃歌への前奏曲/左方の舞と右方の舞/早坂文雄のスケッチによる「交響二章」(石田匡志編曲) 

 早坂文雄のCDを聴く。こういう意義あるCDがセミアマオーケストラでないとできない事情ってなんなんだろう。

 いやまー、ペイの問題なんでしょうけど(笑)

 七人の侍組曲は佐藤勝、池辺晋一郎に続いて3人目の編曲。これがもっとも大きく3管であるという。まさに交響組曲で、完全なコンサート用の音楽だが、なんかモソモソしている嫌いはある。もとの映画音楽が、編成が厚くないから違和感があるのだろうか。というわけで、我輩は池辺センセの編曲が最も好きなのだった。

 左方右方は、「パート譜に、たくさん間ちがいが発見された」 「今回の録音は初の修正版による」 というのだが、芥川也寸志やヤブロンスキーとかは本当にそれに気づかなかったのだろうか。ちょっと不思議な感じがする。演奏は、なるほど、かなり明確になっている。この曲は、こういうスッキリした音楽だったのか、という風に聴こえた。

 前奏曲はかなり初期の音楽で、まあなんとも。早坂が当初から優れたメロディーメーカーだったのを印象づける。

 交響二章は、スケッチからの編曲もの。この編曲に際し、とある作曲家とトラブルがあったらしいが、どちらの云い分も私には判断できないので、あったらしい、にとどめておく。

 交響曲のページにも簡単に記しました。

 この編曲で、白眉はやはり第2楽章の「弦楽のためのアダージョ」だろう。これはいい。本当にいい。近代3大弦楽合奏をあげろと云われれば、私はバーバーの弦楽のためのアダージョとマーラーの5番の4楽章と(ハープ入りだが)と、これを揚げる。それほどいい。

 キビキビとした旋律が、耽美に流れない。テンポはもちろんアダージョだが、流麗でいて、冷たくキラキラと光を発している。盛り上がりもよく、長さも15分ほどだが飽きさせない。前半と後半に大きく分かれ、後半の淡々としつつも切々としたドラマは特にいい。

 静かに低弦から立ち上がる暗い陰鬱とした旋律が、徐々に明るくなりつつも、その冷たい静謐さと硬質さを最後まで失わないのは素晴らしい味わい。

 これはいい曲だ。


10/26

 BBCミュージックからでた、ロジェストヴェンスキーのショスタコ4番。他。

 ロジェストヴェンスキー/ロンドン交響楽団
 ショスタコーヴィチ:交響曲第4番L1962/「カテリーナ イズマイロヴァ」組曲L1962/祝典序曲L1985
 
 いやー、
良い。

 4番はロジェヴェンがいちばん良いと思う。ロジェヴェンの4番はCD-R盤も含めると4種類くらいあって、これがいちばん古い録音なのだが、録音がいちばんいい(笑) 西側初演らしく、客席にはショスタコ本人も臨席していたという。

 なんでロジェヴェンの4番が良いかというと、この曲のバラバラな楽想を無理に統合しようとせず、各部所を独立というほどでもないが、かなり自由に扱って、それぞれ演出し、面白く鳴らしている。いちばん、4番を理解し、かつ、鳴らそうと努力し、それが成功していると思う。4番は好きなので、まあまあ聴いたが、他の演奏は楽想に困惑しているか、単なる音響作品としてとらえようとして鳴らし損ねているか、何も考えずただ演奏して面白くないものにしているような気がする。

 この曲は5番とは異なる。ただ演奏しても、鳴らないし、楽想のつながりが唐突なため、順番にただ鳴っていても面白くない。非常に難しい作品だ。

 ロジェヴェンは全体的にショスタコがうまいが、何かこの音楽に特にウマが合ったのだろう。

 珍しい組曲も面白かったが、歌劇そのものが聴いた(観た)ことが無いので面白さ半減。

 しかし祝典序曲が出物で、これ1曲でもこの盤を買う価値があるといってもいい。このCDの白眉は間ちがいなく、コレww

 6分ほどの小曲だが、冒頭のファンファーレから、ロンドン響のブラスが炸裂!!ww

 スカーンと鳴る様はソ連の演奏(録音)からはまず聴こえてこない。それから怒濤のテーマのノリ。

 そして最後にバスバラwww おわー!www なにこの1812年ばりの鳴り渡りはwww

 ズドォワ! ズドォワ! って、叩きすぎでしょう、なんで!?(笑)

 ロンドンの客もびっくりして、大満足の熱狂演奏です。

 ぜんぶ★5つ。

 正直、ショスタコはもう足を洗おうと思っているが、こういう演奏は、別格だ。


10/20

 ぜんぜんCDを聴けてません。いや、ちょくちょくは聴いているのですが、ここに書くまでもないものばかりです。

 本当は、あとで聴こう、あとで聴こうと思っているうちに15枚ほどもたまったマーラーの9番を一気に聴いて マーラー9番祭 でもやろうと思ったのですが、その前に交響曲のページでトゥビンをやっつけようと思って、これがなかなか難物で一向に進まず(笑) 邦人作家もたまってはいるのだが。。。

 とゆーわけで、
今井重幸作曲 萌えよ!ドラゴンガールズ のサントラを聴く

 えええええ、今井しぇんしぇえー!

 こんな仕事もするンすか(^^;A

 三味線、トロンボーン、フルート、ヴァイオリンとシンセによる、電脳アナログワールド!(笑)

 帯にはこうある。

 
未体験本格アイドル特撮アクションに日本映像音楽界の最終兵器・今井重幸見参!!

 最終兵器とツーショットwww

  (第1回伊福部昭音楽祭レセプションにて)

 ライトモティーフを駆使したシブイ旋律がなんとも映像とのギャップを醸し出しているのだろうが、DVDは未見。ちゃんとエンディングテーマとも共通している。(エンディングも今井先生作曲、作詩補作)

 特に戦闘シーンが、今井節でたまらんwww

 どう聴いても 
燃える んですがwww

 そして福下恵美にはまりつつある我輩。


10/9

 珍しい曲目を3種。

 まずは史上初の、セヴラック管弦楽曲作品集。

 セヴラックってそもそも、知ってます?(^^;A

 下記の舘野泉センセが日本セヴラック協会なんてやってて、CDも出して普及に勤めてますが、ピアノ曲集が高名です。オーケストラ曲もあったんですね、というところ。私はオケ聴きなので、とても嬉しいです。

 フランスの作曲家で、スコラカントールムでダンディやマニャールに作曲を、アルベニスにピアノを習いましたが、やがてパリに嫌気がさし、故郷の南フランスで太陽と大地の鄙びた香りにあふるる素敵な曲をたくさん書いた人です。

 ベンツィ/スイスロマンド管 ジャエル・アッツァレッティ(S)及び声楽アンサンブル

 セヴラック:コート・カタラン 交響詩「たそがれのニンフ」 3つの想い出 ワルツ「ピッペルマン−ジェ」 付帯音楽「幻影」 セレナーデ「月の光」 イボン・ブレール/ セヴラック:オペレッタ「ピナール王」による組曲(ロベルト・ベンツィによる改訂版) 

 初期の交響詩などはドビュッシーとかなり似た響きがあるものの、全体に、もっと芯が通っており、なによりプーランクをもっともっと親しみやすくしたような明るさと朗らかさ、さらには暖かい日差しと、むせかえる畑の香りが本当にたまらない。もっともっと聴かれて良い作曲家です。

 打楽器も、タンバリンやカスタネットがなんともいえぬ味わい。

 次は、スヴェトラーノフの作品集。もちろん自作自演。

 スヴェトラーノフ/ロシア国立響
 スヴェトラーノフ:交響曲第1番 交響詩「赤いカリーナ」
 
 交響曲のほうは交響曲のページに詳しくアップしました。

 さて交響詩なんですが。。。
 
 英語タイトルでゲルダーローズとなっているもので、どんな意味かと調べたら、和名テマリカンボク(手毬肝木)という木(花)だそうです。ところが純粋なテマリカンボクは日本原産で、英語でスノーボールという西洋テマリカンボクというのがあるそうです。園芸は門外なのでよくわかりませんw

 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/temari-kanboku.html

 ネットの写真では白い花ばかりで、赤いというのになにか逸話があるのだろうと思いますが、よく分かりません。 

 それに花の交響詩にしてはやたらと戦闘音楽みたいに盛り上がったりして、変だなと想い、もっと良く調べたら、小説「赤いカリーナ」のことであるという記事を発見。

 http://blue.ap.teacup.com/yd3k/182.html

 カリーナはセイヨウカンボクという木で、中央ロシアではメジャーな木の実とのことです。http://www.iskra.co.jp/ev/vol26/05tradmed.html

 しかも「赤いカリーナ」というのはロシアの高名な小説で、その小説家シュクシーンの追悼曲というので、やはり、タイトルは小説に合わせたほうが妥当かということで、私も「赤いカリーナ」にしました。

 http://www.ekakinoki.com/memo_book/shukshin.html
 
 本当は「赤いテマリカンボク」とか「赤いセイヨウカンボク」とか考えたんですが(笑)
 
 いや、謎が解けた。
 
 それで音楽のほうですが、なかなか面白い交響詩です。出来も良い。冒頭の素朴な旋律は、ロシア民謡「赤いカリーナ」らしいです。それの後、長い弦楽のクレッシェンドから、強烈なショスタコアレグロに。静まってチェロのモノローグより緩徐部分となる。それからすぐに噴水のようなキラキラした盛り上がりになって、各楽器によるしっとりとしたソロが続く。それが不協和音と化し、陰鬱とした部分に。打楽器も爆発して、豪快な展開となって、また静寂が。ラストにはアカペラでソプラノ独唱が入り、なんとも神秘的で、瞑想的な雰囲気でしまります。ロシア語の歌唱ってなんとも寂しげな雰囲気があってたまりません。なにより曲想や展開が聴かせる。

 ストラヴィンスキーのピアノデュオ作品種を聴きました。

 デュオってのがミソなんだな。

 ブガロ−ウィリアムスピアノデュオ
 ストラヴンスキー:春の祭典 弦楽四重奏のための3つの小品 協奏曲変ホ調「ダンバートンオークス」 7重奏曲 オーケストラとピアノのための「ムーブメンツ」 ダンス

 これらがぜんぶ、ピアノデュオ(笑)

 なんで?www

 まあそれが企画ってやつでしょうね。(作曲者本人の編曲のようです。)

 ハルサイはファジル サイが1人で重ね取りしたCDを聴いたけど、なんか違和感があった。こちらはスタジオなので色々と直してはいるだろうけど、やはり臨場感がある。

 とはいえ、ハルサイはやっぱり聴いていてオーケストラの音が頭に鳴る鳴る。そういう意味で、ピアノ曲として聴けない。

 だから、以下のマイナー曲が、さすがに原曲を覚えているほど聴いていないので、純粋に 「ピアノ曲」 として聴けて面白かった。

 特に3つの小品が、元来ピアノ曲っぽい音形なので、良かったです。ウムウム。


10/3

 先日、札幌のキタラ小ホールにて、舘野泉による吉松隆作品集展が行われ、聴いてきました。

 舘野泉ピアノリサイタル2007 吉松隆の風景

 舘野泉 共演:平原あゆみ

 吉松隆:アイノラ叙情曲集 4つの小さな夢の歌 プレイアデス舞曲集IV タピオラ幻景 ゴーシュ舞曲集 
 アンコール カッチーニ:アヴェマリア(吉松隆編) 吉松隆:子守歌
 
 久しぶりに舘野先生のピアノを聴きました。なんというか………音楽の力をまじまじと感じて帰って来た。
 
 以前、お聴きした時は、もっともっと痛々しかったのに………曲の合間合間に、右手を添えられて………表現もうんと幅があって………涙が出てきた。

 感動した。本当に良かった。すばらしい。

 凡百の私には、それくらいしか云いようがないです。

 でもそれじゃ更新にならないので、少しくだらない感想を(笑)

 今年の4月に発売になった吉松隆作品集の内容そのままの演奏会です。アイノラ叙情曲集は、7曲からなる叙情的組曲であるが、やや長い(曲数が多い)嫌いがあるが、7曲というのはプレイアデス舞曲集にも通じる吉松のこだわりの数字である。ロマンスから吉松らしい愛らしい旋律を楽しめ、モーツァルティーノから終曲のカリヨンまでの流れは集中力もあって、とても良かった。また舘野は右手を時おり添えて、和音の流れを補佐し、とても胸を打った。もちろん、左手のための曲だから、左手だけで弾けるのだが、右手を添える事で表現の幅に余裕ができるのではないか。
 
 うちの祖母も、半身が当たって死ぬまで不自由だったし、居合の先生は当たってそのまま死んでしまった。

 舘野先生は命をとりとめ、かつ、再起不能と呼ばれた中から演奏家として復活し、かつ、右手を添えるまで、きた。

 これは、余人の計り知れぬ努力や想いがあったことと想像する。もう、ただただ、その音楽を聴ける喜びをかみしめた瞬間だったし、その想いの根底には、なにより音楽がある。

 そういう考え方をさせてもらえたこと自体が、演奏を聴いて最大の収穫だった。新しい価値観は感動につながる。

 4つの小さな夢ではお弟子の平原あゆみさんが共演。珍しい3手連弾曲。2曲目は吉松の曲でよく聴くもの。箸休め的な、楽しい佳品。
 
 前半最後は、吉松隆のプレイアデス舞曲集から第IV集を平原が独奏。プレイアデス舞曲は今のところぜんぶでIX集まであるが、ぜんぶ7曲構成で、なかなか長い(笑) しかも、けっこう似たような音楽が連なる。舘野はその中でこの第4集が好みで、平原に課している。演奏としては田部京子の珠玉の演奏があるが、平原の瑞々しい演奏に比べるとあまりに儚く、淡雪のようでそれはそれで味わいがあるが、この音楽はもっとしっかりした光の芯があると楽しませてくれた。田部は北海道、平原は鹿児島と、それぞれの出身で、同じ光でも日本の南北では降り注ぎ方が異なるだろう。その感性の違いなのかもしれない。

 休憩の後、大曲、タピオラ幻景。吉松が最初に舘野のために捧げた左手のための曲。前に聴いた実演よりもずっと表現として骨太になり、ミスタッチも無くなったが、それでも、かなり難曲であろうと推察された。吉松も、最初は勝手がちがったのだろう。とても自分では両手でないと弾けないと云うのだから(笑)

 とにかく音の跳躍が凄くて、舘野先生も終演後はかなりお疲れモードの様子だった。しかしこれは名曲だと思う。両手で弾く人が現れてもおかしくはないだろう。

 その後、楽しくノリノリのゴーシュ舞曲集。ロック、ブルース、タンゴ、ブキウキが、左手のみで実に簡潔、そして豊かに鳴り響き、ヤンヤの喝采だった。

 アンコールでは、カッチーニのアリアと、同じく3手連弾の子守歌。周囲の人も、すごく感動していた。

 なんか来年の6月も札幌に来られようで、楽しみです!(´ω`)ノ


9/13

 いやー、1カ月以上をかけて、延々とテンシュテットのほぼ新譜を楽しんできました! テンシュテット祭!!

 なんかもう、ここまで来ると 枚数を消化している という感覚にとらわれてきまして、本末転倒なような気もしてきました(笑)

 今回のテンシュテット祭と、ワーグナーのDVDを観て思ったことは、テンシュテットの音楽づくりの方向性。

 それは、音楽の流れを断ち切らないことを最優先している。のではないか、と。

 フレージングというやつに入ると思うのですが、ワーグナーとか、マーラーとか、ブラームス、ベートーヴェンとか、超1流の作曲家の音楽は、よほどの機会音楽とか、注文音楽とか以外は、まず、無駄な音符がない。つまり、どの音符も、どっっっかと、関連している。いわゆる構成音楽とでもいうべきものなんですが、リズムよりむしろ、ドイツ音楽は、フレーズが、どんな細かい動機でも、どっっっかと、関連してるんですよ。そういう芸術なんですね。その究極が、冒頭のたった3音で交響曲を1曲書いちまう(2番ですが)様な、ブラームスみたいなヤツになってくると思うんですけど(笑)

 それがロマン派の音楽ですから、必ずフレーズとして、現れて、生きてくる。それを、分かってか分からずか、ボヤーンとすると、音楽がただ流れて、生きて来ない。つまんない。惰性というか。時間の無駄。

 また、しかし、そんな理詰めばっかりじゃ、もちろん、面白くない。動機の関連のみにとらわれて、音楽の本質、つまり歌(フレーズ)を忘れてしまっては、意味がない。音楽の講義の実習を聴いてるんじゃないんです。音楽を楽しんでるんです。オカネを払って! 和声、ポリフォニー、動機の変質、変奏、変容、展開、などなど、全て、音楽性の表現のための道具であって、それを表現するのではない。そりゃ、演奏の本末転倒だと思います。

 「ねえねえこのマーラー、すっごいポリフォニー! あと、こんなすごい引用がたくさんあるよ!! この指揮者すごいねえ!」

 「こ、この曲は、そこをメインで聴くものなのか??」

 各フレーズを、把握しつつ、いかにして歌いあげるか。それを学者的な理論構築だけではなく、職人的感覚でとらえるのも、また大事なんです。アタマで考える以前に、もう、身体が動いて、音楽を歌い出す。オーケストラにそれを伝える。演奏させる。それが実践されている数少ない、生きた音楽、それがテンシュテットの音楽づくりのように強く把握しました。 

 今回のテンシュテット(順不同)

 ドビュッシー:牧神の午後によせる前奏曲/夜想曲(LPO)
 ベートーヴェン:5番/Vn協奏曲/3番(LPO)
 ワーグナー:マイスタージンガー/ワルキューレ/トリスタンとイゾルデより前奏曲と愛の死/ジークフリート牧歌(LPO、BSO)
 ワーグナー(DVD):タンホイザーより序曲とフェヌスヴェルクの音楽/リエンツィ序曲/ジークフリートの死/ジークフリートの葬送行進曲/マイスタージンガー/ワルキューレ(LPO)
 ブラームス:ピアノ協奏曲第1番/悲劇的序曲/4番/ドイツレクィレム(LPO、BSO)
 ブルックナー:4番/8番(デトロイド響、クリーヴランド管)
 マーラー:4番/5番/7番/9番(CSO、NYP、LPO)
 リスト:ピアノ協奏曲(NYP)
 ヤナーチェク:グラゴル ミサ(LPO)
 R.シュトラウス:町人貴族組曲(LPO)
 
 枚数にしたら14枚くらいです。ヤナーチェクと、シュトラウス、それにDVDのワーグナー以外、ぜんぶCDR盤です。そして全てライヴ録音です。

 テンシュテットのドビュッシーは、少なくとも私は、初めて聴きました。たぶん良いだろうと想像してましたが、良かったなあ。ドイツ(タイプ)指揮者のドビュッシーって、あんまりハズレが無いですね。そもそもマルティノンやミュンシュとかの伝統的ドビュッシーが、意外やドイツタイプだからかな(笑) ドビュッシーは当初ワーグナーに傾倒し、やがて離れて、和声の革新をおこした人だから、和声のみに注目が行きがちだが、地味にそのドイツ音楽ゆずりの構築性が、面白い。ガッチリした構築ゆえの、独特で明確な和声が、面白くなっている。そういうドビュッシーは大好きです。ラヴェルより好きだ。やや音質悪いが★5つ。

 ベートーヴェンはもう、音質以外に、なんの瑕疵も無いですww 3番は、同音異盤あり。ソリストはケネディですね。この人のベトコン、何枚かありますなあ。テンシュテットが面白いのはコンチェルトの伴奏が異様にうまいことなんですよね(笑) あんな轟々と勝手気ままな指揮の様にみえて、実はぜんぶああでもないこうでもないと粘着的な構成マニアだから、逆に息のあうソリストだったら、意地でもオケをソロにつけてくんでしょうね(笑) 見事ですよ。★5つ。

 テンシュテットのワーグナーは、やたらと表情がコッテリ濃くて、もうドロドロのワーグナー世界を見事に描き出し、もうぐちょぐちょのでろでろな面があって面白いですね(笑) ベルリンフィルとかだったら、音のガッチリさで筋肉質なジークフリートになりますが、ロンドンフィルだとなんか妙に力が抜けて、ただエロさだけが浮き立つというwww

 DVDは貴重な日本ライヴです。サントリーホール。生演奏で会場で聴いた人は一生の思い出でしょうねえ。マイスタージンガーのみ、指揮棒無しで、優雅な指揮姿でした。流れる様な感じですが、流麗でありつつ、太極拳の様な力強さも秘めている。不思議な指揮ですね。いつ見てもクネクネで、拍子をとるというより、音楽を捏ねているという部類の、いまでは天然記念物指定の指揮でしょう!★5つ。

 ブラームスもいいなあ! ブラームス自体はあんまり好きではないのですが、テンシュテットのブラームスは渋いなあ。渋いうえに、活き活きとしている。ブラームスだからって枯れ薄みたいな指揮がたまーにあるが、面白くもなんともない。枯れ薄の音楽なんか誰が好んで聴くんだwww ブラームスの気がちがったような偏執狂的構築性はさることながら、地味な歌謡性を強調し、歌をつなぎ続けるその手腕。ちょっと音質が悪いので★4つ。このピアノ協奏曲1番は、しかし、スゴイ! 狂的だ。

 ブルックナーは、ひたすら4番と8番のみがずんずん録音が出てくる。この2曲が、得意だったんでしょうね。4番はいいとして8番はちょっと苦手な曲。でもテンシュテットの演奏は面白い。音楽がうねるんだよなあ。ベートーヴェンの延長線上のブルックナー。だから、ブルックナーの荘厳な感じとか、神々しさとか、静の中の動、あるいは、無垢な信仰心とその無垢さから来る圧倒的なパワーのようなものを聴く人には、すこぶる評判が悪いだろうなあという演奏(笑) 僕はこういうほうが4番なんか楽しいけどwww 8番はどうでしょうね。さすがにうるさく感じるかな? デトロイト響というのも珍しい。★5つ。8番はせっかくのクリーヴランド管だが音質が悪くて★4つ。

 マーラーはやっぱり本命ですなあ! ぜんぶ初出ってうれしいです。シカゴ響の4番なんか、最高ですよ! 90年だから、あの例の1番と同じ年なんですね。力んでるといや、まあ、そうなんですが、この圧倒的な迫力と存在感はシカゴならでは。80年の5番のNYフィルも、良い! すごいノリと求心力、推進力。もう有無を云わさずぐいぐい進んでゆく。かといってメチャクチャというわけではない。いや、NYフィル級でなくば、アンサンブルが崩れてグチャグチャになるであろう、コネクリ指揮なのは間ちがいない。さすがかつてマーラー自身が振っていたNYフィル! 意地でもついてくという、はっちゃき感がたまらない。聴衆も狂い立つ様な拍手喝采! 7番はこんどBBCの正規盤で出るやつ(笑) 80年のロンドンフィル。早いんだこれが(笑) 特に5楽章! リズムの活き活きとした感じや、旋律のつなぎが完璧。そうなると7番はがぜん生きてくる。2・4楽章のメルヘンさも、3楽章の不気味さも、どちらかというとノリノリで進んでくので、7番のくらーい雰囲気を好む人は、戸惑うかも。しかしそれが、情景音楽では無い証拠ですし、逆に4番みたいな透明感を求める人も、テンシュテットは合わないでしょう。もっとも透明なマーラーって、透明は透明でも、明確さではなく、触ると壊れてしまうような透明さは、マーラーとしてはあんまり私は面白くないですが。4番も例えで云っただけで、けして透明な音楽ではないですし(笑) 音質が悪いのでこれのみ★4つ。あと5つ。正規盤は、音質の向上を望む。

 そして、大 本 命 82年、NYフィル9番! テンシュテットの9番はスタジオ録音が凄まじくすばらしい演奏なので、無理にライヴを買う必要もないのですが、でも、ライヴも凄まじくすばらしい演奏です(笑) 3楽章がすごい勢いで、もう崩れる一歩寸前。マーラーのもつ焦燥感をこれでもかと煽り立てるテンシュテットと、目の色を変えてついてゆくNYフィル。1楽章のドラマ性も音楽の範囲内で完全にとらえてあるし、4楽章もただの感傷で終わっていない骨太なもの。音質の面でのみ、やや悪い。同じ音楽性でも、音楽の組立よりもフレーズの流れを重視しているため、あまり細かい動機は音質のせいもあって聴こえないため、ガラス細工のようなマーラーを好む人は、お薦めできませんが、マーラーの音楽を人間のもつドラマトゥルギーのエネルギー的発露として丸ごと楽しむ人には、超お薦めです。★5つ。

 リストは9番の併録なんですが、新録だった。ソリストは大家アラウなんすが、北ドイツ放送響とも録音している。NDRが77年でNYフィルは82年だから、久しぶりの共演なのでしょうか? すばらしい演奏です。テンシュテットはマジで協奏曲の伴奏がうまい。不思議。★5つ。

 BBCから珍しい演目が正規で出てきた。嬉しい悲鳴。ヤナーチェクのグラゴル ミサってwww テンシュテットはしかし、シンフォニエッタの録音が3種類もあるんですよー。好きだったんだなあ。ミサはシンフォニエッタと同じ年(1926)の作曲で、金管やオルガンの用法が面白い、現代的なミサ曲です。テンシュテットはなんと、合唱もうまい。第九やマーラーの8番があんな名演なのだから、当然かもしれませんね。★5つ。

 そしてシュトラウス。テンシュテットのシュトラウスが意外と少ない。交響詩を網羅していると思いきや、私が持ってるものでは、正規ではツァラとドンファンのみ。CDRで死と変容、それにドンキホーテのみ。これだけ。あと、やたら生々しい4つの最後の歌。珍しいものでは、ブルレスケ、オーボエ協奏曲です。ぜんぶうまいですが、今回、これに町人貴族が加わった。

 私、新古典主義のシュトラウスってあんまり好きじゃないんですよ。つまんないから(笑) 

 しかしこの町人貴族はどうしたこと! テンシュテットのハイドンが、異様にハイテンションで盛り上がって、交響曲が正統エンタメ音楽だった時代の活力を現代に甦らせるものなので大好きなんですが(すまして古典然としてやるハイドンほどつまんねーものはない。どのナンバーも、あのバカ殿みたいな4楽章は、バカ殿みたいに演奏してほしい。)、これも同一線上。あらー、まあまあまあ、楽しげな情景がうかんでくる様です。すばらしい!★5つ。

 テンシュテットのアルプスとかメタモルフォーゼンとか、残ってないですかねえ。演奏していれば、ですが。


9/2

 マーチ大好き、というほどでもないが、マーチそれなりに好き、な我輩としては、数年前に、クルマで聴くのに、マーチ集としていろいろCDRへ落として楽しんでいたが、それでは物足りなくなり、邦人大家マーチ集として再編したものを造った。

 それが以下である。

 伊福部昭/和田薫:オーケストラのための「特撮大行進曲」
 芥川也寸志:行進曲「風に向かって走ろう」
 芥川也寸志:行進曲「栄光をめざして」
 黛敏郎:栄誉礼「冠譜」「祖国」(オマケ)
 黛敏郎:行進曲「祖国」
 黛敏郎:行進曲「黎明」
 黛敏郎/山下国俊:スポーツ行進曲 
 團伊玖磨:祝典行進曲
 團伊玖磨:新祝典行進曲
 團伊玖磨:「キスカマーチ」
 湯浅譲二:長野オリンピックのためのファンファーレ(オマケ)
 湯浅譲二:行進曲「新潟」
 間宮芳生:マーチ「カタロニアの栄光」
 間宮芳生:行進曲「岩木」
 小山清茂:行進曲「信濃路」
 原博:マーチ「スタウトアンドシンプル」
 三善晃:吹奏楽のための「クロスバイマーチ」
 瀬戸口藤吉/池野成:ジャズバンド版行進曲「軍艦」

 見よこの怒濤のラインナップうお!!!

 他にも、吹奏楽作家や、若い人の作品で良いものもたくさんあるのだが、収録時間の関係で断念した。

 というかもうおなかいっぱい(笑)

 以下、カンタン解説。

 伊福部には、正式にマーチと銘打たれた作品はないが、映画音楽にBGMとして多数あり、それを弟子の和田薫が吹奏楽に編曲した。それをまたまた、オーケストラに直したもの。第1回伊福部昭音楽祭にて初披露。サントリーのライヴ録音なので、かなり録音がソフトでCDとしては聴きづらいが、最高の伊福部マーチを3種、オーケストラで堪能できる。しかも、SF交響ファンタジー版ではなく、直に映画のサントラに近いと思われる。

 芥川に吹奏楽マーチは少なく、知る限り、他に東京ユニバーシアードマーチがあるが割愛。そして最高に重要なことは、

 
この 「風に向かって走ろう」 と 「栄光をめざして」 は ほとんど同じ曲だアwww

 なんででしょうね。共通の素材を使うとかいうレベルじゃねえぞ。こうして並べて聴くまではぜんぜん気づきませんでしたが。曲自体は、やっぱ大家だなあ、と思う。主題とその変奏とオーケストレーションがホンモノじゃ。

 黛のマーチは自衛隊関係で、やたらと興奮するのがちょっとオカシイ。音楽に何か盛っているのではないか。オマケで栄誉礼もつけた。異様さがアップした。しかしスポーツ行進曲(吹奏楽編曲山下)で、その確かな仕事を確認できる。

 團はたくさんマーチがあるのでキリがないですね。いいものばっかりですが、好きなの選んでみました。新・祝典は、團が指揮した、東京佼成のもので、おそらくフルリピートの、演奏時間9分のものです。キスカマーチもいい。

 武満亡きあと、日本を代表する超硬派現代作家の湯浅は、武満と同じく、意外とメロディーメーカーだったりする。オマケにつけた長野オリンピックのためのすばらしいファンファーレの後、湯浅唯一(のはず)のマーチ、(株)新潟交通のためのマーチ「新潟」だ。なんつーか、このレベルのマーチを聴くと、どんだけイイマーチでも、並の作家のマーチは浮ついていてどうもいけない。マーチだから、気分よく歩くためにそれはたぶん必要なの事なのだろうけども。

 間宮のカタロニアは吹奏楽コンクール課題曲の中でも屈指の名作で、いつ聴いても燃え燃えにカッチョいい。純粋に楽しい。それでいて、国体のためのマーチ「岩木」は、トリオにドンツクドンツクと太鼓に合わせて民謡もでてきて、かつ、入場行進のためにエンドレスで流される造りになっている仕事がよい。

 小山は吹奏楽界でも重鎮だが、オーケストラ曲もうまい。てか木挽歌も能面も元はオケ。ここでは珍しい純粋民族派マーチ。純粋吹奏楽作品は、太神楽、琴瑟、等がある。手堅い作風がいい。手堅すぎて、能天気なマーチの楽しさに欠けるかもしれない。そういう作風は逆に私は深みにかけてすぐ飽きるので、なんとも人の好みは難しい。
 
 さて原だが、この人は大家ですよ。室内楽が多いですが、交響曲で我輩は完全にノックアウト。調べたら課題曲も2曲書いてた。このマーチは私が高1野ときの課題曲で、懐かしさもある。それ以前に、2種類の主題を絶妙に絡み合わせて、かつ楽しく、シンプルで、勇壮と、こりゃすごいものです。

 三善も、私が高1のとき、かの深層の祭で、課題曲界に新風を吹かせましたが、このマーチも不思議なもので、聴くだけで難しそうだ(笑) 中間部のボンゴがなんか異常で好き。

 最後は、アンコールピース的に、お遊びなのだが、電送人間サントラより、池野成が私の大好きなマーチ軍艦を、バー「大本営」用に、ジャズバンド版に編曲したもの。さいしょはチンドン屋みたいにして高らかにおちゃらけて始まるのだが、中間部のアドリヴはホンモノで、とてもカッコイイ。しかも、再びマーチが帰ってくる仕事の確かさよ。

 おしまい。


8/31

 すみません、テンシュテット祭は少しずつ進行していますが、何せ量が多くておっつきません(笑)

 相変わらず暑くて窓を閉められないし。。。

 既に8枚聴きましたが、あとマーラーが4枚と、正規盤のヤナーチェクと1988年の日本ライヴのワーグナーDVDが残ってます。

 同時に、邦人作品集も聴き進めており、そちらを先にやっつけてしまおうと思いました。

 伊福部昭音楽祭ライヴ
 池野成作品集
 須賀田磯太郎作品集
 武満徹ピアノ作品集

 下2枚はナクソスです。

 音楽祭ライヴは、懐かしい、今年の3月にサントリーホールで体験した、あのカンドウを再びです。まあ、感動半分なのですが(笑)

 本名徹次/日本フィルハーモニー交響楽団
 伊福部昭:SF交響ファンタジー第1番/「銀嶺の果て」よりオープニングタイトル、スキーシーン/「座頭市物語」よりオープニングタイトル/「ビルマの竪琴」メインテーマ/「わんぱく王子の大蛇退治」“アメノウズメの舞”/オーケストラのための特撮大行進曲/管弦楽のための「日本組曲」/シンフォニア・タプカーラ

 本音楽祭の白眉は第2部の、藍川センセによるアイヌの叙事詩による対話体牧歌だが、オーケストラシリーズであるキングのCDでは割愛されているのが残念なところ。

 第1部の、映画音楽の演奏と巨大スクリーンでその映像をかぶせる試みも、私は面白かった。もちろん、CDでは演奏のみ(笑)
 
 ファンタジー1番はよかった! これはいい演奏だ。スクリーンでは、映像が早く終わって、演奏が盛り上がっているのに空しくエンドクレジットの地球の画面が制止してましたが(笑) これはリハでは演奏が早く終わって、空しく無音の戦闘シーンがスクリーンに流れてたそうで、世の中ままならないということです。ハイ。

 銀嶺の果ては最高ですね。当時の本番では芥川也寸志が弾いたというピアノのバーン、バーンも再現されています。あれは新聞タイトルがアップで出てくる場面のBGMですね。コーラングレもいい。座頭市は薩摩琵琶まで用意したのに、イマイチ短いし、意図もうまく伝わらない嫌いがあるなあ。ビルマはよかったあ。音楽もいいし、宣伝用の映像が流れて、それがまた未公開の超レア映像だったらしく、片山センセが見入ったというほどで(笑) そこまで知らないよ(笑) オホーツクの海と共通の主題の、悲哀さがたまりません。

 特撮大行進は和田センセによる吹奏楽編曲版が大好きなので、それのオーケストラリアレンジということで期待してましたが、期待通りの燃え燃えマーチ! オケだと豪奢な気分になるから不思議。

 さて、問題は第3部の、2曲ですね。結論だけ云います。ものすっごい良い演奏でした。最後以外(笑)

 
すごいイイのに、アホみたいなアッチェレで台無しだ!! という人は、我輩とは気が合います(笑)

 勿体ないとかそういうレベルじゃないよ。バイロイトかよ!ww

 組曲のねぶたも、タプカーラの3楽章も、ベートーヴェンのようなスコアでやるならまだしも、ハルサイの最後で速すぎてグデグデのグチョグチョになってる感じ。メチャクチャに崩れてるじゃないか。なんだよそれ。そんな伊福部を聴きにわざわざ北海道から東京に行ったんじゃないんだよ。カネ返せヴォケ。

 今日はお祭りだから、みんなでワッショイで盛り上がったんだからと、当日は納得しましたが、こうして記録に残ってしまうと、ただのお笑い。ヒドイもんだ。

 さて、池野センセの作品集である。

 かねてより、池野成の映画音楽により、遅かれながら、伊福部門下の隠れた逸材にして伊福部先生の最大の内弟子ともいうべき、池野成の実力を思い知って感嘆していたのだが、その池野成のコンサート作品も含まれた、池野成作品集が出たので買う。

 これは演奏会の案内を池野成の映画音楽を主催する方より通版をした関係でか、メールでいただいたのだが、ちょっと行けなかったので、その模様がCDで出たのにはありがたかった。

 長野裕之/池野成メモリアルオーケストラ 他
 池野成:妖怪大戦争(編曲:藤田崇文)/映画的交響組曲第1番「傷だらけの山河」「白い巨塔」「赤い水」より(編曲:今井重幸)/ボーナス集録 電送人間サントラ/ティンパナータ/ディヴェルメント/古代的断章/エヴォケイション

 妖怪大戦争と映画組曲は、伊福部昭のSF交響ファンタジーみたいなものだが、池野の場合、もっと造りが頑丈というか、そのまま純音楽のオーケストラ作品としても使える素材とオーケストレーションなのが面白い。いや伊福部のも、そうなのだが、たとえば尺合わせみたいなものが、伊福部のほうがより、BGMに徹しているのだが、池野は、もちろん尺は合っているのだけれども、どちらかというと、映画を超えた存在感で迫って来る。妖怪大戦争はストラヴィンスキーとラヴェルの技法を自分で勉強しているような響きが楽しいし、組曲のほうは、激しく荒々しい音楽と豊かでしっかりした旋律の対比が面白い。

 電送人間のサントラも、さもB級ホラー映画にA級の音楽がついた感じだが、そのギャップも面白さか。バー大本営のBGMとして書かれた、ジャズ版軍艦マーチが秀逸すぎるwww

 純音楽のほうは、寡作の池野が、5作くらいしか残していないようなのだが、その内から、4作、入っている。しかも全て、アンサンブル作品で、オーケストラの曲ではない。しかも、アンサンブルといっても、金管五重奏とか通常の編成ではなく、自分の耳に完全に従った、特殊編成ばかり。たとえば、ティンパナータは、ソロティンパニと打楽器アンサンブルはまだ分かるが、コントラルトフルート1(フルート持ち替え)、ホルン3、トロンボーン3、テューバ1である。

 それもまだ金管合奏として理解できる。古代的断章は打楽器アンサンブルに、トロンボーン9(!!)、バストロンボーン3だ。エヴォケイションも、打楽器アンサンブルに、トロンボーン4、バストロンボーン2である。(ディヴェルメントは純粋な打楽器アンサンブル曲。)

 そう。

 
池野は、トロンボーンフェチだった!!!ww

 そういや、もう、映画音楽でも、ぶお〜ぶお〜ぶお〜と、法螺貝みたいにして、なぜか延々とトロンボーンが吹かされている(笑)

 ティンパナータはその名の通り、ティンパニ・コンチェルティーノとでも云うべき小協奏曲。純粋に研ぎ澄まされた精緻な音感覚で書かれたアンサンブル曲だが、そのリズムの荒々しさは、原始的面白さをも体験させてくれる。池野は打楽器も大好きで、すごい量の楽器を5、6人で叩くよう指示があるが、この打楽器というのも奥が深いもので、作曲家によって明確に好みがある。

 有名どころでは、武満はティンパニやマリンバを好まず、金属打楽器をこよなく愛した。リズムも不確定だった。西村朗も金属打楽器が好きだが、用法が、異なり、金属の持続音がよく登場する。伊福部はティンパニやトムトムやコンガが好きだったが、日本狂詩曲以外は、意外や、それほど多用しているわけではない。石井真木は、あまり曲を聴いているわけではないが、いわゆる皮系の太鼓大好き。

 池野は、そうすれば、ラテン大好き、となるだろうか。しかも、コンガとティンバレスがよく響いている。コンガはリズムの基礎を担い、ティンバレスが華をそえる。いかに打楽器アンサンブルとはいえ、クラシック系の曲にティンパレスはあまり聴いたことが無い。ティンバレスは私も吹奏楽で叩いたことがあるが、意外と難しい(笑) 音がデカイうえに、良い音がでない。音楽を壊す。ドンドンダドンド、スカカンカン!! という小気味よい音というのは、日本人にはムリなのではないか、と思うほど、独特のリズム感と叩き方が必要だと思う。

 それはさておき、ティンパナータは、それへティンパニのソロが加わって面白さも倍増。金管の数も多く、多彩な響きが良い。15分程の曲。

 ディヴェルメントは打楽器アンサンブルで、5分程の小曲だが、池野の遺作とのこと。計算されたリズムによるマリンバと、なによりスティールドラムが印象的だ。

 古代的断章とエヴォケイションでは、コンガ、マリンバ、キューバンティンバレスが奏でるラテン・アフリカン系の主要リズムと、呪文のようなトロンボーンとの妙味が、聴くものを陶酔と恍惚の境地へ誘う。20分ほどの、アンサンブル曲としては大曲の部類に入るが、まるで長さを感じさせない不思議さがある。

 全体的に、演奏は学生が主体だったので、もう少し、パワーやテクがあれば、なお良いと思った。

 須賀田磯太郎作品集はナクソスシリーズです。このシリーズも日本代理店法人の解体により、どうなることか………。録音済のヤマカズと松村センセのやつも発売するとは云っているが、怪しいぞ。

 せっかくの貴重で意義ある企画だったのになあ。

 小松一彦/神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 須賀田磯太郎:交響的序曲/双龍交遊之舞/バレー音楽「生命の律動」/東洋の舞姫(東洋組曲「砂漠の情景」より)

 そうはいっても、須賀田は、個人的にはイマイチな作曲家だが(笑) 味のある腕前で、才能ある人ではあるが、やはり総合趣味の世界の完成を見ずに急逝してしまったのも、残念なところだろうか。全てが中途半端な響きに終わっている。図書館のCDで、前に、砂漠の情景の初演の模様による全曲を聴いたことがあったが、この曲がいちばんいいな(笑) 最後のアラビア馬に跨がりては、ホイッスルがピュイーッ↑て鳴って楽しい。集録時間はまだたっぷり余っているのに、なんでこの曲を全曲、入れなかったのだろうか??(技術的には確かに………だが。)

 交響的序曲と双龍交遊之舞は皇紀2600年祝典曲で、この祝典曲コレクションもますますナクソスで充実している。これは別にその曲ばかりを集めたのではなく、当時の作曲家の重要曲に、必ず含まれているからにすぎない。特に双龍は雅楽の演目のひとつで、祝いの舞であるというから、祝典曲の題材としてふさわしい。バレー曲も含めて、全体的に、各人の影響をうけた作曲家達のエッセンスをまだ自分なりにまとめている最中の響きがする。双龍の妙に軽いアジアンなテイストは面白い。生命の律動は、火の鳥のオマージュ的作品。そういう意味では、面白すぎる。伊福部の師匠のチェレプニンだって、ペトリューシュカのできそこないみたいな音楽を書いているから、どうということはない(笑)

 武満のピアノ作品集だが、何をいまさら、とも思ったが、ピアノ作品全集というのは、初めてらしい。よく分からないが、そうだったかな? こんなもんだったかい。

 あと奏者がゼルキンとか高橋悠治などのベテランではなく、福間洸太郎という若い人(1982生)なのが特徴。深みは無いがフレッシュさがウリ、とか、そういう感じか。

 福間洸太郎Pf
 武満徹:ロマンス/2つのレント/遮られない急速/ピアノディスタンス/フォーアウェイ/閉じた眼〜瀧口修造の追憶に/閉じた眼II/雨の樹素描/雨の樹素描II〜オリヴィエ メシアンの追憶に/こどものためのピアノ小品/リタニ〜マイケル ヴァイナーの追憶に

 しかし武満ばかりを1時間聴くのは、なかなかきつい。オーケストラ曲ならば、まだ響きを楽しめるが、ピアノ曲だ。和声(トーン)を楽しむといっても、わたしはピアノはやらないし、よう分からん。まあとはいえ、武満の曲は、聴いていて、しっとりとする。和声学的にどうのとは分からないが、なんでこんなに、彼の曲は、湿ってるのだろう? それも、ジメジメしたいやな感じではなく、彼のテーマにしていた水そのものというか、森にしたたる雨の情景そのものというか、とてもピュアで、マイナスイオンたっぷりの、嬉しい湿り気である。

 それは、若々しいキリリとしたタッチのピアノも、それを助長しているのだろう。しっとりとした霧むせぶ湿りではなく、水滴のひとつひとつが際立つような、清水のほとばしり出るような、勢いと瑞々しさがある演奏でした。

 しかし最初期作品のロマンスは、早坂文雄にいかに影響受けてたかが分かって面白いです。


7/25

 先日の、道東音楽祭・伊福部昭音楽展で知り合った、伊福部昭最後の弟子、堀井智則さんの、今のところ唯一の作品録音である(だろう)CDを入手して、聴いてみましたのでカンタンな感想を記したいと思います。

 二十一絃箏 松村エリナ 他

 マーティ レーガン:dragoneyes 尺八と二十一絃箏と三味線のための(2004)
 佐藤容子:風香二題(2003/2006)
 堀井智則:二十一絃箏のための「四つの小品集」(1997)
 ドナルド ウォマック:BEND(2006)
 三木稔:徳島の朝と夕(1984)

 現代楽器としての箏は、その音域に合わせて絃の数が増えているのが特徴だが、本来は十三絃なのだそうで。それが奏者が表現の幅を求めて改良や新作をし、十七絃、二十絃、二十五絃とあるわけで、しかし、二十一絃というのは初めて聴いた。絃の数以外に何がちがうのか、そこまではくわしくない。(→堀井さんがおっしゃるには、二十絃箏にはもともと、支えのための第二十一弦があり、そのため開発者の三木先生が二十一絃と云い出したのですが、他の人はもともとの二十絃箏と云っているそうです。二十絃と二十一絃は同じ楽器のようです。)

 堀井の作品の中で、おそらく唯一、CDになっているこの小組曲とも云える小品集は、作曲当初の音楽で、10年を経て、かなり現在の創作方向とは異なるのだそうだが、まあまあ、そうは云っても唯一の録音なのでなんとも云いようが無い。しかも、悪くない作品だ。(ご本人は、恥ずかしいのか、あまり聴いてほしくない旨のことをおっしゃっていたが。)

 作品はその名の通り4つの小曲で創られており、

 第1章〜紡ぎ歌
 第2章〜挽歌
 第3章〜戯れ歌
 第4章〜愁歌
 
 から成る。ちょっとCDに時間配分が記されて無いのでアレなのだが、それぞれが2〜3分ほどの、全部で10分以内の本当に愛らしい小品集である。

 紡ぎ歌は糸車を回して糸を紡ぐ様を模した音楽で、アレグロ。トッカータ風とのこと。当初は日本風だが、途中でスペインの田舎の民俗音楽に出てきそうなパッセージが表れる面白さ。また、後半は鼓のような音色も出て楽しい。

 挽歌は、中間部に師・伊福部のギター曲の雰囲気が色濃くあるが、基本的にカデンツァ。独白的とは作者の言だが、なるほど、ギターも箏も、ヴァイオリンやピアノなどの自己主張の強い楽器と異なり、語るというより独白が似合う楽器だと思う。

 戯れ歌は一転して、ブキウギ調の、楽しい邦楽。吉松隆の曲調にグンと近くなっているが、あれほど軽く、そして細くない。三味線の効果を狙ったという上の旋律部は、しかし完全にポップなリズムにより、むしろ(スイングではないが、心地よい後打ちのリズムが)ジャズの感覚に近い。このリズム処理のうまさは、さすが伊福部の弟子と思わせる。演奏もうまい。

 最後の愁歌は、細い旋律が切なく響く音楽。禁じられた遊びのかほり。全体的にちょっとギターっぽく感じた。

 演奏の松村エリナは、4人でそれぞれ弾くこともあるという性格のまったく異なった作品群をうまく統一感を持ってまとめつつ、それぞれの特徴もひき出している。

 まあ好みの問題だが、併録の他の作品より魅力的だった。作品の出来というか完成度としては他に高いものもあったが、三木の機会音楽はまあ別にして、どうもひとつこの、「突破」 したものが無い。特に外国人2人。ていねいに創るのも大切だが、インパクトも大事だと思う。

 レーガンは、曲想自体は良いのだが、ドラゴンの舞う様が、あんな迫力がなくて良いのだろうか。まるでウナギみたいな龍だった。もしかしたら柳の枝葉を龍と見間ちがえたのかもしれない。(演奏が悪いのかなー)

 ウォマックの作品は、まあまあだったが、コンサートとかで1回聴けばもういい。

 佐藤の風香二題は、おそらくこういうふうに書いたのだと思わせる(そういう意味ではうまい)本当にサラサラと風が香って去ってゆくような爽やかさのみが印象に残るもの。音楽という感じではなかった。

 その意味では、堀井の小曲集は、第3章の存在が大きい。こういう音楽は、書きたくても書けない人のほうが多いと思う。他の作品も、録音が増えることを願う。好奇心をくすぐる、続けて聴きたい音楽を書く人である。

 堀井さんの履歴や作品目録等はこちらを参照してください。

 さて、ちなみに、CD-R盤ですがテンシュテットの新譜が11枚くらいゴソッと出たので、順次、聴いているところです。題して 夏だ! テンシュテット祭り〜! といいつつ、道民なんでクーラーが無いものですから、夜に窓を開けてCDをそんな大きな音で聴けない状況なので、手こずってます。マーラーが4番、5番、9番と新譜があって非常に嬉しい。あとはブラームスやワーグナー、ブルックナー、珍しいところではドビュッシーとかです。


7/7

 いろいろと評判のジンマン/チューリッヒトーンハレ管のマーラー、1番と2番を聴きました。

 
すげえ イイ!!

 まあいろいろとイイ! 理由はあるのですが、まず、こんなマーラー演奏は聴いたことが無いですね〜。「21世紀のマーラー像」 とは大げさな表現かと思ったが、いや、これは本当にそう感じます。

 マーラー演奏は私も400種類以上はいちおー聴いているのですが、非常に大きく乱暴的なまでに分けてしまうと、主観的に音楽を動かして行くタイプと、客観的に動かして行くタイプと、その両方を才能や技術で追求するようなタイプとに別れると思います。(解釈もクソもないただ音を出しているだけのつまんないのは論外。)

 それらをさらに、下記のように分けてみます。これらはとても面白いアプローチで、それぞれに魅力がありますが、逆に個性的すぎて嫌う人もいると思います。

    代表指揮者 メリット デメリット
主観的型 感情系 バーンスタイン 燃える ウザイ
演出系 テンシュテット 超燃える 演出過多が逆に引く
客観的型 分析系 インバル、シノーポリ 裏旋律など楽しめる フツーにやれ
解析系 ブーレーズ すばらしい楽典研究成果 マニアすぎてついてけない
折中型 歌派 ノイマン、朝比奈 旋律美が楽しい 芯がない
冷たい情熱派 クレンペラー、ギーレン 非常に独特の味わい シブすぎる
耽美派 ベルティーニ その美しさたるや おセンチすぎ

 このジンマンは最後の冷たい情熱派に入るだろうが、冷たいというほどでも無く、非常に楽譜を読み込んで、楽器配置なども面白く、また、謳うところは歌い、しかし、けして、流されない強靱な意志がある。分析+冷たい情熱派+耽美派といったところか。

 一聴、冷めているのだが、実に深い解釈と、毒が、潜んでおり、聴く物をじわじわと浸食して虜にする。

 そして、これがもっとも重要なことなのだが、

 
録音が優秀すぎる。こんなきれいな音は、たとえSACDでもそうはない。

 それへ加えて、ジンマンの微に入り細を穿つ解釈が、さらにマーラーの楽譜へ光を当てている。

 これはただ楽譜を細かく分析するだけではない、全体の構造を最高に考えている面白さがある。

 すなわち、クルト・ブラウコプフがいうところの 「マーラーのもっとも己の交響曲に求めているものは明快さ」 である、明快さが、これほど明快な演奏は、初めて聴いた。

 
このマーラー、なんちゅう明快さか。

 音がきれいなだけではなく、SACDでたいへんに透明で、オケの音や指揮の動きがすべて手によるように伝わってくるすごさ。

 1番から聴こう。

 マーラーが聴衆というかむしろ批評家のために 「あえて分かりやすく」 作曲したという1番は、分かりやすいどころかその奇抜さと破天荒さでけっきょくは好評をえられなかったのだが、演奏としては、爆裂系のハデなものがよくにあう、よく計算されたものとなった。また交響詩「巨人」から第1交響曲への変遷も興味深いが、カットされた旧第2楽章「花の章」が挿入ではなくトラックの最後に参考として録音されている。それをし聴くと、ぜんぜん交響曲の楽章としては不出来だったことがよく分かる。

 それはそうと、ジンマンの演奏は爆演の対極にある物だが、かといって、たいていの冷静な演奏のようにまるでつまらない物でもない。これが不思議。(1番はどうしても、のめりこんでいって主観的にハデにやらないと面白くない。そういうふうに書かれているから。ノリと勢いが大事。)

 それはどうしてかと考えるに、やはり、このあまりに明快な鳴りっぷりと、それで初めて分かる、1番の明確な構造や、フレージング、楽器法、その効果、マーラーの伝えたかったこと、それらの総合的な面白さだった。

 いや、これはまったくもってマーラー通が聴く演奏ですよ!

 シブイっつうか、なんというか、マニアックすら通り越した、
極渋の極致のような演奏だと思います。

 こんなきれいで美しいマーラーが、極渋だっつうのも、不思議な表現ですが(笑)

 以下箇条書き。

 1楽章冒頭の夜明けの和音から、ありえないくらいに澄んでいる。なんだよ、ここはもう天国なのか?(笑) カッコー動機からその発展から、打楽器の音色に到るまで、こんなに明快に鳴っている1楽章は、

 
ホントに聴いたことがねえぞー!

 2楽章と3楽章はちょっと情緒的なパッセージが多発するためか、この演奏ではサラサラと進みすぎるような気もするが、悪くはない。しかし3楽章の毒がまったく清浄さで薄められた感もあった。4番とかなら清浄さの中にさらに毒が潜んでいるのだが、1番ではまだ、そこまでではないような。もっと不気味でうらぶれた演出が必要な音楽だと思う。

 しかし4楽章がイイ!! 面白い! ぜんたい、4楽章の面白い1番はイイ1番だ!(笑)

 金管やシンバルが乱暴に鳴るとそれだけで顔をしかめる1番嫌いも、これなら文句はあるまいて!!

 かといって大人しいとか、表面的とかそういうのではなくって、ていねいな演奏でありつつ、ダイナミックに音符を鳴らして表現している。つまり明快なわけだ!

 構造が明快にすっきりと鳴ると、4楽章は意外と、1番の中でもっとも構造的に書かれているのが暴かれる。そう、こここそが、1番の白眉なのだった!

 主題の描き分けもていねいで、また、迫力も充分。本当に断然すばらしい1番! 
☆!

 そして2番である。

 この2番も、すっきりくっきり、全てのフレーズやパッセージが、分析とか、解析とか、つまり設計図みたいに浮かび上がるのではなく(そういうの求める人はスコアだけ見てろ!)音楽として、表現物として、香り立つように浮かび上がってくる面白さ。こんな2番も、

 
聴いたことないぞーー!!

 冒頭は激情的にやると逆にそのあとがたいへんで、ジンマンのように音量に頼らずその鋭さで、充分に迫力やスピード感が伝わってくる。それでいて、第2主題やその展開との対比が楽しめる。クレンペラーとかの素晴らしい情熱的な音楽に比すると盛り上がりに欠けるだろうが、これで満足できる。

 2楽章がなんともいえぬ味わい深さ。この旋律美。ノイマンやベルティーニとも異なる、この透明な美しさ。

 3楽章も、1番と同じく、あまり激しくやらない。冒頭のティンパニだけ不満だが(ここを優しくすると、わざわざマーラーがティンパニを加えた意図、つまりインパクトが薄れると思っています。)その後の流れるような、あまりギクシャクしない、昔話を語るような雰囲気は面白い。つまり説法か。

 4楽章と5楽章の、歌もすばらしい! オーケストラと歌唱部がゴツゴツと対決するような演奏がいかに多かったか。この声と器楽の一体感はなんでしょう。

 それこそが、マーラーの醍醐味ではなかったのか。復活の極意ではなかったのか。マーラーの意図ではなかったのか。

 これまで聴いていた、2番は、なんだったのか。

 そこまで思わせる演奏でした!!

 とはいえ、あまりのきれいさに呆然として、気がつけば終わっていたような(笑)

 ラストも、やおら盛り上がるような物ではなく、淡々と進み、スコアをけしてはみ出ないもので、かといって、迫力は伝わってきます。

 しかし、このふつうよりずっと高い、カキンコキンと金属の棒を叩いたような鐘の音色は、なにを意味しているのだろう? 全体と比べて、ここのリズムだけ、3連符がまじって、ヘンなんですよね。何かの引用だというのですが。

 ★5つ。

 マーラーベスト変わってます。

 
ジンマンの全集は完結したならば、まさに21世紀を代表する、最高にして最強無敵の全集になるだろうことは、もうこの1番2番で間ちがいない!!!!

 最後に、ブラウコプフ著「マーラー 未来の同時代者」(白泉社)にある、エゴン・ヴェレスが伝えたという、マーラーの自作第2交響曲のリハーサル時のことばを引用したい。
 
 私にとってなによりも大切なのは明快さだ。ホールの条件やオーケストラの質に応じて、私の総譜に手を加え、私の意図を忠実に実現しようとしてくれる指揮者には神のご加護を!」






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