早坂文雄(1914−1955)
早坂文雄は非常に重要な作曲家で、特に日本の映画音楽シーンにおいては、無くてはならない存在であるばかりではなく、管弦楽作品においても革命的な音楽を書き続けた。しかし交響曲がないため、この「交響曲のページ」においては、取り上げることはなかった。
しかし、オーケストラニッポニカの企画で、交響曲のためのスケッチを編曲した作品が発表されたため、簡易ながらとりあげることとした。
早坂文雄のスケッチによる交響二章(石田匡志編)
この作品に関しては、編曲に際し、とある作曲家の方とトラブルがあったとの事であるが、その作曲家の方の一方的な云い分のみを記するのはもちろん、その是非についても内容についても、私には判断しかねるので、そういうトラブルがあったらしい、でとどめておく。
さて、この音楽は早坂文雄のスケッチより2章の音楽を編曲したものであるが、1楽章が「シンフオニイ」の第1楽章より、2楽章が「絃楽のためのアダヂオ」よりとられている。
この項において、弦楽のためのアダージョは置いておいても、交響曲からの第1楽章は聴く価値があろう。早坂は交響曲「涅槃」という音楽の構想があったという。それを知った黛敏郎が、自らの涅槃交響曲を早坂へ捧げている。
早坂はこのシンフオニイでの作曲スケッチにおいて、日本人がこの手の音楽を書く時の「フォルム」すなわち「展開」において大いに「長年熟考し」その結論として、ソナタ形式は日本人には(また自分にも)そぐわない、そして清瀬保二との対話の中からヒントを得て、ふたつの主題を「対決」ではなく「もつれあひ」のようにとらえて、その調和として解決をみる、という独自の理論を展開している。(大意)
そういう意味では、わたしは早坂の最高傑作にして最高の交響曲は完全に早坂形式を確立した交響的組曲「ユーカラ」だと思っている。ユーカラは日本を代表する管弦楽曲であるが、あまりに抽象的すぎるためか、さっっぱり省みられていない。無念と云う他はない。
出来としては、正直、当たり前だが良いものではない。スケッチをオーケストラ化した例としてはマーラーの10番クック版という偉大すぎる先例があるとはいえ、それとはもちろん比較にはならない。いろいろな意味で。
曲はアダージョ〜アンダンテ モデラート〜アダージョという構成だが、所々に激しい部分もある。
内容は濃く充実しているとはいえ、やはり荒々の荒という印象。当たり前なのだが。
低弦でぎこちない反復の大きなテーマが出現し、打楽器を従え、繰り返される。ホルンが受け取ると、オーボエにもつながり、オスティナートしながら大きく高揚する。
それから木管でしっとりとしたリズミカルな第2主題が登場し、弦とからんで行く。主題はけっこうそのままのカタチで繰り返されながら(これが展開せずに「もつれあう」ということか?)少しずつ変形して行く。後半部は緊張感あるリズムを支えに、主題が執拗に繰り返される。主題が入れ代わり立ち代わりで、まるでロンドのような印象を受ける。ラストは、調和の和音で静かに閉じられる。
正直、後半はけっこうダレる。
2楽章の弦楽のためのアダージョは本来「交響曲」とは別個の独立した音楽なので、ここでは詳細割愛するが、早坂らしいリリシズムにあふれ、かつ、情緒も情感たっぷり、静謐で緊張感があり、冷たく、妖しく美しく光る。さらには深遠なる精神世界もかいま見え、シベリウスの交響曲にも匹敵する北の音楽の傑作であると思う。また、バーバーやマーラー5番の弦楽合奏(4楽章)に匹敵するほど、本当に美しい。この音楽は本当にいい。
編曲は非常にうまい。
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