12/31

 平成16年、2004年最後は、現代20世紀音楽でしめてみました。

 クセナキス作品集と、ペテルソン交響曲第8番です。

 Timpaniレーベルによるクセナキスの作品集は第4段まで来た。タマヨ/ルクセンブルクフィルです。ピアノソロは、前回のピアノ協奏曲で超絶技巧を聴かせてくれた大井浩明。

 クセナキスは、地味に前々から(学生時代。)気にしていた作家であり、ちょびちょびとCDを買っていたが、前はそんなに輸入盤にも詳しくなかったので、そんなに数は持っていない。しかし、最近はこのように体系づけて作品集が出るようになった。
 
 まあ、それで、そのー、頑張って聴いてるんですが………ぜんぜん分かんない(笑) ヴァレーズより難しいと思う。室内楽はそれでも、彼の数学的な作曲法がまだよく聴こえるんですが、管弦楽となると、すごい音響が唸りを上げてぐるんぐるん回ってるみたいで、すごいというのが分かるだけです。グラフを楽譜にしていると、こうなるということか?
 
 ピアノ協奏曲第2番に相当するというエリクソンは、そんな宇宙空間において宇宙線を拾って音にしたような凄まじい不協和でクラスターでポリリズムな音響の中で、すごい調性っぽいピアノが雪崩を打つという作品。こいつあ、すげえ。ちょっと感動した。

 アタという管弦楽作品は、リズムに注目したもので、地震波のような音響が強烈なリズムを打つ。

 アクラタは16の管楽器のためのもの。いわゆる、管楽合奏曲。ヴァレーズにもこういうのがあるが、こっちのほうが、面白いかも。というのも、クセナキスのほうが音符を純粋に数としてとらえて、純粋に音に変換しているから、分かりやすい。

 クリノイディという管弦楽曲は、どこか捉えどころが無い。
 
 しかし、さすがというか、ハンドルネームをクセナキスにあやかっているほどのクセナキスマニア、IANISさんに云わせれば、エリクソンとアタは「クセナキスにしてはとてもダンスチックでユーモラス。」と、きたもんだ。通は云うことがちがう。

 ペテルソンは、ペッテションのことなんですが、たまにはちがう読み方でもしようかな、と。ほんとはペッターションらしいのですが、ペッタというのがなんか気に食わないので、私はペッテションにしています。
 アルブレヒト/ハンブルク州立フィルハーモニー管弦楽団
 
 8番はペッテションの中でも録音がすごい多いほうで、さすがに、名曲です。アルブレヒトはCPOレーベルでも作品集を出しているだけ合って、なかなか、聴かせますね〜。しかしこのORFEO盤はどうにも、パーカッションが弱いかなあ。打楽器の聞こえないペッテションなんて、金管の弱いマーラーみたいなもんで。。。。その分、ペッテションのもう一つの特徴、弦楽合奏の切なさや、忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐えている様子は、しみじみと伝わる。
 
 しかしペッテション、いいですね。8番の第1部などは、ずっと聴いていたい。この物憂げな統一主題が良いんだよなあ。泣き疲れて眠るように終わるラストも、たまらない。


12/30

 マーラーの5番を、5種類ほど聴いてみた。

 ギーレン/SWR響(全集より)
 シノーポリ/フィルハーモニア管(全集より)
 スヴェトラーノフ/ロシア国立響(全集より)
 フェドセーエフ/モスクワ放送チャイコフスキー管弦楽団
 ルイージ/MDR交響楽団

 実は、5番はそれほど好きでも無いんですよ。正直、3楽章と5楽章が、どうにも聴き続けられなくって。複雑な構造が、ちょっと。だから、けっこうキツかったです。ぶっ続けではなく、順番に間を開けて聴いています。

 ギーレンは相変わらず良いですね。全集として考えても、非常にレベルが高いと思います。特に、独特の間がある1楽章や5楽章が、良かった。文句ないです。

 シノーポリは、世間一般の評判ほど、やっぱり良いとは思えない。彼の手法と、マーラーの表現と、相反している。それが良いという人は、良いのでしょうが………。演奏自体は、とても上手です。

 スヴェトラーノフのマーラーって、あたりはずれが多いのだけれど、いまのところ合唱抜きのやつがとっっっても良い。ああ、こりゃびっくりした。というのも、高名なスヴェトラーノフファンサイトでは、彼のマーラーはあまり点数が高くないんですよ。スヴェトラーノフらしくないというか、おとなしいという意味らしいのですが。とんでもない。確かに暴れてはいませんが、ここそこに見られる彼独自の表現が、価値ありで、とても面白い。ロシア流というべきか、スヴェトラ流というべきか。本人自身は、マーラーが得意だと思っていたようですが、さもありなん。
 フェドセーエフも、1楽章など速めで、かなり現代的なマーラー像。しかしこれがうまい。テンポの揺れがたいへんに自然。これは隠れたお薦め盤です。

 ルイージは、これも世間の評判ほど………わたしの心へ訴えるものは少なかった。いっしょに聴いた盤が、強烈すぎたのだろうか?

 次は、自分でも神をも恐れぬ呆れた所業、6番を8種類………(ドドーン!!)

 なんか、買ってる内に溜まってしまいました。聴くぞおー!!


12/26

 札響で、第九を聴いてきました。

 第1部  ダンドリュー 12のノエル変奏曲より オルガン独奏 マテュー・マニュゼスキ

 第2部 ベートーヴェン 第九番交響曲ニ単調Op125「合唱付」
 
 尾高忠明/札幌交響楽団
 ソプラノ 腰越満美 ソプラノ 重松みか テノール 望月哲也 バリトン ロバート・ハニーサッカー
 合唱 札幌放送合唱団 札幌アカデミー合唱団
 合唱指揮 長内勲

 実はですね、わたし、初めて生演奏で第九聴いたんですよ。これがまた。
 
 意外と、アッサリした音楽だったですね。そりゃ、2管編制の初期ロマン派ですからね。実演では、あんなものなのかなあ。 CDで、振ると面食らう先生とか、テンシュテット先生とかクレンペラー先生とか聴きまくっているので、ちょいと大げさな表現がアタマに残っていたのだろう。しかし、新古典的な棒だと、まあ、あんなものだな。まあベーレンライターだろうしな。

 けど、良かったですよ、もちろん。特に4楽章は、オケにも匹敵する人数の合唱が加わると、まさに管弦楽声一体の妙味。うーん、素晴らしい音楽だった。
 
 尾高さんはパッパパッパと颯爽と指揮する人だが、さすがに4楽章のラストはうぬおお〜〜ッと、そこだけ、振ると面食らっていた。


12/18

 ナクソスとキングの伊福部新譜2種。

 ヤブロンスキー/ロシアフィルハーモニー管弦楽団

 ナクソスはタプカーラ交響曲 リトミカオスティナータ SF交響ファンタジー1番です。いつもかなり期待していても、たいていナクソスはその半分ぐらい満足させてくれる。しかしそれは、知らない曲を聴ける、という意味でだ。

 まあ、フリークというわけではないが(さすがに資料的価値しかない未発表音源など鑑賞に耐えられないものまでは買ってない。)今回、私はふだんから伊福部を聴き倒している身として、期待しつつも不安であった。外国人指揮/外国オーケストラの伊福部は、初めての体験だったから。

 先立って同盤を聴いた「COMMEDIA」のIANISさんは、作品のトルソー(手足首の無い胴体だけの彫像。)を見ているようだ、と感想を私へ洩らした。正直、どの演奏も、ふだん聴き慣れている表現とはけっこう異質。日本人ではない、おそらくほとんど初めて譜面を見、曲を聴いた人々が、どのような印象を持って、伊福部を聴き、演奏したのか? 興味はつきない。

 とにかく、タプカーラの冒頭から、テンポがちがう。ニュアンスがちがう。強調されるべき部分がひっこみ、変な箇所が浮き立つ。面白いといや、面白い。ではこれは例えばシノーポリのマーラーのようなものなのか??? こういう解釈もあり、というたぐいのものなのだろか??? それとも、日本の曲をロシア流にすると、こうなるのか? やたらと低音がブンブン響き、金管が高鳴るのか??? じっくり鳴らしてほしいところがサクサク進み、ズンズン進んでほしいところがドシドシとのたうつのか????

 これは、たぶん、評価の分かれる演奏になるのではないだろうか。私は、可もなく不可もなく。なぜならば、この演奏を、こんなの伊福部じゃねー、と否定するのは簡単。(ではどういうのが伊福部なのか? という問いには、私も聴きに行った卆寿記念コンサートが教えてくれる。)

 しかしながら、これは、ついに伊福部もイフクベになってゆく記念すべき演奏なのではないか。武満がタケミツとなったように。

 演奏解釈が、日本だけのものから、世界の人々へ通じてゆく第一歩なのではないか。

 イフクベもついに演奏解釈のグローバル化の洗礼を受けたということは、めでたいことなのだ。

 と、いいつつも、片山杜秀は云う。

 
伊福部昭は(音楽の)グローバリズムに反対する、と。

 がちょーん。
 
 音楽と深い民族性は切っても切り離せない。作曲しかり、演奏しかり。それも狭義なものではなく、盟友の早坂の云う汎東洋的な根源までをつきつめるとき、例えばタプカーラの3楽章から、4拍めにアクセントのくるアイヌのリズムをとってしまっては、曲は死ぬ。(しかも、伊福部はそのことを西洋音楽の流儀に遠慮して記譜していない。)

 従って、タプカーラの演奏には、そのことを知っている指揮者とその弟子だけが代々演奏できる「口伝」があることになる。

 伊福部は、たとえ外国で演奏されようと、イフクベではなくいつまでも伊福部でなくてはならないという、意外と面倒な作曲家だったのだ。

 もっとも、それはたとえベートーヴェンを演奏するときにも、同じはずなのだ。ベートーヴェンが、音楽の全てを楽譜に記しているなどと信じるのは、たいへんにおめでたいことだ。

 だから、話は少し変わるが、楽譜原理主義者は、こういう事例の前に敢えなく玉砕するしかない。
 
 ナクソス盤は、今回私にそのことを再確認させてくれたという点で、貴重だった。

 ではキングギドラ、じゃなくって、キングレコードの、伊福部昭卆寿記念演奏会の特別ライヴ盤。私も北海道から聴きに行った。くわしくは、伊福部のページにあるが、演奏会で泣いたのは初めてだった。よく、ヴァントの来日演奏会だの、なんだのと、会場で感動して泣いたなどというレポートを読み、いくらファンだからって、そんなこと、ホントにあるのかいな、というのが事実だったが、
ホントでした。

 我ながらビックリした。涙、どわーーー〜〜ですよ。本当に。
 
 それはさておき、本名徹次/日本フィルハーモニー交響楽団
 フィリピンに贈る祝典序曲 日本狂詩曲 SF交響ファンタジー1番 交響頌偈「釈迦」 アンコール:タプカーラ交響曲より第3楽章
 
 あの感動の夜を再び! 聴けなかった方にも感動のおすそ分けを!!!

 フィリピンに贈る− は、演奏会では、最初のプロということもあり、ノリがイマイチに感じたが、CDで聴く分には、こんなものでちょうどよいように思った。

 微妙なアクセントや変化が、嬉しい。他の曲とのフレーズの関連性も、よく確認できます。

 この日の日本狂詩曲は最高でした。本当に、テンポといい、間合いといいい、ライヴならではの熱気といい。夜曲で、バイオリン(ビオラだったかな?)のソロでソリストが立つという演出もあったし、うーん、思いだす。

 打楽器の、東京音大と思われるのバイト連も、上手でした。山田一雄の日本狂詩曲って、テンポゆったり、打楽器こんな具合に大きく聴こえて、打楽器が主、他の旋律や和声は従という曲の本質を伝えている。本名はよく研究していますよ。祭も、ろうろうと金管が響く様、弦楽の表す人々のざわめき、祭り囃子、素晴らしい。雑踏の様子なども聴こえてきますね。

 SF交響ファンタジー1番は、もー、これこれ、これですがな。名前はたいそうだが、映画音楽メドレーなわけでしょう。特撮ファンが唸る演奏が嬉しい。映画を見たことない人の演奏って、やっぱり、ちょっと ?? となってしまうわけよ。聴くほうも映画を観ていないと、同じことなので、どうでもいいんですが。しかし、冒頭のトロンボーン4本はすげえ迫力だ。マーチも、速めで、興奮する。
 
 ちなみに私はブラボー隊には加わっていません。(笑)

 石井漠とのバレー音楽から編まれた「釈迦」も録音が少ないのですが、最新で聴けるというのは、ファンには嬉しいものです。伊福部作品の中でも最大規模のもので、東洋のメサイアという云う人もいるが、さすがにそれは言い過ぎだ。(笑)

 気持ちは分かります。

 交響曲「釈迦」だったならば、間ちがいなく日本の交響曲史に燦然と残るであろうが(実質は交響曲なのですが。)これはオラトリオという扱いで良いと思われます。

 悠久の1楽章、凄まじい精神の戦いの2楽章、忘我解脱の境地の3楽章と、一気に聴いてしまいます。

 録音優秀、演奏もさすがにうまい。日フィルはいまや世界一の伊福部プレーヤー集団になった。

 アンコールのタプカーラは、涙で濡れてハンケチをぐしょぐしょにしながら聴いていたので、イマイチ覚えてませんでしたが、こんなに良かったんだなあ。速いけど。


12/5

 我輩は吹奏楽出身ということで、いろいろとマーチが大好きなのであります。
 
 とはいえ、学生時代にスーザなどは嫌というほど演奏した(させられた。)ので、美中の美や双頭や星条旗などは、けっこうアレルギー。数年に1回くらい聴けば、ああ懐かしい、とはなりますが。良くも悪くも青春の響きだなあ………。
 
 そんなわけで、実用マーチも良いのですが、式典用とかの交響マーチが大好きです。クルマで聴くのに、今回、CD−Rにいろいろと好みのマーチを落としてみました。
 
 邦人と、クラッシック作曲家のマーチを、集めてみました。

1.上岡洋一 行進曲「秋空に」 山下一史/東京佼成ウィンドオーケストラ

 出だしが特徴的なこのマーチ、中間部も颯爽とカッコ良く、作曲者の意図によると南国の秋空ということで、北国の私としては、秋空というより、真夏の入道雲を想起させます。
 
2.団伊玖磨 行進曲「希望」 山下一史/東京佼成ウィンドオーケストラ

 重鎮作家としてはマーチの多い団。これも6分を数える堂々とした作品。祝典行進曲2の心持ちで書かれたという、格調高い、たいへんにノーブルなもの。全日本吹奏楽連盟創立50周年記念。

3.団伊玖磨 新・祝典行進曲 団伊玖磨/東京佼成ウィンドオーケストラ

 これはマーチというより、祝典序曲といったほうが正しい、10分にも及ぶ交響的作品。あまりに典雅な趣がありすぎて、ちょっととっつきにくいかもしれない。徳仁皇太子殿下ご成婚記念。数種類のマーチとトリオが見事に交錯する。

4.団伊玖磨 祝典行進曲 団伊玖磨/東京佼成ウィンドオーケストラ

 これは現天皇の明仁陛下が皇太子時代のご成婚記念。日本を代表する祝典マーチ。これも、スーザのごとく演奏させられて、ゲップが出る人も多いと思う。音楽的には、たいへん素晴らしい曲です。

5.永井健子/瀬戸口藤吉偏 行進曲「雪の進軍」 古荘浩四郎/陸上自衛隊東部方面音楽隊

 ♪ゆき〜の進軍 氷をふんで〜 ど〜こが川やら道されしれず〜 馬〜は倒れる捨ててはおけぬ………

 永井作曲の軍歌「雪の進軍」をトリオに使っているこのマーチ。たいした曲ではないのですが、映画「八甲田山」の悲哀を知ってしまった者としては、はずせません。この軍歌も、けっこう戦争の悲惨さを歌っていて、大東亜戦争中は、士気の低下につながるというので歌うことを禁止されたそうです。

6.黛敏郎 行進曲「黎明」〜防衛大学校のために 古荘浩四郎/陸上自衛隊東部方面音楽隊

 ボレロ形式による、勇壮で豪壮で王者の風格といったすごい曲。さすが黛。音楽界の三島。あまりに立派な音楽なので、感激した防大は儀仗用サーベルを黛に贈ったそうです。

7.瀬戸口藤吉 行進曲「軍艦」 谷村政次郎/海上自衛隊東京音楽隊

 まさに日本を代表するマーチの中のマーチ。しかしパチンコやちんどん屋のイメージが強いのと、軍国主義を彷彿とさせるというので、嫌いという人もいる。まあいいけどさ。しかしこの演奏、さすが本場。メチャうまい。そして心得ている! トリオ部は、外国バンドの演奏だと、主部が雅楽調なので主部と気づかずに、ピッコロのピコピコしたやつを主題と勘違いして大きく演奏したり、主題に戻るときのシンバルを小さく叩いたりします。ちがうんですよ〜。

8.山田耕筰 連合艦隊行進曲 谷村政次郎/海上自衛隊東京音楽隊

 天下の山田耕筰のマーチも、いまとなっては、戦前の遺物ということで珍しいのでは? しかしタイトルも豪快だな、おい。
 
9.間宮芳生 マーチ「カタロニアの栄光」 野中図洋和/陸上自衛隊中央音楽隊

 吹奏楽コンクールの課題曲なのですが、私、この曲大好きなんです。勇壮なテーマ、エキゾチックなトリオ。サイコー。しかし、コレといった演奏が無い。東京校成のやつは、良いのだけれど、クラリネットの「キャッ!」が1か所だけあって、どういう理由でチェック漏れなのか理解できない。そしてイーストマンウィンドアンサンブルのは、テンポが速すぎる!! 上手だけど、味もそっけもねえや。それで、この陸自の、重厚なテンポと素晴らしいアンサンブルで、かなり良いです。
 
10.間宮芳生 行進曲「岩木」 井田康男/陸上自衛隊第9音楽隊

 国体用のマーチだそうです。トリオ部に、津軽民謡が使われており、ドンツクして、なかなか楽しいです。

11.伊福部昭/和田薫偏 バンドの為の「ゴジラ」マーチ 汐澤安彦/東京佼成ウィンドオーケストラ

 邦人の最後に、御大。伊福部大先生の怪獣映画マーチをABC形式で3つ並べた超燃えるマーチです。まず怪獣大戦争の高名なアレグロ。そしてサンダ対ガイラの自衛隊マーチ、行け、メーサー車! 木管と金管の掛け合いが素晴らしい。SF交響ファンタジー2番では、弦楽とのかけあいが最高です。最後が伊福部最新マーチ、新ゴジラVSメカゴジラのGフォースマーチ。このマーチは新しいので、どの交響ファンタジーにも入ってません。ここで聴けるのはちょっと嬉しい。

12.ドビュッシー 民謡を主題とした「スコットランド風行進曲」 マルティノン/フランス国立管弦楽団

 ここからクラシックの作曲家です。クラシックマーチにもタイケとかいろいろありますが、論外。チャイコフスキーのスラヴ行進曲が、メジャーでしょうか。ここでドビュッシーのマニアックなマーチ。最初はいわゆる印象派的な半音階の序奏がありますが、次第に盛り上がって、ドビュッシーにしては珍しく明確なリズムに貫かれています。

13.スメタナ シェイクスピア祭のための祝典行進曲 ノイマン/チェコフィルハーモニー管弦楽団

 またもマニア曲。スメタナには祝典序曲という楽しい音楽もあり、意外に儀式音楽がある。祝典交響曲もそうですね。そういえば。これは、交響詩「リチャード三世」に見られるスメタナのシェイスクピア好きを示す、重要な音楽です。

14.プロコフィエフ ミリタリーバンドの為の「マーチ」 ロジェストヴェンスキー/ストックホルムコンサートバンド

 旧ソ連の作家にも、マーチがたくさん。しかも、出来が異様にいい。ショスタコや、ハチャトゥリアンのものが、吹奏楽として、純粋に燃えます。プロコのマーチは「3つのオレンジへの恋」のマーチが高名でしょうが、歌劇の中の劇中曲なので、ちょっと短い。これはテーマといい、形式といい、すごく良いです。

15.ハチャトゥリアン ソヴィエト警察行進曲  ロジェストヴェンスキー/ストックホルムコンサートバンド

 ハチャトゥリアンも、たくさんのマーチを書いたそうです。これは、最晩年の円熟したもので、やや騒々しさに欠けるものの、じつに味わい深い。

16.ハチャトゥリアン ザンゲルツ行進曲 チェクナヴォリアン/アルメニアフィルハーモニー管弦楽団

 これはなんかアルメニアの英雄を記念したマーチだということですが、詳細は不明です。とにかく、鼻血物です。 
 
 まだたくさんありますが、収録時間の関係でとりあえず終了〜。
 
 みなさん、お好きなマーチはありますか?


12/3

 ARTSというレーベルで、オレグ カエターニ/ミラノ ジュゼッペ ヴェルディ管弦楽団のショスタコーヴィチ4番を買いました。

 どうやら評判のシリーズだということですが、初めて聴きました。もうショスタコも、好きな曲だけ(4・8番等)だけにおさえないと、きりがないので………。

 確かに、すごいドラマティックな動きで、さすがイタリーというか? なかなか面白い演奏で、聴き飽きませんでした。深刻さや、ショスタコ独特の暗さは、ありません。

 未出版の楽譜も一部収録ということで、4番の一部? 不勉強ですみません。

 まずまずでした。上手でした。★5つ。
 
 あと、ナクソスのバックスの交響曲シリーズ、1番と7番を聴いて、全集そろいました。バックスは、1級品ではありましたが、私にとっては、特級品ではありませんでした。

 しかしこれが「イギリス音楽」とは、イギリス音楽でホルストやエルガーしか聴いていない人は、にわかには信じられないでしょう。この北欧性と、フランス流の響き! まあ、ディーリアスのような「イギリス音楽」もありますので、ひとことに云う「イギリス音楽」というくくりがいかに不安定なものかというのは、よく分かります。個人的には、ヴォーン=ウィリアムスの交響曲は、凄く気に入ってます。

 あと、アーノルドとラッブラの交響曲全集が待っている………。

 尹伊桑の全集も手をつけてない………。

 IANISさんの全集癖が移ってきたかなあ。

 ラッブラはシャンドスで廉価版が年末に出るとのことで。既に2番と6番を聴いていますが、非常にわし好みの部分があります。楽しみです。アーノルドは好き嫌いが別れる作家だと思うなあ。特に交響曲。ピータールー序曲は吹奏楽で高名になってます。


11/23

 なんか、テンシュテットばっかり聴いているような気がするが、今回もまだ聴いていなかった分をたくさん仕入れてみました。

 まずは正規盤で、BBCミュージックより、ベートーヴェン等を。オケはロンドンフィル、ヴェーバーのオベロン序曲(L1990)、あとは5番(L1990)、エグモント(L1991)、1番です(L1989)。
 1990年前後のライヴで、稀少なものです。テンシュテットのオベロンは初めて聴いた。熱く揺り動かす手法は変わらないですが、どこか体力の衰えを感じさせる部分や、その分、精神的な深い味わい(抽象的なうえ使い古しな表現ですみません。)とでも云えるような、前ならテンポを速めて颯爽と行く部分も、グッと落として、内声部を際立たせたりする芸の細かさも。でも、5番は、特に熱い。エグモントも、テンシュテットが好きな演目なんでしょうね。この人のベートーヴェンは、特別な輝きを持っています。★は4つから5つで。
 しかしベートーヴェンの録音あるなあ、この人。
 
 あとは海賊をゴッサリと。手始めに、3種類。(全て RARE MOTH)

 デトロイト響とのプロコフィエフの5番は、NYフィルのもの(L1977)がちがうレーベルで出ているが、こちらは翌年の1978年となっている。NYフィルも凄かったのですが、こっちはもっとすごいですね。語り方が元々ドイツ流で、ベートーヴェンやブルックナーとか得意なテンシュテット。マーラーは特殊な部類だと思います。が、プロコフィエフをそれでやるのだから、たまりませんですよ。轟々と骨の髄まで鳴る1楽章は、ブルックナーのやり方ではないか? プロコフィエフの新古典的な手法から、現代性を特に引き出して、彼のかつての2番やスキタイ組曲で見られたような凶悪な面を否応なく暴露しています。2楽章の流れ方も素敵。2楽章、芥川也寸志が入れ込んだというのが如実に分かりますね。同じだよ。

 3楽章の突き刺すような、金管の刺激。凶悪だ。4楽章では、意外に聴こえてこない細かな旋律部が、強調されていて、プロコフィエフのメロディー書きの面も存分に見えつつ、その芸の細かさがいやらしい、という楽しみ方も。流れも、アンサンブルも、良かったです。デトロイト響との録音も珍しいし、録音もいいです。★5つ。

 お次が、ボストン響との、Rシュトラウスの交響詩「ドンキホーテ」です。これも珍しいレパートリーで、初録音のようです。1982年のライヴ録音です。

 しかし、我輩が、もともとRシュトラウスをあまり聴かないばかりか、ドンキホーテも、たぶんCDを買ってまともに聴くのはカラヤンに続いて2回めかな(笑)

 なので、演奏の何が良いのか、あまり分かりません。御了承ください。

 45分にも及ぶ一大交響詩、チェロとヴィオラの独奏がなんとも味わい深い。解説によると、この「ドンキホーテ」は「とてもシリアス」な演奏であるようです。随所に現れるシュトラウス流の音楽づくりと、バツグンの管弦楽法。そこらへんの絶妙な強調が、テンシュテットの指揮によるものということでしょうか。

 カッコいい演奏という点では、カラヤンよりずっといい。まあ、★は5つだろうな。

 聴かないとはいえ、ブルックナーやブラームスよりは聴いてますので。テンシュテットのシュトラウス、すごい良いですよ。
 
 最後が、オルフのカルミナブラーナ。これこそ珍しいと思っていたら、NDRのもの(モノラル)と2種類あるといい、ちょっとびっくり。

 1979年、トロント響・同合唱団だそうです。

 カルミナは好きな曲ですが、20歳ぐらいのとき、小澤の録音をひたすら聴いて、そのあとヨッフムのを聴いたら、あまりの素晴らしさに仰天して、以後、そればかり聴いている内に曲を覚えてしまって飽きちゃった経緯がある。ヨッフムのも、人によっては何が良いのか分からないとあって、まあそのへんは人それぞれだが、小澤のは褒めている人は見たことない。それ以外には、ケーゲル、スメターチェク、そして(買った記憶が全然ないが。)プレヴィンのがコレクションの中にありました。プレヴィンのは、雑誌とかで紹介されているやつだが、買った記憶がないくらいだから、演奏もまるで記憶になし。ケーゲルはやたらと攻撃的な演奏で、スメターチェクは、やたらと古風なタペストリーみたいな演奏だった。ような。

 ヨッフムは朴訥とした雰囲気と、デッドな音づくりが、オルフの曲というより、懐古的な中世叙事詩という意味で、音楽とあっています。

 では、テンシュテットは? ドキドキ。

 なんという、音の突き刺さる、フォルテなのだろうか。冒頭から、ビックリしました。各曲とも、ダイナミクスの幅が異様に大きく、スピード感も強調され、アレグロでは叩き込み、アダージョでは、たゆとうよう。タメは大きく、表現としてすごい演奏です。こんなカルミナは、解説ではないが、本当、たぶんテンシュテット以外には、無い。

 物凄く濃い内容のドラマティック・オペラみたいなカルミナだった。音質は中の下ですが、内容で★5つ。録音良かったら
です。あと、管弦楽法の凄い現代的な部分も、テンシュテットはちゃんと強調してあり、感動した。打楽器のアンサンブルとか。これは、プロコフィエフと同じで、20世紀音楽ですのでね。

 表現は素晴らしいですが、オケ、合唱とも、アンサンブル荒いです。
 
 しかし、テンシュテットは、いったいあとどれだけこんな凄い演奏が隠れているのだろう。


11/21

 いわゆる主流ではない国の人の交響曲を。

 チャベス 1・2・4番。(ASV)

 メキシコのチャベスには交響曲が6曲もあるようだが、2番を除いて録音は少ない。

 民族色豊かという点ではレヴェルタスに軍配が上がるが、形式的にきれいという点ではチャベスか。でも、日本人の作家を思わせる旋律線や、ハーモニーや、パーカッションは、ちょっと驚く。作曲年代を考えても、向こうが少し、先輩である。

 2番「インディアナ交響曲」はインディオの民族打楽器とかも使われて、平明で、12分ほどの音楽。なかなか面白い。

 1番「サンティエゴ交響曲」4番「ロマンティカ交響曲」は、うーん、まー、ふつう。個人的に、期待しすぎた。ヴィラ=ロボスも交響曲もそうだったなあ。

 (香港を含む)中国人作家の交響曲をいろいろと買いまして、HUGOという現地レーベルなのですが、これがまずまず。

 面白かったのは、丁善徳の「長征交響曲」。これは中国では、ピアノ協奏曲「黄河」と並ぶほど有名だそうで………日本ではむしろバイオリン協奏曲の「梁山泊と祝英台(蝶恋人)」のほうが高名だと思いますが。

 いやあ、現代中国史は、それほどではないので、長征ってこれは、赤軍が国民軍に負けて、昆明まで何万キロだかを踏破して、逃げてったって、あれのことだと思います。飢えて革靴まで食ったとか。10万の兵士が1万にまでなったとか。

 いわゆる国威発揚音楽の類ですね。

 全5楽章、70分にも及ぶ、器楽だけの純粋な描写音楽で、中国チックな旋律なども飛び出し、最後は革命讃歌で、かなり気合はいっていて、よろしかったです。
 
 陳培勲という人も、中国では長老作家のようで、第1交響曲「我的祖国」などは、スメタナの連作交響詩とはぜんぜん関係なくて、ようするに、抗日運動時代の想い出をつづったような、これも愛国音楽。反日教育・反日感情とは切り離して聴くのがよいか。そういうの云ってたら、ショスタコーヴィチだって聴けません。音楽的には、まあまあ。2番「清明祭」もけっこう面白かった。
 
 出来物が香港の陳永華。この人は世代的には日本で云うと吉松隆みたいなもので、中堅作家。だから、6曲もある交響曲のうち、今回は1・3・4・5・6番を聴いたが、すべて、民族的旋律とか、愛国とか、国威発揚とか、まるでみられない。管弦楽は大胆で、不協和音もよく使い、かといってゲンダイというわけでもない。

 強力なアレグロと、豊かで厚いアダージョが魅力で、パワフル音楽の部類に入るかと思う。モソロフとかの近代ロシア流というか。打楽器のあつかい方も、なかなか重厚。

 私が特に気に入ったのは5番「三国志」〜2群のオーケストラのための と、6番「九州同」ですね。

 交響曲はすべて3楽章制で、時間的には30分前後。だから、三国志なんて、物足りないにもほどがある(笑)

 標題交響曲ではないということなのですね。

 響きとしてはとても面白い。

 九州同は、日本の九州のことではなくて、何か意味のある中国語のようです。
 
 これらの人々(他にもいます。)はそのうち、交響曲のページで紹介したいと思います。(時期未定)


11/10
 
 マーラーの4番を続けて聴いた。
 
 ハイティンク/ロイヤルコンセルトヘボウ 2002ライヴ
 ギーレン/SWR響(全集より)
 シノーポリ/フィルハーモニア管(全集より)
 スヴェトラーノフ/ロシア国立響(全集より)

 いやー、中国人作家の交響曲集とか、アーノルドや伊尹桑の交響曲全集とか、バントックもまだ聴いてないし、のきなみ、CDがたまっている中、マーラーも、全集3つを含め、バラでも10枚以上が山積み状態。聴きャアいいってものでもないのだけれども………。
 
 ハイティンクはいわずとしれたマーラーの第一人者。古巣のコンセルトヘボウを使い、ここでも完璧なまでの造形美と、ニクイまでの演出が効いている。しかし、この毒の塊の交響曲を、毒を毒として演出しているのではなく、あくまで、世間一般に云うところの、マーラーの中でも、大人しめの美的音楽であるということを前提に、分かっている人だけ、楽しんでね、というような、細かい部分での不協和音の強調、テンポの変化、旋律の揺らし方、すごいなあ。
 
 バーバラ フリトリのソプラノは、オペラチックで、ドラマがありすぎ、ちょいと不満。しかしそれも毒のうちか………?

 あの「ヘロデ王」が聖ペテロが引きずってきた小羊(=イエスだという。)をつかまえて殺して天国の食卓へ乗せるのだ!

 天国じゃ酒は呑み放題、食い物も食い放題。天使がパン焼き奴隷。1万1千人の乙女たちによる自慢のハダカ踊り。そんなのを美旋律で歌いまくる弑逆。 「ばかじゃねえの」 と不協和音で揶揄する金管。おらーはしんじまっただ〜! 最期は、ポックリと終わるこの交響曲。大地や9番につながっている………?
 
 ★は5つ。さめざめとした恐怖がある。

 ※ 4番が毒だらけというのは、ここ1年ほどの自説ですが、音楽之友社刊「作曲家◎人と作品シリーズ マーラー」を書いた村井翔さんもまったくの同意見で、しかも論理的に解説しておられ、私は特に感動した。
 
 ギーレンはバラでも持っていたけれども、あらためて聴き直すと、毒を毒として毒なんだよということを押し出した名演。もちろん、旋律そのものは、優美で優雅なものだけれども、マーラーが密やかに配した毒(主に不協和音)をエイッ、エイッと強調して、オエーッってかんじ。ハイティンクが、分かっている人だけ分かってね、という雰囲気ならば、ギーレンはオラオラこれがそうだ、いいから見ろ見ろと云って、4番を初めて聴く人をいやな気分にさせる。
 
 4楽章と2楽章が特に気持ち悪い。
 
 そこは、某高名評論家によると、3楽章が長くて退屈な4番の「聴きどころ」なのだそうな。美しく愛らしい4番の。4番へそういう感動を求めている人は、悪いけれども、マーラーの意図の表面上だけを自分勝手に楽しんでいるだけであり、それはそれで良いが、浅い感動だ。ギーレンから受ける感動を楽しめる人は、4番を心底まで、楽しんでいるのではないか。
 
 マーラーは云った。4番に関し 「この手のユーモアは、理解者の中でも、そうそう分かってくれる人はいません」 と。
 
 もちろん★5つ。

 シノーポリも、慣れたら、ぜんぜん良くなってきました(笑)
 
 手法としてはギーレンに似ているが、まだ、オブラートに包んである。だから聴きやすい。しかし、知らぬ間に毒に犯されているので、そういう意味では質が悪いか。

 いっしょに聴いた連中が濃すぎて、この中ではイマイチ。★4つ。悪くないですよ。
  
 スヴェトラーノフのマーラーを 「マーラーらしくない」 と斬り捨てるのはカンタン。しかし、スヴェちゃんの演奏など、すべからく○○らしくないではないか。スヴェトラーノフの演奏は、いかに 「スヴェトラーノフらしい」 かで、価値が決まってくると信じている。(そういう意味ではバーンスタインと同じか。)
 
 とすると、ですよ、この4番は、すげえスヴェトラ流で、じつによろいのです!!
 
 1楽章のテンポの遅さ、鳴らし方、3楽章の豪快さ、線の太さ、これがじつに面白い。自称「正統な」マーラーファンは、たぶん否定する。彼の1番が、そうであるように。だがしかし、スヴェトラーノフの価値は、そんな部分ではとうてい見えてこないのだ。彼のマーラーはいかにロシア流儀で貫かれ、かつ、スヴェトラーノフ流儀で貫かれているのかが、問題なのではないか。彼のハルサイやペトリューシュカがそうであるように。
 
 4楽章も、骨太で、テンポは止まりそうに遅く、旋律の節回しも独特で、そこに意義と意味がある。この毒々しさ! 4番の繊細さやリリカルさ(そんなものが本当にあるとすれば、だけれども。)を好む人は、とうてい受け入れられない演奏だと思った。
 
 しかし我輩はちがう。★5つだ。再現芸術は、こうでなくては。もう少し暴れていれば、
でも良いくらい。
 
 スヴェトラーノフのマーラーは、いまのところ、1番と4番がアタリ。


10/26

 湯浅譲二の歌曲(童謡)と、早坂文雄のピアノ曲集のCDを、それぞれ買いました。

 湯浅譲二/美しいこどものうた 平松英子ソプラノ 中川賢一ピアノ
 早坂文雄/室内のためのピアノ小曲集 高橋アキピアノ

 湯浅の極限まで斬新的な音楽の隣で、コツコツと童謡が書かれていたとは。走れ超特急が高名なのだが、ソプラノとピアノで、CDとなった。まあいろいろ曲が入っていて、みんな素敵なリズムと旋律が、すばらしい。中でも、私が特にショッキングな歌があった。それが 宇宙船ペペペペランと弱虫ロン だ。これがどれほど恐ろしい歌かは、近日公開予定の湯浅譲二のページで、ご紹介できるだろう。とにかく、作詞の谷川俊太郎も谷川だが、音楽をつける湯浅も湯浅だ。短調の貴重感ある響き、印象的な旋律。胸が痛くなる。人間のエゴと悲哀をこれほど表した音楽が他にあるだろうか。
 
 なんか、ペペペペラン1曲の印象が強すぎて、どうにも、困ってしまうアルバムだった。

 早坂文雄のピアノ曲は、まったく自由な形式と、早坂調の和声と、旋律が、本当にマッチした愛すべきものばかりで、これも驚いた。近代のピアノ小曲は和声偏重というか、ドビュッシーやサティあたりの影響なのか、どうも、モワモワしたものが多いような気がして、好きになれない。

 しかし早坂のリズムのすばらしさと、管弦楽曲に通じる日本的・中国的〜すなわち凡東洋的な旋律とが、とても面白い。私の好みに合っている。

 また、レントの音楽のなんという情緒的な美しさか。旋法としての日本的なもの、あるいは単旋律的な日本的なものはあるが、旋律そのものは特に日本的ではないという、不思議さ。

 若き日の武満の愛奏したという オルゴール という小品の、なんという愛らしさと、写実主義と、洒落と、自由な精神か。

 「うわあ、音楽って、こういうふうに書いてもいいんだ!」 

 感動し、顔のほころぶ武満の姿が目に浮かぶ。

 早坂文雄のピアノ協奏曲を聴きたいぞ!!


10/18

 高名作家の劇伴音楽を聴くシリーズと銘打って勝手にCDを聴いていますが、今回は、

 武満徹/TVシリーズ(全集より)
 湯浅譲二/木枯らし紋次郎
 伊福部昭/ゴジラ×ガイガン

 でござりまする。

 武満は、とある中古CDをオークションで買ったら、出品者の人が、オマケでつけてくれたもの。貴重な、全集からの1枚。TVシリーズより、「ルーブル美術館」「赤穂浪士」「血族」「夢千代日記」が納められている。
 
 さすが武満というか、TVだろうがなんだろうが、己の音楽を書き続ける姿勢はさすが。でも赤穂浪士は、乱以外で、はじめて明確に聴こえるティンパニを聴いた気がした。
 武満の場合は、音楽だけ聴くのはちょっと無理があった。

 湯浅は、大河ドラマの徳川慶喜の他では初めて劇伴を聴いた。この人も容赦なく時代劇に現代音楽を取り入れているが(相克相入IIみたいな打楽器アンサンブルが随所に!)テーマソングなんかも作曲していて、(♪ど〜こかで〜 だ〜れかが〜 というアレ。)普通のメロディーも書けるんだといらぬお節介。そのギャップがまた良い。

 伊福部はいつも通りの音楽で、我々ファンには怪獣のテーマも自衛隊のテーマも宇宙の音楽も何もかも、新作ではない。しかし、先日、とりあげた「三菱未来館」からの引用があって、それがマニアとしては新鮮か。楽曲もすばらしい。しかし、「宇宙のわるもの怪獣をやっつけろ! ゴジラがんばれ地球をまもれ!」のキャッチコピーには慄然とする。子どものころ、たしかに観たけど、大人になると、空恐ろしいものがある。ゴジラは重厚なる社会への警告だったはずなのに、カネのため正義の味方にしてしまった東宝の商業主義と、身勝手な人間の勧善懲悪主義。しかし、「わるもの怪獣」だって生きているんだ、人間(M星人)の都合で地球に連れてこられたんだ、とヒネクレテ考えると、それもまた環境保護にでもつながるか。

 とにかく、個人的には、ガイガンとキングギドラは大好きだ。悪の美学。


10/15

 きのう、札幌交響楽団で、尾高忠明指揮で、マーラーの6番を聴いてきました。
 
 うーん、まずまず、良かったです!!
 
 6番はなんだかんだで、いちばん実演で聴いたマーラーになったなあ。3回め。

 金管が思ったとおりに弱かったんですが、まず、よく出来ましたよ。褒めたいです。
 
 トランペットの人はなんの曲を聴いてもヘタルなあ。しかし。。。
 
 ハンマーは3回でした。しかも、デカイのなんの! 音がじゃなく、ハンマーそのものが! どっから持ってきたんだ、あんなの(笑)
 
 手伝いの若いパーカッション奏者の人も、なんか心なしかプルプル震えながら高々と掲げ、ドカーン! P席(指揮者の真ん前席)の客、見えないものだから、とびあがって驚いていたなあ。笑った。

 尾高の指揮は、どちらかというとクール系なのですが、よく楽曲のバランスを把握し、盛り上がるところは盛り上がって、非常に良かったです。
 
 個人的には、何度も云うが、日本のオケは金管が弱くて、かのN響ですら、物足りないのだから、そこは我慢か。実演で聴けること自体、めったにないのだから。
 
 しかし、後ろの学生みたいな連中、男は寝るは、女どもは平気で演奏中にささやくわ、
聴かないのなら来るな!!

 ボケ。


10/11
 
 テンシュテットの続き。
         
 この恐るべきラインナップを見よ!
 
 第九/ボストン響
 新世界/ミネソタ管
 ペトリューシュカ/クリーヴランド管

 第九もテンシュテットの手にかかれば、まるで今そこで運命が暴れ狂っているかのような、すばらしい生命力に満ちた音楽となる。ここにあるのは夢や彼岸や宇宙の音楽などではけしてなく、第九を書いたら死ぬなどという後世のチャチな迷信を吹き飛ばしてくれる。これは楽聖とはいえ、人間ベートーヴェンの書いた人間のための苦悩の音楽であり、モーツァルトのような人間離れした超人の音楽とは一線を画し、根本から異なる。
 
 1楽章よりノイズが少々あるが、オーケストラをどんどん引っ張って、それでいてけして乱れることのない完璧なカラヤンにも通じるドライヴ感、さらにはティンパニの死に物狂いの一打一打が血を滲ませるかのごとき迫力だ。アマチュアの演奏とかで、はりきったティンパニがやたらとデカイ演奏があるが(わたしも気をつけている。ついつい燃える。バランスが大事。)そういうものともちがうし、アバドのベト7のようなただ意味もなく大きい無機質なものともちがう。ここにあるティンパニのマレットは、音楽の流れにのり、他の楽器をぐいぐいとリードする、まさに第2の指揮棒なのだ。グレート!!
 
 それは第2楽章で顕著に現れて、ティンパニに引っ張られた管弦楽がガンガン進む。しかし、崩れそうで崩れない、ニュアンスの絶妙なちがいまですくい取る、そのテンシュテットの魔法の如き棒さばきの玄妙さよ。

 マーラー6番のスケルツォに通じるような音楽となっている。
 
 3楽章はさすがに、緩徐楽章というだけあり、癒しが来るか。もはやこの世のものではないメロディーラインの完璧な歌い方。オーケストラの、指揮者へ身も心も預けてしまっている途方もない一体感。
 
 そして4楽章。 嵐よ再び(笑)!! マーラーの2番の5楽章が、やっぱりこれを意識しているのではないか、という確信。強烈な低弦による嘆きと吐露。ティンパニと管楽の、語りのような雄叫び。

 うへえー。

 それだけで辟易する人もいるだろう。

 やり過ぎだ。

 しかし、テンシュテットの方法論は、そこまでの過度的な表現からこそ真実を紡ぎだす。なぜならば、音楽自体がそういうふうに書かれているではないかッ!!

 解説にもあるが、合唱が少々、雑。しかし独唱の感無量といった歌いっぷりは、すごいです。感動した。興奮した。こういう音楽を聴くと、楽しくなる。理屈抜きで元気になる。元気になる音楽しか、わたしにとっては音楽ではない。

 正直、ベートーヴェン第九は、長くて苦手な部分もある音楽だが、テンシュテットはさすがに、一気に聴いてしまって、終わったらしばし呆然だった。
 
 今のところ(2004)3種類残っているテンシュテットの第九のうち、わたしはいちばん好きです。1976年のライヴだそうです。

 第九も、もう、クレンペラーとテンシュテットしか聴けない身体になってしまった。
 
 
3つでもいいが、☆はひとつとしか規定してないので、ひとつ。の時点で、もう上限は無いと思ってください。
 
 続いて、新世界よりを聴く。これも永遠の定番なのだが、この日のテンシュテットは本当にテンションが高かったようで、クーベリックあたりに通じる、土俗的かつ、雄大、そして深刻という巨大な力場が支配している恐るべきもの。
 
 いわゆる「通俗名曲」などと揶揄される新世界をここまで徹底的に鳴らしきる人は、やはりどこか人とちがう感性を持っている。
 
 正規盤のスタジオ録音が、さしものBPOとて、肝心のテンシュテットが乗り気でなかったようなので、まったくやる気のない典型みたいなつまんない演奏なので、こういう海賊盤の価値は否応なしに高まっている。ただノリノリなのではない。この音楽の奥の奥から聴こえてくるドヴォジャークの魂の叫びのようなもの、そこまでを描ききって、絞り出して、はじめて、1楽章の苦悩などもベートーヴェンやマーラーに通じてくるし、2楽章の虚無的な寂しさも際立ち、シューベルトやバルトークに通じると分かる。3楽章の土俗さはまったく伊福部も真っ青。そして、この曲でもっともチンプな4楽章。そのフィナーレへひそむまったくワーグナー的な響きを聴くとき、ドヴォジャークのブラームス的なものへの決別と決意を聴くことができる。それを聴き取るには、ワーグナーの完全なる振り手であるテンシュテットほどの指揮者でないと、とてもではないが、このただハデな4楽章からは、とうてい聴こえてはこない。すごいことです。
 
 循環形式の駆使された永遠の名曲だという事実は、ここまでの演奏でないと、なかなか見えてこない。罪な曲だ。☆クラスです。1981年のライヴです。
  
 最後は、ペトリューシュカです。テンシュテットのストラヴィンスキーは、同じく海賊もので火の鳥の1919年版が唯一ありましたが、これは初出の2番目の録音でしょう。
 
 火の鳥は地獄の業火みたいな、怪鳥・火の鳥が魔王も王子も何もかも焼き尽くしているような、とんでもない演奏でしたが、この不気味な生き人形によるヴァーチャルストーカー殺人事件劇を、テンシュテットはどのように振るのか? 
 
 解説によれば冒頭が「ギクシャクする出だし」とある。しかもそれを「さすがのテンシュテットもストラヴィンスキーをこなせないのか?」とある。
 
 この、たわけめが!!
 
 純粋にバレー音楽としてのみとらえるならば、その解釈は合っている。踊りにくいだろうから。しかし、この演奏は、コンサート演奏ではないか。
 
 好みの問題であるから、決めつけはしないが、その代わり大声で云う。
 
 ブーレーズ旧やクレンペラーの録音にもあるが、このイカレたヴァーチャル世界をあらわすのに、このギクシャクした表現は、まったく理にかなっている。たとえ、本当に棒が追いつかなくてギクシャクしていようが、それは結果論でまったくOKだ。
 
 この冒頭の少し歯車の狂ったみたいにオルゴールの響くありさま、幻覚世界のように無機的にメリーゴーラウンドの廻る様子の不気味さを聴きなされ!
 
 おお、血、血、血だ。
 
 どこか懐かしさを覚える素敵なメロディーに惑わされてはいけない。それは表面上の問題であるからだ。牙のような不協和音が強調され、それをあらわしている。
 
 そしてやっぱりきたきたきた、第3幕。コーラングレによる戦慄の主題。その影で鳴る弦楽のザムザム。ストーカー・ペトリューシュカの主題です。おえッ。子どもの悲鳴も聴こえるぞ(笑)!?
 
 謝肉祭の場面も、意外と淡々と進む。ペトの聴き方が私とちがう人は、あまり評価しないかもしれません。ちょっと難しい演奏でしょう。

 そして最後に、私以外に何人、理解してくれるであろうか? 意外なラストが! 
 
 ペトリューシュカの哄笑の場面へゆかずに、一気に集結部へ!
 
 
こ、こりゃあ、組曲版というか演奏会用ラストじゃないですか!!
 
 そういや、タイトルにもペトリューシュカ組曲って書いてあるわ(笑)
 
 ううむ、ホントだったとは。本当に意外な人が演奏してくれました。ちょっと感動した。

 演奏会版ラストで終わる演奏、私は、CDでは自作自演、マルケヴィッチ、そして3人めの録音が、このテンシュテットでした。(実演では岩城宏之)
 
 いやー、こんな驚きがあろうとは。

 全体的に録音が遠い(かなりぼやけている。)ので、☆のところを★5つにしておきます。内容的には文句なしに☆ですが。1978年のライヴです。

 演奏会用ラスト、本当に聴いたことないですか?


10/4

 音楽でも聴かねえとやってられんわい。

 アメリカの(おそらく)金持ちの高名なコレクターがその膨大な秘蔵音源を使って海賊盤のCD−Rを出し始めて、シベリアンタイガーというマイナーレーベルなのだが、そこからテンシュテットのアメリカ音源が怒濤のように出てきて我輩は狂喜乱舞だ。
 
 とりあえず、6枚、購入しました。
 
 まずは、ベートーヴェンの3種類を聴いてみよう。
 
 4番、5番、そして7番。4と5なんていっしょにしてしまえば1枚になるのに、1曲ずつ出しやがる。個人レーベルの好き勝手というか、出してくれただけで感謝であるからして、文句も云えまい。

 まず4番はニューヨークフィルにおける1980年のライヴ録音。音質は中の下くらい。さすがにテープの劣化の影響があるらしい。けっこうこもっているが、希薄と熱気は充分すぎるほどに伝わってくる。

 4番といえば、3番と5番の間にはさまれた一輪の花………みたいな評論があったりするが、とんでもねーッ! この激アツのほとばしりは、生きて激情して発奮しているベートーヴェンそのものだ。わたしは正直、ベートーヴェン聴きではないので、そんなにたくさんの演奏を聴いているわけではなくって、特に4番なんか実は嫌いな曲に入るほど。それなのに、この引きつけるパワーはどうだ。特に終楽章の恐るべきパフォーマンス。正統的かつ、炎の指揮者、
テンシュテット!
 

 同曲はクレンペラーとテンシュテットを聴いて、もう他に何もいりません。★5つ。

 そして5番。こちらはボストン響との1982ライヴ。

 聴く前からこれほどドキドキする指揮者など、他にいるか。

 4番をあれほどの熱気で演奏する人が、曲自体が熱気でムンムンの5番を。

 鳴った瞬間、まるで心臓をつかまれたような衝撃。

 その後は、ハルサイのような確かなリズム、突き抜ける音楽の力に圧倒される。

 クレンペラーの対極にありながら、両方とも愛してやまないわたしがいる。

 
人生とは何かを問いかけてくる、恐るべき音楽の正体を、さらけ出すテンシュテット。

 全部すごいけど、特に1楽章が、すばらしい。

 そして4楽章の解放感!!

 ああーっ、運命だ、運命なのだな!

 人間が生きるということは、運命に抗うことだと我々へ教えてくれるベートーヴェン。そしてテンシュテット!! 音楽は楽譜にすぎないとかいう演奏は、何も教えてくれない。せいぜい、和音とかだろう。そんなもの、このドラマ、汗くさい人間性の発露の前で、どれほどの意味があるのか?
 
 などと、興奮してみました。興奮する音楽はイイ。
 
 このように音楽の裏にあるものを有り難がって楽しむのは、わたしが物書きだからでしょうか。クールじゃないよね。でも、クールじゃない演奏なのだから………。
 
 音質は中の中ほど。4番よりいいし、他レーベルの、ボストン響とのものはとにかく音が悪いので、それに較べたらまったく問題はないです。
 
!!

 次は7番。
 
 音質は中の下。ニューヨークフィル、1980年のライヴ。
 
 しかし、スケールのでかい演奏だなあ。雄大な景色のような序奏。それだけですばらしい。リズムも良い。
 
 テンシュテットが問いかけてくる。
 
 あんたたちは、我々の演奏の何を聴いて感動するのか?
 
 自問。
 
 我輩は少なくとも、演奏の何を聴いて心を揺さぶられているのか? 
 
 寸分違わず楽譜の通りに演奏されていることか? リズムが、アンサンブルが、ハーモニーが機械で計ったように合っていることか?  それは大事だ。確かに大事だ。

 そういうので感動する人は、そういう演奏を聴けばそれでよい。しかし、我輩は、そんなものを聴いても、だからなんだという思いしかない。それだけでは、へぇー、とは思っても、絶対に感動しない。
 
 人間が書いた音楽を人間が演奏し、人間が聴く。
音楽とは人間の偉大なドラマなのだろう。人間模様そのものだろう。人間世界そのものだろう。現代人の心の奥底へひそむ冷徹さをあらわした演奏はそれでそれで面白い。楽譜のコピー演奏ともまた異なる。
 
 テンシュテットが語りかける。
 
 
このベートーヴェンの魂の声を聴いてください!
 
 専業作家から芸術家へ進化した(自身でそう意識した。)おそらく初の有名な作曲家、ベートーヴェン。
 
 
その魂が、精神が、生きざまが、音楽が、本当にすごいから、我々は感動するのではないのか? 
 
 テンシュテットの真摯さは、しかし、己の芸術の発露でもある。
 
 
この「わたしの演奏する」ベートーヴェンを聴いてください!!
 
 ここが再現芸術の面白さであって、楽しさではないのか? 
 
 テンシュテットはこのように、さまざまな示唆を私へ与えてくれる。だから大好き!!
 
 音質がやや悪いので★5つッ!
 
 まだ3枚あります。第九、新世界、そしてペトリューシュカです。楽しみ!!


9/29

 じっさい、CDを聴く時間もあまり無い中、聴いても感想や紹介を書く時間も無くなってきています。またこれから忙しい時期になるのか………。

 テンシュテットの、BBCのライヴシリーズ第2弾を、てっきり買ったと思っていて、買っていませんでしたので、買ってみました(笑)

 スメタナ/「売られた花嫁」序曲
 ドヴォジャーク/交響曲第8番
 ヤナーチェク/シンフォニエッタ

 第2弾は、チェコシリーズというわけです。スメタナは、我輩は初めてテンシュテットで聴くものだ。
こんなに激しくて重い音楽だっただろうか!
 これじゃ、たとえ本当に売られても、花嫁が格闘して敵を倒し、帰って来そうだ。

 第8は、数種類、音源を所持していますが、もっともすばらしい音楽と音質です。カーステで聴いたときはけっこうデッドなクッキリした音でしたが、家のステレオで再生したら、けっこうホール音響が残っていました。どちらにせよ、その音楽の流れ、旋律の際立たせ方、音響設計の確かさ、音楽とバッチリ合ったテンポの揺れ、しかしそれへ動じない生き生きとしたリズム、ドヴォジャークとしての音楽造り、激しさ、超1級です。

 
テンシュテットは本当にすばらしい音楽家だ!!!

 大声で叫んでやる。

 最近は大分その良さを分かる人が増えてきて、良かった良かった。ただの情念系ではないですぞよ。
 
 ヤナーチェクも、数種類録音があって、北ドイツ放送響でしたが、そっちのほうが音楽の中の狂気的な一面もかいま見えて良かったですが、90年代のそれはもっと音楽がマイルドにまろやかになっていて、円熟したものでした。テンポやリズムの良さは変わりません。金管の馥郁たるファンファーレ。ヤナーチェクもテンシュテットも天才だ!! しかし、テンポアップしてくると、うーん、キタキタキタ、と、いったふうに、まったく玄人的な音符の動かし方で、唸ってしまう。しかしそれがトリッキーではなく、ちゃんと音楽にあっているというのが、テンシュテットのいまのノリ系や分析タイプの指揮者には見られないすばらしさ。

 あと、伊福部昭の中古で 「わんぱく王子の大蛇退治」 オリジナルサウンドトラック/EXPO70 三菱未来館・日本の自然と日本人の夢 を買いました。

 交響組曲「わんぱく王子の大蛇退治」 が出たばかりですが、その原曲がCDで残っていたのですね。もちろんモノラルですが、音質は非常に良いです。

 交響組曲へ採用された音楽や採用されなかったもの、聴き分けられます。また、交響組曲の旋律がどの場面か、確かめられます。勉強になる。
  
 また併録がすごい。我輩の生まれる前の万博での音楽だそうで。驚いたのが、映画音楽への転用もさることながら、釧路湿原につながる曲があったですよ! いやあー、ちょっと1人で感動してしまった。伊福部ファン以外にはどうでもいい話。
 
 それをいっちゃ、テンシュテットのCDもいっしょか。
 
 ちなみに、クルマでテンシュテットのCDをかけながら走って、同乗したオーケストラの仲間が言いました。

 
「きみ、スタンダードな曲も聴くんだ!!」
  
 どういうことですか、そりゃ(笑)
 しかし、指揮者が好きなんですよ、テンシュテットです。と答えると 
「ああ、やっぱり、マニアックだね!!」

 ………どういうことですか、そりゃ〜〜。


9/6

 マーラーの1番なんか3種類を聴いてもなんというこはないが、さすがに3番を3種類もとなると只事ではなくなる。数日を要してしまった。
 
 小林研一郎/チェコフィル
 ギーレン/SWR交響楽団(全集より)
 シノーポリ/フィルハーモニー交響楽団(全集より)
               
 コバケンは前に日フィルでも3番を出していたが、こちらはすでに録音済みであったにもかかわらず金がなくてキャニオンで出せなかったもの。さすがにちがう。コバケンの棒は、これくらいの実力を兼ね備えたオケでないと、威力を発揮しないのではないか。日フィルも頑張っていたが、鳴りやニュアンスが根本からちがう。日フィルのマーラーも、(階層的な構成が苦手という意味で。)日本らしいといえば日本らしいものなので、それが好きという人もいるだろうけど。
 
 いま世界のメジャーオケを振るような人で、ここまで大まかな音楽のとらえ方をする人も少なくなってきた。みな楽譜重点主義というか、それはとても大事だが、中には、細かすぎて興ざめの人もいる。客のすべてがガクフオタクじゃないっつーの。「楽譜に無いディフォルメは感心しない」などとケチくさい事を云っているようでは、「楽譜は変更されるためにある」なんて公言するコバケンの音楽は楽しめない。嫌いなものを無理に楽しむ必要もないだろうけど。
 
 わたしはどっちも好きですがね。
 
 コバケンの3番、この生き生きとした表現力、大まかといっても、楽譜の裏から響いてくるような意外なパッセージ、聴くべき部分は多い。日フィルの2番と3番で、コバケンも落ちて来たなあ、などと感じていたわし。アホでした。★5つ。ただし、細かなニュアンスが非常に活きてくる6楽章は、漫然と美音の垂れ流しになりやすく、コバケンの手法は危険だ。だから正確には4つ半。

 エクストンで出せるようになったのなら、チェコフィルで全集を完結してほしい。6番と大地の歌と9番を非常に期待している。意外に4番が合っているかも。

 話はかわって、一時期流行った過度に音楽を揺り動かす演奏への極度な賛美を反映してか、いま、人によっては楽譜原理主義ともいうべき、譜面に無いことはするな的な、演奏の本質を知らない人による独りよがりがたまに見られて、わたしは辟易している。

 いわゆるザッハリヒな演奏と、そういう人らが云う楽譜原理主義とはまったくちがう。
 
 ザッハリヒな演奏とて、超1流の指揮者はまったく楽譜を(細かく)ディフォルメしている事実。これは、譜面ヅラをただなぞっている演奏とも異なるし、また、過度に装飾しているのとも異なる。ようは、モーツァルトならモーツァルト、ベートーヴェンならベートーヴェン、ブラームスならブラームス、ドヴォジャークならドヴォジャーク、チャイコフスキーならチャイコフスキーと、超1流の作家には音楽の特性があって、ザッハリヒだろうが、ロマンティシズムだろうが、その特性にあっていれば、なんでもかまわないと思う。それが再現芸術の面白さであり楽しさだ。
 
 特に管弦楽曲に関しては、すべての作曲家が、すべての楽器の演奏法に通じているなどというのは大きな間ちがいで、楽器によってはよく分からないで作曲している人だってたくさんいる。そういうのを、後世の指揮者は、考えてある意味、補筆してゆかなくてはならない。また出版に際して、指示が変えられている可能性だってある。例えば、作曲家がせっかくフレーズの頭のほうにあわせて書いた<>だって、楽譜屋が綺麗に見えるよう、真ん中にあわせてしまっている可能性だってある。そういうのを楽譜に書いてあるからと鵜呑みにして信じてはいけない。前後のフレーズの関係をよく考えて、楽譜を変えてゆかなくてはならないのだ。コバケンが云う 「楽譜は変更されるためにある」 というのも、あながち間ちがいではない。演奏家に云わせると、音楽は信じても、楽譜なんてまともに信じるやつがあるか、である。 

 したがって、楽譜に無いディフォルメがあるからと、それだけでその指揮者や演奏をダメだの感心しないだの云っているやつの演奏評価を、わたしはまるで信じない。むしろ軽蔑する。
 
 だいだい作曲家なんてたいていはこう書きたがるが、作曲家だって自分の音楽をすべて把握しているわけではない。とは私の所属するオーケストラへ来てくれる指揮の先生の言だが、まったくその通りだし、しょせんは音楽表現のすばらしさなどは聴衆が決めてゆく宿命になっている。
 
 面白おかしくメチャクチャにしろといっているのではない。先に云った音楽の特性をいかに把握しているか、だ。どこ出版のスコアを見て云っているのか知らないが、楽譜通りの、技術的に上手いだけの演奏なんか、カネを出して聴く価値があるのか。
 
 長くなったが、ギーレンなんか、まったくザッハリヒの極致のようなイメージがあるが、年をとったせいもあるかもしれないが、ここに聴くマーラーの3番の、なんと豊か表現なことよ。これはコバケンともちがう、彼独自の、楽譜を深く読み込み、忠実に再現するクリアでザッハリヒではあるが、マーラーに欠かせない詩情と歌を忘れない、非常に稀有のすばらしい演奏に仕上がっている。文句無ーし! ★5つ。
 
 えー、さて、最後のシノーポリだが、どうもマーラーの表現としては勘違いしている演奏もあるが、3番はどうでしょうか?
 
 1楽章から元気が良いというか、テンポが良いというか、意外に、若々しいというか、たいへん聴きやすい演奏だった。1番は演出過多的で、2番は逆につまらない。指揮しづらかったのでは? とすら思ったが、3番が、荒々しい部分、颯爽とした部分、情緒的な部分、それらがよく個々に表されていた。スコア読み派と激情型派と、どちらのいい所も持っているのがシノーポリなのだろうか。
 
 相変わらずなのが、マーラー得意の対位法的部分をことさらにクローズアップし、ふだん聴きづらい裏旋律を表に引っ張りあげ、表の旋律を控えめにさせている逆転法。だから、「あっ、この人のマーラーはいつも聴いてるやつとなんかちがう!」と中級の人に思わせる、といったところなのだろうか。個人的には、あざとくてどうも苦手な手法ではある。
 
 それを抜きにすると、全体的によく音楽を把握した演奏だと思った。ただし、流れよりも部分部分の表現を重視している。5つでもいいけど、まあ好みの問題で★4つ。6楽章はさすがに、奇をてらう部分が無いので、シノーポリといえども、身を焦がすほどの「純」にひたるのみだ。
 
 ちなみに、シャイーの3番で、6楽章がテンポが意外に速くて驚いたが、さらに意外に、ギーレンもシノーポリも、 同じぐらいのテンポでした。


8/23

 ラッブラの交響曲(とりあえず2・6番)などにも手を出しつつ………。

 ショスタコーヴィチを聴きましょう〜♪

 ゲルギエフ/キーロフ管 交響曲第4番
 ハイティンク/シュターツカペレドレスデン 交響曲第8番
 
 作曲者自身も共に最高傑作と位置づけていたこの2曲。これを聴かずしてショスタコを語るなかれというほどなり。
 
 ゲルギーのシリーズは快調にて、先日のPMFによる11番の興奮も醒めやらぬころにまた4番とは、なんかツイテイル。
 
 4番は長い曲だし、かなり聴き込まないと曲想がつかみづらい部分もあると思われるが、ショスタコ振りはここいらをどのように料理するかが腕前の見せ所となるのではないか。他の高名指揮者でも、4番はなんかぼやけて何をしているのか分からない演奏も多い。
 
 ゲルギエフはロジェストヴェンスキーと同じような手法で、主にテンポの変化や旋律の歌い方で表している。しかし、ロジェヴェンよりも、全体の調和にも務めている。また他のナンバーのような「戦闘シーン」の無い曲のため、思っていたより激しいアクションは見られず、むしろ4番の真骨頂のような、細かいニュアンスがすごくていねいに鳴っていて、いやあ、褒めたらきりがねえや。
 
 新時代の演奏と云うに相応しいでしょう。当然の★5つ。

 8番もたくさん聴いているけど、ハイティンクもこの曲か好きなようで、何種類かある。8番はまずムラヴィンスキーが別格だが、それとは異なるアプローチで、名演も多い。
 
 ハイティンクはライヴで意外と熱い指揮をしたりして、嬉しいのだが(熱いといってもハイティンクのレベルで熱い、ということです。)この8番もドレスデンをギシギシ鳴らして、3楽章なども馬鹿騒ぎにはならず、非常に格の高い演奏でした。特に1楽章の深遠な世界が、マーラーなどにも通じていているようで、とても良かった! まあハイティンクだからはずれは無いと思っていましたが。★5つでしょう。ショスタコーヴィチベスト8、変わってます。


8/21

 映画音楽のCDをにわかに聴いてます。ええ、サントラ盤というよりむしろ、交響楽として。

 ストローベル/ベルリン放送交響楽団 プロコフィエフ「アレクサンドル・ネフスキー」全曲
 ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立文化省響 ショスタコーヴィチ映画「ニューバビロン」組曲 映画「黄金の丘」組曲
 オマケ 
 パブロフ/ロイヤルフィルハーモニックオーケストラ ジェリー・アンダーソン サンダーバード組曲

 1番のヒットは、プロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」の全曲版。総譜が見つかったとかなんだとかで、ステレオで世界初録音という事です。
 
 これがまた、カンタータとは大ちがいの、激烈にすごい音楽です!
 
 参りました。わたしは久しぶりに参りました。さすがプロコフィエフ。映画サントラとかいう次元ではない。そもそもカンタータへ転用可能なほどの音楽。まったく、いわゆるバレー音楽の全曲版というべき感覚。SACDなんだけど、専用再生装置を買いたくなりました。冬のボーナスだな。
 
 カンタータでは味わえぬモティーフがふんだんに登場するのがまずすばらしい。戦闘シーンとかも、決闘の場面の打楽器アンサンブルとかあるし、ノブドロゴの鐘のテーマとかも、カッコイイ。プシュコフの敵(ドイツ騎士団)のテーマもさらに重厚で悲劇的だ。
 
 実はこの曲は前から好きな曲ではあったが、イマイチ物足りなく感じていたのも事実。それが、この盤で一気に解消された。珍しく、他人に推薦してしまいます。

 CAPRICCIO 71 014 フィルムムジーク プロコフィエフ「アレクサンドル・ネフスキー」

 輸入盤です。大きな店では入手できると思います。地方の方はインターネット販売を利用されると良いでしょう。

 オラトリオ「イワン雷帝」なんか聴き直しても、すげえ良かったものなあ。プロコフィエフ、凄いヤツだ。
 
 それに較べるとショスタコーヴィチの、不器用な事! 

 そうはいっても、諧謔的という意味では、ショスタコーヴィチが一枚上手なのですが。

 プロコはまったく正統的なBGMを書ける人だったが、ショスタコはどうにもフーガとかマーチとかの交響的な書法はピカイチだが、旋律的な魅力となると、プロコに一歩も二歩も劣る。それぞれの良さはあるのだが。
 
 「新バビロン」はコメディ映画なのかどうかしらないが、戦争のテーマがすでにコミック調で人を喰っている。ワルツやなんかも、どこかほの暗い雰囲気がたまらない。
 
 黄金の丘(黄金の山脈)では、なんといっても3曲めのフーガがそのままシンフォニーに登場しそうな重厚な音楽で、よかった。
 
 あと、別に映画を観たわけでもないのになんとはしにサンダーバード組曲を買ってしまって。チープなことといったら! でもまあそれがイイ。聴けるのはサンダーバードのテーマによる組曲の第1曲くらいかしら。


8/15
 
 なんだかんだと、マーラーは聴いても聴いても山のように溜まる。聴いても聴いても新しいものを聴かずにはいられない。マーラー中毒。一生、このようにしてマーラーを聴き続けるのだと思う。望むところだ。
 
 音楽との対話の藤井さんを倣い、同種曲の異音源を聴き較べてみる。
 
 マーラーの交響曲1番。
 
 フェドセーエフ/モスクワ放送チャイコフスキー交響楽団(なんじゃそりゃ。)
 ギーレン/SWR交響楽団(全集より)
 シノーポリ/フィルハーモニー交響楽団(全集より)
 
 マーラーの全集など、昔は、マーラーなんかよく全部一気に聴けたものだなあ、などと感心していたが、いまとなっては、バラ買いの全集も含めて10種類ぐらい手元にあるので、我ながらびっくりした。
 
 フェドセーエフは名前は知っているが意外と音源の無い指揮者だった。マーラーなんか振っているのだなあ。この1番は、テンポはゆっくりめで、構成とかいうよりも、じっくり旋律を味わうものだった。かといって、裏旋律をたまに強調しつつ、アッと云わせてくれる。それは1番を演奏するときに、非常に効果的な方法ではある。注目の4楽章は、冒頭のテンポが速く、それまでとの対比で、効果的。急は早めで、緩はゆっくりめと、設定に思考がある。ただし、表現としては、カルイ。★4つ。5番と6番も手配中。
 
 ギーレンは、バラで買っていたが今回全集で再度入手。1番をとても細かく分析しつつも、全体をつらぬく歌心がニクイ。しかもその相反する効果を、まったくギーレンは合致させてしまった。すばらしい。通の1番。もちろん初心者も聴ける。だがよく分かっている人ほど、驚きや頷きも多いのではないか。そういう演奏。貴重な演奏。★5つ。
 
 シノーポリもいまさらながら聴くことにしてみた。以前、6番を買って、好みではなかったので、集めてなかったが、安く入手する機会があったのでつい。しかし劇場型というか、演出型というか。演出そのものは個性的だが、それにしても、かなり色物に聴こえた。それが、好き嫌いを極端に別れさせているのだろうか? 私の友人もこの1番がお気に入り(たしか。)だが、嫌いな人にはたまらない演奏だろう。面白いか面白くないかというと、1番という構成的に難のある音楽においては、成功しているように思えた。とくに4楽章は、練られた演出だった。 ★5つ。


8/10

 さいきんは、10年前ぐらいにカネがなくて買えなかった物を中古市場で入手する機会が増えまして、インターネットマンセーです。 額は、定価より高かったり安かったりです。

 そんなわけで、2点。
 
 山田一雄/新星日本交響楽団 伊福部昭 舞踊曲「サロメ」(改訂演奏会版初演)
 グリン/ベルリン放送交響楽団 ショスタコーヴィチ 映画音楽「ハムレット」「馬あぶ」組曲 
 
 伊福部のサロメは、何種類か演奏があるが、これは1987年・演奏会版の初演の模様。山田の熱きタクトがすばらしい。初演だからか、自家薬籠中の日本狂詩曲に較べ、やや硬い。それでも、自在にしなやかに伸び縮みするテンポや、アゴーギグ、アーティキュレーション、えーとそれから………(もう知ってる専門用語はありません。)そんなものより音楽の生き生きとした運び方や鳴り方はいったいどうだ。ラストの豪快な場面、ヘロデやサロメの感情的な描写、バレー音楽を超えた、交響詩がここにあるではないか。
 ちなみにサロメは初演のたった4ヶ月後に伊丹で再演されているが、その後は演奏会ではあまり取り上げられていないような。伊福部を代表する大曲のひとつ。
 
 さて、わたしは映画音楽の大ファンで、中でも特にいわゆるサントラも好きだが映画音楽より編曲されたコンサート用の組曲が好きなんです。バレーから編まれたバレー組曲が、いまや立派にコンサートの演目になっているように、我々20世紀(生まれ)の人間が、20世紀の偉大な作曲家が映画のために書いた音楽を、さらに演奏会用に編曲しているのを、楽しまずしてなんだと言いたい。サントラも良いけど、けっこう予算の関係とかあってテーマ音楽以外は編成とか小さいし、その良さもあるが、けっきょくは画に合わせて造られているし、物足りない部分もある。そこで編曲だ。大オーケストラによる映画音楽、燃えるねえ〜。クラシックとまではゆかずとも、ハリウッドの音楽スター、ジョンウィリアムスの音楽なら好きという人もいるだろう。個人的には、彼の音楽はちょっとカルイのよねえ〜。(そしてウスイ。)
 
 前置き長いですが(そのうち、映画音楽の項に新ページを立ち上げたい。)映画音楽、いま勉強しています。中でも旧ソ連は国策もあって、すばらしい音楽がたくさんあって、ショスタコーヴィチなんか非常に良いです。
 
 そうは云っても、そこはショスタコで、プロコフィエフやハチャトゥリアンのような器用さは無いわけで、そこがまた彼らしいと言うべきか、下手くそというべきか。
 
 ハムレットは、チャイコフスキーの幻想序曲が高名か。マニアックなトコではリードのハムレット組曲(吹奏楽曲)があるけども。ショスタコのは、まあ映画音楽ですか、テーマがカッコいいし、毒殺の場面の音楽に打楽器アンサンブルがあったりと、なんというか、ちょっと変わった手法なのだなあ。

 馬あぶはよく知りませんが、恋愛ものということですが、タイトルからは想像もつかんな。

 こっちはいろいろと聴き応えのある小曲が並んでいて、楽しめました。テーマが良くって、エンディングにも上手に帰って来て、交響曲の大家の手によるものだなあ、なんて感じたり。ショスタコーヴィチのワルツやギャロップも、良いものですよ。なによりこの人はやっぱりオーケストレーションが最高だ。


7/30

 なんとも急な話だったのですが、ひょんなことから本日のPMFオーケストラのチケットが入手できまして、行って参りました!!!

 ワレリー ゲルギエフ指揮
 ニコライ ズナイダーVn
 PMFオーケストラ
 
 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 
 ショスタコーヴィチ 第11交響曲「1905年」

 まあ、コンチェルトはソリスト(終了生か?)の顔をたててか安全運転。
 
 しかしショスタコ、あり得ないくらいすばらしかったアアアーーッッ!!!
 
 今年の学生は、近年に無くみんなレベルが高いということで、確かに、去年のハイティンク/マーラー9番、一昨年のデュトワ/春の祭典も、良かったが、正直、アンサンブルやソロでアララな部分もあったんですよ。そして、今日、ウィーンフィルの教授陣も裏にひっこんで、まるっきり学生のみのオケ。ちょっと不安………。
 
 
ところがどっこい!!

 ショスタコーヴィチのシンフォニー、ファンの方はご存じでしょうが、やたらと特に管楽器にソロが出現する。しかも、長い。膨大な管弦楽の中にあって、一輪の花のように、重要なモティーフをひとつの楽器が担当して延々と吹きまくる。
 
 本日の11番は1楽章からティンパニの打ち鳴らす陰鬱で執拗な動機に、トランペットが革命歌の動機を持ってからんでくる。
 
 それがいきなり上手い!!!

 ラッパから受け継いだホルン陣、全員上手い!!!
 
 続く2楽章の、アダージョからいよいよアレグロとなって血の日曜日事件の描写、打楽器発動ッ! すさまじい管弦楽、一糸乱れぬ!!

 ティンパニの兄ちゃんがまた、寸分狂わぬバチさばきなのよ!

 3楽章も弦楽の集中力が切れず、ゲルギエフの棒に一心について行って、本当に良かった。このアダージョでは木管がこんど活躍するが、これがまた上手いんだ! クラリネット、フルート、ファゴット、そしてコーラングレ! ブラボー!
 
 4楽章の迫力!! パワーは落ちない、アンサンブルは乱れない、鋭さはいや増す。どうなってんの???

 あれは昨今ないくらいすばらしかった。先々週のルイージのマーラーより良かった。本当に。 
 
 しかしアナウンスで注意はあったのだが、今日は
豊平川の花火大会で、午後7:45から花火大会ですので、同時刻に終わる予定ですがもしかしたら生活音が混じる場合がございますので御諒承云々と云っていたが、なんの、終わったの8時すぎよ。また3楽章の最後の、もっとも静かなところで、始まったよ。花火が。

 いや、さいしょ、なんの音かと思ったんですよ。外ですから、そんな大きく聞こえはしませんでしたが、そこは花火。重低音で。ズン………! ズン………! と。バスドラにしては、妙なところで叩いているなあ、と。オペラグラスで覗いてみると、あれ、座ってる。弦バスのピッチカートか? まさか。ステージ裏でバスドラ???

 花火だったんですねえ〜〜。
 
 4楽章が始まったらそれどころではなくなりましたが。
 
 豊平川の花火大会、キタラホールのすぐ側で打ち上げてるものだから、音がものスゲエの。
空爆かと思った。
 
 それはさておき、今回は本当にすばらしかった。拍手喝采、オケがハケてもみんなスタンディングで拍手、ゲルギエフ、1人で戻ってきたからなあ。よほど嬉しかったのだな。いやあ、PMFの客って、けっこうガサガサとチラシを落としたり、居眠りして音を出したり、途中で帰ったり(笑) ええかげんにせえよってヤツ多いのですが、その分素朴というか、感動がすごくて、いつも終わったら嵐のような拍手で、指揮者も学生も心の底からニコニコして大満足という表情で、こっちもそれが嬉しくってまた拍手と、本当に良い演奏会なんですよ。

 トランペットの兄ちゃんが、いちばん拍手もらっていました。たしかに、上手かったなあ〜。 

 もう1回云います。
本当にすばらしかった!!

 あと、ゲルギエフは素手で指揮してると思っていたけど、チビたエンピツみたいな短い棒を持っていたなあ。後頭部は、デュトワといい勝負でした。
 
 さらにあと、ティンパニのすぐ横の下の段にサードトランペットのお姉ちゃんがいて(上手でした。)そのお姉ちゃんとティンパニの間に、アクリルの透明な板が立ててあって、透明な譜面台のようなもので、なんじゃらほい、と思っていましたが、2楽章3楽章4楽章のティンパニ大連打の音が耳の側で轟然と響くものだから、それの「音止め」であると推察した。


7/25

 今日は2つ。

 輸入盤で「メキシコ作曲家管弦楽集」というマニアックの境地みたいなCDを入手! URTEXT(ウアテクスト)というメキシコのレーベルです。
 
 ソルマン/メキシコ国立大学フィルハーモニー交響楽団

 まず作家陣をご覧いただきたい。

 レヴェルタス/センセマヤ
 イバーラ/交響曲第2番(夢の待合室)
 オルティス/パーカッション協奏曲「ろうそく」
 エンリケス/祭礼
 モンカージュ/ウアパンゴ
 エラス/後奏曲
 ラビスタ/クレブシトラ
 ロドリゲス/リコーダー協奏曲
 マルケス/ダンソーン第2番
 チャベス/インディアン交響曲(交響曲第2番)

 何人知ってます?(笑)

 レブエルタスとチャベスはいちおう作品集を持ってますが、それ以外はなあ。

 しかし音楽はなかなか。

 センセマヤは有名ですがね、個人的には、イバーラの交響曲がまず良かった。そして、パーカッション協奏曲は思っていたよりダメ。祭礼とウアパンゴは、ふつうの民族楽派ゲンダイオンガク。

 後奏曲ははじめ西洋的とういうか、弦楽のためのアダージョみたいな曲かと思わせておいて、中間部でウンボコボコボコ。そしてまた静かに。

 クレブシトラはイマイチ印象に残らない。

 リコーダー協奏曲は、ドイツ式の古典的なものと思いきや、これがけっこうジャングル系というか、原住民系で面白かった。

 ダンソーンはタンゴオーケストラで、すばらしくシャレていた。ピアソラをもっと明るくしたような?

 やはりいちばん聴けたのは、チャベスか。チャベスの交響曲集を探して注文してしまった。

 しかし、アレですよ。あまり詳しくない人に、目隠しをして、小山や大栗とチャベスを聴かせると、「みんな日本人の作曲家かい?」 と云われてしまいそうな。似てる! 感性が似てるというか、語法が似てるというか。

 お互い、クラシックに関しては更新国ですからね〜。

 そして伊福部の秘蔵CD。非売品の、特典CD。

 石井真木/札幌交響楽団
 
 SF交響ファンタジー1〜3番
 ロンドインブーレスク
 
 なんか、札響が異様に上手いんですよ(笑)

 失礼な話かもしれませんが。

 指揮もいまは亡き石井先生だし………伊福部の真価が聴ける。

 テンポは遅めで、各映画の主題を個々に引き立てる。

 勢いはあるが、速さに流れない。うーん、すばらしい。

 個人的には、私は交響ファンタジーは2番がもっとも好きなんです。モスラもキングギドラも出てくるし。あ、ちょっとラドンもね。特撮のほうは全部みているわけではないので、あくまで伊福部音楽の大ファンいうことです。
 
 しかしこの演奏はなまらイイです!! (しかし、やっぱりというか、途中でトランペットがヘタっている。というか、この曲をライヴでするのは、やっぱり無理があるのか。)


7/23

 和田薫の作品集のCDを買いました。先生のサイトより直接安価で購入できます。DVDもついてお買い得です。
 
 和田薫は今井重幸ともまたちがい、もっとも純粋に伊福部の伝統を残している作家だと思います。弟子の中で。

 交響詩<天地人>
 オーケストラのための民舞組曲
 津軽三味線とオーケストラのための“絃魂”
 管弦楽のための交響的印象“海響”

 和田薫作品展のなかでオーケストラの部の演奏をそのままライヴCDにしています。ですからちょっと曲数的に物足りないかも。和田/日本フィルハーモニー交響楽団です。和田は東京音大で作曲を伊福部に、指揮を汐沢安彦に学んでいる。指揮もなかなかの腕前なのだろう。
 
 いい曲ばかりです。これは日本人としてたまらない音楽ばかりだ。いわゆる民族楽派といえばそれまでだが、シャレてるよ。響きが。

 しかし、交響詩から協奏曲から、みな10分前後というのはちょっと驚いた。それも物足りない。もっと聴きたい。
 
 和田薫のこれからの課題は、構成力だろうか。伊福部の各協奏曲や、タプカーラや釈迦のような、30分、40分もの大曲をこれから書けるといいね。


7/18

 PMFに行ってきました〜。去年はハイティンクでマーラーの9番。今年はルイージでマーラーの6番! マーラーづいているなあ。(あれからもう1年か。)
 
 ルイージのマーラー6番がCDで出て話題になっている時期にPMF。こりゃあもう行くしかない!!
 
 曲目は

 バーンスタイン/ハリル 独奏フルート、ピッコロ、アルトフルート、パーカッション、ハープ、弦楽器のためのノクターン
 マーラー/交響曲第6番

 ファビオ ルイジ/PMFオーケストラ
 ヴォルフガング シュルツ(独奏フルート)
 PMFウィーン(VPO首席奏者)

 ハリル(もちろん初めて聴いた。)で耳慣らし。オケは腕慣らし。まあ、バーンスタインらしいジャジーな雰囲気もちょいと入れつつ、まあふつうの現代曲。フルートのソロはシュルツ教授。すばらしい。16分ほどの音楽。

 さあ、いよいよマーラー。VPOの教授陣が勢ぞろいし、トップを占める。トップといっても、管楽器は通常必要人数+教授で、ホルンはだから9人となり、教授が認めたのか、生徒がトップを務めた。
 
 1楽章から、低音が唸り、高音が轟く。この推進力、そしてCDの通りの、第2主題との動きの対比。各所に現れる各楽器に引き継がれるアクセントとしての音形を適格に指示。学生オケだからか、CDよりもさらに激しい表現! ルイジの指揮ぶりがまた、マーラーのカリカチュアを思わせる阿修羅のような動き!! あんなに動いて、指揮台から落っこちるんじゃないかと思った。そんなにハイパーに動いても、ちゃんとスコアをめくっており、見失ってはいない。
 
 2楽章(スケルツォ)は1楽章に比べるとややおとなしげというか、重厚さをめざした表現。ズレた不気味な3拍子が、大管弦楽で攻め込んでくる。

 3楽章はルイジ流に、旋律をたっぷり歌い上げ、ザッハリヒなものではない。カウベルが上等の楽器が使われ、本当に天国からの調べのようだった。ステージ裏のものなど、電気式楽器のように響いた。隔世の感がある。マーラーがじっさいに鳴らしていたのは、おそらく本当のカウベルで、アルプスの少女ハイジに出てくるヤギの首の鐘みたいな音がしていたはずだから。はあ〜美しかったですよ〜。
 
 4楽章がまたすごかった!! このストーリー性、戦慄の導入部、じわじわ盛り上がり、ドスーンと現れる第1主題、周囲を払いのけるような第2主題、ルイジの棒も昂奮の極み、ありとあらゆる楽器が、咆哮し、静寂し、時に涙し、時に雄叫びをあげる。ここの管弦楽の凄まじさというのは、この世のものではない。頂点に2度鳴り響くハンマー。あれも、オーケストラの一部にすぎないことを確認した。
 
 唯一、残念といえば、ライヴというのと、表現方法のちがいで、特に4楽章など管弦楽が猛然と鳴り響き、マーラー特有のオーケストレーションの妙が埋もれてしまっていたことか。マーラー自身の指揮ではそのようになっていたかもしれないが、スコアを整理して鳴らし、それを明確にクリアーに示す手法もアリかな、などといまさら感じた次第で、MTTとかブーレーズとか、やっぱり実演で聴いてみないとなんとも云えない。CDでは、マーラーは限界がある。(そうなると、数年前のPMFでMTTのマーラーの3番、チケットが入手できなかったのが悔やまれる。)

 そして、実演で聴くのは2回めなのですが、以前も今回も、どこかここか、金管(特にトランペットとホルン。)が音を外す。やっぱり出番もバカみたいに多いし、1回1回のフレーズ自体も難しいのだろう。1楽章のトランペットのF管によるソロ、教授が吹いていたが、探りながらやっていた。VPOの教授にしてあの難しさ、といったところなのか。マーラー先生、お人が悪い。 
 
 指揮は続き、昂奮の坩堝とはいえ、さすがに、ちゃんと最高に盛り上がる部分で盛り上がってくれて(2回めのハンマーの後です。)、3回めのハンマー(削除)で英雄は倒れるのだが、ラストの刺殺的衝撃で、じつは英雄は倒れたのではなく逆に敵を倒したのではないかという見方も出来て、ここにカタストロフによる救いが発生し、悲劇的などという名前を破って棄てたくなる。あのハンマーは、マーラーがこうむる敵の攻撃であると同時に、マーラーが攻撃(反撃)するおおいなる剣の一打でもあるだろう。
 
 だから、この6番は悲劇であると同時に勝利でもある!!
 
 などと考えて、ますます昨夜の思い出に浸っております。マーラーっていいなあ。ルイジ渾身の6番は、本人も満足したにちがいない。拍手もオケが去るまで鳴りやみませんでした。


7/9

 ストラヴィンスキーをいろいろ買いました。

 スヴェトラーノフ/ソビエト国立交響楽団 ペトリューシュカ 春の祭典
 クリュイタンス/フランス国立放送交響楽団 ナイチンゲールの歌(全曲)
 マルケヴィチ/日本フィハーモニー交響楽団 春の祭典
 
 なんとまあ、スヴェちゃんのペトリューシュカが発見されたそうで、嬉しい悲鳴というか。聴いてみましたが、驚きです。驚きの演奏です。スヴェトラーノフの特徴、つまり重厚だとかテンポが遅いだとか迫力満天だとか、なんだとか全開で、バレー音楽というより、まるで重交響曲のように響く。39分ものペトは初めて聴いたかも。まあ、第3幕までは、ちょっとテンポが遅くて、管弦楽の鳴らし方が低音や中音をスヴェちゃん流にブカブカ鳴らしつつも、ソロや室内学的な部分は繊細にやるといった名人芸を味わえるが、第4幕が異常な遅さ! おそらくテンポは倍近くに引き延ばされ、どうせ踊らないのなら、とことんこいつがヴァーチャルな世界だという事をわからせてやろう、という大将の赤ら顔が目に浮かぶ。これはクレンペラーをも超えている!!
 
 春の祭典は前に別盤でも出てましたが、何回聴いても、こいつもすごいロシア流な演奏で、バレーじゃねえなあ。(笑) これで踊ったら、本当に死んでしまいそうだ。

 ☆です。既に☆のハルサイと相まって、ダブル☆の驚天動地のアルバムじゃよ。

 ナイチンゲールの歌の全曲版の録音は、これで私は2種類めでしょうか。意外と少ない。やっぱり第2幕からがとても面白い。全曲を聴いておくと、交響詩の方も、より面白いので、お薦めです。個人的には主役のナイチンゲールよりも、「チンペー!」 が口癖の内大臣や、「叫ぶように」 口上を述べる日本からの使者が、笑かしてくれて好きです。

 日本の天皇から献上されたメカバードの音形(オーボエ)、いかにもって感じで、好きだなあ〜〜。

 マルケヴィチのハルサイの入手ははこれで、7種類めで、おそらく現在発売されているやつは全種類制覇でしょう。たぶんですけど。

 何回聴いても、どのオーケストラで聴いても、すごいなあ。もう、グリット、ゴリット、もう、これでもか、あれでもか、スヴェトラーノフとはまたちがう意味で充分にロシア流なのですが、こちらは本家本元のバレーリュスの指揮者、これなら踊れそう、そういう演奏です。

 日フィルの技術がさすがに、同時代のフィルハーモニア管とかスイス・ロマンドに比べると落ちますが、ワルシャワ国立響といい勝負かも。

 金管よりもむしろ、打楽器の音が凄いのがこの人の特徴。これほどの迫力は、ただ打ち鳴らせば良いってものじゃないです。火山の噴火みたいに地の底より響くバスドラム。落石のようなティンパニ。すなわち、これぞ
大地の音!! 

 空気を振るわす、生命根源の音です。それこそ、春の祭典を聴く喜び!!

 普遍的なバランス良い演奏も良いですけどね。
 
 オマケで、1963年初来日のリハーサルの模様が収録されています。そっちのほうが凄いというのが凄い(笑) ☆。

 ストラヴィンスキーベスト、変わってます。(ペトリューシュカ) 


7/8

 地元にチェロの林峰男が参りまして、行ってきました。
 
 チェロ 林峰男
 ピアノ 江崎昌子

 プログラム 
  ベートーヴェン ユダス・マカベスの主題による12の変奏曲
  バッハ 無伴奏チェロ組曲第5番
  ショバン バラード第1番(ピアノ独奏)
  ショバン ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」(ピアノ独奏)
  フォーレ エレジー
  ショパン 序奏と華麗なボロネーズ(ローズ編曲)

 アンコール
  サン=サーンス 白鳥
  黛敏郎 文楽
  グラナドス 曲名不詳(ガリシアの踊り? マドリガル? 聴きとれませんでした。)

 いやあ、室内楽はふだん滅多に聴かないので、たまに聴くとすごく新鮮でした。ベートーヴェンのマカベスの変奏曲は、有名との事でしたが、はじめて聴いたし、もちろんバッハの無伴奏もナマでははじめて聴いた。ピアノも上手でしたし、フォーレも良かったなあ。はじめて聴いた。(笑) ほとんどぜんぶはじめて聴きましたですよ。ええ。ふだん室内楽は聴きませんので。白鳥はまあいいとして、文楽がですね、本来、アンコールピースではぜんぜんない曲ですが、主催者のたっての願いで、特別に演奏されました。得した得した。こんな曲、田舎じゃ滅多に聴けないぞ。感謝感激。グラナドスの曲はギターを模したやつで、曲名が分かりません。本当は会場で売ってるCDを買ったらサインしてくれるのを、家からヨハン・デメイのカザノヴァ〜チェロと吹奏楽のための〜をもって行ってずうずうしくもサインをねだったら、「珍しい曲をもってるねえ〜」 と快くサインしてくれ、舞い上がってアンコールが何の曲か聴くの忘れた。
 
 


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