デュカ(1865−1935)


 寡作家として有名なデュカ。デュカスは英語読み。

 デュカ、管弦楽曲「魔法使いの弟子」がとにかく高名だが、それ以外でも、バレー音楽「ラ・ペリ」と、交響曲ぐらいしか、オーケストラ曲では、無い。まったく寡作家の代表選手であり、そして、そういう人にかぎって、くだらない作品はぜんぶ捨ててしまっているので、非常に出来がよかったりする。


交響曲 ハ調(1897)

 デュカの交響曲はまったくフランク流で、40分前後で、堂々たる3楽章制、そしてヴォリューム感たっぷりのもの。循環形式化どうかは、ちょっと不勉強で分からない。自身のラ・ペリに通じる色彩感はさすがの出来で、近代フランスの流儀をも自分の物としているし、しかも、オネゲルにも通じる構築性、つまりフランクの中のドイツ性ともいえるが、そういう確固たる部分も、非常に土台・屋台骨・梁としてしっかりしている。現在残っているデュカの作品群の中では、若い部類の作曲になる。
 
 アレグロソナタ形式の第1楽章は、なかなか複雑な音形の主題がいきなり絃楽で響き渡る、軽快さと重厚さを併せ持つもの。それをオーボエが気分を換えて受け継ぎ、絃楽によって哀愁に満ちつつ小洒落た第2主題が登場する。第2主題の伴奏が、第3主題として金管に登場する。その金管の色彩的なパッセージが、魔法使いの弟子(交響曲の翌年に参曲)の作者なのだと認識させてくれる。

 速度を落としかけ、第1主題から展開部に入る。じっくりと第1主題を変奏した後、第2主題も展開される。ここらへんの展開は、自由奔放というよりは、オスティナート気味に執拗だ。第3主題は、展開しないようである。再現部では、全ての主題が短く順番に再現される。コーダでは速度を増しそのまま突き進むと思いきや、テンポを落として気分を変える心憎さ。その部分の幻想的なこと(笑) だが、すぐに音楽は豪華な空間を導き、大団円。

 大げさではないが堅実に盛り上がって、非常に充実した時間の流れを感じさせてくれる1楽章だ。やはり、オーケストレーションがさすがにうまい。
 
 2楽章アンダンテ・ソナタ形式は、1楽章と同等の規模をもつけっこう大きめのアンダンテで、エスプレッシーヴォ(表情を豊かに)の指示がある。こんな音楽を楽譜の通りと無表情に演奏してはいけない。どんどん、微妙に変化させてゆかねば。
 
 ホルンの導入から、絃楽による息の長い感傷的な旋律(第1主題)を、絶妙に支える管楽器。合いの手も美しい。このオーケストレーションの妙よ。管絃が旋律と伴奏を巧みに入れ換えたりもする。
 
 第2主題では、緊張感ある朝の音楽のような、狩へゆく朝というべきか、ホルンの特徴ある呼びかけが、一編の音画になっている。伴奏の部分が、なんとなく印象派っぽいが、構成的にはフランク流で印象派と一線を画している。そもそも印象派と呼ばれる人々は、交響曲なんか書かんもんね。
  
 主題は提示された側から展開されて行く。途中、低音が不気味に響き、嵐がくると思いきや、燦然たる行進曲となって、燃えます! しかしそれも一瞬で、また音楽は何か憂いるような曲調となる。北欧っぽい響きでもあるし、ワーグナーっぽい響きでもあるし、そして友人だったドビュッシーの響きも少しある。その誤、主題が再現され、静かに終結する。

 やや長いが、とにかく、美しい楽章である。
 
 3楽章ロンド形式は景気のいいアレグロであり、1楽章のようなどこか深刻な部分はない。これは交響曲の王道だろう。
 
 いきなりラテン系(南アメリカのラテン音楽という意味ではない)のノリになるのがうれしい。冒頭からウキウキしたホルン、ファゴット、チェロにより第1主題。それらが何度か繰り返され、絃楽器による跳躍的な、おどけた第2主題。それが進んだ後、低音からせり上がってきた第3主題。盛り上がりが落ち着いたところで第4主題が絃楽器に現れる。ロンド形式によりそれらの主題が何度も現れては消え、少しずつ形を変え、次第に盛り上がって、一気にコーダへ。王道中の王道をゆきつつ、その独特の音楽造りと職人芸的なオーケストレーションが、魅力の音楽と云える。
 
 デュカの交響曲は知る人ぞ知るといったものだが、メジャーになってもおかしくない内容。少なくとも、デュカをディズニー映画のBGM作曲家にしておくのは、勿体ないというより、もはや侮辱である。

 もっと録音があっても良い、1級品の交響曲です。




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