フランク(1822−1890)


 ベルギー人のフランクは、学生時代からパリで過ごし、ドイツ式の作曲技法とフランスの精神を合わせた妙音を聴かせる玄人好みの作曲家。なかでも晩年の作であるこの交響曲ニ短調は名高い。ほとんど無名の日曜作曲家でオルガン奏者だったフランクが、今日まで音楽史にその名を残すことになったのは、じっさい、この交響曲の存在によるだろう。


交響曲ニ短調(1888)

 3楽章構成で、以後、伝統あるフランス式のシンフォニーは彼へ習ってか、3楽章制が多い。その場合、中間楽章が、スケルツォ楽章と緩徐楽章を包括した複合三部形式であることが特徴の1つ。

 やや大きい2管編成だが、オーケストレーションは渋い。重く、構成的で、色彩や直感に欠け、綿密に構成されており、そのあたりはドイツ式の味わいを持っている。循環形式を採用しており、全体に同じかやや展開されたテーマが繰り返され、統一感を出している。

 ブルックナーに境遇が近いかもしれないが、オルガン奏者としての実力が管絃楽にも活かされ、また影響され、全体にどーんと重量的な存在感がなんといっても魅力だ。それは、やれバレエだ、演劇だ、オペラだ、ピアノ曲だと、ともすれば軽薄な芸術にあふれがちなフランス音楽界にあって、重鎮、要石のごとき存在感を示している。
 
 第1楽章、ソナタ形式。重苦しく、深刻な長いレントによる序奏から、アレグロに続く。バーンと出現する雄々しい、いかにも短調ですといった深刻的第1主題と、静かにシンコペーションぎみで流れる第2主題の性格付は完全にドイツ式。ご丁寧にリピートで冒頭から繰り返される。

 いよいよ展開部へ至り、第1主題から分かりやすく順番に攻めてゆく。とにかく怒濤の展開で、劇的交響曲ばりの、荒々しいドラマ。オルガン奏者だったフランクは確かにオルガン的な響きを念頭にオーケストレーションしているのだろう。その意味でも、ブルックナーと相似する。展開の頂点でまたも第1主題。すると再現部か? いや、そのまま展開されているからこれは循環なのだろう。第2主題も続いて現れる。そこからコーダへゆき、一気に終わる。やはり再現部だったのか。

 重厚かつシンフォニックに約20分を要するのは、確かにやや重いかもしれない。またいわゆる印象技術派の曲とは似ても似つかぬ音楽に、フランスっぽくないと感じる人もいるだろう。だが、実はこれこそが正統な、以降熱烈なフランキストを生み、3楽章制の交響曲こそがフランスの伝統だと云わんばかりに3楽章制の交響曲を生み続けた、「フランスの交響曲」の元祖なのだ。

 アレグレットの2楽章は緩徐楽章とスケルツォが合わさったもので、中間部がスケルツォ。といっても、静かなもの。全体に、もの悲しい雰囲気が漂っている。これはもちろん次への布石。
 
 イングリッシュホルンの暗いテーマから、第3の循環主題が姿を見せる。オーケストラにそのテーマは引き継がれ、時折イングリッシュホルンがテーマを再現(循環)する。中間部はテンポややを上げ、スケルツォ相当の部分だが、激しいものではない。むしろ、ひっそりとしている。スケルツォというのも、こじつけなのかもしれないというくらいである。最後は、転調によりやや調子の明るくなった循環主題が登場して、そこから最後の幸せな雰囲気となって楽章はしめられる。

 続く3楽章は派手やかなアレグロ。歓喜の爆発という、典型的かつ伝統的なシンフォニーの様相を呈している。とてもすばらしい、まさに交響曲のひとつの形といった素敵な音楽。

 低絃を主体した疾走より、輝かしくオーケストラが爆発する。これが第1主題。金管楽器の柔らかな合奏。これは第2主題だという。そのテーマは絃楽器へとテーマは続く。ところが、一転して調子が序奏の暗いものに戻り、第2楽章のイングリッシュホルンのあの循環主題が現れる。芸が細かい。

 しかし真に細かく、かつ豪快なのはここから。

 展開部では第1・第2主題だけではなく、これまで登場したテーマが入り乱れ、カット、反転、切り貼りとあらゆる手段を駆使して扱われる。ブラームスも真っ青である。イングリッシュホルンのテーマは金管に引き継がれ、堂々と変身してしまう。しかし、それらの変換は分かりやすく、これまでのテーマが次々に現れる様は圧巻。

 そして、怒濤の終結を迎える。

 さて、この素晴らしい交響曲は、どういうわけか1889年の初演は不評で、この伝統的な音楽の何が当時のフランス人の耳に不愉快だったのか、イマイチ想像がつかない。どうも、音楽院の教授で、オルガン演奏家としてはまあまあの名声を得ていたが作曲家としてはまるで素人扱いであったフランクの交響曲、というだけでもうダメダメだったらしい。さらに評伝によると、

 「あれが交響曲? 交響曲にイングリッシュ・ホルンを使うなんて、私は聴いたことがない……」
 
 「なんと陰気な音楽……。雅趣も魅力も愛嬌もない」

 などと、なんだか最初から悪意ある聴衆だったようである。

 作家本人は、思ったとおりの音が鳴ったと喜んでいたとか。

 循環形式ということで、同じ旋律が何度も出てくるため(新しい旋律も出てくるが)全曲がうまくひとつにまとまっている。いわゆる統一感がある。ラストの壮大なエンディングは、なかなか良いですよ。あと、転調好きは存分に転調を楽しんでほしいw

 初演は不評でも、名曲はちゃんと残る。






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