メシアン(1908−1992)
同じ南仏生まれでもこの人は感覚が独特でどちらかというと熱帯と同じ太陽光を発する。優れた作曲家であろうが個人的には感覚と理論に過ぎ乖離している。出てくる音楽もドギツイが敬虔で乖離している。作曲家というより優れた音楽の先生というイメージである。でろりの美(岸田劉生)に通じていて私の趣味ではない。
交響曲が1曲だけあり、20世紀音楽のしかもシンフォニーとしては異例の再演率を誇るだろう。無調無拍・セリー主義のゲンダイモノが苦手な人も、この独特の理論による官能的と称される響きに魅了される人は多い。
しかし自分は「星々の血の喜び」だけで充分(笑)
むかしはけっこうハマって、CDもたくさん集めたのだが、一時期より急に聴くのが苦痛になってほとんどぜんぶ手放してしまった。聴いていてイライラする音楽はやはり聴かぬほうが良い。
この人の音楽には闘争というものが無い。敬虔さと愛しかない。ように聴こえる。その意味ではブルックナー流だと思う。私は闘争の無い交響曲には興味が無いし、あっても参考程度である。感覚的に美しいがどこか猟奇的な臭いがして、気持ち悪い。
けしてティンパニが無いから聴かないのではない(笑)
トゥーランガリーラ交響曲 〜ピアノと大オーケストラのための〜(1948)
あえてオンド・マルトノについては置いといて(笑)
さらにメシアン独特の作曲技法(例えば前から読んでも後ろから読んでもリズムの変わらない非可逆リズム)も、この項の趣旨ではない……そのようなものはもっと専門書でも参考にしていただき……すなわち単純にどんな曲なんだという事を私なりに明快にする。
全体として無調だが、楽章によっては調性があり、また瞬間的に調性が現れる部分があるため、聴きやすい。またリズムに特徴があってオスティナートのように不思議なリズムが強調されるため、特にリズム楽章は記憶に残る。
10楽章70〜80分にもなる大曲で、クーセヴィッキーの委嘱で1946作曲が開始され、1948年に完成。1949年にボストンでバーンスタインによって初演された。
解説によると、10楽章はただ並んでいるのではなくそれぞれ明確に構成的意味を持ち、
第1楽章 序章
第2楽章 愛の歌 I
第3楽章 トゥーランガリーラ I
第4楽章 愛の歌 II
第5楽章 星々の血の喜び
1楽章から5楽章までは前半で、両端楽章が2・3・4楽章をはさみ、さらに2・4楽章「愛」の歌で3楽章の「トゥーランガリーラ」をはさんでいる。
第6楽章 愛の眠りの庭
第7楽章 トゥーランガリーラ II
第8楽章 愛の展開
第9楽章 トゥーランガリーラ III
第10楽章 フィナーレ
6楽章から10楽章までが後半で、同じように両端楽章が7・8・9楽章をはさみ、さらに7・8楽章の「トゥーランガリーラ」が前半の逆で「愛」の展開をはさんでいる。
……だからといって、聴いている分にはよく分からないのだが。いちおう、そういう事らしいです。
激しいリズムと印象的なテーマ。オンド・マルトノのヒヨヨヨヨ〜〜という音色とドギツイ金属打楽器にけばけばしい和音。これだけでもう、この交響曲の大部分を語っている。そして対照的なピアノの静謐で官能的な主題。エロイ。エロすぎる。ここは、主題提示楽章である。木質打楽器の東洋的な演出。諧謔的かつ猟奇的なピエロと見せ物小屋の軍団によるマーチのような部分。第1楽章・序奏は、怪獣映画と純愛サスペンスをまぜこぜにしたような、なんとも面白い不思議な音楽である。オンド・マルトノと、シンパルとバスドラで集結する。
第2楽章では愛のテーマが登場する。はげしい欲情に導かれ、オンド・マルトノが艶やかに歌い上げる。このほわぁー〜ほわぁー〜というアタックのハッキリしない独特の音色は、どこかなよなよ・くねくねした細く白い少年がベッドに横たわっている様を思い浮かばせるかどうかは分からない。それへうるさいリズムを伴ってピアノがむしゃぶりつく。なるほど、暑苦しい、頽廃的な愛の歌だ。執拗な激しい雄叫びが最後を彩り、食べ尽くす。一種の提示部楽章だろう。
次は短い緩徐楽章であり、トゥーランガリーラの主題となる。トゥーランガリーラのテーマは総じて短い。木管がヒヨヒヨと静謐なテーマを奏で、やがてオンド・マルトノを伴って重々しい主題が登場する。伴奏は不思議なオスティナートである。絃楽にテーマを譲り、また木管が現れる。終始、木質や金属の打楽器が多層的なリズムを刻む。それらが順次、繰り返される。浮遊感漂う、宇宙怪獣ドゴラのような音楽。
愛の歌2ではリズムが激しくなり、盛り上がってまたオンド・マルトノの官能テーマ。そして延々と不思議リズムちゃんと不思議ダンスを踊るのであります。この狂ったように後打ちしてる木魚なんとかしろwww
ちょっと序奏のテーマが鳴りかけて、きれいなピアノが尻を拭う。
第1部のシメは星々の血の喜び。ここをクドクドで演奏しても面白いが、サラッと優雅にしても良い。ここは非可逆リズムの祭典でもある。ハルサイへのオマージュのようにも聴こえるほど、すべての楽器がリズムをひたすら刻む。血液の讃歌であり、キラキラ感が満点の星の屑でもある。ここのラリラリっぷりは当曲随一であり、どんどんリズムが詰まってきてハイテンションが極まって行く技術は素晴らしい。ここだけずっと聴いていたい気分になると、もう脳から何かがタレ流れている証拠でもある。集結部も絶頂感が気持ちいい。
さて、第6楽章は最も緩徐楽章的であり、瞑想の音楽に続く。時間としては長いが、1つのメロディーを繰り返しつつ静かに変容してゆくという形式なので、茫洋と音楽に浸る事ができる。それでも背後にはリズムが刻まれており、催眠のように聴く者を違う世界へと誘う。ピアノと木管と絃楽、それにオンド・マルトノ。浮遊感が凄まじいが、リズムが伸ばされているので、フワフワ浮いているというより、漂っている印象が近い。
トゥーランガリーラ2もまた短い楽章で、ピアノソロからトゥーランガリーラの魔術的なテーマが打楽器ソロを介して唱えられる。序奏の重々しいテーマも再現され、断片的に分解されたリズムとテーマが提示された後、バストラの一打が分断して中断する。
愛の展開においても、ピアノソロに第1テーマがからみ、様々なテーマが再構築されるが、中でもカンカンダンスを彷彿とさせる一瞬が面白い。これまでの愛の楽章のテーマの集大成であり、展開部の最後の部分とも云える。最高に盛り上がって、愛は地平に達する。最後に何故か金管のテーマとヒヨヒヨと打楽器乱舞が帰ってくる。なんで?(笑)
ペトリューシュカにも似たピアノソロを経て、金管と重打楽器が衝撃的に楽章を閉じる。愛はどうなってしまったのか。
トゥーランガリーラ3ではトゥーランガリーラのテーマが間奏曲的な扱いをされる。オスティナートでひたすら静かにテーマを繰り返すがその集中力と執拗な進行は不気味さすら感じる。
フィナーレでは一転明るい調に移ったテーマが激しく奏でられる。ピアノ絃楽により主要テーマが進行し、オンド・マルトノや金管、木管も立ち代わり入れ代わりで激しく乱舞し絡み合った後、みんなで仲良く昇天してしまう。それがどこまでもソフトで、デロデロしている割に、変に健康的を装っているのがまた憎い。
綿密な楽章間のやりとりが特徴的で、巨大な組曲を内実的にも融合したタイプの「交響曲」といえる。リズムや移調も然る事ながら、交響曲そのもののまったく新しい技法を開発しそれで1つの成果を出すのは極めて難しい仕事であり、超1流の芸術家の証左でもある。また序奏によるテーマが何度も展開されて登場し、フランク流の循環形式にも似た構造なのも興味深い。
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