シュミット,フロラン(1870−1958)
 

 ドイツ系フランス人で、同じF.シュミットにフランツ・シュミットがいるというややこしさ。こちらはフランスのシュミットさん。

 純粋なクラシックとしては、残念ながらどちらのシュミットもマイナーと言わざるを得ないが、吹奏楽出身者としては、断然こちらのフロラン(フローラン)のほうが高名で、それは吹奏楽曲「デュオニソスの祭」が日本の吹奏楽界では超高名だから。

 作風は超ロマン派と言ってよく、色彩的な管弦楽法がいかにもフランス風だが題材や音楽のつくりがドイツ風の重厚さと構築性を備えており、膨大なスケールと意次元的な交錯をもって聴くものへ迫る。

 また作曲ジャンルも多く、吹奏楽から室内楽、管絃楽、交響曲、合唱と幅広い。

 交響曲では、実質ピアノ協奏曲の「ピアノと管絃楽のための協奏交響曲」、交響曲「ジャニアナ」、第2交響曲とある。調べた限りでは、CDになっているのは協奏と2番で、協奏のほうは入手しづらいようだ。


第2交響曲(1958)

 シュミットの絶筆であるこの最晩年の作品は、ミュンシュによって初演され、既に仏楽壇で確固たる地位を築いていた老作曲家を聴衆がスタンディングオベーションで讃えたという。

 フランス伝統的構成の3楽章制で、約25分。各楽章は同じような時間的規模で、きれいに三等分されている。

 木管の短い動機から、細かな動機が導き出され、親しみやすくも複雑なオーケストラがアレグロで奏でられて行く。フロラン・シュミットらしい豪奢な響きで進み、第2主題のどこか陰とした優雅さも流石。やがてそれらの急緩の音楽が見事に融合してさらに複雑な音響を造形される。低音と高音の短く激しい動きは、デュオニソスの祭と同じ味わい。再び優雅な旋律が現れ、短いコーダに到る。

 2楽章はレントから始まる。牧歌的、かつ官能的ともいえる主旋律を様々な動機が彩るが、それがシュミット流のでろでろしい不気味さ。低音のうごめく様子、旋律が上昇して行くエロティシズム、なんとも言い難い頽廃さだが、ツェムリンスキーほど濃厚ではない。それは、そうは言いつつもまとわりつく現代的なドライな響きと、色彩感がそうさせるのだろうか。

 3楽章は一種狂騒的なアレグロ(アニマ)だが、基本、旋律はむしろ調性。あまり速くないちょうどいい速度で音楽は空騒ぎを挟みながら主旋律が優雅に流れる。あくまでも老作曲家の手練のワザが随所に光っている。最後までシュミット流なのが凄い。

 個人的には、さすがに交響曲というだけあって、また最晩年の枯れた味わいというのもあり畏まった調子で、他のバレー音楽のような爆発力に欠けるが、シュミットらしい輝きは失われていない。だがデュオニソスの祭などの作品と比べると物足りなさも残るだろう。








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