金井喜久子(1906−1986)

 
 日本女流作曲家の魁に間ちがいは無いであろう、沖縄出身の民族作家、金井。旧姓は川平(カビラ)で、琉球王朝の学芸奉行の家柄ということです。名前は聴いたことはあったが、音楽ははじめて聴いた。もっとも、作品集は、いまのところ、1970年にレコードで出た童謡集の復刻や、ピアノ作品集、吹奏楽集しかない。管弦楽作品集の登場を待たれる作曲家であろう。

 その童謡集やピアノ集もたいへんに良いのだが(中でも「ひめゆりの塔」が胸をしめつける。)特徴は、日本最初期の純民俗楽派であるということ。つまり、沖縄旋律の使い手であり、クラシック音楽に沖縄旋律を取り込んだ重要な第一人者となっている。
 
 残念ながらその功績はいまは忘れ去られているようだが、沖縄・琉球音楽ブームの偉大なる魁でもある。沖縄にはプロの交響楽団が2001年まで無かったのも、復興が遅れている原因のようにも思える。CDの解説によると、管弦楽作品には、交響曲第1番・2番 管弦楽曲「琉球の印象」 琉球舞踊組曲第1番・2番 バレー音楽「宮古島縁起」 あと、歌劇「沖縄野物語」 吹奏楽のための祝典序曲「飛翔」 合唱のための「すばらしき沖縄」などがあって、どれもこれも聴きたくてたまらない。

 キングから出ている童謡集に、交響曲第1番の初演の模様が収録されている。また同じくキングからはピアノ作品集、またスリーシェルズからは吹奏楽・室内管楽作品集が出ている。徐々にではあるが、復権されつつある。


第1交響曲(1940)

 金井の学生時代の勉強作品で、1940年の完成とある。
 
 3楽章制(4楽章はピアノ・スケッチのみで断筆。)で、残念ながらというべきか、当時の先生が呉泰次郎というドイツ音楽の権化のような人だったようで、弟子にも厳格なドイツ・ロマン派風の作曲を義務づけたとのこと。つまりこの1番交響曲には、金井特有の民族楽的資質はまるで見られない。
 
 とはいえ、これは習作ではあるが、金井の実力を聴きとるには充分の出来。なにより主題の発想と展開の方法、それにオーケストレーションが上手で、これらが上手ならば、交響曲の1つや2つは、傑作かどうかは別にして、自動的に書けてしまうわけです。交響曲とは、本来、そういうある意味セオリー通りの作曲が美徳なジャンルだったから。
 
 1楽章はアレグロ マノントロッポでいかにもドイツロマン派的。もちろんソナタ形式。8〜9分ほど。ティンパニの轟音を伴った重厚な第1主題が序奏無しで登場し、その展開がしばし続く。第2主題はテンポを変えてセオリー通りにゆるやかなもの。それらが激しい転調を伴って、まったくソナタ形式の決まり通りに集結する。

 佳作というか、テストならばかなりの優秀作といったところ。

 もちろん、前進制、当時の流行りなどは微塵も見られず、新古典主義というわけでも無く、つまらない古典的作品の焼き回しという印象も受けるが、よほどの天才は別にして、学生が基本をおろそかにしても始まらない。こういう基本曲の1つ2つを書けずして、何がオリジナリティーか、という意見もあるだろうと思う。金井自身はそういう厳格な古典形式で作曲することに対しかなり不本意だったようだが、破棄されているわけでも無いし、金井の作曲技法の原典を知るという意味で、やはり重要なのではないか。
 
 2楽章は3分ほどの短いアンダンテで、メンデルスゾーンあたりを彷彿とさせる。やや暗げで陰鬱な主題が印象的。
 
 3楽章はロンド形式のアレグレットで、4分弱。主題は4つあり、微妙に発展しながら順次繰り返されて行く。解説によると順番は以下の通り。ABCADABCAコーダ。

 ロンド形式は似たような旋律が入れ代わり立ち代わるので、個人的にはどうもつかみ所の無い音楽です。マーラーの5番や7番の終楽章が高名な例でしょうか。

 4楽章は未完でピアノスケッチのみ残っています。キングレコードより出ているピアノ作品集にて聴くことができます。

 残念ながら現在聴けるのは初演の模様を記録した昭和15年の(関係ないけどこの年は皇紀2600年で各種の記念演奏会が目白押し)戦前の歴史的録音のみで、かなり聴きづらい。音質的には「最悪」の部類に入り、私のような特別な邦人ファン以外は、聴くに耐えられないと思います。作曲者指揮、中央交響楽団。中央響は、現在の東フィルだそうです。
 
 第2交響曲は沖縄旋律全開らしいので、早く他の諸作品と共に、蘇ってもらいたい作曲家の1人。もちろんこの1番も、最新の録音で聴いてみたいです。
 
 邦人作家は、そんな人ばっかりだけれども……。
 
 ちなみに初演のときはお客さんから「ぶらぁあヴぉ!」とお声がかかっています。
 
 当時の聴衆がこういう音楽を求めていたのならば、師匠として、ちゃんと食って行けるよう、弟子に少なくともこういう音楽も書けるようにしないとダメだという呉の気持ちもあったのかもしれない。完全な自己表現も大事だが、芸術家とて、食ってゆかなくてはならないのだ。


 しかし、完全なる沖縄方言はまるで外国語であり、アイヌ語にも匹敵するものだと感じた。かつては琉球王国という外国、あるいは合邦日本の構成員の1国だったのだから、そういう現実をもっと踏まえて、広義の日本を考えてみれば、大和民族がどうのこうのという狭くてくだらないナショナリズムも少しは和らいで(これこそ真の大和!?)、大きな発想力も生まれてくると思うのだが。だいたい、日本人のミトコンドリアDNAの97%が、大陸系、半島系、北方ツングース系、南方ミクロネシア系で占められるというのだから。

 日本民族とやらが、他の国とちがって、大昔のアジア中からの移民の子孫だというのがよく分かる事例ですね。いわゆる同じ民族でこれほど容貌の異なる民族もいないですので。

 だからといって現代にほいほい移民を受け入れる余裕はありませんけども(笑) 難民ならまだ人道的根拠はあるでしょうけど。




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