長生 淳(1964− )
60年代生まれより、交響曲の項の日本人作曲家がガックリと減る。アメリカや北欧あたりでは意外と書かれているのだが。
長生は吹奏楽作品がメインだが、オーケストラ曲も書いている。室内楽や編曲も多い。若いころは大河ドラマ「琉球の風」も手がけた。
長生の唯一の交響曲は、吹奏楽のためのものになる。このジャンルとしては30分に近い大作で、作家の力量が現れている。特にポリフォニックな書法とオーケストレーションはかの三善晃も褒めているもので、偶然の産物ではない。
急−緩−急の伝統的な3楽章制で、各楽章と交響曲全体に作者の想う所があるようなので引用しつつ、紹介したい。なお、詳しくは資料が無いが、1996年のCD企画のための委嘱なので、そのあたりの作曲のようだ。
交響曲(1996)
全体として作者が思い描いたのは「命の流れ」であるということだが、それほど大げさなものではなく、日常的な生活の中にもそれは息づいている、と解釈したい。各楽章とも、形式は自由なものであるようだ。3楽章制。
1楽章、不協和音も伴いつつ、上昇系の激しい旋律が創生のテーマになっているとのこと。続いて静かな部分に入り、次第に「生命」のテーマが顔を出す。小さい動機が各楽器で増殖する様子は微生物が分裂して行く様か。松村禎三にも通じる手法である。動機の増殖がしばし行われ、じわじわと主部アレグロへ突入する。これがなかなかカッコいい。増殖部分へ戻り、展開部のように少しずつ変奏されて行く。テンポや拍子が激しく入り乱れ、楽想はカオスへ突き進む。コーダは無く、生命が
「思いがけない災厄」 で打ちのめされて唐突に終わる。
2楽章、哀歌であり、緩徐楽章。打たれた小さな命の、しかし、強くしぶとく生き残る様子。大きくは自然破壊への警鐘でありつつ、小さくは、例えば我が家のペットのデメキンが、ぶつかって目玉が破れたにもかかわらず、自力で治ったこと。各種楽器のソロが見事な楽章。
冒頭のオーボエのソロから、哀歌が始まる。このソロは既に無調的で(完全な無調ではないと思う)乾いた世界を示しているような気もする。ソロはフルート、クラリネット、サックスと続いて、かつそれらが複雑に入り組む。少しずつ近刊も入ってきて、全体に緊張感を伴って盛り上がる。透明感があって非常に美しいが、単なるきれいな旋律を垂れ流すアダージョじゃない。
3楽章は生命讃歌。苦悩から歓喜へ。破壊から再生へ。ありきたりだがベートーヴェン以後の交響曲の王道中の王道を行く。軽やかなアレグロから始まってワルツも飛び出し、祝祭的な気分で生命の謳歌する様が描かれる。ところが、作者も思いも寄らなかったようだが、ここでも1楽章と同じく、悲劇が予感されて音調は悲劇的なのもとなる。生命はやはり、人間のせいで滅びなくてはならないのだろうか。中間部でテンポはアンダンテほどとなり、停滞するが、後半はまたアレグロとなる。ここが激しく、打楽器も鳴り響いて複雑なリズムを演出する。音調もなかなか現代的。そして激しい不協和音と共に、唐突に終わってしまう。
生物の絶滅速度、自然界の1000倍。すべからく、我々人間という「生物」の仕業である。
非常に密度が濃く、細かな動機の構成力に富む。美旋律がたらたら続いて40分も50分もあるようなものではない。
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