レイエラント(1870−1965)
マーラーとほぼ同世代の、ベルギーはフランダース地方の作曲家、ヨーゼフ・レイエラント(英語読み?でリアランドという表記も)は、ぐぐってもかのWikipedeiaにも何も出てこないマイナーな人で、かろうじて英語版のウィキに短い情報があった。濃厚なドイツ・オーストリア的ロマン主義を継承しつつ、フランクやドビュッシーなどのフランス流にも影響を受けたようである。ナチス時代はベルギーでなんとかという音楽院の長をやっており、逆らって迫害も受けたが、かなりの長寿を全うした。
第4交響曲−合唱とオーケストラのための(1913)
6曲の交響曲のうち、1曲は破棄されたようで、番号つきで5番まであるうち、規模が最も大きく、かつ合唱入りである4番の録音がある。4番は50分になる4楽章制の音楽で、全編に渡りグレゴリオ聖歌から主題が採用され、むしろ温厚な作風となっている。
第1楽章はレント−アレグロの正統派。グレゴリオ聖歌からとられた主題による金管吹奏から怒濤の幕開け、短い序奏を兼ねたレントのシリアスで重厚、かつ神秘的(明らかにワーグナー的)な音調からアレグロへ突入する。劇的だが、刺すような刺激は無く、あくまで平和の中の擬似闘争である。第2主題はやや陰鬱な牧歌的情景を思わせる。全体に響きのスケールはたっぷりと大きいが構成的にはむしろ古典的で、展開部も(マーラーっぽく)豪快に膨らむが、やりすぎずに、しっかりとソナタ形式でまとめている。時間配分も10分少々と妥当な第1楽章。
2楽章はアンダンテ・ソステヌートで緩徐楽章になる。低音金管が廃された軽やかな情景が続く。祈りと信仰の日常生活を描いた味のある絵画のようだ。後半では、機能和声を極め尽くしたような当時のドイツ・オーストリア音楽へのアンチテーゼとしての中世の旋法による素朴でどこか懐古的な主題によって、離れたところに配置されたテノール(合唱)が「キリストに倣いて」という中世の書物からの引用を少しだけ歌う。なんとも神秘的で無垢、そして敬虔な雰囲気が出ている。盛り上がりに欠けるが、そのぶん、時間配分をわきまえていてこれも10分ほどで終わる。ダラダラしない。
3楽章は通常ならスケルツォ楽章が配分されるだろうが、レント−モデラート・マ・コン・モートで、6分ほど。音楽としては、舞曲風の動きのあるもので、穏やかなスケルツォと云えなくもない。3部形式だが、1・2楽章の主題も使われており循環形式を成す。終結せず、アタッカのように消え去って4楽章になる。
4楽章がこの作家の個性で、20分近くになる長大なフィナーレだが、趣が異なっている。つまりここで混声合唱が大々的に加わり、まるで宗教曲のような音楽が繰り広げられ、とても交響曲の終楽章には聴こえない。序奏の後、金管の高らかで清らかなファンファーレがあり、合唱が輝かしく「クレド」(我信ずる)を歌う。それから静謐なオーケストラのみの部分に移行し、室内楽的なもっとも繊細で静かな部分になる。アレグロになるとまた合唱が現れる。完全にカンタータかミサ曲であり、バッハかハイドンを思わせる。壮大な(ただし、あくまで穏やかでハデすぎない)盛り上がりは、私はやはりマーラー的な世界を感じる。
じんわりとした良さや味わいが、心を穏やかにしてくれる。滋味溢れるといった印象の1曲。
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