トゥリーナ(1882-1945)


 当サイト掲示板において、GOLDさんよりご紹介いただいた。

 近代スペインを代表する作曲家の1人。セヴィリアで画家の家に生まれ、幼少時より故郷とマドリードで音楽を学び、両親は薬学の道へ進ませたかったとのことだが音楽の道へ進む。既にマドリード時代の歌劇「スラミタ」が評価を得、23歳の時にパリのスコラ・カントールムへ留学。ダンディに作曲を、モシュコフスキにピアノを学んだ。ドビュッシーやラヴェルの知遇を得て、影響を受ける。フランクにも形式的な影響を受けたようである。同じくパリへ留学していたファリャとは親友、盟友の間柄であった。

 1914年、留学を終えスペインへ帰国。作曲、音楽評論、教師として活動を始める。1931年からはマドリードの王立音楽院で作曲科教授に就任。

 作風は一貫して民族主義的で、アンダルシア地方の民謡を取り入れた。ピアノ曲からオーケストラ、舞台音楽、室内楽、ギター曲、歌曲と、幅広い分野で作品を残した。また、教育理論や作曲論で重要な著作も残したという。
 
 政治的にはノンポリを貫いたため、フランコ政権とも妥協して付き合った。そのため、戦後はファシスト協力者としてタブー視されたこともあったが、現在は再評価が進んでいる。その点、フランコ政権に反発してアルゼンチンへ亡命したファリャと対照的である。

 標題交響曲が1曲ある。


セヴィーリャ交響曲(1920)

 3楽章制で演奏時間は20分ほど。全体的に形式感が薄く、交響詩のようでもある。故郷セヴィリア地方の様相を色濃く繁栄した民族楽派交響曲。

 各楽章には副題がそえられている。

 第1楽章 パノラマ
 第2楽章 グアダルキビル川に沿って
 第3楽章 アズナルファラーチェの聖体祭

 霧のむせぶ冒頭から、木管の民族的旋律。やがて人々がめざめ、喧騒がやってくる。舞踊が始まり、南欧の太陽や独特のけだるさが漂ってくる。衝撃的な総奏から、ゆったりとした、雄大な光景が広がる。後半は雄々しいリズムの太い旋律が現れ、グッと盛り上がる。それが静まるとソロヴァイオリンが短く鳴り、冒頭の主題が再現される。終始舞踊的旋律の狂詩曲的展開に彩られ、形式感は無い。やがて日が沈み、素晴らしい喧騒は消えて行く。

 第2楽章は、まずソロヴァイオリンが優雅で物憂げな旋律を奏でる。それを木管などが短く彩り、情熱的な愛の囁きは続く。続いて陽気な旋律が弦楽を主体に現れ、収まっては対照的な物憂げな旋律と交差する。するとソロヴァイオリンの旋律をスペイン音楽お得意のコーラングレが拾い、弦楽へ渡す。ソロヴァイオリンも引き続き歌って、カスタネット登場。スペイン物にカスタネットは、やはりキターーーー!(・∀・)! という観がある。だが、あまり降り上がらずに、サッと流れて終結部へ。ここでも夜が訪れ、みな眠りにつく。

 第3楽章は祭。ファンファーレより祭が始まる。上品な佇まいが良い雰囲気を醸しだすが、爆発的な喧騒さは無い。シンバルの一打から、いよいよ行列が始まる。冒頭主題の展開が終わると第2部? になる。第2主題が現れ、優雅な印象を聴くものへ与える。冒頭のファンファーレが変奏され、終結へ向かう。煌びやかなオーケストレーションが心地よい。打楽器も豪快に、大きく盛り上がって行く。コーダはまるで映画音楽のような大団円。

 やはりファリャに比べると、同じような題材にも関わらず荒々しさが無く上品に過ぎて、イマイチ盛り上がりに欠ける。構成に音楽的「突破」が無い。情緒的な美旋律が流れているだけ。そういう音楽というのはあるが、やはりスペインの祭を主題としている部分では、聴衆の期待もある。境遇やフランコ政権への協力がどうの以前に、いまいちメジャーになりきれない理由はそこかも。かと言ってファリャそっくりでも、それもそれで二番煎じだ。この上品さが、トゥリーナの個性であり、愛でる部分だろう。そもそもカトリックの重要な祝日である聖体祭自体が、民衆の祭のような大騒ぎをしないのかもしれない。







前のページ

表紙へ