ホルスト(1874−1934)


 日本でも(そしておそらくイギリス以外の世界中でも。)組曲「惑星」以外、まッッッたく知られていない作曲家。グスターヴ・ホルスト。

 確かにですね、正直なところですね、多少惑星以外も集めてみましたが、惑星がダントツに面白いです。惑星以外は、どいつもこいつも、恐るべき地味度で、かつ幻想趣味です。
 
 吹奏楽ファンにはしかし、ミリタリー・バンドのための組曲が1番と2番あり、これがまたイイ曲なんだけども、作品の質的に100%の評価が与えられているかといえばまだまだ。吹奏楽愛好家にも、古い、かんたん、飽きた、あんなの中学生がやる曲だ、扱い。クラシックファンの間ではそもそも聴いたことない。聴いたけどあんまりパッとしない。
 
 ぜんぜんダメだ!!

 1組も2組も最高の音楽。同じ民謡派でも、RVWのイギリス民謡組曲より私は好きだな。民謡チックな、ホルストオリジナルメロディーもあるそうですよ。特に1組が不世出の出来で、永遠の名曲だ。惑星と並ぶ。あんな素敵な音楽はそうはない。

 まあ、それは置いておき、ここは交響曲の項だ。あるんですね〜。探してみるものです。

 秘曲を2曲、紹介したい。


コッツウォールド交響曲(1900)

 作品番号8の初期の作品。

 惑星が32だから、かなり前。正式には 交響曲ヘ長調「コッツウォールズ」となる。コッツウォールドとは地名で、ホルストの故郷もこの地方に含まれる。したがって、心の故郷を想い描いた習作といえる。24歳の作品。

 はっきりいって大して面白い曲ではないが、2楽章は特別に「エレジー〜ウィリアム・モリスの想い出に」と題されていて、白眉。ウィリアム・モリスとは産業革命花盛りの時代に昔ながらの手工芸の良さを再認識する運動「アーツ&クラフト運動」のリーダーで、ホルストはその人の講義を短期間ながら受けていたのだそうだ。交響曲の楽章を思い出に捧げるぐらいだから、よほど感銘を受けたのだろう。機械的なものの象徴ともいえる12音がじわじわと台頭してきた時代にV=ウィリアムスと共に田舎で民謡を採集して歩いた彼らしいエピソードだと思う。


第1合唱交響曲(1924)
 
 作品41。

 交響曲とはいっても、全編に混声合唱とソプラノ独唱が響き、むしろオケの出番は少ない。マーラーの8番の伝統を受け継いでいるが、あれをイメージするとまったく裏切られる。リズム感はあえて否定されて、ハデな部分はほとんどスケルツォのみ。霧の中で聴こえてくる魔物の音楽のようだ。

 PRELUDE:INVOCATION TO PAN
 SONG AND BACCANAL
 ODE ON A GRECIAK URN
 SCHERZO
 FINALE

 と、5つの詩による5楽章構成ともいえるが、続けて演奏されるので5部構成ともいえる。なにより、フィナーレはまったく盛り上がらない。茫洋とはじまり、茫洋と消えてゆく。
 
 ホルストは合唱好きで、作品が多い。だけでなく、複雑な音響を書く。こんな作品ばかり聴いていると、まったく惑星だけが突出して例外的な作品に思えてくる。惑星の系統で面白いのはバレー「パーフェクトフール」からのバレー音楽ぐらいだわいな。吹奏楽もたくさんあるけど、組曲以外はまるで地味。

 だからこの人は本当は地味な人で、そんな地味な作風の中にデーハーなものが反証的に存在するのだなあ、と自分で納得するためにも、ぜひ一聴をおすすめする。
 
 第2はない。


オマケ

未完成交響曲より「スケルツォ」(1934)

 ホルストは死ぬ間際、己の叙情性を廃した禁欲的な作風へ見切りをつけ、温かみのある音楽というものへ偏りだしていたという。それで、初期のコッツウォール交響曲以来ウン十年ぶりに、純粋なるシンフォニーを書こうとしていたのだが、このスケルツォ楽章を残して世を去った。

 複雑を極めるリズム感に、素直なメロディーが耳につく。このテクスチャーで他の楽章(アレグロ、アダージョ、またはフィナーレ)が書かれていたならば、それはそれは素晴らしい、ホルストの最高傑作になっていたに間ちがいないと、地団駄を踏む作品。
 



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