リード (1921−2005)
 

 アメリカはどうかしらんが、日本においては吹奏楽(ウィンドアンサンブル)の王者として確固たる地位を築き、風格をたたえ、神にも等しい伝説の持ち主、アレフレッド・リード博士。(その実はただ人のいいじいさんらしいです)

 我輩の学生時代はコンクール会場でもブカブカ鳴り響いていたなあ、などと感慨ひとしお。さいきんは、かつてほどの勢いはないようですが。
 
 しかしわたしは、リードの音楽は、ハッキリ云って駄作の集合体だと思っている。分かりやすい、親しみやすいを名目に、クズみたいな音楽を量産している。特に演奏会用の序曲。涙が出るほどつまらない。くわしくは吹奏楽の項にもあるのだが……。

 それはそれで良い部分もあるのだが、吹奏楽を管弦楽のワンランク下に置いている一因であるのにもちがいない。また、アメリカと日本の吹奏楽事情のちがいにもよる。アメリカでは初心者用の易しい音楽が求められる。
 
 しかし、そんな中で、何曲かは、これがまた実にイイのがあるんです(笑)

 エルサレム讃歌が、リードの中でわたしは最も好む作品。そして、シンフォニー。あとエルカミね。
 
 交響曲は、他のオチャラケタ作品群に比して、異様にシリアスなのがまず第1の特徴。なんと音列技法も使われているし、無調のように響く部分もある。かといって、わけのわからぬゲンダイオンガクというわけでもない。そこはリード一流の旋律美が愉しめるし、演奏技術も群を抜いて難しい。


金管と打楽器のための交響曲(第1交響曲)(1952)

 リードの初期の大作。3楽章制で、なにより、木管がのぞかれており、金管バンドのためのシンフォニーということになっている。ナンバーは無いが、次の交響曲が2番なので事実上の1番。
 
 堂々たるファンファーレに始まり、1楽章は急緩急の3部形式。アレグロが異様にカッコイイです。中間部はリードくさいアンダンテ。
 
 2楽章も3部形式で、ラルゴ。各楽器にメロディーが受け継がれてゆき、打楽器がそれを彩る。

 3楽章はロンドの短い曲。ラテンのリズムで、タムタムが活躍するため、ポピュラリティもある。なかなか楽しい。

 金管だけといっても色彩感をぜんぜん欠いてないのが凄いトコロ。また20分近い大曲でもあります。


第2交響曲(1977)

 さて、2番は1楽章制の20分ほどの作品だが、3つの部分に別れているため、3楽章制といっても良い。そういう意味では、リードの交響曲はすべて3楽章制となっている。

 なんと12音技法。音列に基づいているのだが、旋律としてはけっこう聴きやすいのでご安心。それの変奏による1部のレント。2部はアレグロで、行進曲ふうだが、変拍子が複合しているあたりがけっこう現代的。3部になり、曲はいよいよクライマックス。複雑なテクスチャーが織りなす大ウィンドアンサンブルの饗宴が静まると、冒頭の雰囲気に戻ってアーチ型に締めくくるという芸の細かさ。
 
 リードの交響曲の中では……。いや、リードの全作品の中で、おそらく最もシリアスな曲。


第3交響曲(1988)

 他の曲にもにも通じる、打楽器を伴ったリズム部、レロレロとうねる木管、豪壮な旋律(たいていシンコペーション)担当の金管というパターンのなんとも重厚なリード節のペザンテではじまる3番交響曲。「ふつうの」管弦楽作品になんら劣ることのない見事なウィンド・オーケストレーション。本気と書いてマジ。マジになればできるじゃないですかリード博士!

 続くアレグロの緊張感はショスタコーヴィチにも通じる。(云いすぎ。)

 ペザンテが再現されて2楽章へ。

 2楽章はワーグナーの「ポラッツィの主題」に基づいた変奏曲だそうで、それまでの緊張感がドッと抜けないでもない。

 3楽章はまたしかし、よく対比されていて、面白いアレグロ。ファンファーレにはじまり、映画音楽みたいな感じか。途中の打楽器アンサンブルからの展開〜シンコペーションふう旋律によるフーガ〜もすっげえリード(笑)

 終結も、とっても俗っぽいのはご愛嬌。サンダーバードか!

 そういうのがまたリード節です。


第4交響曲(1992)

 4番はエレジー・インテルメッツォ・タランテラと、純表題ふう。その通りの音楽が展開してゆくが、演奏技術は難度E。エレジーのような静かな音楽は、リードはどれこれも同じような間の抜けた響きがして、聴いてるこっちはあくびが出るのだが、この先鋭な第4の1楽章はあくびなどしている暇はない。2楽章は一転して艶やかな間奏。このなんともいえぬ和音とほのぼのとした旋律もまたリード節全開なのだなあ。ワルツも登場する。

 3楽章になり、またもや一転。タランテラ形式による情熱的な舞曲。全菅打楽器がくんずほぐれつして作り出す響きの妙は、管弦楽では味わうことのできぬ、ウィンド・オーケストラを聴く醍醐味。 


第5交響曲「さくら」(1995)

 日本の洗足学園の委嘱による。リード音楽人生52年間の総決算ともいえる作品だそうです。

 よほど日本における音楽活動が重要な側面を成していたのだと実感。なんといっても、ずっと日本と関わりがあり、日本の吹奏楽の発展に言葉ではいいつくせぬ貢献をしてきた。

 1楽章は地味にシロフォン好きのリードがやはりシロフォンに託した響きというものを聴いてしまいます。

 しかしまあ、第2があんなにシリアスだったのに、どんどんポピュラー化していってる嫌いがないわけでもない。特に2楽章……これって日本人が聴くから、チンケに聴こえるのかな? 外人が聴いたら、ファンタスティックでミスティックになるの?

 「♪さ〜く〜ら〜、さ〜く〜ら〜」

 うーん、この……(笑)

 民謡旋律が昇華しているというわけでもない。童謡だしなあ。私は微妙でありますが、悪くはない。かも。最後のほうは変奏曲のようになっているし。いちおう。

 3楽章は再び威勢のいいアレグロとなって、急−緩−急の典型的展開。最後はジャンジャカジャンって感じでおわって、とても聴きやすくて最高にカッコいいのだけれども、どうも第5は、演奏効果がメインになっている。

 これが総決算なら、リードはやっぱりこういう音楽が本筋なのですね!


 すべて急−緩−急の構成による伝統的な作曲技法。リードもやはりかなりの保守派というわけです。
    
 ところで、アメリカの作曲家は本当に交響曲好きで、オーケストラの他に、吹奏楽のためのシンフォニーもやたらとある。バーンズとか、なんだとか、1曲だけではあきたらず、何番何番と、1人で何曲もある。そこは、ヨーロッパの(吹奏楽)作家とは意識が異なるようだ。

 スパークとか、ヴァンデルローストとか、日本で馴染みのヨーロピアン吹奏楽作家も、交響曲は、まだ1曲ずつ。しかも、表題作品である。純粋にシンフォニーというジャンルには、何かしら抵抗があるのか。そこはそれ、かつて交響曲の帝国だったヨーロッパの風土というものなのかもしれないですね。



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