バーンズ (1949−  ) 


 アルフレッド・リードと並び、日本の吹奏楽界に多大な貢献をしているジェイムズ・バーンズ。アメリカの作曲家では、日本吹奏楽界におけるこの2人の貢献度は群を抜いて大きい。
 
 彼もまた、ウィンドオーケストラ編成のためにシンフォニーを書いていて、その数も2017年現在で8曲におよぶ。そして、後記するが、どちらも記念すべき第5番が日本の委嘱により日本のために書かれているのが興味深い。全体的な特徴としては、響きも手法も古典的で12音など使われておらず、とても聴きやすい。それでいて、とても斬新な独自の響きを研究するのに余念がない。バーンズ節を確立している時点で、大家である。


第2交響曲(1981)

 録音があるものでは、2番からっぽい。カンサス大学バンドの指揮者フォスターの指揮者就任10周年を祝って作曲された。全3楽章で20分ほど。吹奏楽の交響曲として非常によい出来だと思う。
 
 1楽章、エレジーはソナタ形式により、性格的には両方とも緊張感あるものだが、模糊とした第1主題、速い第2主題と、明確に分けられたふたつの主題による。冒頭からしっとりとした金管低音部による主題が序奏めいて始まり、速度を上げながら輝かしく第2主題を導く。第2主題は木管により明るいもの。アレグロの展開部では、ややエキゾチックな風味がするのも、既にバーンズだ。第1主題も戻って展開され、対旋律も面白い。盛り上がりもうまい。そこから小経過部を経て、展開部は静かにコーダへ向かい、終わる。12音技法のリードと比べても、調性的でとても古典的であり、聴きやすい。

 2楽章、ヴァリアチオーネ・インターロッテとは、変奏曲のことであり、スケルツォ楽章と変奏曲楽章が合体したもの。短い前奏と後奏がスケルツォふうで、その間に楽しげやら緊張的なものやら、リズムと音色が主体の5つの変奏が入っている。まず、木管でおどけた調子で始まるのが序奏。速度がアップして第1変奏。高い音で激しい諧謔風。ホイッスルも入る。第2変奏も音調を変えて、低音主体にこれも諧謔風。第3変奏ではテンポを落とし鐘も鳴って、レクイエム風に。第4変奏は再びテンポアップし、しかしひそひそした雰囲気で。第5変奏ではやや歪んだ讃歌。すぐに終わる。前奏と同じ調子が戻って、後奏となる。

 3楽章はフィナーレ。ファンファーレから始まり、続くどこかジョン・ウィリアムスふうの映画音楽チックな金管合奏がカッコイイ。これはなんと第1楽章第1主題より発生しているというから、なんともシンフォニックな展開だ。シンセサイザーによるピアノも登場。展開部へ。こちらの展開部も変奏曲風にファンファーレ主題を展開してゆく。三度ほど明確に変奏し、フィナーレの、テーマによるフガートはなんとサックス軍団。すばらしく豪勢な終曲であり、聴きごたえがある。若々しくて覇気があり、凄くよい作品。


第3交響曲(1994)

 ベートーヴェン大先生ののち、交響曲は音楽の曲種を超えて、作家の内面的テーマや、オペラのようなストーリーや、自然描写などを表現する無敵の表現媒体となり、マーラーの云うところの「すべてを含んでいる」音楽と(良くも悪くも)なった。
 
 第3番は、バーンズが直面した第1子と第2子の続けざまの夭逝という苦悩と、それを運命と受け止め、せめて明るい未来へ向かって歩むという、私的なとても重いテーマ性をもっていて、内容もそれへ応えるようにたいへん充実し、そこらの吹奏楽曲とは一線を画している。
 
 ティンパニの悲劇的で運命的な連打より、低音のうめきではじまる今交響曲は、それだけで尋常ならざるおののきを聴くものへ与える。続けられるオーボエやファゴットの苦悩の旋律を彩る金属打楽器が悲しさを強調する。やがて悲劇のテーマは全合奏によって表現されて、アレグロとなる。その後、悲劇の主題はフルートに受け継がれ、再び嘆きの炎が燃え上がり、静かに消えて第1楽章は終わる。今交響曲の白眉ともいえる楽章。
 
 2楽章はスケルツォで、マーラー的な錯綜と諧謔をもっている。全世界の尊大とうぬぼれを表現している。

 3楽章のレントは、作曲前に亡くなった娘へのオマージュ。もの悲しい曲調が、またなんとも痛々しい。最後は、天国への娘へ向けての挨拶のような響きを迎え、またしめやかに幕をとじる。
 
 4楽章のフィナーレは、作曲後に生まれた第3子への生命讃歌ともいえるすばらしい歓喜の音楽で、特に金管の充実した響きと前へ前へと突き進む心地よいリズムが、バーンズ節でたいへんよろしい。木管の活躍する中間部をはさみ、バーンズ得意の吹奏楽用序曲のようだ。光り輝くコーダと集結和音で一気呵成に終わる。

 吹奏楽だからといって、交響曲という曲種はまったく輝きを失せることはない。またそう云わせるすばらしい出来。


第4交響曲「イエローストーン・ポートレート」(1999) 

 元来吹奏楽曲だった第3楽章を管弦楽とし、それへ管弦楽で1・2楽章を追補して第4交響曲は書かれた。したがって、この4番は「オーケストラのための」ということになる。しかし、そこは吹奏楽の大家バーンズ、これをそっくりそのまま再び吹奏楽用に編曲して、第4交響曲の正式なナンバーとした。

 オーケストラが Op103a 吹奏楽が Op103b となる。
 
 イエローストーン国立公園は、たしか世界初の国立公園であり、いまもってアメリカではナンバーワンの観光スポットである。公園といっても3つの州にまたがる非常に大きいもので、日本ものとはスケール感がちがう。

 第4交響曲はその国立公園を描写する3楽章から成っている音楽で、

 1楽章「イエローストーン川の夜明け」
 2楽章「プロングホーン・スケルツォ」
 3楽章「インスピレーション・ポイント」

 という標題が冠されている。音楽は、まあ、とりあえずその標題とおりのものと考えていただければよいだろう。2楽章のプロングホーンとは鹿に似た草食獣で、時速90キロで走ることができる。狼を退治しすぎて、増えすぎ、国立公園を食害したのはたぶんこいつ。3楽章では公園内の壮大な滝や峡谷の印象。

 残念ながら、こういった特に自然の情景を描写する音楽では、吹奏楽では管弦楽に一歩劣る。なぜなら、物理的に楽器の数が少ないからだ。もちろん、劣らない楽曲もあるが。
 
 この4番交響曲も、吹奏楽版でもぜんぜん悪くないが、元来オーケストラ用である作曲技法が使われているので、木管のどう聴いても弦の流れるような場面とかも、ちょっと無理がある。
 
 個人的には、秀作というところ。


第5交響曲「フェニックス」(2000)

 陸上自衛隊中央音楽隊の委嘱により、バーンズ5番目のシンフォニーが完成した。バーンズは戦後、日本が戦争の疲弊とまさに灰塵に帰した町並みの中から現代の繁栄をなし遂げた姿を不死鳥の伝説になぞらえ、交響曲第5番へフェニックスの名を冠したのだった。

 これはバーンズの最高傑作のひとつであるばかりでなく、あらゆる吹奏楽のための交響曲の中でも特に突出しており、ふつうの現代交響曲としても、なかなかの力量を誇っているといえる。吹奏楽編成で45分もの大曲というのは、そうそう聴かせられるものではない。なぜなら、吹奏楽はその編成上の弱点として、音色的に和音が単調で、音調として響きに飽きがきやすいためだ。そのため、吹奏楽曲においての作曲では、そのへんを常に注意して作曲しなければ、たちまちヘボ曲となってしまう。

 第1楽章「悲歌」において、重々しい葬送行進曲とアダージョより音楽がはじまる。ここはまるで戦争の悲劇を憂うる音楽であり、ショスタコーヴィチに通じる。

 しかし戦争そのものの描写ではなく、日本やその進撃の犠牲となった人々、そしてアメリカ軍の兵士たちへの、墓碑銘であるという。行進の後に木管による長い悲歌が歌われて、やおら、アップテンポの悲劇性のテーマが現れる。木管から金管へと続き、勇ましくも虚しいファンファーレは、我々は、ショスタコーヴィチの第8交響曲でも聴く事ができる。あくまでも悲惨な戦争を憂うための音楽であり、そう派手なものではない。

 2楽章はスケルツォだが、一転して華やかでにぎやかなもの。ここは奇跡の大発展を遂げた日本と日本人の精神力や活力を描写したものだそうで、日本の祭にも通じるエネルギッシュな音楽が聴かれる。3部形式で、川の流れのような止めどない旋律が楽しい。

 3楽章にはフランス語で白昼夢を意味する「レヴェリー」という副題がある。戦地おける兵士たちの望郷の念などを描いた音詩(トーンポエム)だそうで、英雄的な箇所もあるが、それは幻想で、悲壮的な響きの中に、名も無き兵士たちの無念やうらみが聴こえてきそうである。
 
 4楽章は未来へ向ける日本の姿と、不死鳥のごとく復活した日本の勇気と活力を讃えるバーンズの日本讃歌で、すばらしい感動のフィナーレ……と云いたいところだが、テーマが君が代からとられているので、君が代アレルギーの方は、聴かないほうがよいかと。なんで君が代? と思う方は、それだけで聴かないほうがいい。外人にとっては、なんで日本で君が代がそんなに賛否両論なのか、理解できないだろう。そういう人は、リードの5番「さくら」でも聴くのがいいだろう。特に中間部にはモロに引用がある。バーンズにとっては、彼が日本の「国歌」と認識している曲をただ礼儀として単純に取り上げただなので、誤解なきよう。

 気にしない人は、もう、バーンズの輝かしい音楽をぞんぶんに味わえる。


第6交響曲(2008)

 情報と資料不足で、どういう経緯のものかさっぱり分からないが、YouTube 等に出版社による参考演奏や日本初演の模様がアップされているので、聴くことができる。3楽章成で、25分ほど。

 ゆったりとした第1楽章。序奏的に平和的な讃歌がおおらかに歌われ、盛り上がる。この重層的かつすっきりとした凛々しい響きは、バーンズだ。そこから、オリエンタリスムな主題が木管により登場する。それを展開しつつ、アンダンテほどで推移する。たっぷりと展開は進み、東洋風主題が再現されるが、小展開も含まれている。音楽はアンダンテのまま続き、盛り上がって、やがて展開部後半へ。雰囲気が変わって夜のような音楽となり、ひそやかに主題が展開される。そしてそのままゆっくりとコーダへ向かって、静かに幕を閉じる。

 2楽章も緩徐楽章。一転して穏やかな雰囲気となる。木管の短い序奏から、ユーフォニウム系の温かみのある音色で明るい主要旋律を奏でる。まるで春の喜びを感じさせる音楽は、安らぎに満ちている。主要主題を木管で展開し、安らぎは続く。この楽章は短く、まるで夢のようだ。

 3楽章は一転して激しいアレグロ。緊張感ある打楽器と金管の雄叫びより始まる。まさに戦闘開始。バーンズ得意の雄々しい、進軍調のアレグロが始まる。伴奏の木琴含めた打楽器も激しい。東洋的な展開が一瞬みられるのは、1楽章の東洋主題の循環か。主題再現から展開部へ突入し、第2主題はこれも一転しておどけた調子に。その第2主題を1楽章のようにたっぷりと展開して、緊張感が戻って第1主題が再び展開される。それは、再現部を兼ねた展開部後半だと思う。一気にコーダへ吶喊して、ズパッと終わる。良い。

 落ち着いた雰囲気の、熟練の技術による純粋音楽という感じで、かなり好感。とかく、吹奏楽のための交響曲はよく分からない交響詩めいた表層的に派手な標題付が多いので。標題音楽がダメというわけではないけど。


交響的レクイエム(第7交響曲)(2011)

 これも情報と資料不足で詳細が不明ながら、アメリカの南北戦争(1961-1965)における高名な戦いのレクイエムであることが容易で分かる。つまりこれは一種の標題音楽で、各楽章には追悼する戦いが冠されている。4楽章制で、演奏時間は約30分。

 第1楽章:プロローグ(1862年4月:シャイローの戦い)
 第2楽章:メアリーズハイツ(1862年12月:フレデリックスバーグの戦い)
 第3楽章:ロングストリートの攻撃(1863年7月:ゲティスバーグの戦い3日目)
 第4楽章:アポティオシス(1865年アポマトックス・コートハウスの戦い)

 まず、各楽章の戦いを簡単に把握したい。Wikipedia でも見れば書いてあることばかりであるが。

 南北戦争はアメリカ最大の内戦であるばかりではなく、当時南部の州がアメリカ合衆国から「独立」してアメリカ連合国を作ったので、共にアメリカを冠する国家同士の「戦争」でもある。中学高校の世界史程度の知識でも、リンカーン大統領時代に、奴隷制に反対する北部と認める南部との戦い、くらいの認識はあるだろう。正確には、奴隷制も然ることながら保護貿易(北部)VS自由貿易(南部)の貿易制度をめぐる確執や、重工業(北部)VSプランテーション農業(南部)の経済構造の確執など根は深い。

 日本との関係では、1958年にペリー提督が来日して日本を開国させたアメリカが、幕末にはすっかり存在感を失って、主にイギリスとフランスがそれぞれ薩長と幕府に加担したのは、アメリカはちょうどこの南北戦争に突入していたため、日本なんかにかまう余裕が無かったから。また南北戦争終結で大量に余った武器が日本に流れてきて、戊辰戦争で活躍した。

 「シャイローの戦い」は、南北戦争初期の会戦の1つで、北軍のグラント将軍率いるテネシー軍がビューエル将軍率いるオハイオ軍と合流するのを防ぐため、ジョンストン及びボーリガード将軍率いる南軍がグラント将軍へテネシー州シャイローにて攻撃を仕掛けた戦い。1日目の攻撃で、グラント将軍は打撃を受けて撤退したが、南軍はジョンストン将軍が戦死、攻めきれなかった。2日目にグラント将軍とビューエル将軍が合流して反攻、南軍は敗北した。当時、その時点でアメリカ史上最大の犠牲者を出した。これにより北軍はミシシッピ州北部へ侵攻した。

 「フレデリックスバーグの戦い」は、北軍のバーンサイド将軍率いるポトマック軍と、リー将軍率いる南軍北バージニア軍が主にバージニア州フレデリックスバーグにおいて戦った戦い。真冬の進撃というバーンサイドの稚拙な作戦とその実行により、名将リーの護る南軍によって北軍が大敗北を喫した。

 「ゲティスバーグの戦い」は、南北戦争の激戦の1つで、この3日間大戦闘によって北軍の優勢が決定した。ペンシルヴァニア州ゲティスバーグは交通の要所で、ここを押さえれば補給が容易になり戦局が優位になる要所。6月ころよりじわじわと周囲で小競り合いがおき、7月にミード将軍率いる北軍とリー将軍率いる南軍との大規模戦闘が始まった。戦いは一進一退で3日間に及び、南軍ロングストリート将軍が攻勢をかけんとしたが、先手を打って北軍砲兵部隊がロングストリート軍を砲撃によって急襲、ロングストリート将軍は砲兵部隊へ攻撃目標を変えた。その後、リー将軍はロングストリート軍へピケット将軍の軍をつけ、北軍へむけて正面突撃を行わせた。高名な「ピケットの突撃」だが、遮るものの無い平原を1.2kmも並列進軍して、南軍の兵士はバタバタと狙い撃ちにされ、大敗北を喫した。ゲティスバーグは北軍の手に落ち、南軍の敗北が濃厚となる。

 「アポトマックス・コートハウスの戦い」は、バージニア州アポトマックス・コートハウスにて行われた、南北戦争最終決戦地。アポトマックス方面作戦の最後の戦い。南軍は既に継続的な戦闘が困難な状況に陥っており、この小規模な戦いにおいてリー将軍はついにグラント将軍へ降伏し、南軍の敗北が決定した。

 1楽章はホルンによるモノローグから序奏が導かれる。オーボエなどに引き継がれ、やがてバンド全体にそのテーマが展開されてゆく。アレグロになって戦闘開始。曲がレクイエムであるため、第1楽章は南軍のテーマではあるまいか。最初は攻勢だが、転調して雲行きが怪しくなる。後半で暗い曲調のまま盛り上がって、反撃により南軍が敗北した。

 2楽章は冒頭より重々しい雰囲気。既に冬の進軍の調子を聴くことができる。寒々しい音調が続く。悲劇的な展開となって、重苦しい進軍の様子が描かれる。やがて中間部にて雪が降るような凍り付いた空気の中、進軍ラッパが鳴り渡る様は、不気味だ。ここから、おそらく3楽章へアタッカで入っている。絶望めいた南軍の進撃か。平野をただ撃たれるためだけに行進する地獄。その後は、死屍累々の敗北の様子を聴くことができる。長い葬送行進曲による緩徐楽章。

 4楽章では、民謡のような、美しい歌から始まる。ここからは戦争の終わった歓喜の歌だろう。この歌謡旋律の緩い変奏で終楽章は構築されている。このまま、喜びの中で南北戦争終結の歓喜がはじける。

 音楽的には、特に深い描写も無く、鳴り物交響曲である。似たような交響曲で高名なものではショスタコーヴィチの11番や12番があるが、あれほどの規模や内容は無い。


第8交響曲(ヴァンゲンのための交響曲)(2015)

 由来が分からないが、副題というほどでもないがドイツ語で Sinfonie fur Wangen とあるので、ドイツのヴァンゲン(地方?)による委嘱か何かかと思われるが、よく分からない。とにかく、ヴァンゲンは日本語ではマニアックな旅行記があるくらいで Wikipedia はドイツ語のみ。かなり古い街並みを誇る村というか、地方だろうと思われる。 yahoo や googl のマップを見ても、シュトゥットガルトの近くのド田舎(たぶん)で、ゲッピンゲンの隣町。

 初演の模様を配信しているYouTubeに詳しい解説があるが、全てドイツ語なので、読める方はそちらをご参照いただきたい。4楽章制で30分ほど。

 1楽章アンダンテは12分ほどもあり、規模が大きい。深刻な響きから幕を開ける。特徴的なフレーズを繰り返して、オーボエにより悲劇的な音調の第2主題が提示される。その主題が繰り返されて展開する。展開部では冒頭の主題も扱われる。続いて木管が第2主題を展開して、盛り上がってくると第1主題も混じる。重厚な展開を続けて、時折エキゾチックな響きも混ぜながら曲は進み、静かなコーダへ至り終結する。

 2楽章はスケルツォで、3分ほどと短い。打楽器群も活躍する、軽快だが緊張感があるもの。派手な音調ではなく、密やかに進行する。特段3部形式でもなく、すーっと進んでゆくもの。

 3楽章も短い緩徐楽章で、5分ほどのロマンツァ。バンド全体でたっぷりと歌う、バーンズ節の楽章。最初、総奏でテーマを提示してから、ソロ楽器がしっとりと歌いだす。まさに黄昏時の美しさか。木管楽器がソロを受け渡しながら、感傷的な旋律を紡いでゆくもの。

 4楽章は10分ほどのフィナーレ。重層的なファンファーレから始まり、アレグロへ。フィナーレ主題を速度を上げて展開してゆく。バーンズ節全開でカッコイイ。中間部手前では音調がスケルツォめいて密やかになるが、すぐに盛り上がって、次にテンポが落ちて堂々とした厳かな雰囲気のアンダンテが現れる。アンダンテはしばらく続くが、打楽器によりスケルツォ部が再現され、アレグロへ戻る。再現部であり、小展開を施しながらコーダへむけて突き進み、テンポがいったん落ちてから一気にコーダへ突入して、終結部は派手やかに、しかしスカッと短く粋である。

 7番と比べても、いかにもバーンズ的な展開を持つ、むしろ純粋音楽的な、6番に近い作品。





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