マッキー(1973− )


 アメリカの作曲家、ジョン・マッキー。少なくとも70年代生れ以降の若い世代の作曲家が書いた交響曲は、本当に少ないが、アメリカとはいえ、人気曲が出てきているのは有り難い。マッキーは両親が音楽家だったが正規の音楽教育は受けずに育ち、祖父に作曲やコンピューターミュージックを独自に教わった、とある。そのため、マッキーは現在でも楽器の演奏はできないというが、ピアノも弾けないのだろうか。少しくらいはできると思うが、演奏家レベルではない、という意味だろうか。

 その後、音大へ進んでいるのだから、最低限、ピアノくらいはできると思われる。ジュリアード音楽院では、コリリアーノに師事している。日本で初演された作品もあり、注目されている。


バンドのための交響曲「葡萄酒色の海」(2013)

 テキサス大学にあるサラとアーネスト・バトラー音楽学校創立100周年記念委嘱作。3楽章制で、演奏時間は30分ほど。2016年あたり、日本でもさっそく、コンクールなどで演奏され、注目されてきているようだ。

 しかし、原題が Wine-Dark Sea:Symphony for Band あるいは Wine Dark Sea などとあり、日本語のありとあらるゆサイト……Wikipedia にCDショップや楽譜レンタルショップ、演奏したバンドのサイト、YouTube……をめぐっても、単に「ワイン・ダーク・シー」等としか無いので、困ってしまった。(2017年執筆現在)
 
 なに、それ!? である。みんな、不思議に思わないのだろうか。交響曲「ワイン・ダーク・シー」とか、ワインに関する曲かと思ってしまった。この激しい曲の何がどうワインなのか?

 無題なら、なんでもいい。しかし副題付の曲は、その副題の意図するところくらいは分からないと、正確な鑑賞はできない。この副題は、音楽の内容とたいして関係ない、でもいい。それが分からないと、意味がわからない。「聴衆に誤解を与える」のだ。

 もう、ぐぐりにぐぐって、アメリカのサイトの作者による解説もYAHOO翻訳でなんとか読んで、ようやくたどりついたのが、かのオデュッセイアによく出てくる「葡萄酒色の海」という慣用句であった。これは、ギリシャ語の原典を直訳すると「葡萄酒のような色の海」あるいは「葡萄酒のように見える海」なのだそうだが、英訳したアメリカだかイギリスだかの先生が、「Wine-Dark Sea」 つまり葡萄酒色の海と意訳し、それが定着したのだという。

 つまりこの吹奏楽のための交響曲は、オデュッセイアによる標題交響曲だった。そうなると、各楽章に関されているタイトルも、意味がわかってくる。

 ちなみに、「葡萄酒色の海」そのものは、どういうことなのか、現在でもよく分からないのだという。夕日に染まった海なのか、戦いによって血に染まった海なのか、それとも、豊饒なる海という意味の慣用句なのか、古代ギリシャ人は全員色弱だったのではないか、オデュッセイアの作者ホメーロスが色盲だったのではないか、古代ギリシャではワインを水で薄めて飲んでいたが、水に含まれる鉱物成分のためワインが藍色に変化したため、とか、諸説あった。

 第1楽章 傲慢

 正直、自分もオデュッセイアは読んだことは無いのだが、知識としては知っている。また Wikipedia でもなんでも、大意はネットでいくらでも調べられる。トロイア戦争で勝利したオデュッセウスがその帰還に際し、艱難辛苦を得て、10年にわたり海洋を放浪するお話し。遠大な叙事詩である。

 この第1楽章では、凱旋の暴力的なファンファーレがオデュッセウスたちを現し、勝利の帰還の最中の、略奪の数々が示されている。冒頭の雄々しい金管のファンファーレはしかし、英雄的であるがどこか暗い部分もある。それが、その後の漂流と放浪なのか、勝利の傲慢なのか。それから凱旋の行進曲が始まる。現代的なキャッチーなリズムが、いかにもアメリカ人が書いた作品に感じる。不協和音も厳しいが、作風としては分かりやすい新古典的なもの。

 後半では、オデュッセウス一行は激しい嵐に遭い、船団ごと漂流する。厳密なストーリーというより、イメージとしての題材という意味で、取り扱われていると感じる。オデュッセウスの漂流の旅のはじまりだ。

 嵐が収まり、静かな「葡萄酒色の海」が戻って、アタッカで第2楽章へ。

 第2楽章 儚い永遠の糸

 ここでは、話は飛びに飛んで物語の後半、艱難辛苦の冒険を続けているオデュッセウス一行が何度目かに辿りついた海の女神カリュプソーの島で、女神に一目惚れされ、漂流生活10年のうちの7年を過ごす。しかし、望郷の年は強く毎晩泣いてあかすオデュッセウスを守護神である戦いの女神アーテナーが哀れみ、カリュプソーへオデュッセウスを解放して故郷のイタケーへ帰すように諭す。カリュプソーは強く悲しむが、上位の神の言葉に従い、オデュッセウスは島を離れる。

 カリュプソーの愛の歌で始まる緩徐楽章。ハープが美しい。7年の間に紡いだ刺繍をほどいて、オデュッセウスの船の帆へ織りこむ。その糸は儚く、永遠である……。ハープが非常に重要な役割を担う。ハープを伴奏に、木管楽器が断続的に旋律をつないで行く。それは美しく、やはりどこか悲しげだ。中間部で大きく盛り上がり、感情のうねりが解放され、愛の叫びとなる。ついにオデュッセウスが水平線の彼方へ見えなくなってしまったのだろうか。音楽は静かに消えて行く。そう、「葡萄酒色の海」へ。

 第3楽章 魂の叫び

 オデュッセウスの旅は、まだ終わらない。まだまだ艱難辛苦が続く。カリュプソーの島へ到着する前に、かの単眼の人食巨人キュプロークス(サイクロプス)の島で、オデュッセウス一行はポリュペーモスというキュプロークスに捕まって食べられそうになるが、ワインを飲ませて酔わせ、その眼をつぶして脱出した。そのさい、ポリュペーモスは父神ポセイドーンへオデュッセウスへの復讐を祈る。

 そんなわけで、海神ポセイドーンの怒りを買ったオデュッセウスはその後も色々と嫌がらせを受けるのだが、ここでも嵐に遭って、オデュッセウスの船はひっくり返って海に投げ出される。

 あるいはまた、カリュプソーの島へ到着する前に、オデュッセウス一行は太陽神ヘリオスの島へ到着し、そこでも嵐に遭って出航できず、食料が尽きて、ヘリオスの飼っていた牛を殺して食べてしまい、ヘリオスの怒りを買って、ヘリオスは主神ゼウスへ祈り、オデュッセウスの乗る船へ雷雹を降らせて木っ端微塵にする。オデュッセウスの部下は全員死ぬ。

 そんなことばっかりやっているオデュッセウスであるが、この第3楽章では、そられの悲劇を複合的なイメージとしてとらえているように感じる。冒頭のおどろおどろしい雰囲気、オデュッセウスのテーマの変奏で次第に激しくなる音調は、やがて緊張感をもってオデュッセウスのファンファーレとカオスが入り交じり、その頂点で唐突に終結する。

 オデュッセウスの魂の叫びは、ここでは、まだ故郷イタケーへ到達していない。



 しかし、私ですらぐぐりまくったら1日でこれくらいは分かったのに、楽譜レンタルショップやCD屋、学校の先生などは、何の疑問も無く交響曲「ワイン・ダーク・シー」などと呼称して憚らないのは、如何なものかと思った。





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