デュティユー(1916−2013)


 舌かみそうな名前だが、2013に長寿を全うした。ブーレーズ、メシアンに並ぶフランス現代音楽の巨匠である。残念ながら前2者よりはマイナーだが、その作品はむしろ前2者より遙かに色彩的で優しく、美味しそうな色がある。デュティユーと比べるとメシアンはケバケバしすぎて胸焼けしそうになるし、ブーレーズはコンクリートみたいで味気ない。

 作品はそれほど多くないが、充実している。管絃楽作品も多数ある。パリ音楽院で和声を教えており、ドビュッシー、ラヴェル、ルーセルらの伝統を現代に伝える生き証人にして、近代・現代和声を独自に極めた達人である。交響曲は2曲、協奏曲が3曲(ヴァイオリンが2曲、チェロが1曲)ある。


第1交響曲(1951)

 デュティユーの交響曲は2曲あるが、両方とも若い頃の作品である。その後、交響曲を書いていないので、形式的な作品からは離れているのだろうか。4楽章制、30分ほどの、なかなかどうして古典的な外観を持つが、中身はより自由な音楽になっている。

 1楽章はパッサカリア形式をとる。とはいえ、完全に自由な形式で書かれたように聴こえる。茫洋とした中から低絃のピチカートが特徴的に響き、それが変奏の主題なのだそうで、各種の楽器がそれを繰り返してゆく。音調は自由で調性にとらわれず、しかし、調性音楽に聴こえる。無調だが音色は美しく、緊張感より官能性に富む。やがてスネアドラムが行進曲的に鳴り、アレグロに到る。銅鑼の一撃で鎮まっても、変奏は続くが、そのまま静かに終結する。

 2楽章はスケルツォ・モルト・ヴィバーチェ。いかにもドイツ古典的な音形をドビュッシー風の響きで料理した感じで始まる。三部形式で、スケルツォは6/16拍子という気ぜわしい木管に、襲いかかるような金管が面白い。速度は変わらず、ここは全体的に古典的な印象がある。

 3楽章は珍しく、インテルメッツォとある。間奏曲のくせに、それまでの楽章と同じ規模なのが面白い。レントで、実質的な緩徐楽章。無調ならではの、ベルクに通じる頽廃さが心地よい。夢幻の散歩といった風情で、最終楽章へ。

 4楽章はフィナーレ、コン・ヴァリアチオーニ(ヴァリエーション)。冒頭の不協和音と素晴らしいファンファーレの後、室内楽的な趣となる。その主題を変奏して行く。アレグロになったり、アンダンテになったり激しい。音色も自由自在で、ピロピロ木管からシリアス絃楽から、低音ガンガンピアノから、これは楽しい。打楽器も効果的に鳴っております。規模も大きく、これまでの楽章の2倍の時間をとる。終結部は、レントのようになって行く。というかなる。そのまま、消えるように全曲を閉じる。

 こういう終わり方が好きなのかね。


第2交響曲「レ・ドゥーブル」(1959)

 レ・ドゥーブルとは、英語でいうとザ・ダブル。で、何がどうダブルなのかはよく分からないが(笑) 管絃楽に室内楽が内包されているという意味でダブル(二重)らしい。全体にその意味では、合奏協奏曲なのだろう。

 3楽章制で、約30分。フランク以降の伝統的なフランス古典形式であるが、中身はもちろん現代的。音色と和声の魔術師たるデュティユーの、40代前半の気鋭さを聴かせてくれる。

 1楽章、アニマート、マ・ミステリオーソ。木管のミョーチクリンな動機に、ティンパニ独奏のリズムがなんとも。オーケストラの中の12人の奏者によるソロが様々に現れては消える中に、オーケストラが被さってくる。チェレスタやチェンバロの音色も面白い。ちなみに12人の室内楽奏者は、以下の通り。オーボエ1、クラリネット(変ロ)1、ファゴット1、トランペット1、トロンボーン1、クラヴサン1、チェレスタ1、ティンパニ、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1。クラヴサンとは、フランス語でチェンバロの事である。

 各楽器の現代的かつ古典的な音色の妙。管絃楽の見事なバック。デュティユーの本領発揮。

 2楽章はアンダンティーノ・ソステヌートで、緩徐楽章。茫洋とした乾いた音色が、春の祭典の2部冒頭を彷彿とさせる(ストラヴィンスキーって凄いな)も、より瀟洒で淫靡な雰囲気。そこらへんがケバイだけのメシアンとちがうところ。

 アレグロ・コンフォーコ、カルマートの3楽章。激しいアレグロで幕を開けるも、すぐにソロたちの饗宴となる。ここのリズムは本当にハルサイっぽい。関係ないかもしれないけど。短く動機を繰り返し、激しく火花を散らす。火のようなアレグロは、次第にカルマートへ(静かに、落ち着いて)へ行く。テンポは伸び、落ち着いて、瞑想的になる。伸びた動機の対話が、どこかユーモラスに繰り広げられる。明確な終結は無く、ひたひたと終わって行く。






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