ルーセル(1869−1937)


 子供のころから音楽的才能を示したが、当初、フランス海軍中尉を勤めていた。しかし健康を害してからは音楽を志し、スコラ・カントルムでダンディに師事。学生中に既にカントルムで対位法を教えるという才能っぷり。作曲を続けながら、教授も勤めた。弟子には年上だが優秀な生徒のサティ、またヴァレーズがいた。ドビュッシーら印象主義と、オネゲルミヨープーランクら六人組ら新古典主義をつなぐ世代であるとされる。交響曲は4曲あり、フランス伝統のフランク流循環形式と、サン=サーンス流の正統交響曲形式を合体させた重厚なものである。


第1交響曲(1906)

 標題交響曲っぽいが、「森の詩」というのは、そういう名でバレーに使われることがある、というもののようだ。だが、楽章には標題がある。この4つの楽章を通して、1年を表している。最初に3楽章「夏の夕べ」が書かれ、単一楽章の管絃楽曲として初演で好評を博したため気を良くしたルーセルが、これを第3楽章とした交響曲を思い立った。循環形式が用いられ、全楽章に共通する主題があって全曲を貫いている。3管編成。全体で35分ほどだが、4楽章が15分ほどあり、長大である。

 第1楽章は「冬の森」と題され、5分ほどで最も短い楽章となっている。通常、交響曲の第1楽章は最も重きを置かれ、ソナタ形式で 「管絃楽のためのソナタ」 たる交響曲の中核をなすのだが、こういうタイプではむしろ2楽章の序奏あるいは前奏曲的な趣と役割がある。とはいえ、ここでは、循環形式によって書かれているため、やはり楽章全体で提示部という扱いになるのだろう。
 
 明確な主題も無いまま、印象的な木管の導入に絃が彩りをそえ、少しずつ楽器が増えて行く。やがてオーボエがいかにも物憂げな、冬の旋律を奏でる。北風のような絃楽器のさざ波に乗って、トランペットとホルンの勇壮な主題が現れる。そのまま、静かに消え入る。

 第2楽章「春」では、その主題が展開される、アレグロの展開部に相当する。これもまた、いかにも春という鳥のさえずりを模倣した主題が冒頭から現れる。循環主題が現れ、明るく展開される。構成はドイツ式の堅牢なものながら、中身は実にフランス音楽の味に溢れている。中間部で高らかに循環主題が奏され、展開は頂点を迎えた後、高揚して終結する。

 第3楽章「夏の夕べ」は最初に書かれた単独楽章だったが、評価の良いのに機を良くし、交響曲に発展した基本の楽章。アンダンテ。これもまたいかにもけだるい、印象主義的な音楽で、夏の日差しがようやくゆるんでくる空気感がよく現れている。とはいえ、ハッキリ云って、かなりドビュッシーっぽい

 第4楽章「牧神と森の精」はもっとも充実したロンド形式だが、ABACABA' と動機が繰り返されるので時間が長い。牧神とか出てくるあたりで、やはりまだまだドビュッシーの影響の濃い時代の作品である事が伺われる。

 楽しげなA主題が何度も登場し、雰囲気を盛り上げる。B主題は緩徐的で、幻想的なもの。ゆったりとしたホルンから、またA主題に。そこからわりとすぐにハープの活躍する牧歌的、かつ神秘的なC主題に。そこから、再びA主題が陽気なステップを踏むが、徐々に展開されて行く。やがて現れるB主題は、大きく盛り上がる。Cの片鱗も現れつつ、A' 主題は1楽章の全体の循環主題が静かに登場し、1年が過ぎて全曲の感慨もひとしおに、静かに終わる。

 四季を通じる管絃楽曲では、グラズノーフのバレー音楽「四季」や、伊福部昭の交響的音画「釧路湿原」があるが、どちらも純粋な交響曲ではなく、表現としてバレーや映像音楽よりも苦しい交響曲の形式で標題的にそれをねらった面白さがある。


第2交響曲(1921)

 1番と同じく3管編成で3楽章制、演奏時間は40分近くという大曲であり、ルーセルの交響曲でも難曲な部類だそうで、循環形式も複雑に複数の主題で進行する。初演に先立ち、やはりいきなりそのような構成の難しい作品を一般聴衆に聴かせるのは憚られたようで、ルーセルは不本意ながら各楽章に 「標題のようなもの」 をつけている。

 1楽章 青年期の熱狂的な激しさ
 2楽章 壮年期の皮相的な喜びと深い感銘、そして感傷
 3楽章 悲痛、苦悩、反抗、そして彼岸の境地

 これは標題のようだが、標題でもなんでもなく、なんとなくそんな雰囲気に聴けなくもない、という程度であって、まさにマーラーの云うところの 「聴衆に誤解を与える」 ものなのだが、同じく理解(というか共感)されないのなら、あえて小難しい理屈でもつけておいた方が云訳しやすいのではないかという作曲家の本当に気苦労にすぎない。

 1楽章、9/4拍子の導入部は、確かに、かなり抽象的。管楽器主導で、重苦しく開始する。ここでは3種類の主題が提示される。悲劇的な音調で推移し、3/4拍子の主部アレグロ(ソナタ形式)へ突入する。木管による舞踊のような主題がまず現れ、金管も加わって緊迫感を増す。続いてホルンによる英雄的な、カッコイイきらびやかな主題。そのまま第2主題が展開されて行く。ここでは何故か第1主題が現れず、導入部の重苦しいデロデロしたモノが登場して、第3主題として展開される。これがなかなか面白く、変にドビュッシーくさい1番より遙かに(交響曲として)充実している。終結部は軽い。

 2楽章はスケルツォに相当するモデラート楽章。3部形式で、トリッキーな音形も現れ、小洒落ており、いかにもここいら辺の時代のフランス作品である。中間部は夜想曲的とあるが、なんたる頽廃的な夜www 幻想交響曲をリスペクトしてるのか。冒頭に戻り、速度が増しつつ(拍子が半分 6/8→3/8 で早く聴こえる。)も、あっさりと終結する。

 3楽章はアタッカっぽくつながる。またも導入部があるが、ここで(楽器や形を少し変えて)1楽章のデロデロした主題が循環されて再登場。テンポが上がり、循環主題が展開される。ここの展開は、個人的にはちょっと地味w 盛り上がりの途中でやおら静かになって、オーボエとフルートのソロがなんとも侘びた旋律を奏でるも、再びいきなり展開部の続きが襲ってくる。これから本当に盛り上がって、マーチ調となる。そのうち、展開も終結して、徐々に静かになり、また1楽章導入部の主題が再現というか循環され、眠るように終結する。

 どこが難解なのだか、理解に苦しむ、分かりやすく音楽的にも良い作品。しかし、セオリーから外れているという意味で、当時のお客が 「よくわかんない」 と、戸惑うかもしれないというのは分かる。


第3交響曲(1930)

 4曲中、最も完成度が高いと評価される3番。4楽章制で30分ほどだが、正統交響曲様式と循環形式とを組み合わせた濃密で緻密な管絃楽法がある。ボストン交響楽団創立50周年記念委嘱作であり、同作品にはストラヴィンスキーの詩篇交響曲、オネゲルの第1交響曲、プロコーフィエフの第4交響曲、(アメリカの作曲家)ハンソンの第2交響曲、ヒンデミットの弦楽と金管のための演奏会用音楽がある。

 序奏無しでいきなり勇ましくも不協和音たっぷりなマーチ調の主題が。それが落ち着くとフルートによる対照的な第2主題。模範的なソナタ形式。展開部は分かりやすく、その2つの主題が登場する。展開部の途中で唐突で妙に音の跳躍のあるな主題が金管で奏でられるが、それが循環主題として全曲に姿を変えて現れる。そのまま盛り上がって、短い再現部を経て一気に終結する。

 2楽章はアダージョ3部形式。木管が循環主題をこっそり吹いて、それから絃楽がたっぷりとその変奏を行う。途中、陰鬱なマーチっぽい部分となり、妙なフーガ(アレグロ)に突入する。複雑に発展して、1回、終結する。それから速度を落とし、アダージョの自由な再現となって、頂点で銅鑼なんかも鳴っちゃって大きく盛り上がる。その後、ゆっくりとなってまた循環主題が現れる。

 3楽章はスケルツォ(ヴィバーチェ)で、ワルツでもある。3部形式だが、全体に舞踊っぽく進行し打楽器も鳴る。楽しげで、機知に富む。3分ほどでサッと終わる。

 4楽章はアレグロ・コンスピリットで、ロンド形式。平易な旋律を難度の高い技術で処理をしている。第1主題は景気のいいアレグロで、第2主題は逆にしっとりとした絃楽の息の長いフレーズ。第3主題に循環主題を使用している。ロンドは解説によるとABA'CABAという典型的なもの。しかし、演奏時間的には6分ほどであり、かなり目まぐるしい。最後にAの動機がパーッと現れた後、循環主題が登場してジャン!

 全体にかなり仕事が細かいので、形式的な楽しみよりも純粋に音楽として楽しんだほうが良いと思う。ちょっと、私としては展開とか複雑な上に短く把握が難しい。


第4交響曲(1934)

 ルーセルの交響曲は全て3管編成の大規模なもので、それでいてゴタッ、ゴテッとしていないのが素晴らしい。特にこの4番は循環形式も陰をひそめ、4楽章制、20分少々の実に新古典的なもの。特に3、4楽章は合わせても7分ほどと実に小規模である。

 1楽章はアレグロの前にレントがある。それでいて、全体は6分ほど。これがフランス近代楽派か、とうなずきそうな、実にヲシャレな和音や主題がたなびく。主部はちょっと現代的。その中に、すぐにステキな旋律が登場する。これがなんとも、ロマン派でも無く、もっと後のシビアーなものでもない、言うなれば、まさに大正〜昭和初期のモダンな雰囲気そのもの。第2主題もたおやかで美しい。それが小ザッパリとしているのだから、これを好きにならないはずかない。

 4番で最も長い2楽章はやや激しい音調のレント。8、9分ある。3部形式で、全体に格調高くも、仄かに暗い。たまに、ぱあっと明るくなる。その煌びやかさは、後のイベールを彷彿とさせる管絃楽法である。

 3分ほどのスケルツォは短い3部形式。実に洗練された調子で、新古典的だが、音調は近代的で斬新。プロコフィーエフの1番のように思えるが、もっと自由で、かっこよく、おしゃれ。あれは狙って擬古典的だが、こちらは結果として擬古典的というだけで、発想と技術はロマン派、そして現代音楽に近い。実にモダンな響きで、当時のパリ楽派の面目躍如。

 4楽章はロンド形式だが、これも短く4分ほど。なんと冒頭主題のリズムはサンバなのだそう。それでいて、かんぜんにありがちなラテンではなく、フランス風になっている。ザムザムと楽しく進みながら、唐突にジャン! と終わる様なんかも、実に小気味いい。








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