兼田 敏(1935−2002) 


 藝大時代の同期で盟友の保科洋と共に、作曲家、指導者として日本の吹奏楽会に様々な面で影響を与えた兼田。藝大ではヒンデミットの忠実な生徒である下総皖一に師事しており、残念ながらいわゆる「吹奏楽界」でのみ高名ではあるが、その真面目な創作姿勢は、たとえ現代クラシック界の珍妙な作曲家連に比しても、けして見劣りするものではない。

 技術的に刷新的な作曲法は作曲コンクールには有利かもしれないが、なかなか愛好家を増やすのは難しい。逆もまた然りではあるが、創作の価値をどこに置くかで、変わってくる。

 吹奏楽の普及、発展という初期の大命題を達成するのに、まず音楽的にすばらしいものを、技術的な斬新さより子供たちが楽しめるものを、大人も喜べるものを、という姿勢は正しい。

 それでいて、コンクール偏重になり、オリジナル曲はなるべく8分以内にするとコンクールで再演されやすい、とか、なるべく標題音楽にすると素人にウケやすい、とかを危惧し、堂々と3楽章制の交響曲を作るあたりも度量の大きい部分である。


管弦楽のための交響曲(1957)

 平成30年9月30日放送のNHKFM「クラシックの迷宮〜日本音楽コンクール作曲部門・歴史的音源を聴く夜」において紹介された。司会の片山杜秀が、NHKのアーカイヴよりこれぞと思った音源を紹介する日で、現在の日本音楽コンクール作曲部門の特集であった。まだ藝大生だった兼田は、56年の第26回コンクール作曲・室内楽部門第2位。そして翌年の第27回コンクール作曲・管弦楽部門へ交響曲を書いて応募。第1位をとった。

 そのときの音源が残っていたというのだから、驚き桃の木山椒の木。片山大明神様様様である。

 Wikipediaや作品集CDの作者履歴を見ても、コンクールで受賞したことは書いてあっても何の曲で受賞したかまでは記されていない。(2018年執筆現在) まさかオーケストラのための交響曲を書いていたとは……だ。

 そんなわけで、ラジオ放送音源であるが、兼田の最初期の作品をここに加える。

 緩急による2楽章制で、20分ほどの曲。第1楽章はアンダンテほどか。重々しい主題導入より始まり、弦楽がその主題を引き継ぎながら、さっそくポリフォニックに進行する。ヴァイオリンに主題が移って、轟々とさしはさまれる低弦も不気味だ。テーマは弦から木管へ移り、深刻な発展を見せつつ、第2主題と思わしき、やや牧歌的なテーマがオーボエに登場。フルートなどに受け継がれ、ピチカートに乗って展開する。速度が上がって、じわっと盛り上がるがすぐに鎮静。展開部後半はテンポも楽想も複雑化して、自在に変容する。やがて跳躍的な金管の咆哮が合いの手を従えて轟き、木管群によるモノローグ的展開へ。木管たちの各ソロに弦楽の冒頭主題がこれも見事なポリフォニーで複合し、最後は調性っぽく静かに、トライアングルの一打を添えて終わる。

 第2楽章はアレグロ。激しい不協和音の一打から、無調アレグロが続く。弦楽の主題を管楽器が合いの手で引き継ぐ。第2主題はちょっとおどけた風のトロンボーンからのものか。展開部は、まず第2主題を木管でテンポを落として。第1主題も加わり、しばし展開部が続く。メチャクチャに進行しているようで、かなりカッチリと書きこまれている。後半ではテンポをずーんと落として、アンダンテへ。第1楽章を思わせる、ハープを伴った木管によるソロイスティックな進行。そしてシロフォンを従えたアレグロへ戻る。再現部は木管で第1主題を扱い、フガート的な小展開も。テンポが詰まって盛り上がり、シンバルの一打からコーダ。音響のウネリを巻き起こして、短く一気に終結する。

 クラシックの迷宮の模様を抜粋してYouTubeにアップしましたので、参考までにどうぞ。


ウィンドオーケストラのための交響曲(1994)

 兼田も既に90年代にして、コンクール用の短い音楽しか最新の吹奏楽オリジナルに無い状況に危機感を感じ、本格的な、長い曲、吹奏楽のための交響曲を書こうと思い立ったようである。保科も、同じようにして近い時期に吹奏楽のための交響曲を書いている。保科の項にもあるが、アメリカなどでは意外に吹奏楽のための交響曲というジャンルの音楽はあるのだが、日本では少ない。やはり、色々と事情があるのだろうとは思う。委嘱されない。注文が無い。再演されないから書きたくない。精神的あるいは技術的に交響曲なんて書けない……。

 その中で、3楽章制20分の堂々たる交響曲を、吹奏楽という楽器の種類がオーケストラより少ない合奏形態で書くというのは、こりゃ難しい仕事ですぞ。

 発表時には、「吹奏楽の為の交響曲・東海道」とされたそうである。別に標題交響曲という意味ではなく、東海道宿駅制度400年記念の委嘱だったから、のと、作曲がさしもの兼田をもってしても純音楽は難しく長い道のりだったのを旅にたとえて、という意味。だが、正直、そういう解説がなくばこのタイトルは聴衆に誤解を与える最たるものであると思うので、ない方が良いだろう。

 1楽章は序奏付ソナタ形式という古典ぶり。だが響きはけっこう前衛的。重々しい不協和音と複雑なリズム。管楽器の特性を活かした刻みと吹き流しが効果的。親しみやすい旋律は現れず、シリアスな抽象性が支配する。まさに純音楽といえる。吹奏楽のためのこういうシリアスな作品は伊藤康英もぐるりよざと同時期に書いた吹奏楽による交響曲で、12音技法を使用して書いている。重厚な全曲主題の総奏から、第1楽章はシンコペーションも特徴的なシリアスなもの。緊張感を増して盛り上がってゆき、第2主題はゆるやかなものだが、ウネウネと動いて行くそれに平安的な雰囲気は無い。展開部では両方の主題が短く複雑に、フガートも含んで扱われ、後半では再現部を兼ねる。古典的技法と現代的技術及び精神が融合された優れた楽章。複雑な部分でやや「もっさり」するのは、管ばかりが厚く重なるウィンドオーケストラの宿命ではあるが、効果の1つととらえられなくもない。

 2楽章はアダージョ。不協和音の総奏より続くフルートの独白的ソロがとても印象的な楽章。もちろん、メロメロで優美な旋律ではなく、シュプレッヒシュティンメ調の、本当に語り口のようなもの。控えめに響く伴奏の風鈴がまた無常で印象的。フルートのほか、クラリネット、サックス、オーボエなとにも歌われるその旋律は、最終的にファゴットへ引き継がれる。ファゴットの主題はフルートの逆行形という藝の細かさ。旋律は金管にも引き継がれ、ポリフォニックな重奏となる。ヒンデミット流の伝承者である兼田の面目躍如か。そこで、ふいに楽章は終わってしまう。

 終楽章はアレグロのロンドソナタ形式。ロンドでソナタなんだから、こりゃ難しい(笑) 冒頭より跳躍的で無調的な主要主題が様々な楽器で取り扱われながら複雑に変形して行く。実に技巧的で、重厚な楽章である。第2主題も同じような音調で、主要主題を再現しつつ展開部へ突入。テンポを変えずじわじわと盛り上がって行き、再現部無しかかなり短い再現部を経て怒濤のコーダを迎える。

 ここには情景もタイトルも平易な旋律も無く、兼田の中でも特にシリアスな部類に入るであろう事は難くない。こういうのを愛聴できるようになる人が増えれば、確かに吹奏楽の未来も少しはクラシックに近づいて音楽的にマシになってくるだろう。クラシックごと滅亡なんてことになったら洒落にならないので、吹奏楽らしさも失わないでほしいとは思うが。





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