保科 洋(1936− )

 
 保科洋は芸大卒業後、盟友の兼田敏と共にもっぱら「食うために」バンドの仕事をはじめ、いまやすっかり吹奏楽(ウィンドオーケストラ)専門の作家として定着している。作品には室内楽や管弦楽もあるのだが、絶対的に吹奏楽が重要な地位を占めている。したがって邦人作曲家のファンでも、吹奏楽に縁がない人には誰なのだかサッパリ分からないかと思われる。

 作品は多数あるが、やはり特段に高名なのはそれぞれ吹奏楽のための「風紋」そして「古祀」だろう。このような日本情緒あふれるテーマ性のあるものから、「チューバと吹奏楽のための協奏曲」といったような純粋音楽まで、けっこう多面的だ。

 作風は、どちらかというと緩徐楽章的な、霧中の水面を漂うような独特のリズムと和音が特徴で、時に動きがあっても、アグレッシヴに動くことはまず無い。あくまで優雅に、軽妙に、神秘的に、そして静かな闘志を内に秘める、静の音楽だ。


交響曲(ウィンドオーケストラのための)(1996)

 管楽合奏のための交響曲というと、好きな人はまずストラヴィンスキーの「管楽器のための交響曲」を思い浮かべられよう。しかしこちらは、それとはまったく編成が異なる。いわゆる日本でいうところの吹奏楽、ウィンドオーケストラとも呼ばれる、木管・金管・打楽器で構成される大規模な形態の管打楽器オーケストラで、管弦楽団に対抗して管打楽団とでも言おうか、日本とアメリカで特に根強い人気を誇っている。

 ちなみに、ヨーロッパでは金管と打楽器のみの金管バンド、つまりブラス・バンドが主流である。国によってはサクソルン類やサキソフォンが加えられる。

 保科は大阪市立のプロバンド大阪市音楽団より委嘱を受け、このウィンドオーケストラ形態(交響吹奏楽団)のために交響曲を造った。

 アメリカ人なんかは吹奏楽でけっこう交響曲を量産しているのだが、日本人はどういうわけか少ないように感じる。管弦楽よりも単純に楽器の種類が少なく、そのぶん表現が難しいため、交響曲にはなりづらいとでも思っているのだろうか。交響曲なんて、そう名付ければどんな音楽でも交響曲となるのに。まじめなのだなあ。

 3楽章制で、全体で20分を超える本格的なもの。序奏の主題によって全体が統一される循環形式になっている。大概、ふつうの交響曲は1楽章に重点が置かれ、全曲の要として機能するのだが、作曲者の言によるとこの曲ではそのようになっておらず、2楽章の序奏の意味あいが強いという。つまりマーラーの5番と同じような形をとっている。

 1楽章はモデラートで緊張感ある序奏から始まる。トランペットの主題が半音階進行で奏でられ、クラリネットが伴奏する。その主題を繰り返しつつ、アレグロの主部が始まる。第2主題は第1主題の変奏にも聴こえる。微妙に展開しつつ三度ほど主部が繰り返され、展開部終結部によって大きく盛り上がる。一瞬の経過部を経て再現部へ到り、アレグロが戻る。そこから唐突にコーダになって、一気に終わる。

 2楽章はアダージョで保科の実力満載の楽章。3部形式で、ゆったりと流れ続ける音楽がABA´の形で進む。美しいが歌謡的な旋律ではない。まるで呪文めいた音調で、祈りと願いが紡がれている。Bは楽章の中心で、やや激しくリズムある調子で進行する。冒頭主題の変奏が高らかに流れる。それが盛り上がってテンポが落ちて経過部となり、また前半のアダージョA´へ戻る。どこかしら神秘的な響きに変化している。それが霧の彼方へ消えてしまうと、次の楽章が始まる。

 3楽章はフィナーレで、マエストーゾの序奏からヴィバーチェに変わるが、保科節は失われない。1楽章の冒頭テーマが形を変え、ファンファーレ的に扱われる。いったんテンポを落として静まるが、そこから一転、まるでビッグバンドのような陽気さで音楽が鳴り響き、それが第1部となる。こちらもABA´形式の3部構成。何度か主題を繰り返してアレグロは続き、Bはまた一転して謎の自然宗教のような不気味さを伴う神秘さで、銅鑼を伴って現れる。それは短く推移して、すぐにまた1部が簡単に再現され、アレグロとなる。このアレグロの再現も、微妙に変化を施されている。短い打楽器ソリから陽気な部分が戻り、冒頭のファンファーレまで戻る。そこからコーダとなって全曲を締めくくる。

 まことにオーソドックスな音楽で、吹奏楽界ではむしろ保守的というか古典的な印象さえ与えるが、その中にも現代的な不協和やリズムの交錯があり、ガリガリの現代音楽でもなければ歌謡曲もどきでもない。いかにも熟練の仕事を聴くことができる喜びに浸らせてくれる。


第2交響曲(2016)

 1番からちょうど30年後。保科80歳にして新しい交響曲を書くという意欲にまず敬意を表したい。広島ウィンドオーケストラによる保科洋80歳記念演奏会のための委嘱作品。3楽章制で約30分。YouTubeに再演の音源がアップされている。

 けして歌謡的ではない半音階っぽいホルンのテーマより1楽章が始まる。その主題はすぐに木管で変奏され、アレグロとなって展開される。じわじわと1つの主題が執拗に小展開されて行く様はちょっと不気味ですらある。が、テンポが落ちて黄昏の第2主題。ここは保科っぽくて良い。それから本格的な展開部となって第1主題が取り扱われる。オスティナートっぽくもある第1主題に続いて第2主題も展開される。しかし第2主題は一瞬で、主に第1主題の展開が続く。そしてまた第2主題が出てくる。この第2主題の展開はやや長い。ここは急緩急緩を繰り返していて、展開部としてはメリハリが利いて至極分かりやすい。また展開そのものもそれほど複雑ではなく、元の主題の形をかなり残している。最後の展開で第1主題が復活し、コーダで伽藍を築き、崩れるように終結する。分かりやすいが、音調としてはかなりシリアスな楽章。

 2楽章は重苦しくも浮遊感にあふれた不思議な音調の緩徐楽章。霧の音楽から始まる。低音に木管がひっそりと乗ってくる。3部形式。はじめは木管群が風がそよぐような旋律を互いに吹きあい、いったん休止してからこんどは動きのあるゆったりとした旋律が歌われる。またはじめの部分に戻って、無調というか、霧調というか、輪郭の判別しない朦朧体めいた世界になる。金管が加わって、響きは厚くなっている。

 3楽章はアレグロとなる。シリアスで緊張感に富む。複雑なティンパニのソロが終始現れ、冒頭に提示される主題を執拗に展開して行く。3部形式に近いか。はじめの部分はかなり無調っぽく、各楽器の旋律も非歌謡的で非常にドライ。中間部というか、テンポの落ちる経過部のような部分では調が戻って響きが分かりやすくなる。それでも、歌謡的ではない。最後にティンパニのソロが呼び水となって、ひたひたと世界が戻ってくる。また激しいアレグロとなり、コーダへの経過部はテンポが遅くなって重厚な進軍となる。そこからコーダへ突き進んで、たっぷりとテンポを引き延ばし、鋭く終結する。

 1番と比べると、より響きが先鋭かつ枯淡となり、むしろ現代音楽っぽさが増していることに驚く。


オマケ

 保科家は清和源氏頼季流であり、筑後守正則が信濃国高井群保科庄に住して保科を名乗る。同じく井上源氏、諏訪源氏と系統があり、もっぱらの武家にあたる。陸奥会津の名門保科家へ江戸幕府2代将軍徳川秀忠の4男徳川正之が養子に入り、保科正之となったところより始まる保科会津松平家は特に高名。会津の保科は正之の子の代に松平と改姓する。この保科正之を祖とする会津松平家は親藩の中でも名門中の名門で、幕末に京都守護職を務め、9代松平容保(かたもり)は新撰組の実質上の大親分にあたる。





前のページ

表紙へ