丁善徳(1911−1995)


 さて、珍しい中国・香港の作家を買ってはみたものの、解説が中文と英文で、さすがに参った。譚盾は日本盤のCDも出ているが、丁善徳などは初めて聴いた名前だった。

 しかし、長征交響曲は、中国ではピアノ協奏曲「黄河」やヴァイオリン協奏曲「梁山伯と祝英台」くらい高名な曲……らしい。

 じっさい聴いてみても、まあまあの音楽だった。ぜひ、表題交響曲でもあるため、解説を解読したいと思った。

 とはいえ、中国語(北京語)は漢字なのでなんとなくはイメージがつかめるとして、細かところまではやはりいかんともしがたい。交響曲や管弦楽は日本からの輸入語らしくそのままなのだが、たとえば 鋼琴 がピアノのことだとは、いったい何人の日本人が知っているだろうか!? ヴァイオリンの提琴からとったのだろうか? ちなみにアレグロは快板でレントは慢板、アダージョは柔板である(笑)

 ここで思いついたのが、職場の知り合いである嘱託職員のBさんだった。上海生まれのBさんは地元大学の留学生として来日し、そのまま就職したのだった。外職場にいるため、さっそく外勤のついでに尋ねてゆく。Bさんは上海出身だが、共通語の北京語ももちろん分かるのである。

 (上海は上海語。あと広東語がある。北京語と合わせ、これらは、イタリア語とフランス語とドイツ語くらい違うらしい。なぜって……通じないからw)

 「Bさん、お願いがあるんですけど」
 「ハイ、なんデスカ」
 「(略)……というわけで、訳してほしいのですが」
 「いや……その……でも、音楽のコトはワカラナイので、クキさんのほうが詳しいと思いマス」
 「そりゃ詳しいけど、そもそも読めないので(笑)」
 「あ、まあ、その、そうデスよね……」

 Bさんは中国人とは思えないほどの押しの弱さで有名なので、あと少しである。ちなみに、彼女は日本語、英語、上海語、北京語がデキル4リンガル。

 「固有名詞でわからないとこがあれば聞いてくれれば教えるから」
 「あ……そうデスか……じゃ、ちょと、やてミマスね」

 ちなみに中国人は 「っ」 の発音が苦手なのでものすごく短い 「っ」 になる。

 「なんにも出ないけど、よろしく〜!」
 「は、はあ……」

 というわけで3ヶ月くらいかけてCDの解説の主な部分を訳していただきました。Bさんありがとうございます。たぶん日本でもいまのところほとんど唯一の、長征交響曲の解説ページになるでしょう。

 ちなみに中国でもかなり高名な……はずのこの曲は、Bさんは 「イヤ、ぜんぜん知りまセン、名前も聴いたこと無いデス」 でした(笑)


長征交響曲(1961)

 その前に、作曲者の紹介を少し、したいと思う。

 丁善徳(てい・ぜんとく:ディン・シャンデ ピンイン表記では ding1 shan4 de2 )は1911年に江蘇省の昆山市に生まれ、1928年に既に上海音楽院に学んだ。35年に卒業した後、ピアニストとして活躍し、教育者ともなった。現在、中国の音楽家で丁の弟子は多いらしい。

 37年にフランスに留学。かのナディア・ブーランジェに作曲を師事している。教育者やピアノコンクールの審査員として活躍し、創作活動は少ない。

 長征交響曲は1961年の作品で、構想に2年をかけ、長征のルートを2度めぐり、生き残りの紅軍兵士や少数部族に取材し、当時の素材を集めた。

 ソ連の社会主義リアリズムが中国にも渡ったようで、ここでは芸術作品の大衆化が真剣に追求される。作者は特に交響曲という音楽の持つ表現性とそれの大衆化の為に以下のことを志したらしい。

 1.明確な見出しをつけること
 2.民族の特徴があるトーン
 3.新しい表現手法を編み出す

 民族楽派でありつつ、表題付。これが新たに交響曲を追求する異民族としての態度というわけだが、日本にもその手法を追求している作曲家が多いことから、それは普遍的な表現手段のようだ。他にも大衆化の手段はたくさんあるだろうから、みなでそれを追求して、中国の交響曲をたくさん作り、世界の音楽に貢献しようと作者は結んでいる。

 長征交響曲は5楽章からなる。しかし、そもそも長征とはなんだろう。

 1934−1936年にかけて、総勢30万もの共産党とその軍隊が、何次かに分かれて本拠地だった江西省瑞金から北上して陝西省延安に本拠地を変えた。11省を通過し、18の山脈を超え、12,500キロを踏破行軍。30万人が最終合流地点では3万人に減っていたという、人類史上無比なる長距離遠征だった。長征の理由は主にふたつ。

 1.国民党軍の包囲が厳しくなった
 2.満州国の成立により北上抗日の必要が生じた

 蒋介石による共産党殲滅作戦は苛烈を極め、5次にわたる包囲作戦で毛沢東や周恩来たちは全滅の憂き目を見る直前だった。そこで最終的な包囲作戦の敢行の前に、本拠地を移す必要性に駆られていた。

 しかも、東北部では張作霖が日本軍に謀殺され、満州国が成立。張作霖の息子の張学良が土地を奪われて復讐に燃えていた。張学良は国民党の指揮下にあったが、東北では事実上の王だったため、共産党はそれへ目をつけ、共同戦線を張るべく、北上の必要があった。これ以降、国民党、共産党、東北軍の歪な同盟関係が日中戦争の終結まで続く。

 しかし周恩来はこの北上作戦が、これほど困難を極めるとは思ってもいなかったようで、衣食住に事欠き、国民党の追撃を逃れ、肝臓を病み、担架で運ばれ、何度も死にかけており、後々も我々の歴史で最も暗黒の時期だったのが長征だと述懐している。チベットに近い大平原を抜けたときは、兵士たちは革のベルトを野草で煮詰めて周恩来へ食べさせたという。

 交響曲はそれを英雄的に表現する。70分もの大作である。

 第1楽章「征途にのぼる」
 第2楽章「各民族の人民にとって身内のように親しく感じる赤軍」
 第3楽章「瀘定(ルーディン)橋を勝ち取る」
 第4楽章「雪山を超え、野原を通る」
 第5楽章「勝利の合流」

 1931年、既に日本軍(関東軍)は謀略により満州事変を起こし、やがて満州全土を掌握。1933年には満州国が設立した。共産党は危機を感じ、このまま南で国民党に包囲殲滅されるよりかは、北上して東北軍と抗日宣戦を張ったほうがチャンスがあると判断した。1934年、ついに中国共産党はいくつかの部隊に分かれ、別個北上する。

 19分をかけ、全曲中最大規模の第1楽章は、そのような赤軍の気概と、国民党との戦闘を表している。アダージョの導入部で中国音階による主要主題が登場し、各楽器に引き継がれる。やがてアレグロとなり、戦闘開始のラッパが鳴ると、勇ましい進軍となる。ここらへんはだいぶんショスタコっぽいが、音階がチャイナさ〜んなので、なかなか楽しい。

 しかしこのある種のお気楽さは、長征前の油断した気分をも伝えていて、なかなか深い。
 
  第2楽章は、国民党によって虐げられていた少数民族が、赤軍の味方をし、長征を助ける様子や、人々が赤軍に感謝する様子が描かれる。じっさいは、共産党の行軍はそんなプロパガンダ映画のような生易しいものではなく、部隊は食うや食わずで命からがら進んでいた。周恩来はその中でも、本来粛清すべき現地の富裕商人を厚遇し、物資の調達は必ず買い取りにしていたという。
 
 皮肉なことに共産中国成立後、少数民族は国民党より厳しい弾圧を受けることになる。

 10分ほどの楽章。ゆるやかなテーマが木管で示され、そのテーマがアレグロとなり、レント−ヴィバーチェと続く。なかなか勇ましい楽章でおそらく民族音楽も使われているのではないだろうか。

 第3楽章はプレストで、全曲の支点を成す。ルーディン橋は長征のなかで最もヤヴァかった箇所のひとつで、四川省の奥地、チベットとの境にある大渡河という揚子江に注ぐ天然の激流があるそうで、そこを渡らなくては如何ともしがたいばかりでなく、なんと国民党に追いつかれた。渡し船のある場所では船の順番待ちをしているところで国民党の銃撃にさらされ、逃げた。「不安な議論」のすえ、彼らはさらに上流の、断崖の合間に鉄の鎖と渡板で作られたルーディン橋を渡る以外にないと決断した。しかし到着してみると橋は既に破壊されており、彼らは橋を修復しながら渓谷を渡る羽目となり、なるべく下を見ないようにして渡った。背後からは国民党が追いすがっており、生きた心地がしなかったであろう。しかも、渡ったところで周恩来は病に倒れた。7分ほど、その様子を描写する。
 
 たいていは緊迫した悲劇的な描写が来るところだが、なかなか京劇チックで面白かったりする。

 第4楽章も18分に及ぶ大規模な楽章で、長征のクライマックスである、大渡河以後のチベット平原横断を描く。クルミ大の雹が降り、空気も薄く、飢えと寒さでバタバタと兵士が倒れた。飢えに耐えかねて草を食べた兵士は食中毒となった。病気になっても薬もなく、たまに国民党の地方輸送部隊のトラックを接収して微々たる物資を調達するぐらいだった。周恩来は既に立ち上がれなく、担架で運ばれていた。革のベルトを煮て食べたのもこの大横断のときで、後にチャップリンが映画で革靴を食べるシーンを見て、周恩来は 「三種の珍味のスープ」 と名付けて懐かしがったという。

 すべてがレントによって支配された重々しい楽章で、長征で最も困難だった時期を表している。悲しげな主題が鳴り響き、これまでのけっこうお気楽だった路線を引き締める役割をしている。木管やヴァイオリン、打楽器が表す風や吹雪の音の中を赤軍を示すテーマが重厚に鳴り渡り、艱難辛苦を超えて進む様子も、なかなか効果的で上手い作曲技術だと思う。

 最後に、一筋の光明のように、ソロヴァイオリンがテーマを鳴らす。

 第5楽章ではついに延安で北部共産党や共に北上してきた各部隊が合流した共産党の華々しい喜びが表現されるが、なにせ兵力は1/10となってしまった。そう単純には喜べまい。しかし、共産党は毛沢東を指導者につけ、周恩来は見事にその次席にあって実務のすべての権限を握っていた。音楽は一気に戦後まで跳び、中国全土を革命勢力が統一したことへの喜びをも表す。13分ほどのフィナーレ楽章。

 しかし、始まり方といい、進行の仕方といい、コーダといい、ソビエト音楽の影響というのは凄まじかったことを示しているです。

 社会主義リアリズムといっても、そこはそれ、ショスタコーヴィチプロコフィエフのような質を期待しても無駄。純粋に(ここがミソ)大衆煽動的な内容といって差し支えないと思う。だから、単純に、聴いて楽しい系の交響曲で、それはそれで良い。けど、近代アジア史や中国に興味ない人にとっては、正直、長い。
 
 ※長征の模様は周恩来の伝記によっていますので、周の記述が多くなってます。

 YouTubeに長征交響曲をアップしました。参考までにどうぞ。

 第1楽章「征途にのぼる」
 第2楽章「各民族の人民にとって身内のように親しく感じる赤軍」
 第3楽章「瀘定(ルーディン)橋を勝ち取る」
 第4楽章「雪山を超え、野原を通る」
 第5楽章「勝利の合流」 







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