カンチェリ(1935− )
グルジア生まれの現代音楽家、ギヤ・カンチェリだが、現在はオランダのアントワープ在住だそうです。
グルジア生まれといえば実はグルジア生まれのハチャトゥリアンや、モスクワで活動しただろうタクタキシヴィリだが、カンチェリは民族派や社会主義リアリズム・ロシア派というより、もうゲンダイオンガクに近い。近いが、(交響曲の)作風は、メロディーやリズムがしっかりしているため、現代の中では古風に聴こえる。
交響曲が7番まである。1986年の7番を最後に、いまのところ打ち止めになっているのが特徴的。彼は90年代よりブレイクしはじめたといい、それまではグルジア内では権威があったが、単なる田舎のマイナー作曲で、その時代にすべて交響曲が書かれているのはなかなか興味深い。
また、ほぼすべて単一楽章制で、かつ、どれも30分以内で短いのも、特徴として挙げられるだろう。
だから聴き易いと思う。カヒッゼ指揮により全集があるのも魅力だし、他の指揮者によっても取り上げられてきているようだ。ただ構成力やオーケストレーションに乏しく、突拍子も無く展開し、30分とはいえ、ダラダラ進む嫌いはある。
第1交響曲(1967)
いきなり「マーラーの6番が終わった」のかと思ってしまった(笑)
激しい連打音と不協和音がハルサイなみの原始リズムでズガズガ進んでゆく。まあ、特にグルジアとは関係なさそうだが、これはカンチェリの魅力の一片にすぎず、静謐なシーンの中にグルジアの伝統和音が使われているという。
従ってそちらの音楽に興味のある方は、はじまって数分を我慢しなくてはならない。
あとは、単純に云えば、静と動の繰り返しが基本となる。
単一楽章の多いカンチェリの交響曲だが、1番だけ、2楽章制。第2楽章は、たっぷりと、カンチェリのもう1つの魅力、歌が楽しめる。霧むせぶ湖面の上を連想させる冷えた和音に、フルートの独創が不気味に美しい。鐘が細々と鳴り、一瞬だけ1楽章の狂騒が再現されたり、芸はいちおう細かい。
あとはまあ、なんと云いますか、激しい音響の中で爆発し、低音の導きと供に地の底へと沈んでゆきます。
第2交響曲「チャンツ」(1970)
チャントって歌のことですから、歌っていうことなんですが、複数系なわけです。しかし日本語で歌の複数形がなんというのか歌たち、とか、歌集、ともまた違うでしょうし、歌供……たぶん、無いと思いますが(あったら教えてください)、それでそのままにしました。
規模としては中程度。グルジアの民謡の動機と、西洋風の旋律の融合、ということらしい。冒頭の、単なる素朴な和音の引き延ばしが、グルジアではメジャーな民謡動機の1つらしいです。
そこに衝撃が突き刺さってくる。音楽は、そのグルジアの歌の合間に、様々な現代風にアレンジされた西洋の「歌」がフラッシュバック的に挿入されるという形式をとる。問題は、その西洋の歌が、ただの不協和音だったり、ただのゲンダイオンガクだったり、なぜかペトリューシュカ風味だったり(笑)、よく分かんないです。ラストはまた静かな歌へと回帰してゆく。
どうも消化不良な印象。
第3交響曲(1979)
カンチェリはこの時期にはトビリシ音楽院で教授職についていたとのことです。
おそらくマイクを通したテノールの乾いたヴォカリーズにボワーンという低音がからみ、東洋趣味が見られる。単純な原始のリズムがはじまり、木管の素朴な旋律(歌)が入ると、カンチェリ節となる。
あとは何の脈絡も無く、ウニャウニャと絃がからんだり、ドカーンという音が絡んだり……しかも基本的に調性(っぽかったり)するものだから、なんとも相変わらずの中途半端さ(笑) ほほえましいですぞ、カンチェリ殿。
そのうち、ヒーリング系かネイティヴ系かというテノールが帰ってきて、大好きな鐘も鳴っちゃったりする。
うーん、なんぞこれ……。
後半はカンチェリ流ハルサイでズガチャガして盛り上がり、テノールも混じる。静かに地平線の向こうに見えなくなってゆくのも、カンチェリらしい。
歌もきれいだし、フォルテの迫力もある。リズムも燃える。問題はそれらが、あまりにざっくばらんに混じりすぎ、脈絡無さ過ぎなところだろう。
ラストは絶対お寺(笑)
ゴーーン…… 「♪アーアー〜アー〜 うぇー アー〜…」 ゴーーン……
第4交響曲「ミケランジェロの思い出に」(1974)
えー、と、よくわかりませんが、とりあえず(これも) 「お寺か?」 っていうくらいに鐘が鳴ります。鐘のモチーフとかじゃなくて、鐘が延々と鳴っています。さいしょは、遠くより彼岸の鐘……。続くパトレイバー劇場版かっていう乾いた和音www
それが次第に鐘の乱舞の後、地獄の蓋が開いたような、噴火。フルートの諸行無常……。
それはとても面白いのだが、それがもう5分くらいで終わってしまう……全編、鐘が鳴り続けたら、この曲は名曲になったろうに。
あとはまあ……音響と音響の合間にかすかな歌がしみじみと流れる。その音響と歌とリズムの並列移動が、すなわちカンチェリなのである。
10分くらいのところの映画音楽みたいな箇所は笑っちまう。武満みたいな繊細な旋律が流れる。それもすぐに絶叫にかき消され、また旋律が歌い……。ああカンチェリ。
ラストのほうで鐘が少し復活する。音響の合成としては相変わらずうまい。最後は冒頭へ戻るアーチ形式。
第5交響曲「我が両親の思い出に」(1977)
7曲の中では、いちばんヘンだと思う。
これまた武満かって云う、オルゴールのような旋律と、絶叫不協和音が、完全にブロックとなって、ガタガタばらばら、何の変化もなく(本当はあるんだろうけど)つながっている。のみ。
これだけで、30分を通すカンチェリの執念ともいえるこの語法。
旋律は何の展開もせず、音響はひたすら不安を煽る。これは狂気だ。
副題より察するに、この殺伐とした、荒涼とした、侘しさと厳しさと絶望感に満ち満ちた世界が、カンチェリの家庭だったのだろうか?
後半はいよいよその緊張の度合いが増し、まるでいまにも戦争が始まるかのような盛り上がりを示す。あとは特撮映画の様相を示し、最後はオルゴール旋律が途中まで鳴って、ブチッと切れて唐突に終了する。
第6交響曲(1980)
ヴィオラ独奏を伴う。独特の中近東風の和声の引き延ばしの中に、ヴィオラのもの悲しげな旋律が切々と響く。バロック風の一時休止の後、ポツラポツラと動機が現れては消え、チェンバロ(と、思わしき)楽器のアクセントを得ながら、部分動機の提示が続く。
その中に、またも絶叫の急降下爆撃の合間に、グルジアの歌が流れる。その対比の妙が、とてもよい。
ドラが梵鐘のように鳴り響く中を、フルートを含めた、ちょっと方向性の違うヒーリング音楽のような和音がずーっと流れゆく。
ラストの10分は怒りの行進。だがそれも、カンチェリ流に途切れ途切れなうえ、最初の数歩で止まってしまうのだが。アーチ構造なので、再び冒頭に帰ってゆき、最後は2時間ドラマかハリウッドで主人公大ピンチの大事件が起きたような雰囲気。ドラの一撃の中の余韻、ヴィオラのソロ。集結。
精神性と芸術性において、カンチェリの最高傑作という人がいるようだが、云われてみれば、私もそう思う。
まあしかし、カンチェリである(笑)
第7交響曲「エピローグ」(1986)
カンチェリの最後と思われる第7番。
まずオリンピックか万博のファンファーレかという大音響。ブラス好きは面白いと思う。
いきなりピアノの単音ソロになるのも意味不明で良い(笑) オーボエのソロと絶叫の交差。しかしこの人は、結局ソロというとフールトとオーボエしかなかったなあ。
絃楽の旋律と、フルート。しばし、長いオスティナート状の展開が続く。その中に絶叫がちらほらと混じっては、泣きのカンチェリ節が続く。
そしていつものカンチェリハルサイww
そして、冒頭辺りに戻る。
まあ最後まで、この人は自分の流儀を貫き通しました。まだ終わってないけど(笑)
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