6/23

 シノーポリ/ドレスデンのマーラー9番。ええ、間違って2つ買ったやつですがな。

 前評判が高かったので、異様に期待して聴いてしまったが、ちょっと、それほどではなかった。しかし、通常のレベルの遙か上を行っているのは間違いない。

 まず録音が、意外と のぺっ としていて、正面から聴いても、奥行きを感じられず、違和感があった。

 また演奏時間がとても長い。長いが、遅いわけではない。ちゃんとアンダンテ。アダージョじゃないです。これが不思議なシノポリマジック。テンポではなく(COMMEDIAのIANISさんは随所に仕掛けられた執拗なリタルダントのせいではないか、と考えている。)何かが遅いのだろう。これはもう、表現自体が遅いというか長い、としか私は云いようがない。

 1楽章はもっとドラマティックなモノかと思っていたが、これも意外と淡々と進むタイプの表現。しかも、けっして絶叫しない。マーラーの最期の雄叫びというか悲鳴のような演奏もあって、そういうのは好きな演奏ではあるが、タイプが異なる。しかし、冷徹な分析系でもなく、また、アッサリしているというのでもない。

 それは、
音楽に余裕がある ということだと思いました。たっぷりととられた幅のある音楽に、むりくり鳴らすような表現は必要ない。

 しかし、2・3楽章は、とてもドラマ性があって、対比がすごく面白かった。テンポ設定も非常に練られたもので、テンポやブロックの変わり目にあった前記したようなリタルダントが効果的。また、ここでも、表現としての焦燥感はあるが、本当に音楽としての焦燥感は薄れている。

 2楽章などは17分あって、ふつうの演奏ならこんなに長くてはグダグダで聴いていられないのだが、スパッとフレーズ処理とかが見事に切れているから、飽きず、だれず、まったく問題ない。マーラーが楽譜を切り貼りしたというプロック構造のつながりが、ガタガタではなく、とても自然。それはシノーポリの棒の巧さ。

 4楽章もそうで、優しくもあり、悲しくもあり、しかし、情感に流れない。西洋音楽の古い様式美をも感じさせ、ロマンティックな部分もあり、楽譜の裏を読み込み、ふつうは聴こえないような、しかし聴こえるとアッと思うようなフレーズも浮き彫りにされ、ついでにその手法も昔みたいにあざといものではなく実に自然で、かなり新しいタイプの演奏だった。

 また併録のシュトラウスの死と変容も、動きの激しい、良い演奏だった。

 惜しい人を亡くしたと今さらながらに思わざるをえない。★5つ。

 ちなみにシュターツカペレドレスデンのマーラーって、私はむかーしの若杉弘の1番以来なんですけど、他になんかありますか? すごい、やっぱり独特の音がします。私は特にやっぱりティンパニの音が、ふるくさーいというか(笑) ボーンと深く響くというか、独特の音だと感じますね〜(笑)


6/20

 CDR盤ですが、ベルリンフィルのショスタコ8番を買ってしまいまった!!

 しかも指揮は 
ザ ン デ ル リ ン ク!!

 もう聴く前から興奮!! フンハッ! フハッ!

 1997年ライヴ! お、重い! しかも、重さを微塵も問題とせず、豪快に鳴る! 鳴る! 
B P O!!

 もちろん、鳴るだけではなく、ソ連系の大御所のようなどこか狂気的な部分よりも、どっしりと構造が様式美として鳴り渡って進むような、ドイツ流の意識も底辺にあるのがザンデルリンクの面白さ。だから、打楽器もバカみたいに音割れ寸前のような鳴り方はしない。(しても、それはこの曲の場合は真実なのだけれども。)

 むしろ1楽章や、4楽章の弦や木管のほうが冷え冷えとして恐い。この演奏の白眉は4楽章です。クラリネットこわすぎ。この4楽章は新しい驚き。

 それと反比例した5楽章の式典的雰囲気も、5番の終楽章にも通じるかどうか、淡々とフレーズが進み、時々泣き節のようなうねりがまじるのが面白い。最後のクレッシェンドが終わった後も、どんどん足どりが重くなってゆき、(しかしベタベタはしていない。)ポツンポツンと、フレーズが切れて、やがて終わってしまう恐さ。

 う〜む、文句なしで★5つでーす!

 しかしなんでBPOのショスタコ8番はCDR盤しかない(私は他にベルグルンドの珍しい演奏を聴きました。)のか。正規で誰か録音してますか。知ってる方いましたら教えてください。
 


6/13

 ホルスト:バンド作品全集 ペデルセン/ノルウェー王国海軍バンド

 ホルスト:3つの民謡 ミリタリーバンドのための組曲第1番・第2番(ホルスト手稿版) ハマースミス ジーグ風フーガ(バッハ/ホルスト編) ムーアサイド組曲(作曲者編〜未完) オラフ王を称えて マーチング・ソング ムーアサイド組曲(ジェイコブ編) 祖国よ、我は汝に誓う(RVW編) 火星・木星(スミス編)

 珍しいアルバムです。高名な組曲1番2番も、ブージー&ホークス版ではなく、ホルスト手書き譜という、マニアックさ。編成が小さいということですが、録音がソフトなせいか、それほど私はちがわないように感じました。演奏がしかしうまい! ホルストの1組2組は永遠の名曲だ〜!

 しかしこのアルバムの白眉は、ホルストの秘曲、
オラフ王を称えて です。

 曲の経緯は、長いので、こちらのバンドパワーの記事をご参照下さい。6曲あり、ぜんぶで10分程です。聖オーラフ2世ともいうようです。

 1.トランペットが呼ぶ(ファンファーレ)
 2.第1戦闘音楽
 3.ワタリガラスの唄(レイヴンソング)
 4.BIARKAMAL
 5.第2戦闘音楽
 6.オラフ王を称えて

 舞台音楽ということで1曲1曲は短いが、印象が強い。特に3曲め以降は男声合唱が入り、しかも、旋法的にも、教会旋律かどうかは分かりませんが、中世風の味付けがふんだんで、いかにも指輪物語の世界。弦楽器が無いということは、それだけで古風に響くから面白い。

 なお、BIARKAMAL とは、バイキングが突入するときの、鬨の歌のことみたいです。なんて読むかは分かりません。ノルウェー語っぽいようです。

 ホルストの機会音楽に対する腕前を知ることができて、嬉しくなります!

 しかしバンド作品全集というわりには、ミリタリーバンドとトロンボーンのためのコンチェルタンテが無い。まあ、あれはあんまり面白い曲ではないし………(笑) それともちがう経緯の曲なのかな?


6/10

 渡邉暁雄による日本フィル全集をようやく買う。そして1ヶ月かけて聴く。26枚組。ぜんぶは感想を書き切れないので、かい摘んで。

 まずドイツ古典派。ハイドン、モーツァルトあたりは非常にイイ! アケちゃんはフィンランド人とのハーフだったが、やっぱり向こうの血なのかねえ。血液がちがうということは、文化がちがうということで、文化がちがうということは、思考がちがうということです。この感性は、さすがに日本人離れしている。オケも60〜70年代の古い演奏だけど、まずまずうまい。

 ベートーヴェンも良かった。4番が特に良かった。

 しかしマーラーはダメだ。なにがダメってオケが。どうしても金管がいけない。

 
昔も今も変わらぬ日本の音。

 それは金管。

 アマチュアとは云わないけれど、セミアマかよ!w

 まあダメったって、録音状態もあるだろうし、標準以上には変わりないのですが。でも、英雄の生涯とかはまずまず良かったなあ。マーラーってやっぱり、聴いた感じよりずっと演奏技術的に難しいのだろうか? 1番、2番、5番があったが、私は5番がまずまずでした。

 それからフランスもの。

 ドビュッシー? ラヴェル? いいえ、フランクです!!

 録音状態もあったが、このフランクの交響曲はすばらしい内容。金管が弱いのはご愛嬌だが、弦が凄い! 主題の循環も良かったし、表現自体もドイツ流で面白い。その次がドビュッシーのイベリアかなー。

 さらには、外せないのがシベリウス!!

 シベリウスいいなあ。アケちゃんのシベリウスは、はじめて聴きましたが、さすがに分かってらっしゃるというか。演奏技術もさることながら、シベリウスは本当に 情感 がこれほどモノを云う音楽だとは。交響曲全集と高名交響詩が入ってますが、1番は初公開のもの(モノラル)だそうで、これからすでに良い! チャイコ、ブラームス、それらの模倣の中にあるシベリウスのキラキラした響き。それがしっかりと捕えられている。そうかと言えば最晩年のタピオラは、意外と激しく掻き鳴らされる。フィンランディアも、メリハリがあって良。

 1番も含めて、シンフォニーはぜんぶ良かったです。あまり好きではない2番も、かなり分かりやすく響いてました。いや初めて2番が良いと思った。

 3番や4番も良かったし、5番も………やっぱりぜんぶ良かったです(笑)

 交響詩では他にエンサガがありましたが、鄙びた旋律、劇的な展開、やや冗長な構成もうまくカヴァーされ、すべてよし! 

 その他北欧、東欧もの。といってもコダーイとバルトークだが。バルトーク良かったですね。コダーイはやっぱり曲が………。

 ドヴォルザークも、面白い表現。というかニュアンス。8番のフルートやトラペットが面白い鳴り方をしていたような。

 ニールセンは2、5、6番て(笑) 不滅(4番)がないのがミソ。録音が悪かったのかなあ。それとも演奏してないのかなあ。ふつう、4番でしょう(笑)

 でも、傑作なのは5番だと思います。このスネアwww なんだよこれ。スネア叩きにはたまらない交響曲です。演奏も堂々として、響きも厚く、良いです。

 それからロシアもの。フランスものといっても過言ではないストラヴィンスキーも、いちおうここに含めます。

 チャイコは悲愴よりロメジュリが良かった。シンバルジャンジャン鳴って(笑) それより、R=コルサコフですよ! これがイイ! スペイン綺想曲のスネアが異様なノリww そんなの聴いたことない(笑) そしてシェヘラザードね! この曲は苦手なんですが、この演奏は情感も良いし弦がうまい! 日本のオケって弦がうまいって聴くんですけど、ホントなんでしょうか。管がヘタだから際立って聴こえるだけ?? よく分かりませんが。

 ストラヴィンスキーはペトとハルサイ。ペトが古い演奏! 1959年て! 戦後14年後!? N響よりうまいんじゃないか!? ドラムロール強烈!! 情感もあり、アケちゃんのドビュッシーにも通じています。トランペットも思っていたよりずっとうまいじゃないか! なんで?

 というかこれはアケちゃんの凄さ。リズムが最高にイイ!! ストラヴィンスキーはちょっとやそっとソロがへロたって、全体のリズムが命でしょう。いくらうまくても、なんのノリも無い、死んだようなペトやハルサイを、気絶するくらい聴いてきました。バレーですからね!

 となると、後続のハルサイも期待大!!

 うーん、やはりオケが弱いけど、要所の迫力も凄いし、1部も2部も、リズムがやはりすばらしい。活き活きを通り越して、ドキドキしています。こちらは1966年。いやー、これ、凄いと思いますよ。外国の指揮みたい。日本人でこんなリズム処理の上手な指揮者、あんまり聴かないです。凄いです。
 
 現代ものというものある。ルトスワフスキ、ペッテション、そしてショスタコーヴィチも当時は立派な 「現代もの」 だったと思う。

 あとクレミってwww 誰じゃそりゃ。(フィンランドの作家だそうです。)

 ルトスワフスキは相変わらずよく分かんない曲だ(笑) それでも、このオーケストラのための書 という曲は、作曲家当人は 「意に反してうまくまとまりすぎた」 と思っていたらしい。そう云われると、彼のシンフォニーとかよりかは、聴きやすいかな?

 ペッテションの7番は、ペッテション自体の日本初演らしいですが、付録の 「日本フィル日本初演曲一覧」 に載ってない。日フィル事務局に確認のメールをしたが、華麗にスルー中です(笑) どうでもいいですけどね。演奏はやっぱり金管がヘロっていて、ペッテション独特の重みも軽くなっていますが、この浮足立つような感覚は、なかなか良い。なにより、取り上げるだけ、慧眼だ。札響で誰かやってくれ。

 ショスタコはなんともシブイ1番と9番。

 1番もよい演奏。ソロも頑張っている。お客が途中で(ティンパニソロの前)拍手をしかしけるのがご愛嬌ww ワルターも唸ったという、ショスタコの天才を味わえる。

 9番は弦楽が厚く重く響いており、どちらかというと、同時代のソ連の指揮者みたいな感じで面白い。時代的なものか? 響きもよいが、とにかくこのリズムの妙は、独特だと思う。岩城の趣味はアケちゃんゆずりだったのですねー。このショスタコは良かった。

 そして邦人シリーズ!

 日フィルシリーズより、芥川のオスティナート・シンフォニカ、武満の樹の曲、小山の鄙歌2番、矢代の交響曲、池辺の第2交響曲、柴田のシンフォニア、野田の交響曲、この7曲。

 芥川は、オスティナート・シンフォニカの改作である、オルガンとオーケストラのための「響」の録音はあるが、これは初めてかと。まあほとんど同じ曲なんですが。オルガン部がオケの総奏です。意外と荒々しい音楽で、興味深かった。小山の鄙歌2番も珍しいレパートリー。ちょっと変わった民謡組曲です。第3楽章の「ウポポ」が、弦楽と打楽器のための「アイヌの小唄」と、同じ素材を基にしていると思われるオーケストラ音楽です。

 矢代の交響曲は、日本産交響曲の古典であり近代。傑作中の傑作です。改めて思いました。正直、そんなには聴きませんが(笑)

 柴田のシンフォニアも、日本的12音の集大成。よくは分かんないけどwww

 さて全体を通して、特に心に残った演奏を挙げてみます。それが私の、渡邉暁雄日フィル全集の白眉です。

 ベートーヴェン:第4交響曲
 ドヴォルザーク:第8交響曲
 フランク:交響曲
 バルトーク:舞踏組曲
 シベリウス:第2交響曲
 シベリウス:第4交響曲
 シベリウス:第5交響曲
 シベリウス:第6交響曲
 シベリウス:第7交響曲
 シベリウス:交響詩フィンランディア
 シベリウス:交響詩エンサガ
 シベリウス:交響詩タピオラ
 ニールセン:第5交響曲
 チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 リムスキー=コルサコフ:スペイン綺想曲
 リムスキー=コルサコフ:シェヘラザード
 ストラヴィンスキー:バレー音楽「ペトリューシュカ」
 ストラヴィンスキー:バレー音楽「春の祭典」
 ショスタコーヴィチ:第1交響曲
 ショスタコーヴィチ:第9交響曲
 矢代:交響曲
 
 以上 いやー、さすがに26枚は聴くのにかかったなー。何回か聴いた盤もありましたし。


5/6

 タワーレコードで1,000円で売ってた武満関係のCDをまとめて買ってきた。けど、グラモフォンの復刻は、既に持ってるのがほとんど。演奏も、いまとなってはなんとも云えない感じ。

 しかも、どうでもいいが、さいきんは、こういう昔の硬質なのも含めて、武満を聴くと、昔はドキドキしたけど、 ぼんやり というか まったり してくるのだが。

 昔の録音は、武満を若い作家とか紹介しているように、武満自身も、奏者の小澤や高橋なんかも30代で、「新音楽を紹介するんだ!!」 という、気合を入れて演奏したりしてるわけなのだが、現代は、同じ曲も、奏者のレベルが上がっているので、たやすくとは云わないまでも、かなり余裕をもって演奏しているから、趣も変わってくる。

 いわゆる80年代以降の豊穣なタケミツトーンが、実は硬質で頑、キラキラでガシャガシャだとされていた初期武満の中にも、ちゃんとあるわけで、それが面白い。昔の演奏からは聴こえなかったものだ。

 その点、どこまでもドライな湯浅とかとは、ぜんぜんちがう。武満の不思議なウェット感。感傷的ともいうべき。それが、どんなに現代的なピアノ曲からも、聴こえてくる。コードの問題なのだろうか。

 そういうのを、再認識した。

 タワーレコードの復刻は曲数もあるし既持なので省略する。オーケストラルスペースの復刻盤の中からは、2つのバンドネオンとテープのための「クロストーク」という曲が、はじめて聴いたもの。

 しかし武満はテープ加工した音楽が多い。このテープ音楽というのは、武満の世代の代表的な表現方法で、まさに新音楽を象徴するもの。これまでになかった音響を電気の力で表現している。しかし、テープそのものが無くなったこの21世紀に、このテープ音楽も過去の遺物と化している。不思議なものだ。

 はじめて楽譜にテープの指定が登場したのは、かのレスピーギのローマの松だそうで、その時は、自然物の録音だった。(鳥の声)

 それを 「加工する」 という作業に、新音楽の可能性を見出したわけだ。

 しかしいくら加工したところで、しょせんは人間が作るもの、加工し尽くしている間に、テープは廃れた。電子音楽は、けっきょく、ふつうの音楽としてゲームなどの世界に生き残っている。なんというアイロニー。けっきょくはオーケストラの響きにこそ、無限の未来が約束されていた。その意味で、テープ的音響解析と合成をテープ音楽ではなくあえてオーケストラに落とした黛の試み(涅槃交響曲)は、未来の未来を読んでいたのだろうか。

 それはそれとして、バンドネオンというタンゴの楽器から、楽器の可能性を引き出したクロストークは、音楽としては面白い。楽器の発声の限界に挑んでいる感じ。テープはあっても無くてもよいような………。
 
 さて本命は、2006年の5月に東京オペラシティで行われた、武満徹作品展。星座の名にちなんた3曲の協奏曲が演奏された。

 協奏曲といっても、武満の曲はすべて、○×協奏曲という形をとらず、独奏楽器入りの管弦楽曲といったほうがニュアンスが近い。

 カシオペアは、大量の打楽器群が入るが、独奏である。これまで初演の小澤征爾指揮、ツトム・ヤマシタ独奏の演奏しか録音がなかったが、2つめというのがまずうれしい。しかも演奏がすこぶる良い。武満の打楽器は、他の現代作家とは根本的に異なり、基本的に、他の全てのオーケストラの楽器と同等というか同層の位置が与えられている。ため、いわゆる打楽器という音がしない。これがまた、不思議な感覚なのだが………。金属打楽器をこよなく愛した武満独特の打楽器法もあるのだろうが、とにかく、特に私のようなアマ打楽器奏者で、他の作曲家の打楽器アンサンブルとかもそれなりに聴いている身としては、武満の打楽器は、変な(独創的な)音がする。

 そんなわけで、ヤマシタのように、いわゆる打楽器コンチェルトとしてやられると、私は奇妙な違和感があったが、今回の加藤のように、独奏ながら、オーケストラの一部として演奏されるとこれがまた、全体の調和が非常に良い。

 それは、他の曲もいっしょで、ピアノコンチェルトのはずのアステリズム(や、アーク)なども、コンチェルトではないんですよね、基本的に。だから、独奏楽器入りの管弦楽曲と云ったわけですが、クラリネットのカンタズマ/ファントス、トロンボーンのカンタズマ/ファントスII  などもまったく同じです。チェロ協奏曲たるオリオンとプレアデスは、その中ではややコンチェルトっぽいでしょうか。

 ただ、今回のアステリズムは、上記のように、現代武満とも云うべきもので、68年当時の音では全くない。同じ曲なのに。不思議なことです。どっちの演奏法が好きかは、好みの問題でしょう。アステリズムに関しては、私は古い小澤の録音のほうが緊張感や、クレッシェンドの迫力があったなあ。高関は、そういう、ことらさクレッシェンドを強調するような(古くさい)演奏を意図的に避けたのだと思います。

 ジェモーは、オーボエとトロンボーンの2つの協奏的管弦楽曲が、合体したようなもの。はっきり云って、音響的にCDで聴くには限界のある音楽の最たるもの。演奏としては、初録音が既に1994年であるし、曲自体の、完成は86年なので、演奏にそんなにちがいはなかった。第1指揮者も同じ若杉だったし。トロンボーンソロも同じ。

 しかしこの曲は武満の最大規模の音楽のひとつで、時間的にもこれに匹敵するのはアーク全曲とオリオンとプレイアデスぐらいか。こういうのが再演されるっていうのは、大事ですよね。アイヴズの第4交響曲も似たような編成ですが、こっちのほうがいい曲だぞ(笑)

 2種類の楽器によるソロが、オーケストラの星空に、ことさら輝きつつも、ゆらめいて、融け行くさまが、とても美しい。我輩は、80年代のこういうオーケストラ曲が、武満の中では最も好きになってきました。前は、ノヴェンバーあたりの、60−70年代のほうが好きだったのですが、さいきんはどうも、古い録音は変に強張っているし、新しい録音は変に弛んでて違和感があって。

 それなら、80年代のほうが好きかな、と。

 でも、このカシオペアは、初期武満の演奏法としては、指標になるものだと感じました。さすが若杉さんです!!


5/3

 アシュケナージが1998年に録音していたシュトラウス作品集が今年の1月に発売になっており、それを買いました。

アシュケナージ/チェコフィル
 R.シュトラウス:皇紀2600年奉祝音楽(日本建国2600年祝典曲)
            交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
            交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

 もちろんお目当ては、2600年でしょう!(笑)

 これまで、作曲者自作自演の、グラモフォンのモノラルしか録音の無かった秘曲で、曲自体はたいしたことないのがまた録音が進まない状況にあったとは思いますが(笑)貴重な1曲です。皇紀2600年記念曲は日本人の曲はたくさんあるんですが、海外作品では、他にブリテンの「鎮魂交響曲」と、イベールの「祝典序曲」が、有名です。

 ブリテンは祝典曲に鎮魂とはなんだ、と、日本政府が受け取りを拒否していますが、それは、ブリンテはちゃんと事前にこういう内容でもいいか、と日本に確認してあったというのですが、文部省と軍部の(?)確執でも見え隠れする面白いエピソードです。

 さて、シュトラウス最晩年のこの機会音楽は、シュトラウスらしい、純粋なコンサート作品で、芸術性というものは特にない、言うなれば実用音楽にも近いもの。「海の風景」「桜の祭」「火山の噴火」「サムライの攻撃」「天皇讃歌」という部分に分けられるが、アタッカで進められる。アシュケナージのものは初めてのステレオ録音で、冒頭と最後の鐘(教会のチャイムではなく、お寺にある梵鐘の、釣り鐘ではなく本堂にあるもの)は、シュトラウス指揮では電気合成音だったが、これはどうなんでしょうね。日本での初演では、音程を探すのに苦労したそうですが。

 まさにシュトラウス超1流の、めくるめく管弦楽の洪水を、日本を題材にしてあるといいつつ、ぜんぜん日本的ではなく、まったくアルプス交響曲とかと変わらない規模で聴ける面白いものです。

 内容的にはまたしごく無難にまとめてあり、シュトラウスの職人魂も聴けます。ひとつハデな祝典曲を書いてくれ、と云われ、ここまで書ける作家は、やっぱり、そうはいないですね。ラストもことさらに盛り上がるのではなく、サーッと書いて、スパッと終わる、いかにも注文音楽っぽい覚めたもの(笑)

 それへ、どちらかというと芸術家というより、職人気質なアシュケナージが、またうまくまとめてあって聴き易い。アシュケナージは、こういう曲が得意なのかな? チェコフィルの管楽器も、豪快に鳴っていて素晴らしい。

 ティルもハデさは無く、うまく古風な響きが演出されていて良い。BPOあたりのギンギラギンの音よりも、こういうほうが、好きかな。

 ツァラも同様に、オーケストレーション的には、けしてそうでもない響きの中に、分厚い管弦楽を 「鳴らして見せる」 指揮の手腕。アシュケナージの演奏は私の場合ほとんどハズレなので、今回は大当たりでした。


4/25

 舘野泉による、吉松隆作品集の新作が出たので、さっそく買う。

 今回はお弟子の、ひらりん こと平原あゆみも、録音に参加している。

 アイノラ叙情曲集〜左手のための
 4つの小さな夢の歌〜三手のための
 プレイアデス舞曲集 IV
 ゴーシュ舞曲集〜左手のための
 3つの聖歌〜左手のための
 子守歌〜三手のための

 舘野泉/平原あゆみ Pf

 アイノラ叙情曲集 は、前作のタピオラ幻景に続く、舘野泉のための左手用作品。タピオラが、「自分が両手で弾いても難しい」 と吉松が云っていたほどの難曲で、そのぶん、構成力や、迫力に富んでいたが、今回のアイノラは、叙情曲集というだけあり、平明ではあるが、なんとも云えぬ美しさと共に、吉松の美へ対する強い意志が感じられ、それを舘野が同じく強靱な意志をもって紡いで行く。その中に、儚げな優しさや、冷たくも暖かい光線がきらめいている。素敵な音楽。こんな音楽を聴ける現代日本のゲンダイオンガクも捨てたものではないなあ、なんて(笑)

 4つの小さな夢の歌 は、吉松のむかしの旋律を自分で編作したもののようで、かつてはギターのための独立した諸作品だったが、ピアノにまとめて、曲集としたもの。既に田部京子による素敵な録音があるが、今回は舘野の依頼により、3手のために、さらに編作されている。3手というのがクセモノで、ピアノの中でも、珍しい部類。そりゃそうだ(笑)

 3手では、高音部をこれまで通り両手で、低音部を左手に書かれている。通常版よりも、低音が増えているので重厚感があるが、1手なのでけして主部の邪魔はせずに、嫌らしくない。なんとも、オーケストラチックな響きになっているのが魅力である。演奏も、この師弟コンビで回数を重ねているので息もピッタリ、すばらしい。去年の9月に地元での演奏会で、実演でも聴いた事があるが、本当に素敵な小品となっている。

 プレイアデス舞曲集は、ぜんぶで9集まである、7という数字を基幹とした作品集で、7曲からなる。これは第4集で、演奏は平原のソロ。

 全集は田部京子でCDがある。田部の演奏は透明感と詩情と繊細さにあふれた、ある種、究極の演奏であるが、平原の演奏は、舘野ゆずりのしっかりとしたタッチと、包み込むような柔らかさが魅力で、瑞々しくもあり、これはこれですばらしい。全集を入れる機会があれば、是非とも、田部とはまたちがった、素敵なアルバムになるだろう。純粋に曲としては、私は I や II のほうが好きなのだが。

 ゴーシュ舞曲集は、アイノラとは真逆の、ロックやポップス調の作品で、それがまた左手のためのものだから、不思議な響き。手1本で、こんなにも人間は多彩な響きを生み出せるものなのだろうか!? 感動というか、感嘆というか。ジャジーな響きはまだ音の数が少ないから分かるが、ロックやブキウギなどは、こっそり両手で弾いているのではないか? というほどに、とにかく吉松流のシンフォニーにも通じる楽しさ! 

 3つの聖歌は、吉松が、シューベルト、カッチーニ、そしてシベリウスの作品を編曲したもの。ただの編曲ではなく、左手のためのというのもあるが、元の名旋律を、実にうまく利用して、吉松ワールドを展開している作曲の妙もたまらない。もちろん演奏も最高。特にシベリウスの、フィンランディアの中間旋律でもあるフィンランディア讃歌は、なんともいえぬ神々しさすら感じさせる。とても左手だけとは思えない。

 子守歌は、田部京子のために書かれたものを、舘野が美智子皇后陛下と連弾するために、3手用に依頼されたもの。これもまた、素敵な淡雪のようなアンコールピース。

 アルバムは最後まで優しく、この曲で閉じられる。

 昨年の9月に、地元で行われた演奏会の模様は、コチラの9/20の日記をどうぞ。


4/21

 マーラーのたまっている分を、4種類、聴きました。

 デプリースト/ロンドン響 5番  
 アバド/ルツェン祝祭管 6番 L2006
 ドラティ/ベルリン放送響 9番 L1984
 アルミンク/新日本フィル 大地 L2005 

 デプリーストのCDって初めて買った。関係ないけど、デプリーストさんは、プリーストさんではない。というわけで、デワールトさんも、ワールトさんではない。はず。

 いや〜、5番いいね! 金管が!(笑)

 ロンドン響はどうしてこう、ブラスがブカブカと気持ちよさげに鳴らすんでしょうか!w 1、2楽章は、とてもリアルに音符が鳴り響いて、動きがすばらしい。

 のですが、3楽章以降は、とりあえずイマイチでした。5楽章とかノリもよくって、4楽章もとてもきれいでしたが。

 やっぱ鬼門は3楽章か………。★4つ。

 アバドの6番はほんとうにすばらしい!!!

 これはかの伝説のトウキョウライヴではなく、ルツェンでの公演らしいです。日本ライヴを、なんとかCDにしてもらえないだろうかなあ。せめてCDで聴きたいです。SACDで。

 アバドのマーラーは、さりげなく、対旋律を旋律として鳴らしてくれたりして、とてもオモチロイ。今回、アレッと感じたのは、1楽章コーダの、練習番号45の、第1第2ヴァイオリンが、木管といっしょに、タタッタター♪ と、金管とかけあいをするんですが、ここがこんなにキレイになっているのを聴いたのは初めてかもしれない。(そうでないかもしれないけど。)

 2楽章アンダンテも、だいぶん慣れてきました。やっぱり、スケールというか、ストーリーというか、まさに悲劇的な劇的観が薄れるので、純粋音楽っぽくなって、古典が好きな人は、こっちのほうがシックリ来るのではないでしょうか。

 どうもスケルツォ(CD2枚め)からの録音がさらに遠くなって、そんなに感激はしませんでしたが、ルツェンでも、終演後に20秒くらい、静寂があったのですね。スバラチイ!

 あーあ、実演で聴きたいなあ。5・6・7番はマーラーの、管弦楽が驚異的に進化した曲なので、もう究極の音楽のひとつですね。★5つ。

 ドライティのマーラーって初めて聴いたような気がします。1984年のライヴです。しかも9番です。

 これがまた、いいですねえ!!

 硬派! なマーラーの最高峰です。1楽章の組立もいいし、やっぱりいい9番は2・3楽章がいいですね!♪
 
 2楽章は刺激的だし、3楽章はとぼけていて、面白い。そして4楽章が、感傷的ではないのがうれしい。低弦の響きにひそむ、暗黒の部分が、見事に鳴っていました。★5つ。正規だったら☆でもいいカナ。

 最後は新日フィルの最新盤。あー、まずまずですねえ。オケは。歌手がちょっとかなあ。。。テノールがなあ。指揮は若い人なので、サッとまとめて、きれいに鳴らしていました。SACDなので○4つ。併録の、ヴェーベルンの6つの小品のほうが良かった。

 今後も、残っているマーラーを少しずつ聴きます。9番だけなぜか10種類以上、手元にあるのだが。


4/12

 フォンテックより、湯浅譲二の新盤が出たので聴きました。

 湯浅はフォンテックの邦人シリーズの第1作を1993年に飾っていたが、その後、ぷっつりと発売が途絶えて、2004年に11年ぶりに次作を発売、そして2007年と、最近また力を入れて発売しています。実にうれしいことです。

 くわしくはこれから湯浅ページを改訂するので(したら更新履歴に上げます)、いずれそちらをご参考いただき、こっちは簡易に。

 オーケストラのための時の時は1〜3まであり、長く第1部(第1楽章)の尾高による古い録音があるのみだったが、ギーレン/N響による全曲初演の模様が発売された。ヴェーベルン様式の第1楽章のみだったらなんとも唐突に終わって物足りないものだったが、それから派生する伸ばし音形が特徴的な2楽章、それらの合わさったような3楽章がアタッカで聴けることによる構成感と完成度はやはり高い。

 コズミック・ソリテュードは独唱、合唱入りの作品で、湯浅の中でも珍しいでしょう。いまいち印象が薄かったかな。(ソリテュードのシリーズもあります。)

 クロノプラステック(可塑的時間) も、オーケストラのための1〜3まであります。今回、2が録音されたので、全曲、録音ができました。1は70年代の前衛もゼンエイ、バリバリ夕張にゲンダイオンガクですが、2はその26年後の作品。ゼンエイ手法は健在ながらも、如実に旋律が潜んでおるとのことで、非常に聴きやすいです。作品もヴォリュームがあります。

 そして内触覚的宇宙(コスモス・ハプティック)のシリーズは、これで5作目。しかもオーケストラ。1と2がピアノ、3が二十絃筝と尺八、4がピアノとチェロ。5作目の最大の特徴にして問題は、

 
湯浅が盆踊りを使っていること。

 すわ、民俗楽派に転向か!? 

 さにあらず。

 ここで聴ける盆踊りのリズムと旋律は、民族的始原のエコーという事らしい。完全な抽象の世界にかすかに鳴る民族的始原精神の残影。それを浮き彫りにすることが、湯浅にとっての新たなるゼンエイという意味で。まあ、この手法は、湯浅の中の珍しい現象にとどまると思うが、非常に新鮮な驚きと楽しさに満ちており、好きです。盆踊りのバックが実に真空の世界なのがまた、いい味を出している。

 宇宙から見下ろす地球と月の原風景から、かすかに暗黒と星空に聴こえる盆踊りの響き……。

 なんというシュールな世界なのだろうか。

 始原への眼差し もシリーズで1〜3とあるが、1はクセナキスが作った図形作曲コンピュータUPIC(ユーピック)による電子音楽で、コレがまたキテレツ極まりなく、湯浅の最高傑作、なのかどうかは聴き手の判断による。

 2と3がオーケストラのためのもので、2は1993年の盤があり、今回、3が発売となった。

 2が人類への始原を見つめたとの事で、3は、なんと宇宙の始原を見つめたらしい。物事の奥を見つめるのも、ここまで行けば私のような者は途方に暮れてしまう。 

 音楽というものを、西洋音楽とはまったく別次元で表現できないか、という姿勢。そして、音響エネルギーが創り出す時間的変遷。それが具体化したものが、湯浅の「曲」「音楽」だとのことだが、なかなか容易に判別できはしない。

 ここにある精神世界の心象風景の音形化ともいえる、まったく厳しくも、どこか懐かしい純粋たる響き。それはまさしく、現代から未来にむけて想像される、斬新なる物としての、音響表現だと思いました。


4/7

 ノイマン/チェコフィルのマーラー全集(大地除く)BOXを聴く

 1977〜1982年に渡る、いわゆる旧版。前回聴いた、旧5番の4chSACDほどではないが、昔の輸入盤や、徳間のスプラフォン廉価版よりは、ずーっと音質がよくって、とても満足した。

 全体としては、ノイマン60代、さらに、云わずもがなの、チェコフィルの素晴らしい管楽器の名手たちが、脂の乗りきった時期であること、そして、テンポはやや速め(というか、入りが常に前に前にとられているというか。それによって自然な勢いが増し、音楽が活き活きと動き出す。)にとり、リズムはキビキビと引き締まって歯切れが良く、響きは硬質で、フレーズは瑞々しく伸びやか、新古典的な面白さがある。逆に云うと、スケールが小さくなっている曲もある嫌いもあるが、もっと若い指揮者の、勢いと音量だけでスコアを盛り上げるものとは異なり、独特の深みがそなわっている。これが途中のノイマン急逝により頓挫した新録選集盤となると、円熟と枯淡の極みになるのだが、そういうのとも異なる、実に活きの良い元気さに溢れている。(新盤はSACDで再発されたので、ぜんぶそろえて聴いてから比較します。いまいち昔のキャニオン盤では良さが伝わりにくかったと思います。だから全部は買ってない。それでも2番や6番は孤高の名演だ思いましたが。)

 また、私はノイマンのマーラー手法が実に性に合っているというのに気がついたです。クーベリックより好きだ〜。

 以下、箇条書き。

 1番 1番は全集を聴くほどの人になると大体が苦手の音楽で、どうも他のマーラーと比べると変に作為的でいけない。つまり作為的に簡易に作曲したのだが、それはもちろん、そのほうがお客にウケて印税生活ができると目論んでいたのだが、アテが外れて死ぬまで劇場地獄だったのはご存じの通り。まあそんなわけで、開き直ってガンガンに鳴らしてくれたり、作為的なところをあざとく演出したりすると存外面白く聴けるのだが、このように素朴にとらえたり、変にこだわったようにスケールが小さいと、あんまり面白くない音楽となる。でも演奏は上手なので★4つ。

 2番 ノイマンは2番が得意だったのかと思わせる、1番とは異なる実に伸び伸びとして特徴ある旋律が高らかに歌い上げられた、素晴らしい演奏。かつ、ドラマティックな音楽造りが実に堂に入っており、安心して楽しさに浸れる。もちろん、金管の巧さは格別の味わいがある。ところが、これも力んでいるというか、2番独特のスケール感が無い。2番はまだ単純な音楽なのだから、変に真剣にやるより、アッケラカンと豪快に重々しく鳴らしてしまったほうが、面白いのではないか。★4つ。

 3番 3番もまた、実に堂々とし、また、ノリノリの勢いと豪快な吹き鳴らしによる金管群と、鋭くも重く歯切れの良い打楽器が心地よい。特に1楽章がいままで聴いたことも無いほどに快活な表現で、実に良かった。しっとりとしてマーラーの中の旋律美を引き出した2楽章との対比も面白いし、ダラダラした演奏だと飽きがきがちな3楽章も、ポストホルンの名演もさることながら、全体としてダレないリズム処理でなんの心配も無く楽しく聴ける。また木管や弦楽も、もちろん素晴らしい。1〜3楽章の自然主義的な描写は完璧と云える。うって変わった、4楽章の深刻なニーチェ主義による人間讃歌、深いアルト。その対比である5楽章の無垢なる信仰の確認。同じアルトの歌う、イエスへの懺悔が心を打つ。さらに、マーラーの結論である所の、愛の肯定、愛=神の肯定を素直に吐露した第6楽章に到り、ノイマンの無為なる歌い上げは、頂点に達する。ただ一言。名演。★5つ マーラーベスト変わりました。

 4番 これまでとはちがった楽しみ方を強いられる4番。とかくリリカルな面や構造的に5番に通じる部分などを強調されがちだが、ノイマンのアプローチはあくまで旋律を丁寧に紡いで行くもの。1楽章はマーラーによれば第7主題まであるものだが、事細かに歌われ、2楽章のグロテスクさや牧歌的雰囲気との対比も面白い。対旋律も、あくまで旋律として奏でられる。3番の6楽章に匹敵する 「聖ウルスラの笑顔」 たる3楽章の歌い込みは、疑似フィナーレとして最高に盛り上がる。ティンパニの最期の連打からトレモロは、実にニクイ。真のフィナーレであり、3番4番の頂点でもある、4楽章は、しっとりとして、サラリと進むのもニクイ。★5つ。

 5番 ふはッ! 良い! しかしさすがに、SACD4.0ch にゃかなわないナア。当たり前か。まず全体がダレずに、進行がスムースで、どんどん攻め込んでくる。淀みが無く、音楽の流れが心地よい。構成的に難のある5番は、こういうほうが楽しい。しかも旋律がよく歌われているし、重くない。管楽器はうまいし、リズムもよく、云うことが無い。3楽章を軸としてよく回転している。うーん、あえて云えば、もう少しだけ、熱狂的な、祭典的盛り上がりを演出できればいいカナーなどと。贅沢な悩みですが。★5つ。

 6番 これは前からバラで持っていた。久しぶりに聴き直してみると、テンポがやや速くてコセコセしているのを除けば、かなり表現的にも良い演奏。しかし、個人的にはやはり6番はもう少しゆったりと余裕を持って鳴ると、面白い。5番や7番ほどではないかもしれないが、やはり複雑な音楽なので、ゴチャゴチャしすぎて聴こえる。古典的な外観を装ったのか、それとも、楽譜の版の問題か。あの達者なチェコフィルが、かなり無理して鳴らしている様にも聴こえて、聴き苦しい。そういう効果を狙っているのかもしれないが。しかしハンマーのときの 「カキンッ!」 っていう金音はやはり慣れない。なんでカキンッ!なんだろww ★4つ。

 7番 そういう7番は僅かながらの差で2枚組なのが、ノイマンの6番観を表しているかも。数分の差なのですけどね。さて、7番といえば、チェコフィルがプラハでマーラーの指揮の元、初演したという曲。チェコフィルにとっては最高に重要なレパートリー。のはず。7番はノイマン全集の新集では未録音ため、この旧盤は貴重。全体としてまずこの音楽の命とも云うべきリズムが完全にノリノリで活き活きとして活性化しているのがうれしい! ノイマンさすが!! 金管にときおり音ミスの様なもの?があるのがなんとも云えないが、合ってるのかな? そこまでは分かりません。マーラーの管弦楽法の究極である第1楽章だけでもこの録音を聴く価値がある。(ピッチ高い?) 2楽章のホルンもうめえ! そしてこの歌い方のすっきりとして見事なこと! 3楽章も、あまりエキセントリックではなく、上品。こりゃ久方ぶりの名演に遭遇か? ………と思いきや、どうも肝心の4・5楽章があんまり良くない。「のたっ」 って感じ。録音が離れているからかしらん。★4つ。

 8番 のだめ(アニメ)のせいで、かなりこの曲(の冒頭)も、メジャーになったのかなーなんて考えすぎだな。しかし冒頭はホントに燃えますなあ。結婚式の入場でつかいたいくらいですよ。ノイマンはスケール大きく(この曲をやる場合、たいていは大きいが、たまに小さい信じられない演奏があるのも事実。)テンポも大きくとり、どっしりと鳴らし尽くすのがうれしい。金管が元気なのがこの曲の魅力を大きく左右する。歌唱も、うまいような気がする。(歌はすいません、それほど分かりません。) けして大仰にならず、かといってスケールも大きい。そういう演奏が8番にはうれしい。ソロと合唱の距離感もナカナカ良い。たまに男声が苦しそうにしているような気もする。1部は再現部からの迫力が凄い。2部はソロは良いがなんか合唱の音程が悪いような気がする。自分が音痴だから自信はないけど。良いけど、★4つ(笑)

9番 これもまた、非常に良い、レベルの高い演奏だと思います。がー、こんなこと、30代のワタクチが云うのもなんなんですが、生気に満ちあふれているというか、非常に健康的というか、9番の演奏じゃないような?? なんといいましょうか。この曲はやっぱり死にかけに似合うというか。精神的にですが。演奏が死にかけじゃいただけませんが(笑) もっと1楽章は切羽詰まってほしいし、2楽章は緊張感があってほしく、3楽章はニヒルになってほしく、4楽章は、忘我になって、歌を歌うしかなくなってほしい。マーラーはこの音楽で、ついにアタマが宇宙の端に行ってしまったのだ。そして、かの10番で、新たなる境地に達している。10番を9番の延長のようにしている演奏はだから物足りない。それはそれとして、★4つ。

10番 全集版なので、1楽章のみ。全集版は実はクック版より 「薄い」 のだそうですが、なるほどそれで、なかなかヴォリューム感が無い。これをたっぷりと鳴らすには指揮者の補筆が必要なのだろうか? それとも、弦へ極限の集中力を強いるのだろうか? それとも解釈の問題か。★4つ。

 マーラーはどうしても録音状態がモノを云うから、やや心配していたが、特に問題も無く、演奏もコセコセしたイメージがあったが、番号によってはそうでもなく、全体として、まずまず良い買い物だった。全集としても、お薦めできる。全体として★4つ。

 また、今、旧録全集の白眉 3番 5番 
 


3/10

 いろいろと行事やその他で、家でCDを聴く時間がとれなく、必然、ここの更新も滞っております。まあ気長におつきあいいただければ深甚に思います。

 ショスタコーヴィチを3種類ほど聴きました。

 ショスタコも最近はキリが無いので、大分、新譜は買わないようにしておるのですが、どうにも、気になるものが出てきます。

 ビシュコフ/WDR交響楽団 11番 ★4つ
 ザンデルリンク/ベルリンフィル 15番 L1999 ★5つ(併録、ハイドンの82番 L1997)
 スヴェトラーノフ/ロンドン響 8番 L1979 

 
 既に星の数を書いてしまいましたが(笑)

 ビシュコフは、若干期待はしていたが、ライヴならもっと凄いという評もあるが、1回でいい。もしくはもっと歳をとってから聴きたい。なんか張りきっているがオケがついてきていない。中途半端で残念だった。若い指揮者としては、凄い頑張ってはいたが。ここぞという鳴りはあるが、そのまま突き抜けてほしい部分で変に優等生ぶる。ショスタコってそういう音楽だと、存外、つまんない。ヤルヴィ/エーテボリ響の突き抜け過ぎて1回転して戻ってきてさらに半回転している様を聴くと、よけいそう感じました。

 いま流行りの楽団自主製作で、SACDなのにたいした音じゃないのも点数が低い要因。

 ザンデルリンクはまずハイドンの熊があって、それかまたなんとも味わい深い、良い演奏(笑) 10年くらい前の比較的新しい演奏なのに、なんだこの往年のクレンペラーのような重厚さは(笑) それへBPOのサウンドが、キラキラしないで、燻銀のようにどっしりと構えられるものだから、とにかく、立派。でも重くはない。ハイドンの小洒落た雰囲気などもよく伝わる。ハイドンは実は悉く4楽章が白眉で楽しいというのが、よく分かった。熊の由来である、終楽章のブーンブーンという低弦のうなりも、あくまで音楽的に進められる。素晴らしい。

 こういう言葉で片づけたくはないが、これしか思い浮かばない。巨匠。まさに巨匠の芸風でしょう。

 そんなわけで、ショスタコの15番という珍しいレパートリー。ザンデルリンク(あ、もちろん父です。)はムラヴィンイスキーのアシスタントで、ショスタコとも面識があったから、彼独特のドイツ風というと語弊があるかもしれないが、どっしりとして、構成的にしっかりと鳴らされた、面白いショスタコが聴ける。5番なんかも良い演奏。

 15番は、打楽器群が動員された、木管なども非常にソロイスティックな難曲だが、膨大な編成の割には、室内楽的に軽く響く。そこで各楽器のつながりや、縦の線をかなり丁寧に、落ち着いて鳴らしており、それが結果として、余裕のある、構成力に富んだ、かつ繊細な大人のというか大人(たいじん)の、円熟されつくされた演奏になったのでしょう。

 これも楽団自主製作盤。

 スヴェトラーノフはショスタコ全集でも作っていそうな気配だが、何故か、5番7番9番しか私は聴いたことが無かった。特に8番が無いのが不満でしょうがなかったが、このたび、ライヴ録音で客演ながら、秘蔵音源が出てきた。狂喜乱舞の獅子舞踊りである。

 まず1楽章の、相変わらずのスヴェトラ節というか、この異様な遅さに仰天するだろう。しかも、アダージョで、音が研ぎ澄まされつつ、どんどん遅く、かつ大きく厚くなるのには、恐怖すら感じる。なんというカタストロフ。手法としてムラヴィンスキーやコンドラーシンの対極を行く、凄まじい集中力。アレグロも、じっくりと鳴らされる。もっと鮮明なら良かったが、贅沢は云えない。しかしこの、若干の音のハズシ(特にホルン)も厭わない、金管の鳴りっぷりは、さすがロンドン響でもあるし、スヴェトラでもある。

 2楽章のなんという粘っこさ。納豆か。いや、餅か。しかもこの、相変わらずの、ダンプカーがブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような、巨大で重いものがムリヤリ進んで行くような、独特の突進力は、素晴らしい!!
 
 2楽章でこうなのだから、3楽章など、聴く前から恐ろしくて恐ろしくて………(笑)

 最初は、地味に始まるが、木管が入ってきて緊張がいや増し、トロンボーンやトランペットで暴力的迫力がついて、打楽器で爆発!! 

 
ゲイジュツハ バクハツダア!!

 ゴジラか? ゴジラでも現れたのか?

 いや、録音が甘いので、正直、それほどでも無いですが……(笑)

 そのまま、ラルゴに突入するが、この演奏では、炸裂する音響よりもむしろ、緩徐的な部分においての、いわゆるスヴェトラーノフクレッシェンドにあるような、もの凄い音圧で周囲を圧倒するような手法を聴くのが面白いと云える。それは特に1楽章で威力を発揮する。

 ラルゴも、清浄や、鎮魂というたぐいではなく、おどろおどろしく、戦場の鬼火を見るような想い。各楽器のソロが不気味である。

 5楽章は最初しっかりとした鳴らし方で始まり、楽しい調子になるが、しかし、やはり、楽想が暗くなって行くのをうまく表現している。コロコロ変わるようでいて、最後のあの恐怖にもって行く音楽を、ムラヴィンスキーのように淡々にでも無く、コンドラシンノように強圧的にでも無く、じっくりじっくり進めて行くところが、良い。迫りくる恐怖にあきらめきったようなラストも、淡々としていつつ、骨太に鳴り響く。

 7番のようなバカみたいな鳴り方をする曲ではないし、9番のような諧謔に溢れているわけでも無い。意外と地味で渋い音楽で、そのぶん、真実味と、説得力に満ちているというのを、確認した。ムラヴィンスキーやコンドラーシンでは、迫力や狂気に負けて聴きとれない8番の真摯な部分。それを聴くことができる。(客演のせいかもしれないが。)

 8番ベスト変えました。
 
 楽団自主製作。なんだ、みんなそうだったのか。


2/25

 札幌交響楽団の2月定期(2日め)に行ってきました。

 尾高忠明/札幌交響楽団/石川祐支Vc(札響首席奏者)
 ブラームス:第2交響曲
 ショスタコーヴィチ:第1チェロ協奏曲
 パヌフニク:祭典交響曲

 ブラームスがさいしょだったです。ブラームス自体、実はあんまり聴かないのですが、2番は中でもいちばん聴きやすいかな。好きですね。1回、アマオケで演奏した事もあるし。激ムズでしたけど。札響はもともと透明な音質なので、ブラームスも軽いというか、かなり古典派に近い響きで、尾高の指揮も、ベーレンライターのベートーヴェンみたいな雰囲気。1・2楽章はちょっとそういうわけで軽すぎかな〜と思いましたが、4楽章は逆にノリノリで良かったです。

 ショスタコは、編成もほぼ弦楽合奏に、木管が2管で、その中にホルンが準独奏で1本あるという特殊編成。かなり難しい曲なのだが、石川さんは、熱演で、弾ききりました。この人は、かなり上手な人で、日本のなかでも若手では、上位に来ると思います。ほんと、よく弾いたよなあ。

 んでもって、メインのパヌフニク。尾高の父の尾高尚忠がヴィーンでヴァインワルトナーに師事している時、パヌフニクも同門だったとのことで、息子の尾高忠明も、パヌフニクとは生前、つきあいがあったとのこと。この祭典交響曲は3番に相当し、ぜんぶで10曲も交響曲があります。中ではいちばん聴きやすいかな。

 しかしもちろん札響初演でもあったのですが、もう少し鳴るかと思いましたが、やっぱりイマイチ鳴りが足りなかったかなあ。CDではそれこそショスタコかマーラーかというほど鳴ってましたが、思っていたより編成も少なかったし(通常2管に、ペット4本とホルン6本が特殊)どうなんだろ、CDはスタジオで大きく鳴らして、ステージではあれが普通なのかな? よく分かんないけど。珍しい曲をでも実演で聴けるというのは、良いと思います。特にこんな田舎(北海道)では、聴衆の啓蒙も大切でしょうし。


2/14

 ストラヴィンスキー少々

息子ヤルヴィことクリスチャン・ヤルヴィ/ノーランド歌劇場管弦楽団
 3楽章の交響曲 小管弦楽の為の組曲1・2番 4つのノルウェーの情景 シベリウスのカンツォネッタの編曲 (あとヒンデミットの管弦楽の為の協奏曲)

 あ、SACDなんですが、3楽章が良かった。やはりこういう複雑な音楽は、良い音響のほうが面白い。あと新古典主義の曲は、良いと思う部分もあるが、なんかノリが悪いというか、変なノリというか。シベリウスの珍しい編曲ものは、まあまあ良かった。ヒンデミットは曲が私はダメ。

ロバート・クラフト/聖ルカ管弦楽団/フィルーモニア管 他
 3つのロシア聖歌(パーテル・ノステル アヴェ・マリア クレド) ミサ 古いイギリスのテキストによるカンタータ カンタータ「バベル」 詩篇交響曲

 クラフトのストラヴィンスキーは評判が高いようなのだが、私はサッパリ。のぺっとした演奏ばかりで、キレが無い。中にはこれぞというのもあるのだが、緊張感が続かず、イマイチ。全体的に、面白くない。この中では、ミサがまあまあ、詩篇が生々しくて良かった。この生々しさは、作曲者の指揮ゆずりかもしれない。もっとも、ゾクゾクするのは1楽章だけ。

ブーレーズ/グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団 
 春の祭典

 1997年のザルツブルク音楽祭のライヴだそうです。併録は、バルトークの初期作品・オーケストラ組曲 と 自作・ブーレーズのノタシオン I〜IV です。

 指揮はまあまあだが、オケがなんとも。いや学生にしてはメチャクチャ上手いのですが(笑) これならPMFのほうが技量は無いかもしれないが魂がある。PMFにブーレーズいつ来るんだろ。という話は置いといて、ブーレーズが丸くなるのは、円熟というのだろうか?

 お金のわりに損した気分になった。


2/13

 テンシュテットを数種類聴く。

テンシュテット
 /ボストン響 ベト5 L1982
 /ロンドン響 ベト6 L1992
 /クリーブランド管 ブラ4 L1975
 /ロンドン響 ブル4 L1989
 /北ドイツ放送響/アルゲリッチPf/ショパンPコン2番 シューマンPコン L1979

 もう海賊盤アリアリで既出のやつと同じ音源なのだかどうだかもよく分からなくなっている状況です。すべてを日付まで網羅するほどマニアではありませんので。
   
 ベト5、6とブラームスは海賊なんですが、音が悪すぎで、ちょっと。。。★4つ。

 ブルックナーは良かったですねえ。HALLOO盤と同じなのかなあ。聴いた分ではぜんぜん違いますが。私が持っているだけで6種類もあるのだな。みんなイイですけどね。これは本当に良かった。各主題の描き分けといい、情景といい、作為的という人は絶対にいるような演奏なのですが、それがイイ。全てのフレーズを導いて、絡めてゆく。ブルックナーの朴訥さからは遠いでしょうが、音楽のもつ生命感は最高です。ブルックナーをピクチャーのように鑑賞する人からは、受け付けられないものでしょうね。★5

 コンチェルトも良かった! ショパンなんか同じ音源のもの3枚目!ww

 録音も、もっと凄い良いのかと思ったら、まあ、普通。海賊より良かったけど。

 しかし、不思議なのは、テンシュテットはコンチェルトの伴奏が得意ということ。

 あのいやらしい(笑)コネクリ指揮で、よくぞオーケストラとソリストを合わせるって。しかも、小澤の指揮ですら(笑)扱いきれない、じゃじゃ馬アルゲリッチでっせ。指揮もオケも無視して進む進む、ある意味のだめのようなピアノ。

 そこはアルゲリッチのほうも、テンシュテットの芸術性や、あるいは鬼のようなリハに感服して、自在に2人で息を合わせて行ったのでしょう。たいへん、貴重な記録だと思います。★5つ やっぱテンシュテットは千秋タイプなのか。


2/5

 不気味社の冬の新作が出た。不気味社音楽応用解析研究所の所長に会う機会があったので、直接手売りしてもらった。

 今回は、豪快な大魔神。

 じっさいに映画館で伊福部サウンドを体験したのが大学生の平成キンゴジであるわたしは、まさに伊福部映画の空白期に小中高を体験した世代。

 というわけで(?)大魔神も観たことがない。いやレンタルでもなんでも観れば良いのだが(笑) なかなか観る機会がなくて。。。

 こういうのは えいやっ! ってやらないとなかなか行動にはたどり着かない。

 それは良いとして、個人的には、大魔神の音楽は他の伊福部特撮サウンドと比べて、独特の音がすると思う。東宝と大映のちがいがあるのかどうかは知らないが、ゴジラ等と比べて、スカッとしない、不思議な聴感で、どこまでも不安を煽る。それが音楽学的にどういう理論なのかは専門ではないので分からない。半音進行や、調の関係、終結和音の無さ、旋律の分かりづらさ、などにあると思う。

 それが何を表しているのか………我輩ごときが云うまでもないことだが、大魔神という映画のテーマや特徴に、見事にマッチしているのではないか。大伊福部、さすがの仕事だろう。

 さて不気味社。さいしょはコミック調でアルプスの少女ハイジとか、サザエさんとか、ゲーム音楽とか、いまでもピンクレディーとかを、野太い男性合唱(しかも上手い)で歌うパロディー企画だったのだが、伊福部サウンドを、しかも基本的に歌ではない楽曲を歌っているのが、オリジナルの発想であり、面白さであり、新たな魅力の発見である。このことは、最近とみに各関係者にも高く評価されている。

 なにせ伊福部昭本人が、新作が出るのを楽しみにしていたというのだから。さすがの大人(たいじん)っぷりというか。かつてアカデミックの総本山たる東京芸大で 「芸術家たるもの地蔵のアタマにカラスが糞をたれた痕を見て美しいと思うような感性が必要云々」 と、アウトローであることを良しとし、弟子連を心酔させた価値観は、老いても変わらず。益々ご尊敬申し上げるエピソードの中心に、いま、不気味社はいる! 

 大魔神3部作から抜粋だが、基本的にこの3作は似たような楽曲で統一されているので、変化には乏しい。しかしそこは人声をもって台詞(パロディーなのだが前述のとおり観てないので、笑うに笑えねーww と笑っている。)を入れたり、裏表紙で木部与巴仁センセが杭打ちの刑になってたりと、随所に仕事があり、楽しく聴ける。

 そう、不気味社の音楽は楽しい。面白い。単純に聴いて面白い。深読みしてなお面白い。続けて聴くと疲れるけど面白い。たまに聴くと面白い。

 そういう創作活動は、狙ってできるものではない。

 その根底にあるのは、伊福部芸術への、憧憬と愛情と、使命感、達成感なのだと思う。

 「シャガー!」


1/27

 先週の日曜日、地元で札幌交響楽団のニューイヤーコンサートと題された演奏会がありました。

 尾高忠明/札幌交響楽団/上野真Pf

 ラフマニノフ:第3ピアノ協奏曲
 ドヴォルザーク:第9交響曲「新世界より」

 まあベターなんだか、マニアックなんだか分からないプログラムですが。残念ながら、会場の昭和40年代の薫りのする文化ホールがサイアクの音響だった点以外は、非常に良い演奏会でした!!

 上野先生は地元出身で、私も市民オーケストラで2度ほどいっしょに演奏させて頂いたことがあります。線が細いのだが、技巧派で、硬質な音を作るタイプ。

 ほとんど40分間休みなしでオーケストラをリードし、語りかける3番は、異様な集中力と体力と技術を要する曲。上野さんはちょっとリハでハリキリすぎたかな、という感じで3楽章はたいへんそうだったが、全体的にとてもよく弾きこなして、堂々とした風格にあふれていました。

 さて、本命の新世界。このド名曲、尾高さん曰く 「本場のチェコでは、若いやつは振らせてもらえないほどの、大曲」 ということで、細かいところにも隅々にまで指揮者の手の入ったもので、漫然としたこれまでの通俗有名曲扱いしてる単純で追従的な指揮への挑戦とも云える、シンフォニックかつ、機能的ともいうべき、まさに新世界なる新世界でした! なんというか(笑) 凄かったんですよ!!

 4楽章の例のラストが終わった瞬間、音が静かに消えて行き、マーラーの6番か9番でもやっていたかというほどの静寂が、数秒続き、尾高さんがすーっと手を下ろし終わってから、おもむろに拍手が起こりました。

 尾高さんはその様子にいたく感じいって、海外でもこんな経験は無いとご満悦だったそうですが、田舎のお客は拍手するタイミングをみんなよく分かっていなかっただけのような気もしました(笑)

 その後、打楽器の後輩を連れて、札響打楽器の真貝先生と、ヤキトリを食べに行きました。ヤキトリは、当地ではいわゆる豚串で、豚バラ+タマネギ+洋カラシです(笑)

 なんでまたそれがヤキブタではなくヤキトリなのかは話すと長いので話しませんが、食べると美味しいので何でもいいのですwww

  日本カスタネット協会の大会長!! 元札響首席打楽器奏者真貝先生です。

 いつでもカバンにカスタネットが!!(笑) みんなビックリ!

  日本カスタネット協会室蘭支部 及び 日本打楽器協会北海道室蘭支部 で(笑)


1/23

 知人のご好意で、ショスタコーヴィチの入手困難な上に超絶演奏の盤をコピーして頂きました。

 スラットキン/セントルイス響 4番
 ヤルヴィ/エーテボリ響 11番「1905年」 交響詩「10月革命」 ロシアとキルギス民謡のによる序曲
 バルシャイ/モスクワ室内管/ミロシニコワSop/ウラジミーノフBr 14番

 凄いラインナップ!!

 特にスラットキンとヤルヴィは演奏もさることながらオーディオとしてのCDの限界をゆく、超優就録音で、
ショスタコーヴィチってこんなに喧しかったのくわ! と目を白黒することができる。

 4番はまたトラックが細かく分かれているのも配慮されており、勉強にも適している。ただ聴くとのんべんだらりとして聴きづらい4番も、曲の転換点でトラックが上手に切られているので、非常に良い。また演奏も、それへあわせてメリハリが非常に効いている。こういう4番は、純粋に面白い。また3楽章も同じく様々な楽想を面白く演出し、アメリカ人的なエンターテイメントで深みが無いと云えばそれまでだろうが、旧ソ連系の精神的な演奏に比べてショスタコーヴィチのめざした音響の再現度は比較にならないため、その点数は高い。

 特に感動したのが、3楽章コーダの前のティンパニの連打。実は2台(2人)で叩いているこの不思議な音形は、あんまり目立たないように叩かれるのが普通なのだが、期待を裏切らない大連打!!(笑) ★5つ。

 11番もすばらしいオーケストラの大伽藍を楽しめる。こんなにこの曲は充実した内容だったか? 1楽章の鬱々とした雰囲気、しかしムラヴィンスキー等旧世代のモノクローム的な雰囲気とはまるでちがった、デジタル映像の、いま、その時の、1905年というべきか。記録映像を見るのではなく、タイムマシンで、過去に戻ったというべきか。2楽章の迫力は筆舌につくしがたい。演奏によってはだれてしまうこの曲を一気に聴かせる手法。見事というしかない。☆。

 併録も嬉しい。交響詩「10月革命」も地味に鳴り物系の面白い交響詩だが、これだけ鳴れば音楽も本望だろう(笑) そして、ロシアとキルギスの民謡による序曲も、ショスタコーヴィチには珍しい民族系の旋律が踊る音楽で、希少性を増している。この曲は訳によって 交響詩「ロシアとキルギス民謡の主題による序曲」 とかもありますが、序曲なのに交響詩とはこれ如何に、とは冗談だが(笑) 音友 「作曲家別名曲解説ライヴラリー15 ショスタコーヴィチ」 の記述に従いました。★5つ

 最後は、バルシャイのスタジオ録音による伝説の演奏。バルシャイにはヴィシネフスカヤがイッちゃって歌っているライヴ盤もあるが、録音は悪い。こちらのほうが、歌はおとなしいがその分しっとりとして、非常に奥深い良い演奏です。★5つ。


1/18

 マーラーの1番を3種類聴きました。

 アンチェル/チェコフィル
 テンシュテット/ロンドンフィル L1985
 ケーゲル/ドレスデンフィル L1981

 アンチェルは昔のやつのリマスタ版なのだが、リマスタのくせに高音域が思い切りカットされて、正直、ヒスノイズは消えても、よけい聴きづらい。

 でも、絃や、打楽器の古風な響きは面白いし、なによりアンチェルの指揮ぶりが相変わらず独特である。サラッと進みつつ、変なところにこだわって、それが微妙に絶妙な演出をしていると言うか、変ではなくって、まあようするにマニアックと云うか(笑)

 1楽章の序奏からそのこだわりがある。練習番号3からのバスとチェロの上昇形の裏旋律が、ホルンや木管の下降形の旋律と地味に対比しているが、その対旋律というほどでもない、裏の旋律が、目立つと言うわけでも無く、不気味に際立つ。そのバランス感覚。

 そして呈示部にはリピートが無く、やはり全体のプロポーションを重視している。ここを繰り返すと、実は、1楽章は呈示部が全体の2/3ほどもある変な音楽となる。リピートを無くすと、半分くらいになってまだまともだったりする。なるほど。ラストのティンパニのソロにも、絶妙なクレッシェンド。良い効果。

 2楽章と3楽章においては、ハデではないが、本革のティンパニのうらぶれた感じや、すすけたブラスの荒々しい響きが味を出している。全体的に、華奢で、ストレートなけして感情を揺り動かすタイプの演奏ではないのだか、そういう小業が、全体を上手に締めている。

 4楽章も、ところどころの崩しが逆に全体のプロポーションを保っており、大砲のようにズドズドと打ち込まれるティンパニやバスドラが非常に効果的で、それでいて、楽譜を意外としっかり再現して、他の指揮者では遠慮するような、トリッキーな管や打の 「打ち込み」 が、そのまま表現されているから、荒々しい印象を与えつつ、リズミックでスマートな表現が、それを抑えるという、ある種、矛盾した表現がやはりその天性のバランス感覚で一体となっている妙。録音が悪い部類ですので、★4つ。

 ちなみに併録はリヒャルト シュトラウスの 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」 であり、これも無骨ながら艶があり、風格のある、非常に良い演奏。

 テンシュテットは海賊で持っているものかと思ったら、ロンドンフィルのライヴは私の知るかぎり、なんと初出だった。嬉しい!

 私、やっとテンシュテットの永遠の名盤のひとつ、シカゴ響との1番のライヴが 「シカゴ響がぎこちない」 という人の意味が、DVDも観て分かりました。緊張しているというか、ぎこちないです(笑) いや、ロンドンフィルが凄すぎ! あのクネクネ指揮から、ここまでなめらかで軽やかな音楽を紡ぎだすとは! どれだけテンシュテットに心酔していたかというのが、分かります。

 演奏は、けっこう緩急があって、速く盛り上がる部分は、凄いテンポで走りますが、ロンドンフィルは完全について行っています。1楽章のラストとか、2楽章とか。といって、3楽章の不気味さは充分すぎるし。3楽章の最後、恐すぎるでしょう。

 4楽章の冒頭が、なんかシンバルが失敗したような雰囲気なのだが(笑) その後の展開は、もう、云うことないです。完全に音楽を把握し、無駄の一切ない、カンペキな演出。マーラーの1番をここまで音符のひとつまで手中に収めて、地獄は徹底的に地獄として、天国は徹底的に天国として、音楽表現として、
表現しきっている演奏は、他には無いと断言できる。★5つ。音質がややソフトなので、それが良かったらCDとしてなのだが、贅沢は云えまい。

 ケーゲルは、秘蔵ライヴということで、初出。解説も推し推しで、物凄く期待していたが、いかんせん録音が思っていたより悪くて、凄さがイマイチ伝わって来なかった。先日のライプツィヒとのやつのほうが、まだ録音が良いと思った。動きは、1981年ライヴのこちらのほうがあるのかもしれないが。

 基本的なやり方は変わらず、やはりケーゲルもカンペキにリハーサルをこなしての演出ということなのでしょう。特に2楽章は彼だけの独特の味があり、3楽章も良い。4楽章は、ちょっとスケールが足りなく聴こえた。まあテンシュテットのあとじゃなあ。というわけで★5つです。 


1/7

 テンシュテットの指揮するマーラーのDVDが出た(ずっと前に)ので、買ってみました! 

 テンシュテット/シカゴ響 マーラー第1交響曲 L1990
 テンシュテット/ロンドンフィル マーラー第8交響曲 L1991

 1番のほうはCDにもなっていて、名演なのは知ってますが、8番は初めての音源です。たぶん。

 音質は ドルビーステレオ ドルビーサラウンド5ch DTS5ch の3種類を選べて、ウチの暗譜もといアンプはDTS(デジタル シアター システムズ)に対応していたので、よりすばらしい音質で聴けました。(しっかし再生技術ってソフト的にも凄まじく進化するなあ!SACDでも感動していたのだが。)

 まず1番。

 マルチチャンネルDTSも凄く、相変わらずのすばらしさだが、演奏内容そのものはCDで充分に体験していたので、それほどでもなかった。それより初めて我輩はテンシュテットの指揮姿を観たのだが、そっちのほうにいろいろと感じるところがあったので列記したい。

 画質は昔のビデオやLD時代のものと大差ない。カメラがアナログなので。だから容量的にDTSを入れる余裕があったのでしょう。

 まずテンシュテットの指揮は、
非常に分かりづらいです。
 
 つまり音楽そのものをリードしている。拍は大げさに云えば、とってないです、アレ。ブラブラしてるし、拍子や小節を無視してるし。プロでないと数えられないと思います。

 それはなぜか。

 
全てのフレーズ、いや全ての音、音符を完全に把握し手中にしている人でないと、あんなネットリした指揮にはならないです。

 暗譜ともちがうんでしょうね、あれは。なんといいますか、ふつう、あんなに細かに指示は出さないですよ。もう千秋級の粘着指揮というか。ものすごい細かな入りとかにも、ぜんぶ左手や指揮棒でチラッチラッとね、指示が入っとるんだなあ!! マーラーであんなのありえないよ。感動したというか。

 
リハーサルを想像して怖くなりました。

 ただ楽譜を見ながら、拍だけとってれば、正直、オーケストラが勝手に演奏してくれますよ。ぶっちゃけ。そういう指揮者だって山のようにいる。

 そういう指揮は(もちろん全部じゃないですが)拍だけきれいにとって重要なところだけサッサと指示して、颯爽と終わります。

 そういう音楽の対極にある音楽だということを再認識しました。いや凄かった。そしてさらに重要。音楽はどんどん昂揚して行くが、
指揮が意外とクール。

 例えばバーンスタインやコバケンなどの、マーラーが乗り移ったような、いわゆる熱血没頭指揮とはぜんぜんちがう!!

 汗はかいてるけど、動作が細かい汗であって、
物凄く冷静なんですよ! 信じられな〜〜い!!

 テンシュテット大先生のあの熱演は、ぜんぶ鬼リハによる演出なのだということを、改めて分かって、感動しました。


 だいたいリハーサルが粘着すぎて、鬼のダメだしで、ウィーンフィルや北ドイツ放送響をクビになってるんだから、分かっていた事なのだが。

 では、8番。

 相変わらず指揮はメチャクチャ。

 
あんなコネクリ回すクネクネ指揮で、合唱が歌えるのか!?

 と、思ったら、やはり1部ではオルガンの横に合唱指揮が!!(笑)

 拍子をとる指揮ではない。音楽を動かす指揮。音楽全体を彫刻する指揮。音楽を練り上げる指揮。

 
まさにプロの音楽家(ムジクス)の指揮。

 「現代の棒ふり機械に敢然と戦いを挑む」指揮。

 そしてあくまで冷静!

 音だけ聴いていても分からないものですね。

 演奏はそういうわけで、音だけ聴いても分からないのですが、非常にコッテリした隅々まで指揮者の明確な意志が貫徹された、ある意味隙間の無い、濃度の濃いもの。同じくテンシュテットのスタジオ録音の歌詞カードを読みながら聴く(観る)と、より分かった。マーラーが各種の歌詞につけた旋律群の、なんという意味深さか。ぼんくらしたCDだと、こんな無駄な大げさなだけの音楽も無いものだが、それはやっぱりというか演奏が悪かったというか。

 8番はさらにしっとりとした光と水のイメージ(があると私は好みなのだが、テンシュテットは光り輝いてはいたが、包み込まれるような暖かさは無く、あくまで理詰めでしかも学者肌ではなく職人芸のアナログな感覚で、ぐいぐいと攻めてくる。

 云うなれば、光と火のイメージというか。★は5つ。マーラーベスト変えました。

 ちなみにロンドンフィルは、確かにシカゴ響より
ヘタです。しかし、あのコネコネ指揮を解読するだけのナニかを、確かに持っています!!


1/3

 ケーゲルのマーラーは1番が有名なのですがそれを含めて、1番2番3番と、連続して聴きました。ぜんぶライヴ録音です。

1番L1978 2番L1975
 ケーゲル/ライプツィヒ放送響 

 3番L1984
 ケーゲル/ドレスデンフィル

 1番は激しい演奏といっても、パッセージが燃えていて激しいというのはあるのだが、ケーゲルは逆に、日本刀のように斬れ味鋭く、フレーズの端端をバツバツ斬り捨てるように、非常に厳しく進行する。のだが、それでいて随所に崩しが合ったり、勢い余ってつんのめったり、とても生々しい。そのギャップも面白いし、表現自体の厳しさも鑑賞対象となる。

 特にケーゲルの1番で面白いのは2楽章。ここの主部のテンポを付点音符のように大きくとるのは、ケーゲルの十八番。まあ普通は ダーンダン ダンダンダン なのだが、ダーッンッダン ダンッダンダン と最初に非常に特徴的なタメがある。これが、流れを阻害しているという指摘もあるのだろうが、ケーゲルはまさにヴィンナーヴァルツを意識して、踊りの音楽の昇華としてとらえている。3拍子は最初の音にこそもっとも勢いというか力が入らなくては、3拍子にならない。それを極端に表現している。ワルツを踊る時、最初のステップは膝にヨイショとタメが必ずある筈で、それが見事に演奏されている2楽章は、この他に無い。

 3楽章の冷たくも艶かしい輝きも然る事ながら、4楽章が面白い1番は名演が多いと思う。この第1主題の地獄を表す激しさと、第2主題の救済を表す切なさ、優しさをここまで対比させられる演奏は、なかなか無い。どうしてもここまでの緊張感や集中力は、規模的、作品の構造的に続かない。展開部においてもその対比は変わらず、一気呵成にコーダにもって行く手法。★5つ。

 ちなみに大晦日の23時半すぎくらいから聴き始めて、ちょうど0:00ジャストに第3楽章が始まる(笑) ハッピーニューイヤー! ティンパニがデーン ドーン デーン ドーン………。

 何かを暗示しているのか?(爆)

 2番もまるで同様の手法ではあるのだが、時間的にはそうではないが、あまりに切れ味鋭く、それが2番の深刻な部分を助長しすぎて、どうもスケールが小さい嫌いがある。これはテンポの問題ではなく、あくまでスケールの問題なので、録音状態とかも大いに関係してくる。表現としては、とても激しく、特に1楽章はやりすぎかもしれない。サステンダーシンバルとかも、なんかガシャア!とかクラッシュ奏法だし(笑) 

 ※シンバルのフチをスティックで鈍角にぶっ叩く奏法。ロックのドラマーとかが得意。あんまりやるとシンバルが割れたりスティックが削れたりする。音楽の音というより効果音のような破壊音が得られる。

 しかもバスドラがかぶってるから どがしゃあ!ですよ。恐ろしい。弦楽のアタックも鋭い。3楽章の冒頭なんか ダダン じゃなくって、ダン! って(笑) それ失敗だよww

 というわけで、凄く良いのですがハリキリすぎて痛い部分も多く、あえて★4つ。

 3番も2番と同じ事が云える。加えて、やや録音が悪い。分離は良いが、響きとして硬質さが際立ち、ものすごい田舎の文化ホールのようにスケールが小さい。実演ではもちろんそのような事は無いのだろうが、ここではCDとして★をつけるので仕方がない。

 1楽章のフレーズの動き方は見事だが、スネア(小太鼓)がオモチャのように響くし、カクカクした印象なのだが、第2主題あたりから急に伸びやかになって、進行が活き活きとしてきて、盛り上がる。うん、良い。各種の旋律とその変形技法が上手く再現されていました。そもそも旋律法の基礎に基づいて、上昇旋律は自然にクレッシェンド、下降旋律は自然にデクレッシェンド、それに音形法で、連符のアタマは自然にアクセント、たったこれだけでもずいぶんと音楽に動きがでてきます。それでいて、技巧に走らず、雰囲気満点。さすがケーゲル。3番で1楽章が面白かったらもう成功したも同然でしょう!

 2楽章は一般の演奏よりテンポが遅めで、いや、全体に遅めなのだが、アッチェレするところは容赦無くするので、その対比が面白い。旋律の面白さだけではなく、そういう構成の面白さも実はこのレントラー楽章にあるという事を教えてくれる。もちろん、機械指揮者とすら云われるケーゲルの、情緒的な演出も面白い。こんな歌うケーゲルはあんまり無いような気がします。隠れたマーラー指揮者の面目躍如か。それは3楽章も同じ。3番は3楽章が意外と長いうえに変化に乏しくて、飽きる演奏も多いのだが、これは丁寧なうえにスリリングな展開、なにより主題旋律の変形がとても演出として生きている。同じフレーズが執拗に変形しつつ各楽器間を移動しまくる面白さ。アクセントとしてのポストホルン(トランペットで代用)。

 4楽章の神秘的な雰囲気を、同様にかなり落とされたテンポが助長している。逆に5楽章はフレーズのキレがすばらしく、テンポもやや早めで、前楽章との対比がよく計算されている。

 そして3番の白眉といって良い6楽章。またもや、テンポがグッと落とされ、かといって遅いというわけでも無く、しっとりと、そしてじっくりと全フレーズが確固たる意志をもって、紡がれて行く様は本当に聴き応えがある。ブチブチ千切れていない。また、最後のコーダに向かうベクトル構成の堅実さというか、計算づくの手堅い指揮はさすがケーゲルといえる。それでいて、これまでと同じ事なのだが、歌や情緒的な雰囲気を忘れていないところが、なんといっても特徴的であり、すごいところだと思う。

 ★は5つ。マーラーベスト変えてみました。

 なお、1〜3番とも全体にラッパの音ミスが多く、気になる人は★が下がるかもしれません。





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