演奏会報告2


 実演での伊福部11

 日本音楽集団 伊福部昭音楽祭 −師に捧げる邦楽コンサート− 2007.5.25

 指揮:田村拓男 客演:野坂惠子

 一、日本音楽集団版 交響譚詩 秋岸寛久編曲
 二、二十五絃筝曲 「琵琶行」−白居易ノ興二效フ 二十五絃筝独奏:野坂惠子
 三、SF交響ファンタジー 邦楽器版 秋岸寛久編曲(委嘱初演)
 四、郢曲「鬢多々良」 ソロ筝:野坂惠子

 5月の東京、気温はほど良く、梅雨前のカラリとした天気に、盛夏の北海道を思わせ、非常に心地よい。が、当日は残念ながら雨。

 邦楽合奏の演奏会というのも、先日の桐朋学園の卒業演奏会以来。これが雅楽ともちがい、アジアンオーケストラという企画もあったが、ジャポンオーケストラというべきか、面白い。ふだんあんまり合奏しないもの同士というか、長唄の楽器だけというか……。
  
 しかもそれで伊福部昭でさらに西洋音楽曲の写ときた。

 興奮しないわけにはゆかぬ。

 伊福部の音楽に心酔したものには特徴があって、まあ私のように聴くだけの人もおるが、とにかく演奏家においては自分の楽器で演奏したくなるらしい。そんなわけで、多数の編曲作品が生まれる。ただ写しただけではなく、本来むりくり写したような部分もあるので、伊福部先生本人も含め、各人の創意工夫がまた、面白く編曲作品の妙を味わえる。ピアノをオケに、オケをピアノに、吹奏楽に、などは序の口で、ギターになるわ、筝になるわ、合唱になるわw あげくには邦楽合奏とな!

 邦楽版交響譚詩は初演以来の再演とのこと。私は初めて聴いたし、演奏風景も見たのだが、

 邦楽に指揮が!!!(笑) しかも紋付!!

 指揮ないとやっぱり無理かッ無理なのかッw

 いやでも、伊福部の音楽がそもそも西洋的な汎東洋ともいう作柄なので、まあぜんぜん違和感無かったです。いやむしろ面白い。急な音階が苦手な(つまり西洋音階パッセージを演るのがどだい厳しい。)邦楽器だからややフレーズの出だしが遅れがちに合奏が進むのも、邦楽で演ってるのだ! という強い意思表示に他ならない。

 和太鼓が妙にティンパニとして違和感ないし。やっぱ、あのティンパニは太鼓なんだなァ。

 2楽章はテンポも遅いし、情感が最高だった。 

 野坂先生の琵琶行も冷え冷えとした月夜の長江に浮かぶ舟の情景がまざまざと表現されていた。描写音楽ではないが、中国琵琶の物悲しい雰囲気を、実に水墨画の世界に閉じ込めていた。うーん、実に良かった。どんどん良くなりますね。筝曲ならずとも伊福部の中でも傑作のひとつになってきました。奏者が、そうさせるのです。

 休憩後、いよいよ本日の目玉!ww

 SF交響ファンタジー第1番 邦楽版

 マジで、まじにですか(笑)
 
 編曲者も認めているが、邦楽器でじつは、テューバ、トロンボーンにあたる低音(管)楽器に相当するものが無い。巨大な尺八でも作るか? いやそれは解決にはならない。そもそも邦楽に笛やリードは、あるが、ラッパが無い。

 というわけで、冒頭からなんか、ひょろひょろおおお〜〜と風が吹きすさぶようで、それでいて音階は間ぎれもなくゴジラ!

 筝がじゃらじゃら〜〜!! 銅鑼がゴシャーーン!!

 CDだったらゲラゲラ笑うところですが、奏者たちは大真面目!!

 そのギャップの楽しいこと!! こいつはありだ、大有りだ!!
 
 すげえ、すげえよ日本音楽集団!!

 残念ながら、音が出る楽器が無いから(無理に演らせても不自然だから?)だろうと思われる理由で、重低音のバラゴンの部分がカットでした。私は 「なんか短い?」 くらいしか気づきませんでしたが、不気味社の音応解所長に教えてもらいました。たしかにあのトロンボーンのバリバリ吼えるフレーズは邦楽でどうやって……。

 それよりこの曲でブラヴォーなのはなんといっても最後のマーチでせう!!

 締太鼓がスネアの! スネアの代わりで違和感ねえ!!

 尺八が、笙が、篳篥が、三味線が、マーチを! マーチを奏でている! すごい、すごいよ!!

 最高でした。

 そして、ラストは邦楽合奏の傑作中の傑作。鬢多々良。

 雅楽と違って本来、変則形態であるこの編成で、各楽器が見事に生かされる妙。そして音楽としての面白さ。それでいて、舞曲としての特徴もあり、最後は乱舞にいたるという構成の確かさ。

 しかも演奏は日本最高の演奏家集団。何も云う事はないです。素晴らしかった。20分の曲ですが、時間の経つのが感じられない時間でした。

 この形態の音楽として古典中の古典であると同時に、最先端の曲で、かつ、同編成の音楽を書く後輩にとっては大きな、あまりにも大きな壁となるものでしょう事を再認識しました。

 ちなみに鬢多々良にも指揮が。本当は指揮があるものなのでしょうか?

 資料11


 実演での伊福部12

 道東音楽祭 一周忌追悼 伊福部昭音楽展 2007.7.19

 19日、20日にかけて、釧路、厚岸において、室内楽展が行われました。企画したのは伊福部先生のお弟子の1人、釧路在住の石丸基司先生を中心とする「釧路伊福部昭の会」です。私は、19日の釧路公演のみ、聴いてきました。

 ヴァイオリン:三原豊彦(札幌交響楽団第1ヴァイオリン奏者)
 ピアノ:土肥睦子、川上敦子
 ソプラノ:菊地江

 伊福部昭:土俗的三連画より 1.同郷の女達 2.ティンベ(VnとPfバージョン Vn三原 Pf土肥)
 チェレプニン:ピアノのための8つの小品より「瞑想」(Pf土肥)
 シュールホフ:ヴァイオリン独奏のためのソナタ(Vn三原)
 伊福部昭:ピアノ独奏版「日本狂詩曲」(Pf川上)

 (休憩)

 伊福部昭:ピアノ組曲より「七夕」「盆踊」(Pf土肥)
 サハリン島先住民の3つの揺籃歌(Sop菊地 Pf川上)
 ギリヤーク族の古き吟誦歌より1.アイアイゴムテイラ 2.苔桃を果拾う女の唄(Sop菊地 Pf川上)
 伊福部昭:ヴァイオリン ソナタ(Vn三原 Pf土肥)

 前年の10月にキタラ小ホールで行われたものも石丸先生が企画した物なので、同じような内容です。釧路芸術館のホールは演劇とかをするような、地下室の雰囲気の不思議なもので、音楽ホールとは思えませんでしたが、良い雰囲気でした。音響もまずまずだったが、イスが……(笑)

 ケツは痛いべし、ジーンズはギュギュギュ鳴るし、なんだかなー(笑)

 人数は、100人くらいでしょうか。そもそもそれくらいしか入らないホールでしたが、釧路にしては、反応が鈍いと思いました。

 演奏は、以下、箇条書き。

 三連画は、地味に異様に難しい曲で、編成も特殊なので、滅多に実演では聴けません。今回、伊福部先生逝去により、ピアノ独奏版が永遠に出ることが無くなったので、石丸さんがVnとPfのために特に編曲したバージョンです。1.2曲めだけの抜粋が残念でしたが、なんだって編曲も難しかったうえ、けっきょく3曲めは演奏会に間に合わなかったとのことで、今後、完全版を聴きたく思いました。

 チェレプニンとシュールホフは先年10月の演奏会でもやったもの。特に伊福部先生が学生時代に日本初演したというシュールホフのソナタは、無調バリバリの現代もので、あらためて三原のうまさと、伊福部先生のモダンさを確認した。農学部の学生がこんなの弾くっていまでもあり得ない。

 川上の日本組曲は、私は実演で2回目。前回の、先年の11月に比べて、またまた解釈を変えてきた。より練り上げられてきたというか。初演のときはけっこうガタガタだったものが、2006年11月の音更のコンサートでは、奏法やニュアンス、テンポなどをグッとオーケストラ版に近づけて、かなり聴きやすかったが、今回はそれへ加えて、ピアノ曲として、独立してきたというか。アタマの中で、ずいぶんとオケの音が鳴らなくなったというか。日本組曲とピアノ組曲の関係に近づいて、それぞれが独立した作品として鳴り始めたというか。技術的に、なんでそうなったのかは分かりません。とにかく、そう聴こえました。ピアノとしての表現が、かなり強力になったというか。

 これは嬉しい、演奏でした。新しい伊福部作品がついに生まれた瞬間というか。独立した瞬間というか。1楽章のビオラのパッセージも、2楽章のティンパニのソロも、ピアノ曲として表現されていました。あらためてスタジオ録音がほしいと思いました。

 歌曲も良かった! 菊地はアリア歌手のように朗々と歌うというより、しみじみと、まさに霧深き海峡の風の音のような、道民にとってはたまらない旅情と叙情をたっぷりと歌って、本当に良かった。伴奏の川上のピアノも、しっとりとして、良かったです。東京の大ホールでもっと高名な人がやるので聴くのとは完全に趣の異なった、釧路にバッチリと合った音楽でした。こんな演奏、都会の人は聴きたくとも聴けまいてゲヘヘのヘ。

 土肥のピアノ組曲は先年と同じく抜粋。全曲聴きたいのだが、時間とかの事情もあったのでしょう。次はもうシュールホフはいらないから、ピアノ組曲を全曲聴きたいです。七夕→盆踊の曲順で、七夕がもっとゆっくりでも良かったかなーとは思いましたが、たいへんにこなれた演奏で、安心して聴けました。

 最後は三原と土肥でヴァイオリンソナタ。これもかなり上達してきた三原の演奏が、安心して聴けました。ゼイタクを云えば、テクニックは素晴らしいので、冒頭とかもっと厚く鳴れば良いし、1楽章の主題の描きわけや、その展開、2楽章の主部の歌い方、3楽章の盛り上げ方などに、三原なりの伊福部感というか、情感の部分でこれから表に出てくれば、もっと楽しく聴けるかなと思いました。いまではまだ、楽譜の通りに弾いているだけに聴こえます。いや、ゼイタクを云えば、の話ですが(^^;A

 またゴジラや三連画の原譜や、伊福部先生のスーツ、音更図書館から借りたパネル等が展示してあり、興味深く拝見しました。伊福部先生の手書き譜は、本当にカリカチュアのようにきれいで、それだけで、額装して飾れる立派な現代アートだと感じます。

 資料12


 実演での伊福部13

 野坂恵子改め野坂操壽
 伊福部昭三回忌公演
 「第21回リサイタル−二十五絃箏による」
 2007.12.13
 
 二十五絃箏 野坂操壽
 低音二十五絃箏 小宮瑞代

 野坂先生のリサイタルで、伊福部昭の個展をやったので、遠征して参勤交代してきましたw

 一、二面の二十五絃箏による日本組曲 盆踊・七夕・演伶・佞武多
 二、二十絃箏曲 物云舞
 三、二十五絃箏 「琵琶行」−白居易ノ興二效フ
 四、二十五絃箏甲乙奏合 交響譚詩

 当日は、お華やお香の演出もあり、とてもよい香りに会場が満たされていました。持ち帰ったパンフレットも、いまでも良い和系のお寺みたいな香りが染みついていますw

 野坂先生を主軸に、伊福部先生による箏の曲は、11曲にも及ぶそうです。順不同で列記してみます。

 物云舞
 胡哦
 琵琶行
 箜篌歌
 蹈歌
 トッカータ
 幻哥
 七ツのヴェールの踊り
 ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ
 日本組曲
 交響譚詩
 
 このうち、完全オリジナル曲が、物云舞と胡哦、琵琶行(3曲)
 ギターからのリダクションが箜篌歌、蹈歌、トッカータ(3曲)
 リュートからのリダクションが幻哥(1曲)
 オーケストラからのリダクションが七ツのヴェールの踊り、ヨカナーンの首級を得て乱れるサロメ、日本組曲、交響譚詩(4曲)
 
 となる。

 物云舞と蹈歌は、二十絃箏による。

 さらに、オーケストラからの編曲は全て二面を使う。

 さて、当日の演奏は、気合と気迫に満ちた大変に良いもので、特に日本組曲は、10年ぶりに生演奏で聴いたので、とても感慨深かった。この曲は、本来がこういう民族的な響きを模しているので、箏でやるのは意義があり、かつ、似合っている。もちろん、それをピアノやオーケストラでやるのもまたとても良いものだが、本来の響きをそのまま味わえる楽しみがあろう。特に盆踊と七夕(これのみ一面)は珠玉。三味線を模しているという演伶も、なかなか面白い。佞武多の熱狂は、そのままオーケストラを通して祭の雑踏を脳裏に浮かばせる。

 物云舞は、初めての伊福部昭による箏オリジナル曲で、二十絃箏による。日本的な情緒の中に突如としてフリギア調の中東的な根源アジアのような乾いた響きが出てくるのが、意識を一気にはるか砂漠へ連れて行ってくれて面白い。急、緩、急、緩の自由形式。

 休憩を経て、伊福部昭最晩年の大作、琵琶行。この極渋の響きは、いつ聴いても、とてつもない精神世界と情景の奥深さ、さらには古典への憧憬が強く感じられて、良かった。中国が題材だが、特に中国的では無くそこがまた聴くものの想像力をかきたてる。琵琶を含めた情景そのものの表現には琵琶よりも表現力ある箏、それも二十五絃箏でなくばとうてい成しえない音楽表現であると片山杜秀の解説であったが、まさにその通り。しかしこれを例えばオーケストラに移してしまったらどうだろうか。オーケストラでは確かに響きはゴージャスになろうが、この侘しいもの悲しげな、日本的な情緒は出てこないのではないか。中国が題材ではあるが、これはまぎれもなく、日本の伝統楽器による、日本の同時代音楽なのだと強く感じる部分はそこにあるような気がする。 

 最後は交響譚詩である。これは完全に西洋的音楽原理からのリダクションで、転調が異様に難しく、「これならオリジナル曲を書いたほうが楽だった」 と伊福部昭に云わしめた。らしい(笑) 箏曲でソナタ形式という矛盾が実に日本的、あるいは少し飛んでマーラー的で面白い。指揮も無くアンサンブルで良く合うものだと感心すらする。1楽章はやや遅めのテンポで、しかしリズミカルに進み、2楽章のほうが箏には合った雰囲気で、実に素晴らしい情感だった。CDの演奏よりはるかにこなれていて、演奏が進歩していた。

 資料13


 実演での伊福部14

 第2回伊福部昭音楽祭 2008.3.16  〜杉並の昂奮〜いざ伝説へ

 ギターから聴こうと思い、会場に向かうも既に満席(^^;A 仕方なくロビーの喫茶店で紅茶を飲み時間をつぶす事に。先日にお世話になった伊福部玲先生も入場できなかったとの事で合流。皆で4時からのメインコンサートのみ鑑賞する。

 以下はプログラム。
 
 【第1部】
 「ピアノ組曲」(1933) ピアノ:木村かをり
 二十五絃箏甲乙奏合「ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ」−バレエ・サロメに依る−(2004)
   二十五絃箏:野坂操壽/低音二十五絃箏:小宮瑞代
 「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲(第一楽章)」<音楽祭特別版>(1971/2008)
   ヴァイオリン:萩原淑子/ピアノ:木村かをり/編曲&打楽器:藤田崇文
 ※ピアノリダクション版に書き加えられた原曲オーケストラのティンパニ・打楽器のみを編曲した音楽祭特別版。
 
 【第2部】
 室内オーケストラのための「土俗的三連画」(1937)
 Hommage to Akira Ifukube(松村禎三) 
 < 伊福部昭映画音楽より >
 交響詩「聖なる泉」(オーケストラ版/“ゴジラvsモスラ”より)
 管弦楽の為の「コタンの口笛」(オーケストラ版/“アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌”より)   
 ◆ソプラノ:藍川由美
 ◆指揮&オーケストラアレンジ:藤田崇文 (聖なる泉、コタンの口笛)
 「ゴジラ」より<オリジナル版>
 「大坂城物語」より
 ◆管弦楽:伊福部昭記念オーケストラ/指揮:堀俊輔
 ◆司会&オーケストラアレンジ(大坂城物語):和田薫

 上記の通り、プログラムだけを見るに、イマイチ、トリの無いパッとしない演目であるというのは、他の伊福部ファンの中でも共通した印象だったようだ。また、オーケストラも、当初は 「どうせセミアマだろ?」 みたいな空気があったのだが、蓋を開けると、どうしてどうして、メンバーは日本全国津津浦浦よりの精鋭が集められ、盛況を博し、楽曲のコンセプトも、

 1.初期作品(およびその編曲)に注目する
 2.いわゆる映画音楽における 「スタジオ編成」 にこだわり、録音当時の臨場感を出す

 というのが見事に成功していた。これは聴かなかった人は大失敗の大後悔であろう。

 さて、ではそのメインコンサートを俯瞰したい。
   
 ピアノ組曲は、楽譜に忠実な演奏であると推察される、「盆踊りがアレグロ」 のもの。これは実は音楽的にもペザンテぐらいがちょうど良いのは、伊福部ファンには定説であろうとは推察されるのだが、もう作者も亡くなったし、これからは楽譜(音楽)のみが独立して歩いてゆくのである。奏者の解釈に完全に委ねられてしまうわけだが、それが嫌ならマーラーのように 「ここはアレグロと書いてあるが信じる必要は必ずしもない」 とか、訳の分からないことを注釈しなくてはならない。その意味ではタプカーラも、3楽章の4拍めにアクセントが来る、というのを、誰も知らない時代が来るかもしれない。それらを訂正できるのは、奏者ではなくむしろ聴き手であると確信する。盆踊りをアレグロでミスタッチなしで演奏するのは無理・無謀を超えて不可能に思えてきた。もう少しゆっくりのほうが面白いはずなのだが、「本当に盆踊りになってしまう(から恥ずかしい)」 という感情がピアニストにはあるかもしれない。つまり、これは 「盆踊りを模したモダン音楽である」 という解釈のためには、モロに盆踊りのテンポではなく、むしろアレグロのほうがそういう気分は確かに出ると思う。(でも弾けてないんじゃ意味がないわけで、難しいですねw)

 それはそうと七夕以降は安定した演奏で良かったです。

 次は、二十五絃筝デュオにて、サロメからヨカナーン〜集結の部分。これはサロメ自体は バレー→コンサート音楽→二十五絃筝 と変化してきたもの。本当は7つのヴェールの踊りからあるのだが、時間の関係で割愛された。カメラータのCD解説にもあるのだが、音楽的にむしろオーケストラより筝のほうがなんとも雰囲気が出るから不思議。中央アジア的なオリエンタルな物語として伊福部がサロメをとらえた効果が、二十五絃筝という楽器を得て、逆に生き生きしている。ただ、転調の関係でどうしても流れの悪くなる箇所が散見されるのは、仕方の無いこと。

 第1部最後は、ヴァイオリン協奏曲第1番に相当する「協奏風狂詩曲」のピアノリダクション版に、VnやPfではどうしても再現の難しい打楽器の音を、特別に打楽器を加えて再現したものを、第1楽章のみ。

 これは終演後の交流会で藤田さんに 「Vn協奏曲の打楽器どうでした?」 と感想を求められたのだが、急にそう云われても、残念ながら気の利いたことは云えなかったのだが、今になっていろいろ考えると、Vn、Pf、Perという編成が、ただのピアノリダクションを超えて現代的室内楽のレベルに達しており、面白かったのは確かである。また萩原のソロが、ハンガリーでの留学・演奏経験が存分に活かされた非常にレベルの高いものであったこともくわえたい。さらには、ピアノはピアノ組曲を演った木村である。これは第1部のトリを飾るに相応しい名演であった。

 第2部は、まずは伊福部昭記念オーケストラよりさらにトップによる土俗的三連画。これはアンサンブルが異様に難しく、録音はまだしも実演ではかなり難易度が高い演目で、今回の企画の前評判でも特に心配されていたものだろう。オケがセミアマレベルなら、目も当てられない、と。しかし、良かった。これは良かった。1stVnは札響コンマス、2ndVnは奥村である。うまかった。

 Tpがちょっとしくじった場面もあったが、おおむね良かった。まあ、伊福部でトランペットは常に地獄だから、いちいち論ってもしょうがない。この曲は、演奏レベルも高いし、内容も深い真の名曲である。

 次に惜しまれつつ先年の8月に、伊福部先生の後を追うように亡くなった松村先生の追悼で、伊福部先生の叙勲記念の際の小曲。ナマで聴けるとは思わなかったわ。あのメンバーで残ってるのは真鍋、三木、今井の三先生のみとなった。

 その後は、映画音楽よりの編曲。独唱に藍川由美をむかえ、藤田崇文編曲による、ゴジラVSモスラより「聖なる泉」そしてコタンの口笛よりテーマ音楽。これはそれぞれ歌だけだったらちょっと短いので、オケによる前奏を加えたもの。

 ゴジラVSモスラは前奏やモスラ版ゴジラのテーマ、モスラのテーマ、マハラモスラなどが演奏され、それから聖なる泉。歌も良かったが、そっちのオケのほうがちょっと感動した(^^;)

 続いて、コタンであるが、ここで指笛登場!!!

 まさか指笛が出てくるとわ!!!

 これは、私も、コタンをするなら指笛がないと意味がないという意見をネットで見たのだが、無茶云うなよ、と思っていた。しかし実行委は数日前になって指笛奏者を見つけて連れてきてしまったのだ!!!

 あの指笛は感動したなあ……もちろん藍川の歌も良かったのだが、ティンパニやマリンバの朴訥としたサウンドと相まって効果が100倍増。この音楽における、あの指笛の効果はあまりに絶大だ。

 あの哀愁度は異常。

 驚いた。心底驚いた。伊福部先生はどこでその、指笛という楽器(?)を思いついたのだろう。つくづく不思議だった。有馬先生が云ってたが、先生の近くの席の人は映画を思い出したのか、泣いていたそうだ。

 さて……。
 
 これは藍川が演奏後の一言で云ってたので(笑)書いてしまうが、正直、ちょっとオケが盛り上がったら歌はぜんぜん聴こえなかった。私は2階席のど真ん中にいたが、それでも聴こえなかった。でもそれで正解の演出で、いわば大地の歌に匹敵する、ソロとしての歌では無く、管弦楽歌唱一体の音響を目指したように感じた。大地の歌はご存知の通り 「歌がオーケストラに埋没して聴こえない」 という批判があり、マーラーが生きていたらぜったい改訂するだろうとか、シェーンベルクが室内楽版を作ったりしたが、私は、聴こえなくて正解だと思う人。そういった曲において、声も管弦楽の一部であって、その場合では歌詞は本来は二義的なものだ。

 そういうわけで、藍川センセは歌が聴こえなくてちょっと演出に疑問もあったと思うのだが、個人的には、とても感動した2曲であった。

 続いて、ゴジラである。これからの2曲は和田薫の編曲。なんでいまさらゴジラ? とも思ったが、これはいま我々が常々聴くSF交響ファンタジー版ではなく、なんと、映画のオリジナルスコア版であるという。和田がいうところの、いわゆる映画音楽の現場で使う、2管よりちょっと小さいスタジオ編成(木管1管、金管2管、弦は合わせて少なめ)ともいうべきもので、ふだん聴くゴジラとはちょっとちがう、との事。まあどれほどのことやあらん。と思ったが、これがイイ(笑)

 あの、モノクロ映像と一緒に鳴ってる、アレ。サントラ盤でも聴ける。あの、やたらとモダンに、ストラヴィンスキーの新古典主義の曲みたいに乾いた調子でジャカジャカ響いているのは、私はモノラルだからだと思っていた。しかし違った。あれは、ああいうふうに本当に鳴っていた。これは驚いた。我々がふだん聴く響きは、伊福部先生が 「わざわざゴージャスに編曲した」 響きだった。その違いに感動した。

 最後が、大阪城物語。まあ、戦国タプカーラ絵巻である(笑) 映画を見て無いのでなんとも云えんが、既出のサントラは持っていた。全曲盤は会場で買った。これもオリジナル編成に近いのだろう。7分ほどの音楽絵巻は良くまとまっており、また、変則編成のオケながら、とてもよく鳴っていた。演奏の出来も良かったが、編曲のご苦労にも頭が下がる。

 アンコールは、土俗的三連画第1楽章全員演奏、そしてオーケストラのための特撮大行進曲より「怪獣大戦争」のマーチで、最後は会場も手拍子で大盛り上がり。  
 
 第1回音楽祭に比べて、ちょっと詰め込みすぎな感もあったし、結局私はメインのみしか鑑賞できなかった(しなかった)が、これは大成功と断じて良いのではないか。第3回は、しばらく休むそうで、これからはこういう大規模な「企画」ではなく、喜寿や卆寿の際のような、ふつうの演奏会としての音楽祭を聴きたい。つまり、ふだんのコンサートでは滅多に聴けないプログラムで、たとえば日本の太鼓、サロメ、あるいはわんぱく王子、オホーツクの海原典版、協奏風交響曲、ヴァイオリン協奏曲第2番、SF交響全曲、などである。幻の作品の復活等があるのなら、なお良い。

 資料14


 実演での伊福部15

 デュオ・ウエダ ギターリサイタル 〜伊福部昭3回忌追悼〜 2008.6.8

 東京の演奏会に足を運びました。

 フェルナンド・ソル:嬉遊曲
 二橋潤一:2つのワルツ
 藤井敬吾:2人の為の組曲 デュオ・ウエダ委嘱作初演
 伊福部昭:七つのヴェールの踊り 上田英治編曲 ギターデュオ版初演
 伊福部昭:ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ〜バレエ「サロメ」に依る 上田英治編曲 ギターデュオ版初演

 (休憩)

 石丸基司:白きオピラメ デュオ・ウエダ委嘱作初演
 伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ 上田英治編曲 ギターデュオ版初演

 アンコール 

 伊福部昭:聖なる泉(ギターデュオ版)
 藤井敬吾:ウェディングワルツ

 色々な作品があって楽しめた。現代ギター社の社内ホールで、席は50人ほどだった。

 まずは突き出しでギター曲の古典(らしい)ソルの嬉遊曲。古典といってもロマン派である。旋律が美しく、素直に音楽を楽しめる佳品。

 今回の邦人作家陣は全て北海道に縁のある人、ということで、北海道から聴きに行った甲斐もあるというもの。二橋は静岡出身ながら、現在、北海道教育大学で准教授を勤めているとのこと。2つのワルツはデュオ・ウエダへ献呈されている。2つの楽章があり、第1楽章ヴィバーチェ、第2楽章アレグロ・モデラートだが、逆に演奏された。演奏効果を考えると、どうしてもそうなるだろう。ワルツではあるが演奏会用ワルツで、ギターの特色をよく捕えた佳品。特にアレグロ・モデラートが一風変わったリズムをしていた。

 北海道生まれ、現在は大阪音楽大学非常勤講師の藤井はギター作品を主に手がける奏者・作曲家で、2人の為の組曲は委嘱作品。四季を折り込んだ様々な組曲。優しい曲だった。(そのぶん、印象はやや薄いか。)

 七つのヴェールの踊りからヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメは、二十五絃箏版を参考にしたということだが、やはり同じように、オケよりむしろ東方風の味わいがでていたのが面白かった。いやむしろ、箏より(当たり前だが)音を取り易い為か、スムースに音楽が進行していた。音色の変化がもっとあれば良かったが、特に圧巻のラストは良かった。

 釧路在住の伊福部の弟子・石丸による「白きオピラメ」は、同じく釧路在の画家佐々木榮松の著書「白いオピラメ」よりのタイトルとのこと。オピラメとはアイヌ語で淡水魚の総称という。もちろん標題音楽ではない。別に魚の曲ではない。ただ、湿原の雄大なイメージ、または風の吹き抜ける荒々しさ、伊福部先生の音画「釧路湿原」にもエコーするような、懐の大きな(演奏時間もじっさい意外と長く、10分ほどはあった。)音楽であった。ギターとは思えぬ響きがしてきたのは、私が道民だからというわけでもあるまい。
 
 さて、今回のキモはタプカーラ交響曲のギター二重奏版である。

 これは、(伊福部ファンの)聴衆によって評価が2分されたような気もした。そもそもタプカーラをギターでするというのが、かなりムチャな仕事であって、案の定な部分も多々あったのだが、それでも、そのチャレンジ精神と一定の成果をあげたことには、敬意を評さねばならないだろう。その意味で、私は後者であった。かなり、思っていたよりうまく聴こえていた。ただし音色的に変化が乏しいのは同じなので、長い音楽には不向き、かつ、管弦楽をギターに直すことにも、つまり、その音楽の核のみを取り出す必要性があるわけでそのモティーフの取捨選択のセンス、それにも、色々となるほどと思うところ、これはちょっと、と思うところ、毀誉褒貶的な感想で恐縮だが、全体的にはそういった感じだった。

 特に個人的に残念だったのが、3楽章(だったか)ティンパニの三連打を、ボディノックですましてしまったことだろう。その衝撃音が欲しかったのだろうが、音形があるのだから弾いてほしかった。あるいは、ボディノックとじっさいに弾くのと、重ねてみるとか。(その際は、ノックの音量をやや下げるのは云うまでもない)

 タプカーラに関して総括すると、私は、ギターでよくやったもんだという感心と、面白い響きに出会えた満足が上回った。

 アンコールでは聖なる泉(いつ聴いても素晴らしい音楽だ。)と、藤井敬吾がデュオ・ウエダの結婚を祝して書き下ろし、披露宴で初演したという幸せ気分満点のウェディングワルツで〆た。


 資料15


 実演での伊福部16

札幌交響楽団第515回定期演奏会 2009.1.23-24

 ついに札響定期に伊福部登場!!!

 指揮 飯守泰次郎
 ピアノ 横山幸雄
 オルガン 米山浩子
 コンサートマスター 伊藤亮太郎
 管弦楽 札幌交響楽団
 
 ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
 伊福部昭:ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ 
 サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調op.78「オルガン付き」

 感無量だった。まさか札響の定期で伊福部が聴けるとは。札響はもちろん伊福部とはかかわりは深いのだが、どちらかというと邦人では圧倒的に武満とのつながりが強く、また、岩城や尾高も武満が得意ということもあり、特別演奏会で伊福部をやることはむしろ多いほうなのだが、定期では、私が知る限り聴いたことが無い。調べたところ、いちばん最初は1979年第189回において山岡重信が交響譚詩を。次いで1983年にヤマカズが第233回定期で阿部圭子のマリンバでラウダ・コンチェルタータをしている。また1990年第310回で小松和彦により土俗的三連画が演奏されている。

 実にそれ以来の、19年ぶり!!

 しかも、定期で伊福部は4回目!!

 ちなみに武満は既に30回ほど定期で演奏されている。武満はちょっとダントツで、それ以外の邦人では三善、芥川、黛、吉松などが多い。石井、細川、外山、廣瀬なども複数ある。ぜんぜん知らない人もいる。残念ながら、北海道や札幌との関わりの割には、伊福部は少なすぎると云って良いだろう。なんといっても、早坂(1回だけ定期に登場)も含めご当地作曲家なのに。

 詳しくは私の、札幌交響楽団 邦人作曲家 定期演奏会記録 のページを参照いただきたい。

 ま、それはそれとして、演奏会である。

 リトミカをするピアニストもピアニストだが、定期でやろうという指揮者も指揮者だ。これはそうとうの難曲です。

 複雑なリズムの怒涛の集中攻撃もさることながら、それでいて旋律がちゃんとあったり構成がちゃんと音楽していたり。少しでも崩れるとそこから一気に全体が崩壊する危険性を孕む。そして何が恐ろしいかというと、崩壊すると崩壊したのがバレバレなのである。

 崩壊してもしなくても大して変わらぬそこらのゲンダイオンガクとは、一線を画している。

 私は今回、札幌に一泊して両日とも聴いた。伊福部仲間では東京や神戸から来た方もいらっしゃった。

 何より、飯守・横山ペアで既に名古屋フィルそして関西フィルとリトミカを演奏している。両方とも聴いた人の話によると名フィルではオケとピアノが完全に乖離して大崩壊、逆に関フィルではオケがピアノにピタリと合わせて名演であったという。(※それでも弦とピアノが合わなかったというレビューもあるが。)

 3回目。いやがうえにも、ファンは注目する。

 まずは初日。

 ホルンの導入により、ピアノが登場するが、いきなり速くてオドロイタ。最初からこんなに速くては後が大変だぞ〜と、いきなりドキドキしてしまう。いつもこの曲は崩壊の危険性と共に聴く破目になる。聴衆も非常に疲れる音楽である。

 全体的にはやはり緊張感が高く、硬い。これは初日ならではの硬さだろう。ピアノがさらにオケを煽り、意外に飯守の指揮が流れるように丸い(笑) あれでは変拍子は読みづらそうだ。いちおう、分けては振っているようなのだが。

 オケとピアノはけっこうガタガタしており、弥が上にも緊張感が増す。気のせいか、オケの力感も薄い。札響の伊福部はいつもアッサリしている。良い悪いは別にして、武満とかのしすぎなのである。

 リトミカは大きく分けると急・緩・急・緩・急(コーダ)ということになる。最大の盛り上がりは最後の急部に向けて速度もオケの厚みも興奮度もどんどん高みに上ってゆき、そして大ゲネラルパウゼ! あの瞬間は心臓が止まりそうになる。

 私は興奮して目眩がおきるくらいドキドキして聴いていたので 「ん!?」ていどで、気づかなかったが、ラスト付近でトムトムが(奏者の方に後で聞く所によると)落ちて瞬間見失って見当違いのところをぶっ叩いたらしい。それはこの曲でアマオケなら一激で轟沈の大魚雷なのだが、うわあッ!! と踏みとどまって、元に戻し、一気にラストへwww

 さすがプロだぜ…!!

 その事故(というより事件)を除けば、かなり良かった演奏であった。ほとんどの人は、気づかなかったと思います。スコアも持ってる人なら、気づいたでしょうけど。

PS
 実は、スコアだけ出版されていて、パート譜は手書きの切り貼り譜だったそうで。トムトムの人はリハーサルでどうしても合わないので不思議がっていたら、70小節くらい何者かがカットしていたとか(笑) そして初日の大事件。さすがに焦って、翌日はステリハ無しということで、あわててソリストに位置の確認を求めたのだが、ソロ譜もスコアの切り貼りで、ビックリしたそうですww 

 2日目。

 少し安心して聴く。さすがに、一体感が遥かに増している。席の関係もあるのか、前日より音も大きく、迫力がある。これでこそ伊福部だ。速さは、初日と同じくらい速い。リハーサルではもう少し遅かったらしいのだが、本番では気合の速度だ。

 オケの乗りも良い。やはり慣れたのだろう。575を駆使した変拍子は、日本人の中に元来備わっている民族的リズムなのだが、やはり西洋音楽を生業としている楽員というのは、リズムを体感する前に読んでしまう。この曲で譜面をイチイチ読んでいてはもうだめだ。暗譜というのでもないが、耳で聴いて、もう、身体が動かなくては。

 2日目はソロでちょっと力みすぎて滑ったようなミスもあったような気もしたが、全体では、初日より遥かに良い名演だった。まさに力演というに相応しい演奏でした。緩急の差もあり、旋律も重厚で、リズムも迫力があった。ピアノはもちろん熱演で、オケもそれに応える。最後の怒涛の咆哮もバッチリきまった!!

 両日の演奏を編集してCD化してほしい名演奏でした。
 
 資料16



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