天野正道(1957- )
サントラ音楽や吹奏楽のオリジナル曲・編曲もので著しい活躍を見せる天野正道が、満を持して音楽家にとって集大成の1つである交響曲を発表したことは、私にとってとても喜ばしいことである。実力のある作曲家が、吹奏楽編成でオリジナルの純粋音楽を書くことは、えてして奇抜な標題もの、ポピュラリティへ媚びたような半分サントラみたいなものであふれる現代吹奏楽界のアンチテーゼでもあるが、天野はそれでも、調性に基づいた素晴らしい聴き物交響曲を発表した。
第1交響曲「グラール」(2010)
私はこの人のサントラや、それらからの組曲ものを、カッコイイがノリだけで軽く、軽薄に感じてイマイチ評価していなかったが、この交響曲はなかなか聴かせるものに仕上がっている。しかも、これは各楽章が本来独立して書かれており、終楽章を書くにあたって、初めてそれまでの3つの音楽を交響曲としてまとめるように仕上げた。
タイトルの「グラール」というのは、グラールウィンドオーケストラへ献呈しているからであって、別に意味のあるタイトルではない。日本人はこういうものでもすぐに「グラールをイメージして」聴く癖があるが、そんな具体的なものは無い。マーラーがいうには、そういうものは「聴衆に誤解を与える」ので、逆効果であるというが、つまり、19世紀末のヨーロッパでも、そういう聴衆ばかりだったことの証左なのだが、それはそうと、ここでは作曲家が分かっていてわざとそういうタイトル等をつけて聴き手を試しているようにも感じる。
各楽章は元々独立した交響詩的、幻想曲的なものだっただけあって、いろいろなタイトルや発想記号がついている。ただし、それらは根源的な標題であって、標題音楽ではない。
第1楽章:幻影−ファントム ドゥ ラムール
第2楽章:エスティロ デ エスパーニャ ポルケ?(なんでスペイン風?)
第3楽章:アダージョ スウォヴィアンスキェ (スラヴ風アダージョ)
第4楽章:ロンド−コーダ
第1楽章は2007年に書かれ、別に悪いことではないがと前置きし、天野は、昨今流行りの吹奏楽オリジナル曲の、ご大層な標題音楽、ラノベも真っ青な中二病的なタイトルのくせに中身は薄っぺらい子供受けするような陳腐な曲の数々(そこまで言ってない)に警鐘を鳴らし、あえてソナタ形式で作曲した。しかし、古典的なものではなく、あくまでカッコイイ天野節なのがさすが。しかも、ちゃんとタイトルまでついている(笑) ここは誤解されそうだが、これはあくまで、グラールウィンドオーケストラへサービスとしてタイトル命名権を与え、団員公募で、「幻影」という名がついているにすぎなく、別に交響詩や標題音楽ではない。交響曲の第1楽章である。パブロフの犬みたいに、幻影をイメージして聴かないように。イメージしても意味がないばかりか、そもそもそういう内容ではないので、イメージできませんw
ソナタ形式といっても、それほど厳密ではないように聴こえる。もっと後期ロマン派的な、提示部と展開部がいっしょになった恐ろしいものかもしれない。そうでないかもしれない。あまりアカデミックなものを書くと、さいきんの吹奏楽ファンは敬遠するとでも危惧したかもしれない。楽譜を見てないので、そのへんは分かりませんが、音としてはかなりカッコイイです。
ダークな序奏から、瞑想的なサックス、他木管の旋律。炸裂するクラスター的音響。調性は失っていないので、真の無調を聴ける人には温いだろうが、現代吹奏楽界ではこれでも恐らく、難解の部類に入るのだろう。続いて音列あるいは半音階進行によるアレグロ。第2主題に相当すると思われる。ティンパニを筆頭とする激しい打楽器ソリを転機に、展開部か。まず瞑想的な第1主題を展開し、技巧的なソロの数々が美しい。唐突にアレグロが復活し、第2主題の展開に。また第1主題の展開に戻るが、ここは再現部とコーダを兼ねているようにも感じる。ピアノも入って、感動的な演出に。またアレグロになって、緊張感を増し、終結。
2楽章は翌2008年に作曲された、スケルツォ楽章に相当する速い音楽。これがスペイン語で面白いタイトルがついている。直訳すると「なんでスペイン風?」とでもなるのだそうな。
ここでも天野の厭味というか、軽い恨み節が出ているというのだが、曲の委嘱者つまり発注者が「スペイン風で」という注文をつけたのだが、これがいかにも素人の考えそうな、それこそイメージ先行のヒドイ発注である。スペイン情緒がウリの高名曲はオーケストラや器楽曲で山ほどあるし、吹奏楽だってリードの「エルカミーノレアル」が既にある。今さら本当になんでわざわざスペイン風なのか(笑) しかも、天野はスペイン風が苦手だったようで、七転八倒、何も浮かばない。もう楽想のヒントを求めてバルセロナに住む友人を訪ねてじっさいにスペインへ行こうとした寸前に、なんとか楽想が出てきたそうだ。ご苦労なことですw
カスタネットのソロから、いかにもスペイ〜ンな旋律(笑) ここは序奏があったそうだが、交響曲の2楽章になるにあたりカットされた。スケルツォ楽章にしては長い。もともと独立した音楽だったからかもしれないが。順当に3部形式であり、クラリネットのソロより、トリオ。頽廃的なスペインの夕暮れのような雰囲気より、またアレグロへ。カスタネットも楽しい、正統的な素晴らしい「スペイン風」である(笑) 第2トリオを経て、一気にコーダへ。
吹奏楽のスペイン風音楽では、前述したリードの「エルカミ」と、間宮芳生のコンクール課題曲「マーチ・カタロニアの栄光」に匹敵するものでしょうw
3楽章は、さらに連続してグラールウィンドオーケストラのために2009年に書かれたものが下地になっている。吹奏楽では珍しいアダージョ楽章。しかも、モルト・アダージョ。なぜ、吹奏楽では珍しいかというと、管楽器で遅いテンポは物理的に息が続かないので、技術的に表現が難しく、このテンポではどうしても絃楽器主体になってしまうのと、吹奏楽編成であまり遅い楽章をやると響きが単調になり、飽きが気やすいため。天野はそこらへんももちろん加味して、わざと吹奏楽でのアダージョに挑戦している。マーラーやベートーヴェンが好んだ指定というが、マーラーの9番の4楽章が高名だろう。あれはもう遅すぎて、普通の指揮者は1小節4拍を8つで振る場合が多い。いわゆる「八つ振り」というやつだが、すると細かな音符も拾い易く、アインザッツもハッキリして演奏もしやすい。
ところがバーンスタインなどは、それをそのままゆっくりたっぷりと4つで振る。どうしても打点がハッキリせずに、オーケストラもみなつっこむのを恐れて遅め遅めに出がちになり、全体に音楽を引きずるような、良く言えば情感たっぷり、悪く言えば重くてうんざりな演奏になる。
さてここではどのように演奏されているか。9分ほどの音楽で小節はたったの60だというから、アダージョ楽章としてはロマン派ていどであろうが、吹奏楽では長い長い。恐らく指揮は八つで振っているのではないか。分からないけど。
意外に細かい音形が連続するので、たぶん、楽譜も8つを想定して書かれているのではないか。木管を主体に、安らかな響が続く。それからホルンをメインに主旋律。各楽器に受け継がれながら、ここはいかにもムードミュージックふうな嫌いがあるが、なに、マーラーだって5番の4楽章でムードミュージックを書いてるから大丈夫だww
ちなみに、スラブ風ということだが、濃いという意味では確かにそうかもしれないが、別にそういう風にも感じませんでした。スラブ的な主題から引用しているのかな?
4楽章は古典は交響曲定番のロンド形式。2010年に作曲され、これまでの3つの曲と合わせた、交響曲の第4楽章として最初から想定して書かれた。第3楽章のアダージョを書いていた時に、これはもう次はロンドで交響曲として一体化しようと思っていたという。これまでの楽章のモティーフも聯関し、ミューザ川崎シンフォニックホールでの初演も決まっていたので、設備としてあったパイプオルガンも登場する。
激しい序奏から、栄光ある響きを輝かしく導く。アレグロで、これまでの楽章の主題を少しずつ再現。つまり循環形式。ロンド形式といいつつ、それほど複雑ではない。と思う。とにかくカッコイイアレグロが続く。それが一段落すると、しっとりとパイプオルガンのソロ。これは3楽章の主題を展開しているのだろうか。そのテーマを吹奏楽全体で受け継ぎ、感動の大団円だべさ〜。
吹奏楽編成でショスタコの5番に匹敵する40分の交響曲なんか、正直、狂気の沙汰だが、これは流石にうまい。変化もあって、飽きずに聴ける。
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