野田暉行(1940−2022)

 
 野田は日本おける伊福部門下と対抗するもう一つの池内友次郎門下の秀才ということだ。また藝大で矢代秋雄にも師事している。

 年代的にも、もはや最ベテランの実力派の一人であるが、まだその全貌が知らしめられているとは云えない。しかし、それでもCDを出す機会には恵まれているほうだろう。作品は充実した構成と(現代的)旋律が魅力で、特に西欧的な構成力が認められるが、日本での学識と研究のみで習得したものだという。つまりわざわざ留学しているわけではない。

 その姿勢と成功は、現代においては、現地へ行かずともその思念、理念、思想、そして感覚をリアルタイムで研究や創造できるということを立証している。
 
 そこは人それぞれであり、じっさいに行かずとも会得できる人もいれば、行って会得できる人もいるということ。例えば物を書くにしても、取材をしたほうがリアルに書ける人と、取材をしないほうがリアルに書ける人とがいるが、似ているのかもしれない。また日本人として、純粋に邦楽への深い共感を示し、作品も多い。そしてそういう作曲家もまた多い。良いことだと素直に思う。
    
 大規模な管弦楽作品は多く、交響曲に関しては4曲もある。音源となっているものは1番とコラール交響曲の2曲であるが、ラジオ放送でかなり若いときの作品が紹介された。


一楽章の交響曲(1963)

 この年の、毎日NHK音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲・管弦楽部門第1位。野田はまだ藝大の学生であった。

 平成30年9月30日放送のNHKFM「クラシックの迷宮〜日本音楽コンクール作曲部門・歴史的音源を聴く夜」において紹介された。司会の片山杜秀が、NHKのアーカイヴよりこれぞと思った音源を紹介する日で、現在の日本音楽コンクール作曲部門の特集であった。

 この時の初演の演奏と、次は55年後の2018年7月1日のオーケストラ・ニッポニカによる再演のみが実演の記録(2018年執筆現在)で、作者をして「一生に2度聴けるとは思いもよらなかった」と云わしめた。

 20分ほどの曲。冒頭からチェロの鬱とした主題が登場し、チェロ協奏曲がごとく進行する。それを、スネアドラムがタンタンとリズムをとって彩るのがまたモノクロームで面白い。しばしその主題を展開して、次第に速度が上がり、かつ各楽器が主題を引き継いで複雑に動機を展開し始める。この辺の複雑かつ精緻な展開は、この頃から既にあったんだな、と感じる。師の矢代の影響があるというが、確かにそうだろう。展開が変わって、異なる動機が執拗に奏される。トロンボーンの動機やハープのグリッサンドなど、特徴的な音響があった後に、静かに、だが緊張感のある展開がしばし続く。弦楽を主体にし、ハープや打楽器などがアクセントを彩る。底辺に、主要リズムが執拗に鳴る。このリズムのオスティナートというか、カノン的処理もまたこの時代からの野田の特徴だろう。

 中間部はさらにレントほどの速度と静けさになり、夜曲といった趣となる。やがてそこにも主要リズムと主要主題が紛れこみ、展開をはじめる。レントが戻り、またリズム部が戻るという、まさにロンド的展開。やはりロンドソナタなのだろうか? 終盤へ向けてアレグロが次第に「切迫」して行き、オネゲル的なオーケストラの運動も見られながら、執拗な展開が続き、頂点で打楽器のソリとなってティンパニ大乱舞。それが静かになって、チェロのソロが現れ冒頭へ「回帰」する。再現部でもあるだろう。そのまま、音響は静寂の中へ消えて行く。

 全ての音楽的展開が、次作の第1交響曲へつながっている事が分かる。


第1交響曲(1966)
 
 野田26歳時の、初期の大作。強烈な音の印象を誇る重厚な作品で、若き日の猛りといえば良いか。作家曰く、構造と音化(楽想)の最高度の一致を追求したとのことであるが、きわめて学識的な試みではある。日本人として、日本的な情緒、日本におけるクラシックとはかくあるべしといったような主義から解き放たれるべく、作家はもがき苦しんだのだ。

 日フィルシリーズの委嘱作で、第17作。作者は藝大大学院の2年生であった。おそらく、上記の一楽章の交響曲を聴いた関係者が、これぞ! と思ったにちがいない。しかし、発注から初演まで半年という超絶ハードスケジュール。66年7月から作曲を開始し、11月にスケッチ完成。1日に20分しか寝ないハードモードでオーケストレーションをし続け、なんと2週間で完了した。その年の12月8日に初演。

 アレグロ、ラルゴ、プレストから成る典型的な3楽章制となっている。演奏時間は40分に近い大曲である。

 1楽章は音列技法であるが、ピアノも加わり、異常なほどの色彩的な感覚と、リズムの概念、そして、躍動感が素晴らしい。この不定期なリズム処理は、私は松村禎三の流儀につながっていると感じた。日本人のアレグロって、こういうのが多い。
 
 冒頭から不気味な和音と打楽器の導きにより、主要音列が提示される。その和音は音列を使用している。ピアノと打楽器により第2主題というか第2音列というか……それが提示され、第1主題も懐古的に奏される。弦楽器の流れる音響、ピアノと打楽器の打つ音響、それに管楽器がアクセント的な旋律をぶち込んでくる面白さ。全体にソナタを形成するとあるが、順当なソナタ形式では図れない。リズム的なカノンとして進行し(Canone ritmico)て、執拗なリズムの反復に合わせて音列が展開し、配されて行く。流れが断ち切られ、静かになった瞬間、爆発して終結部となる。ティンパニのリズムだけが生き残り、怒濤のコーダを形成。まさに膨れ上がる火山か。リズムの残渣を聴きながら、第2楽章へ。
 
 アタッカで、2楽章ラルゴ−ヴァリアチオーニへと続く。ここは一種の変奏曲で、主題と第5変奏により構成される。かなりシリアスな、まったく甘くない響きが逆に心地よい。弱音の弦楽により主題が提示される。これは音列ではないそうである。ドラの一打が深遠を連想させる。5つの変奏は「小アリア」「独奏部」「感情深く」「中間部」「切迫」に別れるというが、ただ聴いた感じではその区別は明確ではない。深遠なる響きからひっそりと現れるヴァイオリンやオーボエらのソロが、第2変奏かと思われる。それからやや音響が動き、うねるようなシーンへ突入する。これが「感情深く」か? 弦楽器の切々と響く様はいかにも感情的だが、無調なのであくまでシリアスだ。そこから停滞部のような箇所を経て、音響はやたらとリズムがつっこんで切迫して行く。なるほど、ここが「切迫」かな? よく分からないが、そんな感じで聴くと面白い。それまで弦楽主体だった音響がぐわっ! と盛り上がり、打楽器や金管も加わって、やがて鎮まる。後のコラール交響曲のような鐘も鳴り、曲は結尾部である「回帰」へ向かう。冒頭主題(ラルゴ)が回帰し、ティンパニなどのウネリの中で主題は木管へ受け渡され、また弦楽へ戻り……最後にクラリネットに現れて楽章を閉じる。
 
 これもまたすかさず続くプレスト楽章においても、1楽章で呈示された主題が「あたかも循環形式のように」(作曲者)登場し、統一性を図っている。それは正確には各楽章のクライマックスにおいてだそうだが、この3楽章はロンドソナタ形式でもあり、大きく観て1楽章の再現部(2楽章は展開部)にもなっている。たいへんな変拍子が常に目まぐるしく変遷し、しかもそれがひとつの弛まぬ流れとなって楽章を支配している構築性は、すごいものだと思った。

 序奏とプレストから鳴る。立ち上がる音響が繰り返され、ピアノの静寂と対比する。やがて弦楽により、第1楽章の主題がじっくりと回帰する。これが序奏であり、やがてじわじわと主部プレストへ突入。低音から不気味に大地の揺れが立ち上がって、執拗なリズムに支えられて進行する。ピアノや打楽器も第1楽章の再現である。複雑なリズムと共に音列が再現され、まるで春の祭典めいたリズムの跳躍があるが、いったん鎮まって第2楽章を再現しつつ、楽章としては展開部兼主題Cを形成し、すぐさまリズム主部へ戻る。動機の展開は新たな局面を迎え、より激しくなる。テンポが落ち着き、終結部が近づいてきたことを示唆する。そして怒濤のコーダ!! 大噴火し、だがそれは一瞬。ピアノと鐘が、まさに茫然とした心象風景を形作る。弦楽が全てを回帰する中、ホルンが吼え、ティンパニと金管の激しい動機の中を鐘が鳴る鳴る。プレスト動機が最後に再現され、一気の終結。

 激しい音響に圧倒されがちだが、その中に隠された異様なほどの構成の確かさを推す。 


コラール交響曲(1968)

 この1楽章制のナンバー無しシンフォニーは、1968年、東京100年祭記念祝典応募曲というものに優秀賞として選ばれたもの。だが、ショスタコーヴィチの祝典序曲のような音楽を期待しては、いけない。2種類のテーマからなる二重変奏(変容)曲で、第2主題に相当する音楽が、いわゆるコラール主題であるが、ティンパニの大連打をバックに、金管群によるただの雄叫びにしか聴こえない(笑) 演奏時間は20分ほど。
 
 いちおうこれも第1交響曲と同じく急緩急の構成で、しかも呈示・展開・再現となっているので、構造的にも縮小された交響曲ということができるだろう。響きとしては初期の武満や松村を彷彿とさせる、シリアスなもので、これが優秀賞だというのだから、よほど芸術性に富んだ応募だったのか、それとも、当時の流行りだったのか。

 弦楽の「ざわめき」から曲は始まり、ティンパニ連打、鋭い金管の叫び。それらが第1主題(動機)である。その後静寂が訪れ、第1主題の変容がはじまる。じわじわと緊張感を持って進行し、アダージョとなって、ホルンが特徴的なシロフォンやピアノをバックに第2主題(動機)であるコラール主題を少しずつ歌いだす。動機はトロンボーンやトランペットも歌いだす。頂点でまたティンパニが大連打される。

 続くグラーヴェでは、まず冒頭主題とコラール主題が合わさって、弦楽の経過部を経て金管を主体に変容される。じわっと盛り上がってピアノの弱音の中に消えてゆき、後半は弦楽が息の長い旋律を奏でて、瞑想に入る。この動機も冒頭主題の変容とのことだが、原型は止めていないように感じる。

 続いて冒頭主題の再現がピアノ、シロフォン、ティンパニ、トロンボーンなどの打点的な縦の線と、弦楽の横の線が激しく交錯されて行なわれ、さらにコラール主題もエコーする。ぐうぉっと降り上がり、堂々たる音響の山場を築く。その後は、チャイムや打楽器が響いて消えて行く。最後に冒頭主題を奏でる鐘の音だけが残る。


 1983年の第2交響曲は、いまのところ録音は無い。





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