矢代秋雄(1929−1976)
心筋梗塞で惜しくも亡くなった矢代は、貴志康一、橋本國彦、大澤壽人と同じくらい日本楽壇における損失だったにちがいない。本当に寡作家で完璧主義の矢代の純粋音楽はすくなく、交響曲も1曲あるだけ。しかし、これがまた、本当に傑作なのであります。
交響曲(1958)
1958年、黛敏郎の涅槃交響曲や芥川也寸志のエローラ交響曲と同じ年、ここにも日本を代表するシンフォニーが生まれている。
フランス留学より帰った矢代が書いたのは、フランク流の循環形式による3管編成4楽章制の重厚かつ繊細、古風にして未来的な、大いなる矛盾を矛盾のまま孕んだ危険な香りのする超本格的なもの。1楽章「前奏曲」の冒頭において、フランスで矢代が留学中に作曲したサロメへの序曲の部分が使用されているという。アダージョからモデラートになるもので、4楽章制といいつつも、実質はフランス式3楽章制の大きな序奏とみてもいい。
2楽章には独特のテンポがみられる。いわゆる 「テンヤ テンヤ テンテンヤ テンヤ」 という神楽のリズムを描写した小説の一節から着想をえたといわれるもので、かなり大胆なスケルツォになっている。
3楽章はレントであり、専門的には2種類の主題による変奏曲であるという。それはつまり、マーラーの第4交響曲の3楽章と同じ形式ということになる。音楽としては、こちらの方がまったくシリアスだが、興味深い事実だといえよう。
当初の楽想の雰囲気は、まったくドビュッシーを想起させる、あえていうなら印象派ふうかもしれない。もしくはメシアンか。作曲者は、「部分的にはバッハ以前のコラール変奏の形式をとったところもある。」と云っていたそうだ。どこがどうだかは分からないが。
金管合奏が終わったところから、打楽器が動員され、じわじわと盛り上がってゆく。ここら辺の不気味な響きは聴きごたえがある。
4楽章ソナタ形式で、1楽章を再現しつつピッコロが警告を発す特徴的な序奏の後、まったく効果的で印象的な弦楽の第1主題がアレグロで高らかに鳴り響く。ここは一度聴いたら忘れられないだろう。第2主題は高音と低音(ピッコロ・ファゴット)で同じようなリズムのものがさりげなく呈示される。展開部で、いままでの循環動機が全部でてきて、豪勢な気分になる。トロンボーンの下降系の効果に鐘がアクセントで鳴るのが本当にカッコイイ!
嵐のようなハープから再現部となって、いちどまた1楽章が重厚に呼び戻されてから、大きく盛り上がって、感動的に、疾風怒濤に曲を閉じる!
さて、この交響曲には特に思い入れがある。というのも、吹奏楽コンクールで、この曲の4楽章だけが抜粋・編曲され、演奏されるのに接したのだ。例の第1主題といい、息つまる一気呵成な展開といい、アッという間のラストといい、その不思議な響きと感覚というのは、衝撃だった。武満徹の「ノヴェンバーステップス」と共に、そこから、日本人の作家に興味を持ったし、吹奏楽からオーケストラにも興味を持った。そして、はじめて買って聴いた日本人の交響曲が、この矢代の交響曲だった。学生のとき、19歳か20歳ぐらいだったかなあ。
それ以来、ずっとその1枚(佐藤功太郎/東京都響:フォンテック)を愛聴していたが、最近、ナクソスから新譜が出て、ちょっと喜んでいる。
アケちゃんの古い録音もあるんですよねえ。
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