高橋 裕(1953− )


 伊福部楽派の中でも、孫弟子世代。しかも、恐るべきことに東京藝大において池内友次郎と松村貞三に(池内は伊福部とは関係ないが)、さらに卒業後は黛敏郎に師事したという。

 池内の旋律性、松村の増殖技法、黛の仏教趣味や豪快な管弦楽法など、じつに見事に師たちのおおざっぱな特質を我が物とし、さらには自分なりにアレンジして、個性として凝縮している。元々の才能はもちろんあるのだろうが、そういう器用さが良い意味でアカデミアな才能として開花している。

 しかも嬉しいことに、交響曲が3曲もあって、音源になっている。これは我輩にとって大きい。


シンフォニア・リトゥルジカ(1980)
 
 宗教的祭式を模した交響曲、というほどの意味らしい。どのような宗教かも特定されておらず、原始の荒々しい異教的な雰囲気を交響楽としてイメージするものなのだろう。これを踊りとして表現したのが、かの偉大なる春の祭典である。

 1楽章制でちょうど30分ほどの規模であるが、師・祖師ゆずりの強烈なオスティナートが呪術的要素を再現し、現代的な管弦楽が人間の根源的な意志の中のカオスを表す。その中にも歌がひそんでいる。大きな3部形式という。

 強力な音響が冒頭より炸裂し、その中に独特のトランペットの旋律が叫び声をあげる。トロンボーンの咆哮がそれへ呼応し、群衆と風の唸り声が木管や弦楽で登場し続ける。打楽器がそれを彩る。まさに現代の原始主義である。管弦楽法においては松村の影響が大きい。

 やがて儀式は激しさを増し、機関銃のようなリズムに乗って踊りがはじまる。

 唐突に緩徐の部分に突入し、人々は祈りはじめる。月光が燦々と降り注ぎ、人々のエキゾチックでエクスタシー的な陶酔を誘う場面か。

 そして音楽は冒頭に戻り、また緩徐となる。動 → 静 → 動 → 静の短いサイクル。そこが第1部といえる。それから人々が眠りについてしまったような部分がしばし続く。静寂の中に不気味にひそむ儀式の影。これが第2部といえる。

 次第に単純な大きい旋律の繰り返しで眼が醒めてゆき、最後の熱狂が幕を開ける。大きくうねる音響群がラスト数分で大爆発。めくるめく官能と祈りの喜びが、聴くものを襲う。

 カオスの果てに神はいるのか。

 You Tube で試聴できます。


般若理趣交響曲(1983)

 ふぁんじゃりしゅきょう(略称) という、お経の交響曲。黛の涅槃交響曲の正統な後継者といえる。

 これは密教のお経で、全17段のうちの初段を全文、歌詞とし、西洋のミサにも似た形式で、東洋ミサとしての、西洋音楽が綴られるという趣向。

 これも1楽章制で24分ほどの作品。

 歌詞とその旋律が全曲を貫き大樹の幹のように雄々しく立っている。

 まさに冒頭、アカペラで歌われる美しい女性合唱は、賛美歌の装い。西洋人にも受けるというのが、よく分かる。それの是非はいろいろあるだろうが、とにかく美しい。また、それが次第に東洋的な陶酔美に変わってゆくさまなどは、ゾクゾクする。

 お経というが、純粋にテキストとして使ったようで、特にお経(声明)の旋律や、リズムが出てくるというものではない。(時々はそれっぽいものは現れるが)
 
 音楽は変幻自在に静と動を行き来し、常に合唱が歌われ、オーケストラがそれを支える。まさに交響曲といえど、カンタータ的な作品。どれがいちばん雰囲気が近いかというと、マーラーの8番の1楽章だろうか。

 技法的にはかなり前作(リトゥルジカ)より進歩している。展開が飽きさせないし、上手。旋律線の変容が面白いし、そのオーケストレーションもうまい。最後に、大いなる熱狂の中に 「心」 を叫び、一気に閉じられる。

 こりゃなかなか聴かせる曲です。


シンフォニック・カルマ(1990)

 第1回芥川作曲賞受賞作。

 これも大きな1楽章形式の交響曲で、演奏時間は約25分。

 交響曲「業」というか交響的カルマとでもいうべきか。

 冒頭より地獄の業火のようなじわじわとした装飾に彩られながら深刻な和音が伸び、ひたひたと長いスパンの旋律を紡いでゆく。

 金管の雄叫びは、悲痛さにあふれている。静寂が訪れ、フルート、オーボエ、ファゴットなど木管群が独白というか、虚無僧の吐露のような旋律を紡ぎはじめ、それらが重なってなんとも無常観あふるる情景となる。(ハルサイの第2部冒頭っぽい。)

 それが一気にクライマックスを形作り、火山の噴火のような怒濤の音響が迫る。

 それから、静寂の中にトロンボーンの長い呻きが続き、木管や弦楽が絡んでくる。賽の河原のような、風景だ。クラリネットがその雰囲気を受け取って、そこからじわじわと粘性マグマがゆっくりと盛り上がってくるように緊張を持続し、金管などが旋律を受け取り、儀式的なオスティナートを形成し、そこをマックスとして、なんともあとは下降気味に音楽はおさまって静かに成熟の中へ消えてしまう。

 大噴火がおきずに、マグマが山頂を形成して、そのまま噴火が終わってしまったような肩すかし感はあるのだが、まあ、悪くはない。

 シンフォニー3部作の中では、もっとも完成度や芸術的純度が高いと思う。




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