外山雄三(1931−2023)


 外山雄三というと、まず指揮者であり、作曲では「管弦楽(吹奏楽)のためのラプソディー」であり、見た目の雰囲気がいかりや長介に似ているということであろう。
 
 元来彼はしかし東京音楽学校(現藝大)の作曲科を卒業しており、作曲家なのである。それが、岩城といっしょにN響の指揮研究員となって、指揮者になった。
 
 今ページは交響曲の紹介であるからして、とうぜん、外山も交響曲ということになる。だが外山はラプソディーがあまりに高名で、交響曲といってもまったくメジャーではないのが現実だが、歌曲や協奏曲、管弦楽曲と並んで、彼の交響曲は存外多い。(下記参照)
 
 CD録音してあるのは、私の知るかぎり、1番と2番しかない。


小交響曲(1953)

 NHK管弦楽懸賞で佳作を受賞した。その際の初演の模様が当時FM放送されたのだが、平成30年10月28日のラジオ片山杜秀「クラシックの迷宮」において、▽NHKアーカイブス貴重音源・日本の「交響曲」から と題して再放送された。演奏はNHK交響楽団、指揮はなんとジャン・マルティノンである。

 ヒンデミット〜下総皖一〜外山雄三という新古典的な流れを組み、3楽章制で15分ほどの曲。また当時流行っていたソ連風社会主義リアリズムの影響も濃い。

 第1楽章、冒頭から低弦の伴奏と小太鼓のソロ、そしてトランペットソロによる民謡風というより新古典的で諧謔的なショスタコーヴィチ風なシニカルな旋律が弦楽、オーケストラ全体で受け継がれる。すぐにテンポが落ちて木管、弦楽による第2主題。これもかなりシリアスな雰囲気。打楽器の鋭い一打から展開部。第1主題がファゴットで変奏され、小太鼓ソロも複雑にからみ弦楽が展開を続ける。木管に展開が移り、第2主題の展開へ。これは短く小太鼓とシンバルのソロから再現部。しかし小展開も続くが、すぐに終結する。ウッドプロックの「コン」で終わるのも面白い。

 第2楽章は民謡旋律による。フルートからファゴット、そしてオーボエの三重奏につながる。ここまで来ると、冒頭の民謡風旋律も対位法めいて複雑に絡む。ウッドプロックの乾いた響きが、シュールでもあり、素朴な佇まいも演出する。そこで弦楽に生で五木の子守歌が登場。これがまた、実にもの悲しい旋律である。これは変奏や展開するでもなく、そのまま何度か叙情たっぷりに繰り返して第2楽章を終える。

 第3楽章は、片山の解説によるとルーセル的なフランス風新古典主義的な趣となる。確かに冒頭から、これまでとまるで雰囲気の違う和音と旋律が現れる。序奏から続くアレグロでは明るい音調で、あっけらかんとした、ころころと転がる愛らしい旋律が木管などに現れ、行進曲調となってもどこか祝典的だ。が、突然第1楽章の打楽器が乱入してきて、旋律もいきなり1楽章の派生で芋っぽくなる(笑) それと3楽章の西洋的なシャレオツ感とが対比され、大きく展開してきたなと思った瞬間にドシャンと終結する。

 外山の小交響曲をYouTubeにアップしました。


交響曲「帰国」(1965)

 ナンバーは無いが、事実上の交響曲第1番だそうである。しかしこの不可解なタイトルがまず眼をひく。「帰国」とはいったい……?

 帰国は帰国なのだが、交響曲としてのタイトルが不思議だと思う。1965年の作曲であるから外山34歳の力作。

 外山は出世作のラプソディーが、いわゆる民謡メドレー的なものであり、それ以降の作品はとにかく民謡のもつ土俗的かつ民族的かつ歌謡的なパワーをひたすら信じて突き進んできている。民謡といっても、ときに、自作の民謡ふうな息の長い旋律を意味することもある。

 私はときどき、「日本人の作曲家は民謡とか使ってあって嫌いだ」 という意見を聴くことがあって、我が耳を疑うのであるが、クラシック音楽において、民謡や俗謡のもつパワーを信じ、それを昇華させて偉大な芸術を生み出している作曲家は、いわゆる民族派、国民楽派を問わず枚挙に暇が無い。あまりにいるので、いちいち書かないが。

 したがって、日本人の作家にかぎり、日本民謡を使っているため聴きたくないというのは非常にナンセンスな話であって、1回聴いてからやっぱりダメならしょうがないけど、とりあえず聴いてから判断してほしい。日本人で西洋音楽なんかやっていると、自分の国の音楽は気恥ずかしくって卑下してしまう傾向があるようだ。
 
 確かに、ラプソディーは、わざわざウケのため民謡メドレーであるからして、あれを聴いて気恥ずかしく思うのは、吹奏楽の演歌メドレーを聴いて恥ずかしくなるのと同じなのだろうか。

 帰国交響曲に関しては、4楽章制25分ほどで、聴きやすい新古典的なもの。

 第1楽章、民謡を基礎にした旋律は「そのもの」ではなく、いろいろとアレンジされている。しかし、息の長さは変わっておらず、まるでドヴォルザークを思わせる作りで、たいへんに聴きやすい。かつ、ここにみられる(12音ではない)現代的な書法というのは、耳に新しい息吹を与えてくれよう。三部形式。

 弦楽によって示される主題は、既に民謡的ながらもシリアスな半音進行の合いの手によって緊張感を保たれる。主旋律は木管などに引き継がれ、半音進行も低弦などに引き継がれて展開して行く。中間部では半音進行主題の間隔が狭くなって頂点を築き、ヴィオラによるソロが冒頭を再現して短い第3部を終結部として終える。

 第2楽章では「会津磐梯山」が登場する。外山得意の打楽器ソリが華々しく先陣を切り、民謡旋律をモチーフにしたものがリフレインされて行く。間隔を狭めながら楽章全体を通してオスティナートのように盛り上がって行く。打楽器も祭り囃子を容赦なく刻み、フルートが主要旋律を延々と奏すのをバックに、オーケストラが民謡旋律を断片化したものをひたすら演奏して行き、最後は熱狂的な終結を迎える。

 第3楽章では「南部牛追い歌」が使われている。緩徐楽章。ほぼ弦楽と木管のみで演奏され、民謡もほぼそのまま登場する。しかし旋律の背後で鳴る和声が、なんとも複調的で不気味。何度か牛追い歌が様々な楽器で歌われるが、そのたびに妨害音じみてぴゃーっと鳴る和声がまた……能管のような音も発して、幽玄というか、幻想というか。単なる民謡楽章とは一線を画している。

 第4楽章はアレグロ、ロンド・フィナーレ。ホルンによる豪快なファンファーレがトランペットへ受け継がれ、小気味よい旋律が次々にオーケストラ内を移ろう。第2主題でいったん静かになって、再びアレグロが再開。途中からちゃんちきも入って盛り上がる。そのまま終結部へ突入し、長い爽快な和音で終わる。

 CDの解説にもあるが、ここでいう帰国とは、西洋音楽を学ぶ身にあって、日本の旋律に帰って来た、という意味なのかもしれない。


第2交響曲(1999)

 2番交響曲は帰国から数えて34年後に、純粋なる管弦楽表現として生まれた。それ以外の交響曲は、合唱入りのカンタータ形式だったりしているようで、番号はない。この第2番こそ、外山が初めて番号を記した作品であるが、いきなり1番を抜かして2番。理由が、帰国が事実上の1番だから、であるらしい。

 こちらは緩急緩の3楽章構成で20数分というものだが、とうぜん楽章単位の規模は帰国よりも大きい。緩急緩の構成で、ペサンテ、モデラート・エネルジーコ、レントと表示がある。

 帰国と同じCDに入っているので聴き比べることができるが、まず響きが分厚くなっていること、旋律の取り扱い方がより入念になっていること、音楽の広さがぐんと大きくなっていること、などが特徴してあげられる。それは作曲家としての、外山の進化の証であろう。
 
 外山の音楽は日本にかぎらず人間としての旋律の大切さを認識し、そのパワーを信じている。不協和音はけして旋律を邪魔しない。
 
 第1楽章、冒頭よりブーンと低音が持続し、独特の雰囲気。その上をさまざまな楽器が、民謡風の旋律を信号音めいて断片的に奏でてゆく。持続低音が終わるや、その全貌が明らかにされる。民謡風ながらオリジナルの旋律が、何種類がポリフォニー的に同時に奏でられる。音楽はささやくように進行し、弦楽と木管のみでひそひそと旋律が繰り返される。ここは展開せずに、ほぼオスティナートに聴こえる。やがてはじめの持続低音がズーンと打楽器を伴い戻ってきて、主題が再現されつつ、1楽章を終える。

 第2楽章も不思議な雰囲気で、1楽章冒頭に通じる高音と中低音の持続音が連続して登場し、互いに牽制し合うといったら良いのか、野生動物が威嚇しあっているような迫力がある。それとも怪獣か。案の定、咆哮が接近してついに鉢合わせると、怪獣映画のBGMのような展開となってなんとも面白い。いや、シリアスな音楽なのではあるが。ここでも主題はあまり展開せず、伊福部流のオスティナートで執拗なまでに繰り返される。終結部ではまたも持続音に鋭く縦の音が刺さってきて、そのまま消えてしまう。
 
 第3楽章にあっても、持続音が続く。ここにきて、この持続音が今交響曲の核心なのだと分かる。この重たいレント楽章は、まるで災害の現場を見つめているようだ。もしくは、純粋なる祈りの風景か。まず、極微小音のティンパニのトレモロから、シリアスな響きで息の長い主題がしばし提示される。いや、され続ける。ここでも西洋的な展開はせずに、1つの主題が少しずつ変化しながら延々と繰り返されるホモフォニー的でヘテロフォニー的な響きが追求される。何かの炸裂のような大きな不協和音でいったん頂点を迎え、そこから全休止を経て、クラリネット、チェロ、ヴァイオリンがコラールを細々と奏でて、最弱音の中に消えてゆく。

 第2交響曲は全体的にとても重厚かつシリアスな音楽で、けっこうお腹が一杯になる。


交響曲(2018)

 2020年執筆現在、外山雄三の公式サイトにて作品表は制作中とあり、外山の交響曲の全体像はいまいち、よく分からない。私の記述は、以前のサイトに公開されていたものを基本にしている。

 その中で、2003年の交響曲第4番を最後に、その後の制作状況は不明だったのだが、突如、新日本フィルハーモニー交響楽団の公式YouTubeで新作交響曲の再演が公開された。動画では2019年とあるが、2019年に大阪交響楽団で初演され、完成は2018年のようである。

 1楽章制で、演奏時間は約15分。私の知っているかぎりでは、外山、15年ぶりの新作交響曲となる。

 強烈なクラスターから、トランペットが主題を高らかに吹き鳴らし、ホルンや木管の主題断片による装飾が続く。管楽器の余韻から、リズム強打と主題(の一部の)反復が始まる。リズムはティンパニによって執拗に主導される。そのリズムを背後に、弦もリズムを扱い、管楽器が主題を奏でつつ、それが止むとオーケストラ全体で主題動機を細かく展開して行く。

 中間部となると、木管の主題がクラリネットに現れる。調性で、どこか鄙びている。弦楽が引き継ぎ、レントというか、アダージョというか。静謐な世界が展開される。外山の叙情的な世界が強く現れる。

 ティンパニの動機再現から前半部へ戻るが、テンポはアダージョのままで、じっくりと動機の労作が処理される。冒頭のクラスターも再現され、たっぷりとテンポをとりながら、小展開を続け、かつ再現部とする。

 最後はクラスター動機も反復し、オスティナートで主要動機とリズム動機を繰り返しながら、怒濤の終結部へ雪崩こむ。

 全体としては、ABA'-コーダの単純な3部形式に聴こえる。動機の扱いは複雑で細かいが、大きな構成はザックリしている印象だ。

 外山87歳の創作意欲、恐るべし。そして自作自演まで。外山の運命動機にも聴こえてきた。

 新日本フィルの公式動画はこちら


オマケ

 交響曲の全リスト
 1953年 NHK管弦楽懸賞佳作「小交響曲」
 1958年 室内交響曲
 1965年 交響曲「帰国」(第1番)
 1969年 交響曲「炎の歌」
 1977年 交響曲「風雪」
 1984年 交響曲「名古屋」
 1987年 交響曲「五月の歌」(林光との共作)
 1995年 交響曲「但馬」
 1999年 交響曲第2番
 2001年 交響曲第3番
 2002年 交響曲「あきた」
 2003年 交響曲第4番〜Tief in den Urwald,weit aufs Weltmeer〜
 2018年 交響曲
 
 (外山雄三氏のホームページより:但し現在は作品目録作業中で参照不可)

 名古屋出身で交響曲「名古屋」の初演も聴いたというチェロ弾きの友人が、「交響曲名古屋、CDにならねえかなあ」 と云っていた。

 同感。誰かしてください。全曲してくれ。

 ニコニコ動画に交響曲「炎の歌」「風雪」「名古屋」のLPがアップされているので、御興味のある方は検索してみると良い。私も時間を見つけて更新したく思う。





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