和田 薫(1962− )


 東京音楽大学時代の伊福部昭の弟子の中では、もっとも活躍の場を広げているのがこの和田薫だろう。アニメなどのサントラ仕事における活躍は、ここでわざわざ記す必要がないほどである。コンサートにおける藝術音楽作品でも、数々の名曲を生み出している。その特徴は、音調的に、サントラ仕事も藝術作品も、差異が無いことだと思う。これは、良くも悪くも、とあえて書きしるしたい。和田の音楽には、サントラは調性で藝術ステージ作品は無調、などといった作為は無い。それは、師である伊福部の無為に通じる。すなわち、悪く言えば、コンサート作品もみなアニメ調になる。

 コンサート作品において形式としての構成力に欠くことも、良くも悪くも、と書かせていただく。骨太の主題はあまり発展・展開せず、分かりやすくそのままの姿で推移するのも伊福部流。形式的な美観より、旋律と音調を重視する。従って、やっぱりどのコンサート作品もサントラ調になる。

 あとは、それを受け入れられるか受け入れられないか、という、我々聴き手の問題となる。


交響曲獺祭 〜磨 migaki 〜(2010)

 和田のコンサート作品は、小品が多い。いや、編制としては大規模な作品もあるのだが、演奏時間で10分前後の作品が並んでいる。それは形式的な構成力を欠いていることに由来するものでもあるし、そもそも創作としてそういうあまり演奏時間が長くない作品を嗜好していることの証左でもあると思う。また、委嘱作品では、オーダー側の希望ということも考えられる。

 そのような中で、これまでは和太鼓協奏曲である「鬼神」が、演奏時間約15分で、最も演奏規模の大きな作品だった。が、これは中間部に和太鼓のカデンツァがある。

 2021年執筆現在、鬼神をはるかに超える和田最大規模の作品が、交響曲として誕生した。

 しかも、誕生の経緯がいっぷう変わっている。元をたどるとオーケストラ側からの委嘱作品なのだが、「日本酒にオーケストラを聴かせて醸造させる」企画なのだという。ワインにモーツァルトを聴かせて味を良くしたり、肉牛にバッハだのハイドンだのを聴かせて肉質を良くしたりする試みは確かにあるのだが、それの日本酒バージョンといったところか。

 その企画を、和田の故郷である山口県にある高名な日本酒「獺祭」の醸造元である旭酒造へ持ちこんだところ、会長が快諾。作曲が決まった。

 つまり、獺祭側からの委嘱ではないことに留意する必要がある。こんな、突拍子もない企画を引き受けた獺祭も獺祭だ。また音響メーカーであるオンキョーも協力し、醪(もろみ)発酵タンクで音楽を聴かせる特殊なスピーカーも特注した。

 発酵と醸造の際に聴かせる曲をまず2曲作曲し、全体として1曲に仕上げるために既存の2曲を第2・第4楽章として、あとで第1・3・5楽章を作曲して、マーラー的な5楽章制、演奏時間約35分の交響曲して結実した。

 解説によると、和田は、交響曲を西洋音楽文化藝術の権化として、これまであえて創作しなかった。それなのに、今回、交響曲へ挑戦したのは、獺祭が昨今の世界的日本酒ブームにのり、日本酒をワインに匹敵するブランド酒とすることに挑戦している姿に感銘を受け、「この作品もそのように成長していってほしいという祈念」からだという。

 第1楽章「獺越」 獺越は、おごそえ と読む。演奏時間、約8分。旭酒造のある山口県岩国市の地名である。なんと獺祭というのは、この獺越地区の地名と、正岡子規の別号である獺祭屋主人からとられた。吉松隆流の擬似ソナタ形式か、はたまたチャイコフスキー流の並列ソナタ形式というべきものか。

 ホルンの朗々たる序奏より、「獺祭誕生をテーマにした」第1主題。「新しい試みでの苦難や葛藤」の第2主題が続く。第1主題は弦楽で現れ、木管に派生する。ゆったりとした、爽やかなテーマ。壮大さが増し、大きく広がりを見せる。第2主題は雄々しくアレグロ。進軍調のリズムに乗って、和田得意の日本的音形による激闘のテーマ。ホルンやトランペットによる雄叫びに、高音の木管が絡んでカッコイイ。明確な展開部は特になく、再現部が小展開を兼ねたような作りで、第1主題が再現される。第2主題の再現は無く、そのまま終わってしまうので、ABA'の三部形式のようにもなっている。

 第2楽章「発酵」 醪(もろみ)発酵タンクでじっさいに聴かせる曲が、この第2楽章。約6分半。「静かに時間が流れるイメージ」の曲となっている。和田独特の和音による序奏から、非常にゆっくりとした、鈴の音も神秘的な祈りのアダージョの第1主題。ハープによる進行が、特徴的だ。雪解けの清水が流れるような、静謐な感じが素晴らしい。それから、第1楽章第2主題をテンポを非常に遅くして展開する第2主題が現れる。獺祭誕生までの試行錯誤の時の推移を思わせる、深いテーマだ。再び第1主題のハープが戻り、進行して、静かに終わる。

 第3楽章「酔心」 泉鏡花からタイトルを引用した第3楽章は、じっさいに獺祭を呑みながら聴くことを想定したという不思議な楽章。演奏時短は約5分。どこか、マーラーの大地の歌の第3楽章のようなイメージもある。愉しい舞曲の次に、呑みながら思索するようなゆっくりした部分があり、また舞曲が少し戻った後に、獺祭の主題である第1楽章第1主題および第2主題のゆっくりとした変奏や断片が聴こえてくる。

 第4楽章「熟成」 こちらは熟成の時にタンクに流す曲だが、意外なことに5拍子・7拍子の変拍子による激しいアレグロ。演奏時間は、約5分。活性作用を表すのだという。主要テーマは第1楽章第2主題の雄々しいもので、それを多彩に展開しながら、リズム的なパターンは5、7、5が入り交じって日本的に進行してゆく。テンポは一定に保たれ、ロンド的に変奏された主題が交錯する。幾度か繰り返されたテーマは、激しく終結する。

 第5楽章「その先へ」 演奏時間約8分のフィナーレは、獺祭の未来への想い。旭酒造会長の「品質を高めて、新しい価値を生み出すこと」を主題にし、「未来へ飛翔する獺祭をイメージした」楽章。弦楽、木管、そして金管と続く静かなコラールから第1楽章序奏断片が現れ、陽気な村祭めいた第1主題となる。変奏曲形式で、速度を上げた第1変奏から、ホルンも壮大な第2変奏、テンポを落とし第2楽章を彷彿とさせる静謐な第3変奏、そして重厚に主題が猛る第4変奏、駆け足で終結へ向かう第5変奏と、5つの変奏を経てからいったん静まって、続くコーダは熱狂的に大きく盛り上がって終結する。


 ところでどうでもいいのだが、昔、出始めのころ獺祭は一升1800円くらいで売ってて、えらい安い酒だなあと思って呑んだ。すごくサッパリして呑みやすくうまかったが、また呑みたいかというとそうでもなかった。知らぬ間にとんでもない高級酒になってしまって、おいそれと呑めなくなった。そうしたら和田センセが交響曲獺祭などというものを書いて、魂消た。




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