山田耕筰(1886−1965)


 日本における西洋音楽のパイオニア。山田。かれのベルリン音楽高等学校留学における卒業作品として、このシンフォニーは書かれた。師匠のブルッフそしてヴォルフの指導によるものと思われ、正統ドイツ式の重厚かつロマンティックなもの。それが交響曲「かちどきと平和」


交響曲「かちどきと平和」(1912)
 
 日本人の手による、はじめての交響曲である。

 いや〜、「かまえるな」っていうのが無理ですよ。
 
 内容的には、そうたいして面白いものではないんですが。しかし山田耕筰というのは、よほど器用で才能豊かな人だったんですねえ。

 まるっきり日本臭がなく、同時代の無名なドイツの作家によるシンフォニー、もしくは19世紀のマイナー作品、といわれても、まったくそのようにも聴こえる。西洋式のアーベーツェーなんかまるで無かった時代に、単独ドイツに学び、シンフォニーを書き上げてしまうんだから。すばらしいことです。
 
 序奏付ソナタ形式の1楽章。モデラート〜アレグロ・モルト。アダージョの2楽章。小ロンド形式。トリオ2つ付のスケルツォの3楽章。4楽章はまたも序奏とソナタ形式。モデラート〜アレグロ・モルト。ファンファーレではじまる陽気なフィナーレ。
 
 まったく古典的にして模範的。「かちどきと平和」というタイトルは、あまり意味がないそうです。

 こんな作品を大先輩に書かれてしまった後輩ども。

 おいそれとシンフォニーなんか書けないのも、なーんか分かってしまうなあ。
 
 そこかしこに現れる、優雅な旋律が山田節。歌の人でもあった山田の交響曲は、系統でいえばだからシューベルトマーラーに連なるのではないでしょうか。

 特別に優れているとは云いませんが、意義的にも、聴かれ、演奏され、大事にされるに足るすばらしい作品です。歴史的遺産のひとつ。中程度のアマオケでも演奏できそうだ。
  
 なお、山田は、日本人は論理的構築性に欠けるので、ドイツ流のソナタやシンフォニーよりもむしろオペラを作曲して西洋音楽の神髄をえるべきだとして、準備として歌曲を山のように残し、オペラをいくつか残したが、これ以後、(純粋)交響曲は1曲も作らなかった。


バレエのための交響曲「マグダラのマリア」(1916)

 あとですね、自分のCDの曲目をすっかり見落としていたのですが、舞踊交響曲「マグダラのマリア」なる音楽がありましたです。

 これは厳密には交響曲ではなく、バレー音楽なんですが、正式な名称を 〈新約聖書〉ルカ福音書の伝える、罪を悔いて行いを改めたマグダラのマリアをテーマとする舞踊交響曲(Choreographic Symphony)〜振り付けられるためのシンフォニー というようです。標題交響曲の一種ともとれるし、企画交響曲ともいえる。

 作曲家・石井歓や石井真木の父である舞踊家・石井漠との共同により造られた物で、タイトルの通り新約聖書ルカ福音書による、罪を悔い改めたマグダラのマリアの物語による「舞踊詩」です。舞踊詩とは、石井が創作したことばだそうです。

 想像するに、バーバーの「メディアの復讐の踊り」のような、シュトラウスの「サロメ」のような、近代管弦楽の粋を凝らしたリズムの激しい音楽を思い浮かべがちだが、「暗い扉」「曼陀羅の華」という2曲の交響詩を得て到達したオーケストレーションという意味ではさすがのものだが、音楽自体は、かなり悠揚たるもの。主たるテンポがまずレント ラルゴやアダージョであるからして、けっこう深刻で暗澹としている。ときどき、Rシュトラウス調の明るい雰囲気にはなるのだが、約20分間をずっと緩徐的な音楽が支配している。

 もっとも、罪を悔い改めた場面では、救済を表す動機により、天上世界への道が示される。


交響曲「明治頌歌」(1921)

 もう1ヶありました。(すっかり忘れたw)

 これもまた実質は交響詩であり、明治維新と明治時代を懐古する内容。1921年は、大正10年です。
 
 冒頭の神秘的な和音とそれへ連なる進行は完璧に雅楽調で、維新前の日本を表すという。(日本の主題)

 それへじわじわと不穏な空気を裂いて現れる輝かしいブラスの響きが、黒船となる。(西欧の主題)

 あとはそれがソナタ形式ではないが、展開しつつ、明治後の動乱や混乱、和洋折衷に悩む日本の姿、等を描写。

 最後はしかし、和洋の完全なる融合は果たされぬまま(大正以後への課題という意味らしい。)、明治天皇の崩御と葬送行進曲を表す篳篥の加わったもの悲しい音色へと続き、やや盛り上がった後、唐突に終結和音が鳴って終わる。
 
 これは、邦楽器が登場する本格的なオーケストラ作品として、日本初の試みだそうです。 

 こうしてみると、山田耕筰ってかなりモダン。


長唄交響曲「鶴亀」(1934)

 1934年にラジオで放送初演されたこの長唄交響曲には、それへ先立つ「越後獅子」と「吾妻八景」あるが、楽譜は残されておらず、唯一この「鶴亀」のみが聴くことができる、とのことである。

 同じく西洋楽器と東洋楽器を使用する楽曲においても、対立や協奏を目指した戦後とちがい、山田が目指したのは融合だと思われる。

 ここでは既存の伝統的な邦楽合奏曲「長唄」がそのまま歌われ(教育TVでよく見るチントンシャンのアレである。)て、それへ和声や対旋律を補助する目的で2管編成オーケストラが使われている。その融合技術は見事と云うほかはなく、新作邦楽とは異なる、もともとある伝統芸能へ完全にオーケストラを合体させているのは驚嘆するほかは無い。

 とはいえ、技術や精神に驚くのと、じっさいにその響きを聴いての感想は異なる。

 オーケストラの和音とチントンシャン。「つる〜〜か〜〜め〜〜は〜〜〜〜♪」

 ブハ!wwww

 しかも、この鶴亀という話は唐の皇帝が新年の儀式で鶴亀の舞を舞って長寿を得てどうのというもので、蓬莱山やら長生殿やらと、登場設定や内容がいかにも中国風なのに、音楽は純和風。つまり、もともとからして日中合作なのに、それへ西洋の和音がつくのだから、これは知的好奇心を刺激するたまらない面白さがある。

 鶴亀まるまる1曲に日本旋律のオーケストラ曲がくっついて、「いよーーッッ!」 ポン! ジャジャーン!! と、堂々と終わる最高のエンターテイメント交響曲だと思う。

 少なくともわしはファンになったぞ。

 山田の交響曲と名のつく音楽がいまのところ4つ聴けた訳ですが、そのうちの最初の1つだけが無標題音楽で、あとが事実上バレー音楽と交響詩、それに特殊音楽だというのは、非常に示唆に富んでいると思います。山田は、ほんとうに日本人には純器楽4楽章制交響曲の作曲は向いていないと思っていて、それを実践したのでしょう。





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