カラビス(1923−2006)

 
 イギリスのアーノルドや日本の伊福部昭安部幸明と同じく2006年に亡くなったチェコの現代音楽作曲家、ヴィクトル・カラビス。2016年執筆現在で Wikipedia にも情報が無い(チェコ語?のはあるが読めない。日本語では、奥さんのチェンバロ奏者、ズザナ・ルージチコヴァーはある)、かなりマイナーな作曲家といえる。ボヘミアの東部で生まれたが、ナチスのプラハ占領により音楽の勉強ができず、戦後になってようやくプラハ音楽院で学び、合唱指導者、教育者、チェコ放送局の音楽監督などをしたが、共産党に入らなかったので、あまりキャリアを積むことができなかったようである。

 晩年は、ボスフラフ・マルチヌー財団の代表者になり、研究所を設立してマルチヌー研究に足跡を残した。

 これ以上は、ぐぐっても、何も出てこなかった。CDは意外と大手のサイトでも取り扱っているのだが、本人の情報はさっぱりだった。

 交響曲の方は、1番はその作品集に未収録。2番から5番までを聴くことができた。どうも、5番でおしまいのようだ。また、63年に、オルガンのための交響的フレスコ「フレスコ交響曲」がある。

 全体としては、現代作家でありながらも、現代技法3、調性7くらいのものから、現代7、調性3くらいのものまで、という感じで、折中主義というか、自由に調性と無調を駆使している。現代音楽といえども完全なセリエリではなく、とても聴きやすい。曲によっては、まったく新古典派の流れにある。


第2交響曲「平和の交響曲」(1961)

 この時代の平和とは、やはり第二次世界大戦への祈りだろうと推測される。4楽章制で、演奏時間は、ほぼほぼ30分といったところ。新古典的な様式を持っているので聴きやすい。内容も、ほとんど調性である。60年代というと、作曲の世界はかなり非調性の作風に傾いていたが、社会主義リアリズムと関係があるのかどうか。

 1楽章はアンダンテ・モデラート。静寂の中より、グロッケンがはるか黄泉の鐘か、鈴(りん)めいて鳴り、フルートが半音進行に近い乾いた旋律を奏でる。祈りの旋律であろう。その旋律が他の木管楽器や絃楽でひっそりと展開される。展開の頂点では激しく管絃楽全体が怒りと嘆きを叫び、戦争の憤りを表現する。そこから絃楽による経過部をへて、フルートとグロッケンへ戻る。このひっそりとした世界は不安と緊張を現し、2楽章へ。

 2楽章、アレグロ・モルト・エ ドラマティーコ。アレグロ、とてもドラマティックに、という意味。共産圏音楽特有の、ソ連系統のアレグロにもやはり似てくるのだが、激しい絃楽の刻みに、管楽器が大きな間合いの旋律を重ねてくる。結構規模が大きく、映画音楽みたいな恰好良さもあるが、ショスタコーヴィチ等と比べると、厳しさはやや緩い。主題と楽想が次々に変化して、トリオ部というものはない形式。テンポは変わらないが、大きく5種類ほどの変化をみせて、コーダ無くやおら終結する。

 3楽章は緩徐楽章、アンダンテ,モルト・クイエート。こちらは、アンダンテ、とても穏やかに、という意味。穏やかにといっても、キリキリした冷たい空気は変わらない。それどころか、きびしく始まって数分で、1楽章にも通じる嘆きの慟哭が響きわたり、葬送のリズムへ乗ってオーボエやフルートなどが悲歌を紡ぐ。その悲歌も、重々しく怪獣みたいな音響で展開して、悲劇を現して行く。やや小展開を経過して、アタッカで4楽章へ。

 そして4楽章、アレグロ・コモド・エ ジオコーソ。ゆったりとした速さのアレグロで、陽気に、とでもいうべき意味。一転して陽気な感じに平和への期待感がそれとなくかいま見えるが、やはり全体としての雰囲気は暗め。ピコピコとした木管に、ホルンが朗々と絡んでくるあたりはカッコイイ。そのテーマが雄々しく展開する背後で、戦争のリズムが小刻みに鳴っているのは示唆的。そこから主要主題がじっくりと展開して行きながら盛り上がって、頂点でファンファーレが。そして祝祭的な気分で終結する。

 なかなかまとまりのある響きで、構成も良い佳品交響曲。


第3交響曲(1971)

 無題の3番は、3楽章制で、演奏時間は25分ほど。2番より10年を空いて書かれている。その間の1966年に、ほとんど交響曲といってもよい規模と構成の、大オーケストラのための協奏曲という合奏協奏曲がある。

 1楽章はモルト・モデラート。冷え冷えした響き。東西冷戦すら彷彿させる響き。絃楽をメインにしたモデラートがしばし続く。木管も、まるで死の国の笛だ。ひとつの主題による、絃楽と木管の二重唱のような展開を経過して、音響が次第に膨れ上がり、展開部の頂点でオーケストラ全体による嘆きがあって、それはしかしすぐに終わって、静寂な緊張感の中へ戻って行く。そして、そのまま闇が覆い尽くしてくる。

 2楽章アレグロ・モルト・ドラマティーコ。3つの楽章では最も規模が大きい。これも、激しい戦闘シーンのような、旧共産圏的なアレグロ。スケルツォではない。絃楽の無調的な旋律から始まって、管楽器もすぐに混じって、重苦しい雰囲気もアレグロが続く。無調だと思うが、調性っぽくて聴きやすい。中間部では一転して静寂の中でフルートなどが室内楽的に不気味な呟きを重ね、強迫観念めいた響きを持続する。その世界がホルンの警告で我へ返ると、また新たな世界へ行く。ジャズっぽい展開もありながら楽想は大仰に変化し続け、最後は狂乱の中で宴を終える。

 3楽章では、アダージョ・モルト・エ クイエート。この交響曲は、緩急緩の構成を持っている。この硬質なアダージョは、3番の白眉だろう。美しくも、頑強な意志を感じさせる。共産党には負けぬぞ、という意志か。管楽器の補佐を得て、絃楽が切々と感情を吐露して行く。不思議なリズムのパッセージをバックに刻みながら、アダージョは最後まで硬質なままで、いっさいの甘さはない。作者の強靱な精神力すら感じさせる。


第4交響曲(1972)

 3番より続けざまに書かれた4番は、2楽章制で、演奏時間はやはり25分ほど。楽章数が少なくて演奏時間がほぼ変わらないとなると、楽章の中での変化が大きいということになる。

 1楽章、グラーヴェ;アンダンテ;テンポ I 。この発想記号だけで、重苦しい緩徐楽章というのが分かる。深刻な無調のヴァイオリンに、すぐさま金管が慟哭をからめてくる。ティンパニも嘆きの打撃を打ちこみ、小休止の後、悲歌が流れる。ここからアンダンテだろうか。ソロヴァイオリンをメインにして、ひっそりと、そしてしっとりと歌い継がれる悲歌。カラビスは、協奏曲では新古典的でアポロティックな、明るい調子をけっこう書いているが、交響曲ではついぞ、そのような曲調は(1番は未聴)無い。じわりじわりと暗黒が広がってゆき、大きな盛り上がりで狂乱を示して、音楽は大軍団の重厚な行進調になりつつ、大爆発して、経過部を経てテンポ I すなわち冒頭のテンポそして音調へ戻る。大きな三部形式であることも、発想記号から分かる。

 2楽章はアレグロ・モルト・ドラマティーコ;モデラート;アレグロ・ヴィーヴォ;モルト・モデラート;モルト・ヴィーヴォと、変化が激しい。

 アレグロはヴァイオリンのやはり気が狂ったかのような叫びに、他のナンバーのアレグロと同じく戦闘音楽が殴りこみをかけ、ヴァイオリンや木管などが答えて行く。音調も激しく変化しつつ、いきなりテンポが落ちてモデラートへ。通常の交響曲では、第2主題ともとれるだろう。木管の穏やかな響きが現れるが、絃楽は悲痛な響きを保持する。旋律も、けして甘美なものではなく、辛辣な調子を持っている。再びアレグロとなると、オーケストラが総動員で喧騒を表現するがこれは短い。すぐにモルト・モデラートとなり、そしてこれも短くてすぐさまモルト・ヴィーヴォになる。しかしその後も、テンポが穏やかになって、アレグロとの交錯を繰り返し続ける。リズムはより原始的になって、ハルサイめいた強力な推進力に、不協和音バリバリのアレグロが突進し続ける。そのままソ連軍の特重戦車が荒野を疾走し、一気に終結する。

 これは、ソ連系のアレグロ好きは、たまらない。


第5交響曲「断章」(1976)

 4番より4年後に書かれた。単一楽章制で、15分ほどの音楽。この後、40年間、カラビスは交響曲を書かずに、亡くなった。

 形式的には、4番と同じようなものを少し縮小して、1楽章にまとめた感じ。

 冒頭、豪快なオーケストラ全体の狂乱と喧騒が鳴り渡り、すぐさまアレグロとなって進軍する。無調アレグロだが、調性っぽくて聴きやすいのは変わらない。第1主題の展開で、絃楽のフガートのようなものが現れて、雰囲気を変えるも、緊張感は失われない。管楽器が合間合間に異なる主題を挟みつつ、アレグロは続く。次に、アンダンテほどのテンポとなる。これは、第2主題に相当する部分だろうか。それとも、三部形式の中間部か。奇妙な音階の旋律が、長々とソロで各種楽器により紡がれて行く。不気味でありつつ、どこか道化的な旋律。スネアドラムの打撃も入って盛り上がり、頂点で一転して絃楽の悲歌へ。それが夢の彼方へ行ったとたんに、冒頭へ戻って狂乱が舞い戻る。

 しかし、再現部は微妙に展開されており、少し異なる音調を持っている。短く、絃楽の部分やアンダンテ部分も再現して、少しずつ音楽は消えてゆき、最後は闇の中へ行ってしまう。


 カラビスの交響曲は、共産党に入らなかったゆえに、正統な評価を受けられずに、ラジオ局へ勤めて作曲したり、ラジオ局のオーケストラを指導したりして生活して、不遇な時代を長く歩み、そのせいか全体的に暗め。その割にけっこうコンスタントに作品を発表できているのは、手兵のオーケストラを持った強みだろうか。






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