ラロ(1823−1892)


 20代のときに歌曲や室内楽を作曲していたが認められず、30代からは絃楽四重奏団でヴィオラ奏者として生活していた。40代前半で結婚したのを機に作曲の意欲が再燃して、ついに51歳にしてヴァイオリン協奏曲1番がサラサーテに認められて成功したという、遅咲きの人である。

 クリエイティヴな仕事を目指す人は、30代で芽が出なければあきらめろ、などという言葉は、こういう実例の前に説得力を失う。ただし、ちゃんとラロも30代でいったん演奏家として自立しているのがミソだけれども。

 遅咲きなので、作品はあまり多くない。なんといっても高名なのはスペイン交響曲だが、ノーナンバーの交響曲(2番)もあって、それがまた良い。ヴァイオリン協奏曲(1番)や、チェロ協奏曲も魅力的だ。お祖父さんの代までバスク人ということで、フランスの中でも異色な民族的音楽を書く。


スペイン交響曲(1874)

 サラサーテのために作曲した、事実上のヴァイオリン協奏曲2番であるが、やはり交響曲としたのはベルリオーズのイタリアのハロルドを意識してかどうなのかは、興味深いところ。こういう協奏曲的な交響曲といってもいろいろで、完全に協奏曲な、交響的協奏曲といえるものから、どちらかというとソロ楽器がオーケストラの一部ほどの扱いになっている協奏風交響曲というものまで、ソロの程度によって差がある。イタリアのハロルドなどは、ヴィオラ協奏曲というより独創ヴィオラ付交響曲といった程度だ。

 さてこのスペイン協奏曲は、協奏風交響曲というほどソロ楽器が埋没しているわけでも無く、オーケストレーションも伴奏的でがっしりと全体が絡み合うような、交響曲っぽいものではない。つまり、協奏曲寄りの交響曲と云えると思う。かといって、完全に協奏曲というほどカデンツァバリバリの技巧的な作品でも無い。どちらかというと折衷的なもので、サラサーテとしては、ちょっと物足りなかったのではないか、とすら思える。

 面白いのは5楽章制であって、通常の交響曲としての4つの楽章に、「インターメッツォ(間奏曲)」として第3楽章が差し込まれている。これは当時の人々に異様に映ったようで、初演の後、しばらくこの第3楽章をカットして演奏するしきたりであったそうだが、20世紀後半になってようやく全曲が演奏されるようになった。

 5つも楽章があるせいか、全体で約40分ほどの演奏時間を有する大曲。

 1楽章は通常の古典的アレグロ。序奏無しでいきなり重々しいスペイン的主題、それをすぐさまソロヴァイオリンがなぞる。それからその主題をオケとヴァイオリンが順にやり合ってから、ヴァイオリンが主題を展開する。この1楽章は立派に協奏曲している。重々しい第1主題に比較して愛らしい第2主題はソロヴァイオリンで登場。伴奏が第1主題の派生という藝の細かさ。再現部はソロで第1主題、第2主題とも奏でられる。短いコーダまでヴァイオリンが活躍。

 第2楽章はスケルツォ。ここが交響曲の所以となる。ふつう、協奏曲には無い楽章。しかし、ここでもソロヴァイオリンは優雅に旋律を奏でる。スペインの香りあふれる、いかにもな旋律が延々と続く。あくまでフランスの中でも、異国趣味としての隣国スペインの香りであり、当のスペイン人が聴いたらベターすぎて恥ずかしく思うかもしれない(笑) 自由な三部形式で、独立したヴァイオリンとオーケストラのための小品という趣もあって楽しい。

 続くインターメッツォは、確かに不思議な雰囲気をもつ。なぜこの音楽が挟まれたのか。スペインの舞曲っぽい印象を持つ。重々しく深刻な、闘牛でもはじまるかの如き導入部。低音から渋く入ってくるヴァイオリンソロ。まるでカルメンのアリアを先取りするかのような妖しい雰囲気。延々とヴァイオリンが歌い続け、実に良い大人の雰囲気。これが長らくカットされた理由がよく分からない。下品とか、長いとか、(既に田園があるのに)交響曲で5楽章は変とかそういう理由なんだろうか?

 4楽章アンダンテも重い(笑) 葬送の音楽ばりに陰鬱に始まる。ヴァイオリンも物哀しい。ひっそりと哀歌を奏でる。長尺のヴァイオリンソロが続くが、カデンツァというわけではなく、あくまで長いソロのように聴こえる。盛り上がって、またしっとりと雰囲気を変え、明るく転調して平和な雰囲気に終わる。

 終楽章はロンド・アレグロである。初めて明るく始まる。まるでお祭の音楽。リズミックな伴奏を得て、陽気な主題をソロが。終始明るい何種類ものお祭主題をロンドで繰り返して、ヴァイオリンがリサイタルよろしく歌い続ける。最後は豪勢な和音でめでたく終結。

 見事に大衆受けする要素を集めた、技術的にも素晴らしい作品。初演がカルメンの1か月前とのことで、フランスにおけるスペインブームの先駆けとなった。


交響曲 ト短調(1886)

 確かに素晴らしいが、スペイン交響曲は正直言って「イロモノ」だ。この純音楽たるト短調の交響曲こそ、情熱と炎の、実に真のスペイン交響曲といった代物だと思う。これは素晴らしい、通好みの名曲であると断言する。

 ただし特にスペイン風の旋律が出てくるわけではない。あくまでその精神が、という意味である。

 4楽章制、演奏時間は約30分であり、作曲年代的にもブラームスの4番が1885年なのを鑑みると、完全に新古典主義だが、そこはフランスとスペインの民族を背負った新古典ということになろう。

 第1楽章はアンダンテ〜アレグロ・ノントロッポ。しっとりとした、荘厳な間での序奏から幕を開ける。次第に音量がアップして、明るくなり、全体に緊迫感をもって盛り上がって行く。速度も上がり、アレグロでは序奏に続く深刻な主題が第1主題として扱われる。第2主題はやや暗めの、しっとりとしたもの。ここらへんは、意外にドイツ音楽っぽい。しっかりとした構成がなせる技だろうか。フランスものといっても、その根っこにはしっかりドイツ音楽があるといえる。雄弁な主題が執拗に展開されて行く。この熱っぽさが、ラテン気質なのだろうか。全体この1楽章が最も規模が大きいのも、いかにも古典派・ロマン派交響曲だ。コーダも雄々しくカッコイイ。

 2楽章はヴィバーチェで、スケルツォではない。緊迫感をゆるめない導入だが、主題は反して明るく剽軽なもの。しかし中間部ではいきなり敬虔な雰囲気の、祈りの音楽へ。深刻な盛り上がりを見せてから、冒頭へ戻る。舞曲めいた全体合奏が、心地よく心を踊らせる。けっこう短い。

 3楽章はアダージョだが、6分ほどの音楽なのがいかにも前期ロマン派、新古典派っぽくて良い。音楽は軽いのかというと、そんなことはなく、劇的に重い。低音をメインとする重厚な導入から、絃楽合奏、そして木管の合いの手によるしっかりとしたアダージョが続く。このまま20分も30分も行くとブルックナーマーラーの世界だが、そこはそんなにしつこくない。アダージョはあくまでアダージョであって、展開などはしない。じっくりと重々しい、熱いテーマが鳴らされ、いうなれば提示のみで静かに終わる。

 4楽章はアレグロ、フィナーレで、5分ほど。なんとデュカの魔法使いの弟子みたいなぴょこぴょこしたリズムと旋律に乗って(ちなみに、魔法使いの弟子は1897年の完成なので、こっちが先である)、様々な主題が流れては消え、繰り返される。コミカルで、あまり派手に盛り上がるものではない渋い終曲だ。コーダになってようやくズパッと盛り上がって、そのまま終結する。短調というだけあってか、全体にかなり渋い作りになっている。

 なお、Wikipediaによるとラロはこのト短調の交響曲よりスペイン交響曲の方が遙かにウケている現状に(?)、「描写音楽より純粋音楽を信じている。」 旨の手紙を友人に宛てて残している。すなわち、描写音楽(標題音楽)は、音楽が言葉に隷属するため、純粋に音楽のみで構成された純粋音楽の方が真実である、といった意味合いかと思われる。






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