原 博(1933−2002)


 東京芸大で池内友次郎に師事し、うねり狂うゲンダイオンガクの波の中を、吹きすさぶ無調の嵐の中を、ひたすら調性による音楽を目指し、バッハとモーツァルトを規範とし、孤高の戦士として歩き続けた原。伊福部昭別宮貞雄に続く世代の、「調性音楽の守護聖人」 として記憶されてよいだろう。

 そんな原であるから、本人のCDの述懐によると、交響曲などという、作曲家の魂の刻印においそれと手を出せるはずも無かったそうで、彼にとって、交響曲とは19世紀で完結した偉大なる芸術であり、「巨匠」 の手による諸作品に対し、とてもでは無いが自分などは書ける代物ではないと思っていたらしい。「危惧は一生交響曲を書かずに終わるかもしれない不安に次第に変わって行った」

 そんな彼が、たったひとつだけ残した交響曲がある。


交響曲(1979)

 原が云うにはこうだ。交響曲は、「私の価値感覚では、20世紀生れのどんなに称賛される作曲家でも、音楽的にはほぼ論外であった」

 「中には『交響曲』という題の、何か他の曲種としか感じられないものまでもあった」

 「そのような『新しい発想』による『創造』はどうでもよいものであって、私には『従来通り』の交響曲の概念でいいのである」

 (CDのブックレートより)

 この概念は実に面白い。

 古典派の「交響曲」、いや、「交響曲という古典的な音楽」 にとりつかれたのは、同じだが、片や、革新的な交響曲を作り出す作曲家は、古典派のマネではどうしようもないと 「新しい交響曲」 を模索し、片や、「新しい発想の交響曲にはなんの興味もない」 という。

 それらの戦いは、交響曲そのものに音楽的価値観を見出さぬものにとっては、本当にどーでもいい論争であり、鼻で笑うべき代物だっただろう。「なんにしたってしょせんは交響曲じゃねーかww」 と。私はいろいろな交響曲を楽しむファンなので、どちらの立場の作曲家にも感謝感激である。

 前置きが長くなったが、そんな原が万難を排し、さまざまな人の素敵なつながりを得て(つまり演奏される前提で作曲できた。)、実に彼の創造の集大成として書き綴った交響曲。原にとっての最大規模の作品でもあるという。

 第1楽章 Allegretto Maestoso ソナタ形式(19分)
 第2楽章 Adagio Espressivo ソナタ形式(17分)
 第3楽章 Scherzo vivace-Menuetto meno mosso elegante 3部形式(8分)
 第4楽章 Allegro giocoso ソナタ形式(11分)

 見よ! このすばらしき古典派楽章のラインナップを!! 時間的にも、50分を超え、後期ロマン派に匹敵する!!

 まさに日本を代表する、日本が世界に誇る新古典派交響曲に相応しい響きぶり!!

 と、云いつつも、ですね、ぜんぜん1楽章からシリアスで激しいです!! 調性と云いつつ、けっこう不協和音や半音進行がバリバリで、かなり近代ドイツ流。これはどちらかというと、諸井三郎に曲風が近いかもしれない。

 呈示部は反復するという古典派ぶり。第1主題は作曲家の苦悩を表すような、厳しく冷たいもので、しかも長いです。ティンパニも鳴り渡る。第2楽章も甘美なものかと思いきや、木管や弦楽による、かなり厳しいもの。それらがシリアス+シリアスで展開部ですばらしく盛り上がって、再現部までも発展しコーダで堂々と終わると思いきや、そのまま静かに、消えるように終わる。新古典派といいつつも、しっかりと、近代的なマーラー流のシンフォニーになっている点が、素晴らしい創造を示している。その展開の見事さは、19分という長さをまったく感じさせない! 

 2楽章ではしかし!! 聴衆大満足の美旋律!! ここであとひとつ崩すと、まさにムードミュージックだが、それを許さない馥郁たる香気が漂っている。芯の通ったノーブルさもありつつ、庶民的な朗らかさもある。奇跡のような音楽を楽しめる。会っては去りゆく愛すべき友(とも)、邦(とも)、をめぐる草深き暑い夏のイメージとのこと。オーボエの夢のような追憶の第1主題、それを受ける回想の弦楽による第2主題(?) あくまで感傷的に、セピア色の写真を見る懐かしさ。美しさ。展開部では、激しく、憤りをも感じさせる。そして最後はまた夢の中に戻って、踊る。

 この音楽、イイですねえ。驚いてしまいました。こんなきれいで確かな音楽を書ける人が、楽壇から疎まれてた? そんな楽壇は腐ってしまえ。

 3楽章も伝統的なスケルツォ−メヌエット(!)−スケルツォの3部形式。1楽章と同じ緊張感ある調で、劇的で荒々しいスケルツォが展開される。メヌエットはフルートが主体の、鳥の声のような、森の散策のような、ちょっと一息つく音楽。またスケルツォが回帰し、コーダでドカンとおしまい。教科書通りの古典的形式ながら、楽想が古さやマンネリを感じさせない。

 それって本当に凄いことだと思います。

 4楽章はなんと、ソナタ形式かつフーガ!! 調性フーガは厳格な和声が絡んでくるので、数学の世界。まさにバッハ的な対位法にしてフーガ技法。しかしバッハだって適当な部分はある。フーガの中に遊びがあったっていいじゃないか。それが大人の 「遊び」 ってやつだろう。ドイツ古典派を愛する原の遊び。秩父音頭のリズム。まさにジャバニーズアレグーロオーイェー!!ww

 打楽器アンサンブルにより面白くはじまり、弦楽がアレグロを開始。打楽器が彩りを添え、あくまで明るく、そして、出ました音頭!!(笑) 面白い! なにこの究極にマジメで能天気な音楽は(笑) 凄い、まさに苦悩から歓喜へ!!!

 嬉しくって笑っちゃいますよ、そんなにベタベタベターなのに、この斬新さ!!

 ベター斬新!? 4楽章にきてすげー打楽器ソロ! 打楽器好きも必聴ですよ! 木管も弦楽も重くならない! 洒落たリズム感が芥川也寸志っぽくもあり、池内楽派の特徴か?
 
 こんな見事なアレグロ楽章が、日本人から生まれようとは! シンフォニーがうまい人は、ソナタがうまいというより、アレグロがうまいですよね。

 たっぷり音頭ソナタフーガ(笑)を楽しんだ後は、どんどんどんどん盛り上がって、小じゃれた感じて品よく終結!!

 これは日本を代表する最高に重要なシンフォニーの1つであることを確信できる、素晴らしい音楽です。

 参考までに、YouTubeに音源をアップしました。よろしければどうぞ。

 第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章 


ミニシンフォニー 変ホ長調(2002)
 
 2002年吹奏楽コンクール課題曲で、原の遺作、だそうです。

 課題曲らしく、このような詳細な指導ページもあります。参考までに。

 吹奏楽コンクール課題曲は、大方、マーチなら4分台、ゲンダイ曲っぽいものなら5〜6分台で、その年の吹奏楽連盟の意向で、長いものという指定がでると、8分前後、という時もあります。

 しかし大抵は、1楽章形式というか、まあその、数分の小曲で、楽章もナニも無いんですが(笑)

 そこに、原はなんと4楽章形式の純古典的な、その名もズバリ「小交響曲」を作曲しました!!(笑)

 これは、上記の解説ページにもありますが、異色なんてもんじゃないです。超古典的楽曲が異色という現状に、原は一石を投じたのでしょう。それが遺作とは、まったく原らしい創作姿勢だと思います。

 そんなわけで、コンクール全国大会のCD等で、聴く事ができます。こういう異色作は概して人気が無いんですが、案の定、演奏団体は少なかったようです。まあ、逆に、ウィンドアンサンブルでこういう古典形式を演奏するのは難しいんですけどね。指揮者の先生も、演奏者も、バッハやモーツァルトの管楽アンサンブル、ハイドンの交響曲などを勉強しないと。

 ゲンダイ曲的な大仰なデュナミークや、ロマン派的なコテコテリタルダント、ベタベタアッチェレ等とは無縁の、ロココ的形式美こそ至上命題のような現代音楽。なんという問題提起か!

 それはそうと、中身なんですが、本当に課題曲で4楽章制なのが逆に笑ってしまいました。アッタカでもない!w

 1楽章アレグロ(呈示部リピートアリ!)が約1:50、2楽章アンダンテが同2:00、3楽章メヌエット(スケルツォじゃねえ!)が3部形式で同1:00、4楽章ロンドアレグロが同1:00で6分以内、5:40〜5:50の、本当に本格的な 交 響 曲 !!

 すごい仕事ですよ、これは。

 1楽章はロマン派の交響曲とは異なり、第1主題も第2主題も性格的な変化というより音楽理論的な変化(調とかリズム、旋律法の変化)を求められた、両方とも明快で軽快なもの。各々数小節で、時間的にはキッカリ30秒、繰り返して1分でトロンボーンがテーマを変形して登場し、スパッと展開部。再現部ナシというか再現部兼コーダ。ティンパニソロからジャンとおしまい。

 全体にサッササッサと呆気なく進む嫌いはあるが、時間制限が設けられているからしょうがないこと。むしろこんな小規模にソナタ形式を完璧にまとめる手腕に驚嘆し、脱帽する。作曲科の教科書に載っても良いのでは? この吹奏楽コンクール課題曲は、作曲家にとっても、課題がたくさんある。

 2楽章アンダンテは演奏時間のわりには長く感じる。旋律がゆったりと流れ、庭園を散歩するかのごとき気分が非常に心地よい。1回、大きくもり上がるアーチ形式。

 3楽章がスケルツォじゃなくってメヌエットっつうのがまた、なんとも趣味のよさというか原のこだわりをいちばん感じる部分だった。メヌエットは宮廷舞曲で、3拍子。スケルツォも3拍子なんですが、メヌエットはおフランスの宮廷舞曲ってのがミソ。ワルツでもありません。

 日本人は踊りに3拍子が無く、日常でも3拍子のリズムにあまり縁がないので、3拍子の演奏がホントに苦手です。自分も演奏して身にしみて分かってますが(^^;A 聴いた話では、日本語(2音節)とドイツ語やイタリア語など(3音節)の音節差が、日常のリズムのとり方、身体の動かし方、話し方や歌い方、踊り方に影響を与え、日本人はそもそも3拍子に馴染んでないので、ちゃんと3拍子の演奏の仕方を習わないと演奏できない、そうです。

 まあそれはそれとして、メヌエットですが、ここが課題曲中最も神経の使う部分だったのではないでしょうか? 軽快、かつ、優雅に(笑) 3部形式で、音楽的にも、中間部とメヌエット部の対比もうまく作曲できており、面白いです。ここをカタカタカクカク、3拍子を下手くそに演奏していては、この課題曲は点数が低かったのではないでしょうか。

 4楽書はそしてロンドという……。すばらしいです。新作でロンドww 輪舞曲ですよ輪舞曲www

 (ぜんぜん関係ないが輪舞曲というタイトルのポップスで、聞いたらワルツ=円舞曲だったという、苦笑を通り越して失笑したことがある)
 
 1分ほどにABCAコーダのクルクルと楽しい主題が入れ替わって、おわりです。

 全体的に打楽器のめぐるましいほどの、特にシロフォンの用法が新古典的で興味深いです。団体によっては、演奏難度からか、割愛したところもあるのでしょうか? 私のCD(2002年吹奏楽コンクール金賞団体演奏集)では2団体がこのミニシンフォニーを演奏していましたが、中学校はシロフォンは聴こえませんでした。またシンバルやスネアドラムも、常に入っているのがメカニカルに響いて、そこは逆に現代的だと思います。

 あとは金管がちゃんとテーマを吹くのが、吹奏楽というか、近代管楽アンサンブルっぽかったな。

 さらにこういう曲をやる時や聴くときの面白さは、たとえば、この年の課題曲だったら、吹奏楽のためのラメントなどは、アンサンブルのうまいヘタ以外に、聴きようがない。曲の表現がみな同じにならざるをえない。しかし、ミニシンフォニーのような音楽では、制約がある分、逆にその中で自由になる部分、つまりテーマの描きわけや、打楽器のバランス、絶妙な速度変化などが際立つため、楽しめます。

 また、私が高1のときの課題曲Cが原のマーチ「スタウト・アンド・シンプル」でした(笑) 世の中狭いなあ。ちなみにウチのガッコはBの小林徹による交響的舞曲をやりました。なつかしす。

 ……6分の曲でこんなに文章書いたの、初めて(笑)

 こちらも参考までにYouTubeにアップしました。




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