別宮貞雄(1922-2012)


 戦後における調性音楽の守護聖人の1人として活躍を続けている別宮は、しかし、自分も前衛というかセリー技法に影響をまったく受けなかったわけではないと述懐している。バイオリン協奏曲や、第2交響曲などが、彼にとっては、かなり辛辣な響きをしている(Vn協奏曲は、無調というよりも極端な半音階進行に支配されている。)が、その後の作品は、それら前衛の響きの反動として、結果的にやはり調性ともいえる音楽になったという。かれは、調性だろうがセリーだろうが、おのれと調和する響きを常に模索し、その帰結するところとして、ほぼ調性ともいえる音楽を生み出しているにすぎない。音楽は観念を伝えず、というストラヴィンスキーにも似たシビアな姿勢を持っているからこそ、そのためには調性が必要なのだろう。協和音と不協和音のせめぎ合いがあってこその前衛だという姿勢には、大いに共感する。
 
 彼の交響曲はいずれも伝統的な3楽章から4楽章構成で、保守的といえる。5番まである。
 
 響きも平易で、吉松の先輩が意外なところにいた観がある。だがしかし、感傷や感覚だけに終わっていないプロフェッショナルな論理性が、別宮の強力な武器となっている。音楽をたしなみながら東大の物理学に入学するほどの英才であり、彼の楽理は半端ではないものがある。

 → 2012/2/12 逝去されました。合掌。


第1交響曲(1961)

 いわゆる日フィルシリーズとして委嘱。伝統的な4楽章制で、ポリフォニックな美なくして(西洋)音楽美はありえずという確信に基づきつつも、古典派のエピゴーネンのようなアカデミックな響きに堕していない。
 
 初演当初は各楽章に副題めいたものが合ったようだが、取り払われている。1楽章冒頭より、後年のチェロ協奏曲(1997)にまで一貫する「別宮節」が炸裂。炸裂といっても、激しいものではない。メランコリックで、どこか郷愁を誘いつつ、ヨーロピアンなドライさを兼ね備えた独特のもの。非常に聴き易く、私は気に入っている。もちろん調性。管打楽器も豊富で、色彩感はフランス流。つまり別宮は、私の好きな作家の中では、オネゲルに近いかもしれない。ベートーヴェンの構築性とフランス流の色彩感がレッツ、コンバイン!! で電磁合体するとこういう作曲家が生まれるらしい。とはいえ、心なしか日本的な情緒もエッセンスとしてまじっているところがニクイ。まさにネオ・ジャポネスクだろうか。

 2楽章と4楽章には、彼の作曲した「南極大陸」という映画音楽からの転用があるらしい。1楽章の主題も既に完全に映画音楽だが、2楽章スケルツォ及び4楽章フィナーレの両アレグロも、確かに、かなりカッコイイ系のまさに映画音楽かもしれない。(主題が)

 そうなると異彩なのが3楽章のレントだろう。演奏時間的にも、各楽章中で最も長いだけではなく、複雑なロンド形式で、ヒタヒタと盛り上がってゆく様などは、同輩の矢代の(交響曲の)影響もあるかもしれない。もっとも、矢代の影響といえば、解説にもある通り、2楽章の方が強いだろう。
 
 全体としては、伝統的な形式に沿いつつも、かなり辛辣な響きから、美的な旋律、そして堅固な構築性まで、まことに近代伝統的交響曲の見本とも云うべき出来ばえを示している。正直、これほど立派な交響曲を、同時代の旧ソ連やアメリカで探せといえば、まず、無い。ましてや前衛の発信基地だった欧州では、である。
 
 それにしても「マタンゴ」の音楽が別宮だとはしらなんだ……。サントラとして聴いてみたい。


第2交響曲(1977/2004)

 本人によると、これほど激しい作品は前衛(正確には音楽を破壊したゲンダイオンガク的なもの)憎しの自分としてどうよ? というほど前衛であり、師匠の1人メシアンには褒められたが、失敗作と言い放ち、1977年の作曲以後、2004年まで改訂を繰り返していた作品という事だが、個人的には、それほど激しいものとは聴こえない。逆に、やはり別宮は迷っていたのだと強く感じる。3楽章制。
 
 しかし、確かに、平易とは云えぬ複雑な部分がある事も確かで、アレグロによる1楽章も頻繁に変わるテンポ・曲想と、数理的な作曲構造、さらには第2主題などに顕著な日本的情緒が、なんとも別宮には珍しいだろう。
 
 アダージョによる2楽章は、最大規模を持ち、瞑想的な2つの主題による。2つの主題は祈りにも似て複雑に絡み合い、官能的でもある。と、同時に、キリスト教的な敬虔さも与えてくれる。

 3楽章はまたアレグロで、全体で急緩急の構造をとる。形式はパッサカリアとのこと。

 無調的な主題が発展してゆき、打楽器を伴う鋭いオーケストレーションはなかなか聴かせる。

 中間部はけっこう聴いていても難解な進行をするが、コーダでパーッと音楽が晴れるあたり、芸が細かい。

 前衛的とはいえ、プロコフィエフの2番やショスタコーヴィチの2番のような、形式をも破壊してしまっているのではなく、あくまで枠の中でポリフォニーを忘れず刺々しさを表現しているのが別宮らしい。
 
 技法としては1番より2番が抜きんでているが、曲想としては、個人的には、1番の方が好きかも。
 
 しかし、正直なところ、偉そうなことを云っていてもポリフォニーとポリニャック夫人の差もよう分からんです。


第3交響曲「春」(1984)
  
 1 「春の訪れ」(あっという間に春はやってくる)
 2 「花咲き、蝶は舞い………」(そして鳥がさえずる。深い山の中の自然の美しさ)
 3 「人は踊る」(人々は浮かれだす)

 このように、各楽章に副題がついており、標題音楽というわけではないが、指標ぐらいにはなるだろう。1番にも元は副題めいたものがあったようだし。春交響曲といえばシューマンの1番が高名であるが、同じような、瑞々しい、風ぬるみ心地よい季節の「気分」を現した音楽。作曲者に云わせると、音楽は観念を伝えぬが、心の底の情景を暗喩として伝える、つまりは「気分」は表現できるという。
 
 当時の世の潮流である前衛への反証として1番の形式美が書かれ、その反動で今度は辛辣な2番が書かれ、またその反動で、シューマンの「春」のごときこの3番が書かれたということである。芸術家の心の動きもなかなか大変だ。

 1楽章第1主題などはまさに春の訪れをよろこぶといったふうで、気分がいい。金管の重奏が、春スキーで構想をえたという山野の様子を感じさせる。続く弦楽のテーマ(第2主題)は、まさに高潔な映画音楽のような、完全な別宮節。ソナタ形式ではあるが、常に浮かれた調子の、さわやかな風が吹き渡っている。

 2楽章は緩徐楽章だが、それも、山間の菜の花、菫、咲き乱れる様子。形式は自由な3部形式のようにも聴こえるが、詳細は不明。フルートによる第1主題とクラリネットによる第2主題が中間部で合わさり、また別れて終結する。

 3楽章ははしゃぎすぎて川に落ちそうなほどに踊っている。よほどに春がくるのを待っていたにちがいない。(なにかのCMのような、あからさまな喜びよう。)

 序奏だけちょっと緊張感がありオッと思うが、主部がタンバリン入りのまるっきり山岳舞曲風で、陽気な日曜日。そう、ピクニックの愉しさに溢れている。そんな「気分」は最後までなんの迷いもなく続き、輝かしく終結する。
 
 ここには何より、簡潔で陽気な、師匠でもあるミヨー的なものが聴こえるだろう。


第4交響曲「夏 1945年」(1986)

 彼らの世代にとって、10代から20歳前後に迎えた「大戦」「終戦」という巨大な世の中の潮流が、人生へ影響を与えぬわけがない。別宮もまた、戦後すぐの、焦燥した日本の姿に、なにかしらの虚脱と解放を覚えたようだ。特に彼の家にとっては、大東亜戦争は狂信的な側面しか見えていなかった。そこらが、戦中に現役だった世代との微妙なちがいだろう。1986年に回想録のように作曲されている。

 1 妄執
 2 苦闘
 3 解放

 という副題がそれぞれの楽章についている。3楽章の陽気の反動として、深刻な気分に貫かれている。

 1楽章は二つの連続したダン・ダンというリズム(動機)がいろいろ発展して作られた執拗的音楽。大戦の不安を現している。またそれは、ジークフリートの葬送行進曲にも通じる音楽だろう。しかし作曲者は作曲当時、それは意識していなかったと云っている。

 日本では、葬送に大抵はお経で、音楽という文化はあまり無いせいか、明治後に西洋音楽が入っても、葬送行進曲というのは根付かなかったように感じられる。日本人の作家で、果敢にも日本の葬送行進曲に挑んだ人は少ないが、團伊玖磨(吹奏楽のためのソナタ)がある。この楽章も、その意味では、葬送行進曲を無意識の内にも意識しているのかもしれない。帝国の葬送行進曲。

 2楽章では戦争中の抑圧に対しての苦闘、という意味なのだろうか。それとも、日本の戦争における苦闘、なのだろうか。スケルツォ楽章に相当し、変奏曲であるが、中間にはトリオもある。なかなか激しく、かつ複雑である。

 3楽章の解放はしかし、戦争で死んだ人々への祈りも含まれている。音楽において観念や物事を伝えることはできないという別宮は、ただし我々に伝えたいものを標題を通して「ひとつの像」のように想像させ得ることは可能だというような意味を残している。音楽はグレゴリオ聖歌よりの引用をまじえつつ、祈りより徐々に高揚し、最後は高らかな解放の喜びの宣言で結ばれる。

 当時20代の別宮は、既に敗戦を予期していたらしい。大戦の意義を理解した(あるいは理解したということにして戦争を享受した)現役の大人とも違い、また軍国少年だった世代とも違い、思春期の多感な時期だった彼らの世代は、敗戦は戦争に負けたという悲しみであると同時に鬱屈とした戦争の空気からの偉大なる解放で、米軍は解放軍だった。祈りと同時に終結部の燦々たる高揚感は、そこからくるらしい。彼らの世代は破局と解放感という難しい心境を終戦に抱いている。

 また、彼は、ベートーヴェンにとってナポレオン体験が英雄交響曲を産み出したように、自分にとって敗戦体験がこの4番を産み出したと云えるようになってくれたら、と願っている。 


第5交響曲(1999)

 音楽は観念を伝え得ないという表現は、ストラヴィンスキーがいう、音楽は心の表現や物事の描写をなんら伝えず、そこにあるのは音だけだという姿勢に通じている。ストラヴィンスキーは母、妻、娘が次々に亡くなるという不幸に遇って、開放的な響きの交響曲ハ調を書いた。
 
 作曲は1999年となっている。細君が脳溢血で倒れ、その後、懸命の看護にも関わらず、亡くなられた。その淡々とした悲しみは、チェロ協奏曲「秋」にも強く反映されている。ここにある生命への憧れというか、生きる力の素晴らしさの確信は、どこから来るのだろうか?
 
 別宮も、家族の不幸に遇いながらも、第5交響曲における主要主題、つまり第1楽章・第1主題はとても生き生きとし、明るい。1楽章は全部で7分ほどだが、第3主題まである複雑なソナタ形式で、アレグロ・コンブリオ。展開部に、既に運命動機よりとられたリズムが顔を出している。再現部、コーダと、一貫して、開放的で清浄な響きに支配されている。

 2楽章にいたり、不安げで、もの悲しげな様相のスケルツォが登場する。冒頭の旋律は、半世紀前の学生時代の作だそうである。この民俗舞踊調の音楽はしかし、日本的ではない。

 この物憂げな「気分」を表す儚いダンスは、きれいな想い出への邂逅にも聴こえるだろう。

 3楽章は、今交響曲唯一の、重々しくも荘厳なアダージョ。暗いというより解説にもある通り静謐という表現がよく似合う。3部形式で、最後は幸福感に溢れた響きで終わる。たいへんに濃密で美しい音楽が楽しめる。
 
 4楽章では例の「運命動機」にも似た主題が登場する。ダダダ・ダーンではなく、ダダダダ・ダーンと音符が一個多い。それはもちろん、運命が本当は休符からはじまるダダダ・ダーンなのに準拠している。CDの解説にもあるが、1楽章にも登場したこの運命動機の変形は、神様ベートーヴェンへの敬慕と信仰だ。ちなみに運命交響曲はこの一発目のンにもっもと力が入ってなくては、音楽にならない。ンにこそ、ガラス戸をこぶしで突き破るほどの力と迫力がなければ、運命は死ぬ。
 
 ダダダダダンのリズムに支えられた様々な音楽がとても均整にそして堅固に積み重なって、4楽章を形作る。最後はリズムも複雑に展開して後、一気に明るく終結する。
 
 古典的な4楽章構成は1番以来で、ドイツ的に響く。構成的にも、5曲中で最も古典的かもしれない。4楽章は運命動機をどんどん変形させて行って、やがて高揚のうちに一気に終わる。交響曲というジャンルを知り尽くし、その伝統を護る姿勢は、ここで遺憾なく発揮されているだろう。


 日本人の交響曲のシリーズにもだいぶん人が増えてきたけども、体系的に作曲し、そのいずれもが濃密な出来を示しているという点で、別宮は、本当に日本を代表するシンフォニストの1人というに相応しい。




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