新垣 隆(1970- ) 


 桐朋音大において三善晃他に作曲を習い、ピアノ、現代音楽作曲では、この世代ではトップということであるが、私は例のゴースト騒動まで 「だれ??」 という存在だった。

 騒動への見解と交響曲1番「HIROSHIMA」については、佐村河内守の項にあるのでそちらを参照してほしい。

 そんなわけで、なんで新垣単独でこの項ができたかというと、このゴースト騒動を「すっぱ抜いた」週間文春からの委嘱で、テーマ音楽として交響曲 HARIKOMI とやらを作ったのだ。

 これはもちろん、HIROSHIMA へあてつけたパロディ交響曲で、調性どころかジャズオーケストラであるが、交響曲とは作者がそう名づけた音楽であるので、ここでも当然取り上げるのである。


交響曲 HARIKOMI(2014)

 10分ほどのジャズ組曲風の1楽章の音楽で、大衆芸能雑誌の記者が張り込みをする際のテーマ曲、というコンセプト。ニコニコ動画で生放送され、その模様が、かつてはネットで鑑賞できたが、いまはもうできないようだ。新垣がピアノを自作自演。

 4つの部分に分かれ、最初はルパン風のトランペットのカッコイイ導入部。このまま編成がでかいとまさに水野修孝。トロンボーン、サックスを経て、やおらちんどん屋が登場するという、アイヴズばりの現代シュールさ。

 続いてピアノソロによるナイトミュージック。クラシックから現代音楽からジャズまで弾きこなす新垣よ。トランペットのけだるいハードボイルド。再びピアノソロ。モーツァルトっぽいフレーズ、現代音楽っぽい感じも、現れては消える。

 3部目はドラムから低音部隊、テンポアップし、各種ソロ。トランペット、パーカッション、サックスによる。最後は合奏部に到って、最初のテーマが戻り、終結する。

 サントラメドレー仕上げになってはいるが、構成がやはり、クラシックも書ける人の腕前であって、しかも堅苦しくないという手練。さすがにあれだけの大規模オーケストラ曲を書き上げる腕は持っているのだと再確認できる。

 これは賛否もへったくれも無く、HIROSHIMA 交響曲へのあてつけであり、同列の企画物交響曲として楽しむもので、新垣のエンタメ実力を垣間見ることのできる一品というべきもの。

 しかし……こうなると、新垣の本当のオーケストラ作品、バリバリの現代物での交響曲を聴いてみたいので誰か真面目に委嘱してほしい。三善のレクィエムのような、阿鼻叫喚のオーケストラをこの人で聴きたい。


交響曲「連祷」−Litany−(2016)

 上で、私は新垣隆の新しい、自分名義の交響曲を早く聴いてみたいと書いた。ただし、それは、彼本来の作風である(と、思っていた)、三善晃ばりのガギガギの音響大爆発カオス爆弾を期待していたのだ。

 結論から言うと、この新作は、旧作である佐村河内名義の HIROSHIMA 交響曲の、短縮カット坂にしか聴こえなかった……。しかも、HIROSHIMA の、聴きやすい部分だけを抽出した、簡易版とすら言えるだろう。HIROSHIMA は、ラストにベターでウケ狙いのお涙ちょうだいも出てくるのだが、その無駄に長い規模が、けして万人向けではなく、結果としてあんなウケてしまったが、どちらかというと藝術肌だ。そういう、人工的な「演出」なのだとしても。

 だとすると、こっちは最初から完全に万人ウケ……いや、ゴースト騒動後の、佐村河内ファンを引き継ぐ形での新垣のファン向けに書いているとしか思えない。あるいは、一度離れてしまった佐村河内のおいしいお客を、なんとか新垣で取り戻そうとしているのか……。

 まったく違う作風なら、私も、このような感想は抱かなかったと思う。あまりに、「同じ作風」 だったので、こういう感想しか出てこなかった。これが、オーダーによるものなのか、こっちが新垣の本質なのかは分からない。分からないが、これでは、技術はあるが自分の書きたいものが無い作曲家、という印象しかなくなってしまう。(本当にこれが書きたかった、というのであれば、話は別だが、そうは思えない……。)

 とはいえ、ここは交響曲の紹介ページなので、私の個人的な感想はここまで。是非は、聴いた人がそれぞれしていただきたい。

 3楽章制で、演奏時間は、ライヴCDでは40分少々。ショスタコーヴィチの5番に匹敵する、けっこうな規模であるが、主題の処理やオーケストレーションが技術的にうまいので、時間を感じさせない。

 HIROSHIMA FUKUSHIMA からもじられた主要主題 H F Es(S) A の4音、シ、ソ、ミ♭、ラによるが、全曲を貫いている。これは、ゆっくりと、祈りや希望のテーマとして奏される。そのわりに、半音進行で、ちょっとシリアスな部分もある。

 第1楽章、演奏時間は約15分。形式的には分かりやすい3部形式。3楽章形式で、3部形式と、3にこだわっている。……って、そりゃ、佐村河内のこだわりじゃなかったんかい(笑) ここら辺が、私がこの交響曲をちょっと胡散臭く感じてしまう所以だ。あれは、佐村河内のこだわりだったのか、新垣のこだわりだったのか。

 冒頭が暗黒のテーマなのは、旧作と変わらず。しかし、こちらのほうが、まだ救いがある響き。救いがあるというか、叙情があるというか。じっさい、1楽章前半部はラメントであるとのこと。それは、ラメントであり、レクイエムであろう。絃楽により、ややしばらく祈りは続くが、前作に比べて 「常識的な」 長さに短縮されている。少しずつ霧が晴れて、光もさす。しかし、重くのしかかる悲劇のテーマ。それは、バスドラを伴う。

 それが、やおら速度を増してアレグロとなり、転調すると、そこは希望のテーマとなる。この辺の響き(音調)は、旧作と何ら変わりない。希望のテーマだが、どこか哀しい。哀しみは疾走するとかなんとか。冒頭のテーマも呼び戻され、入り交じって、音響はなかなかシリアスなカオスとなる。金管により高らかに響きわたる希望のテーマ。悲劇のバスドラも地獄の太鼓めいて鳴り、その中から希望も諦めずに立ち上がる。そのテーマは、主に木管により変奏されつつ、ゆるやかな時間の流れを形成する。(初期の)マーラーめいた響きにもなって、平和裡に落ち着くとみせかけて、音響は頂点を迎える。絶叫の中のホルンが、 H F Es A のテーマ。一気に落ちて、暗黒の中でもがくように H F Es A のテーマが引き継がれる。大木正夫のヒロシマ交響曲へのオマージュが聴かれる。

 いやあ、旧作を聴かないで、いきなりこれを聴いていたら、私はたぶん激賞していただろう。もったいねえなあ。それほどの「巧みな」楽章。

 第2楽章も、凝っている。単純な緩徐楽章ではない。演奏時間は12分ほどと、些少なりとも、最も短い。ここも、明確な3部形式。前半では、「時間が止まって」と作者により表現される部分。1楽章にも通じる動機が、単発で提示されつつ、発展・展開しないで止まっている。もちろん H F Es A のテーマも現れる。打楽器が、それらの停止した時間に彩りを添えてゆく。音響的に戦闘の音楽めいて激しく盛り上がるも、時間停止は続く。そして現れる中間部では、絃楽合奏により第2のラメントが聴かれる。これが「連祷−Litany−」であり、交響曲の副題はこれに由来するという。また、これは2014年のドキュメンタリー映画「日本と原発」による音楽からの引用とのこと。
 
 続いて、第3部は、「Variation」つまり変奏が来る。いまの連祷のテーマを変奏していると思われる。変奏はアレグロも交えて雄々しく進み、ようやく時間が動き出す。その頂点で、不気味に現れる半音のテーマ…… H F Es A のテーマである。不気味なまま、余韻を暗闇に残して第2楽章は終わる。

 第3楽章は15分ほどで、フルートの独奏から始まり、管楽器全体で祈りの……コラールを形成する。管楽合奏の部分は2分半ほども続き、絃楽が入ってきて、打楽器も入り、やおら緊張感を増す。そして静寂となり……立ち上がる旋律は「連祷」の続き。連祷はしかし、不安のテーマにかき消される。地獄の大太鼓が、重低音のトレモロとなって響きわたる。

 その中から芽吹く希望。希望のテーマ。まさに生命の主題であり、喜ばしい瞬間だが、絶望のテーマは、その希望のテーマの影にしっかりと潜んでいる。だが、ついに希望は勝利する。高らかに響きわたる、まるでマーラーの2番のような、ゆったりとした勝利のファンファーレ。

 だが、 H F Es A のテーマが、突然と鳴らされる。気がつけば、絶望のテーマも、ずっと鳴っていたことがわかる。運命の連打がティンパニの弱音で響き、交響曲は静かに幕を閉じる。けして、歓喜で終わるものではない。むしろ、絶望を暗示して終わる。







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