大木正夫(1901-1971)


 大木といえば、私にとってはビクター復刻CDの、諸井三郎/交響曲第2番の併禄だった「夜の思想(1937)」のイメージだった。同曲の解説においても、大木の録音は現在のところこれ(夜の思想)のみ、とあったような気がするが、タイトルのとおりえらい暗く、瞑想的な雰囲気に支配された曲で、「暗い作曲家じゃのう」 と思っていた。しかも、戦後のリベラル思想の最右翼(最左翼!?)を行き、カンタータ「人間をかえせ」である。

 しかし、ナクソスの解説によると、元々は国民音楽派の明瞭な作風であったらしい。夜の思想は尺八の渋い音色と構成を管弦楽に移した、とある。

 交響曲は6番まであるそうだが、工場交響曲(1番)、農民交響曲(3番)、信濃路(4番)、交響曲「ヴェトナム」(6番)など、一貫してプロレタリアート的な国民・労働者音楽であるようだ。(2番は無題らしい。)

 国民音楽というと、どこの国の国民でもたいていは分かりやすいを念頭に、平明なものが書かれるが、さすがに原爆交響曲、それも平和への祈念モノではなく、原爆惨禍モノ。ペンデレツキではないが、どのような音楽か想像するだに恐ろしい。(しかもソ連での演奏において、ペンデレツキに影響を与えた形跡があるという。ちなみにペンデレツキの「ヒロシマの犠牲者によせる哀歌」は1960年。)


第5交響曲「ヒロシマ」(1953)

 ヒロシマモノは、日本だけではなく世界に存在する、もはや共通のファクターだと思われる。解説によると宮原貞次にも広島交響曲(5番)があるようだし、芥川也寸志のオペラ「広島のオルフェ」、水野修孝の交響的変容第4部、さらに團伊玖磨の6番もヒロシマじゃあないか。

 團の6番は1985年の作であり、おのずと見方も異なる。大木のそれは1953年、原爆よりたった8年。ここにあるのは復興成った広島ではない。人々の記憶に荒野のまだ生々しい、バラックだらけの、原爆スラムの、白黒の広島である。生き残った人々は、ある日とつぜん真っ黒い血の塊を吐いて一気に死んでゆく恐怖にすら麻痺している。被爆者は、いつか死ぬのが当たり前。自分だけ生き残ってごめんなさい。ここではまだまだ、切なさと死が広島を覆っている。

 原爆の惨状を描いた高名な絵画「原爆の図」に触発されており、全8楽章。40分。この手の音楽はたいてい合唱が入って盛り上げるのだが、合唱は入っておらず、器楽表現のみ。ただし、ほぼ全編が沈鬱な沈み込む響きに満ち満ちている。

 全体でいうと、無調と不協和音の塊とはいえ、60-70年代のカオス的音響爆発の表現は少なく、ちゃんと音響的ではなく音楽的な説得力があるという点がうれしい。逆に、そういうカオス表現になれている人にはやや物足りないか。

 わたしはやはりこの曲に強く切なさを感じてしまう。40代で戦後を迎えた作者の世代がそうだからかもしれないが、この絶叫しきれぬ切々とした響きに、感傷的になってしまう。

 ちょっと こうの史代/夕凪の街・桜の国  の読みすぎかもしれないが。(読み返したらまた鬱になった。。。)

 元は交響的幻想というタイトルだった為か、交響曲といっても形式は自由で、ほぼアタッカで全楽章が続けられる。

 第1楽章は序奏。短い序奏は4つの部分に分かれている。無神経な時の流れ−人類の良心の声−混乱−静寂

 原爆投下の針がその瞬間をさして、エノラゲイのハッチが開くと、亡者の行進のような第2楽章幽霊。−それは幽霊の行列でした−しかし幽霊ではない。人である。これが。人の行列。

 人の記憶に甦る「ピカ」の瞬間。第3楽章は火。−次の瞬間火が燃え上がつた−ピカは瞬間で、逆巻く熱風とうずまく熱線が、襲う。これはもはや戦争ではない。ただの殺戮なのだ。
 
 熱の暴風がおさまると、第4楽章、水。−人々は水を求めてさまよいました−

 「水をください……」
 
 「助けてください……」

 しかし誰も助けられない、何もできない。しまいには、死体をまたいで歩いても、なんとも思わない。

 第5楽章:虹。声も無く人々は苦しんでいました−突然の黒い大雨がきました−その後に美しい虹が現れました−
 
 美しい虹なのに、この不安はなんなのだろう。苦しみの衝撃はしかし、怨嗟ではない。人々は、何が起こったのか、ぜんたい、わけが分からなかった。ただ、苦しんで、死ぬのだった。

 第6楽章:少年少女。人生の喜びも知らず、父や母の名を呼びつゞけながら死んで行つた少年少女−

 朝、学校へ行ったきり、けっきょく帰って来なかった子どもは多い。死体すら、見つからずに。墓碑銘のみが、その痕跡。あとで話を聞いて、翌日死んだことが分かったり、翌々日に死んだことが分かったり。みんなそろって、お墓に昭和20年8月6日。8月7日。8月8日……と刻んである。

 第7楽章は原爆砂漠。−果てしない髑髏の原です−
 
 風の音を甲高い弦が表し、荒涼とした、春の祭典の2部冒頭のような、骸骨の林に、髑髏の道。血液すら蒸発してしまった。黒い影。

 第8楽章:悲歌。もっとも規模が大きいこの楽章は鎮魂歌であるはずだが、切々とただ鳴り響く無機質な悲しみに支配されている。まさに悲しみの歌だろう。荒涼としたのは大地や街だけでなく、人間の心こそが、熱と光で焼かれ尽くし、渇ききっていたにちがいない。

 最後までこの音楽に救いは無い。当日のヒロシマがそうだったように。

 これはまさに世界に誇る、戦後日本の古典交響曲として、演奏され聴かれつづけなくてはならない。


オマケ 

 伊福部昭の回想によると(1991年、伊福部昭の個展でのプレトーク)、かのチェレプニン賞を受けた伊福部の日本狂詩曲であるが、東京で応募作をまとめてパリに送る際、伊福部の作品が 「こんな恥ずかしい作品を送れるか、国辱だ!」 としてハネられようとした際、「まあまあ、どうせ審査するのはパリの人なんだから、恥ずかしくてもいいから送れ!」 と云って送らせたのが、この大木なんだそうです(笑)

 伊福部が云うには、「おれがいなけりゃいまのお前は無かったんだ(笑)」 と、何度か威張られたそうです。




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