尾高惇忠(1944−2021)

 
 かの「尾高賞」へ名を冠された指揮者にして作曲家の尾高尚忠を父に持ち、弟に指揮者の尾高忠明がいる。また亡くなった2021年の大河ドラマの主人公である渋沢栄一を調べていてびっくりしたのだが、尾高家は渋沢家とつながりがあり、同名の尾高惇忠は豪農ながら幕末の志士にして、明治時代の実業家。その惇忠を曾祖父に持ち、母方の曾祖父には渋沢栄一がいる。加えて、従兄にあたる諸井勝之助を介して、作曲家の諸井三郎やその息子の諸井誠とも親戚つながりがある。

 東京藝大で矢代秋雄、池内友次郎、三善晃に作曲を師事し、卒業後はパリへ留学。デュリュフレやデュティユーに師事した。

 帰国後は、東京藝大作曲科の教授を長く務める。寡作家の部類に入ると思うが、オーケストラ曲も多く、弟の指揮により演奏にも恵まれていると思う。

 協奏曲がピアノとチェロ、ヴァイオリン。 ヴァイオリン協奏曲は遺作にあたるとのこと。交響曲が1曲ある。

 ちなみに忠明のエッセイでは、本来はオダカなのだが、オタカのほうが言い易いしみんなそうやって呼んでるから呼び名はオタカとしている、とのこと。(敬称略)


交響曲「〜時の彼方へ〜」(2011)

 震災以前からスケッチを書きため、オーケストレーションの段になって東日本大震災に遭遇した。従って、震災に影響されて作曲されたわけではない。が、偶然にも仙台フィルハーモニー管弦楽団の委嘱により書かれており、震災の半年後、2011年の9月に初演された。翌2012年の尾高賞を受賞した。

 3楽章制で、演奏時間は約35分。日本フィルハーモニー交響楽団の配信レーベルにて聴けるほか、2021年5月26日のNHK交響楽団定期演奏会にて広上淳一の指揮にて再演されたものが、NHK-FMのベストオブクラシックでライヴ放送された。

 ちなみに、広上淳一は高校生のころ、尾高にピアノや音楽理論を個人的に習っていたそうで、音楽の師として敬愛していた。

 尾高惇忠の曲は、無調的な現代音楽ながら偶然性や(一部では使っているのかもしれないが)12音技法は聴かれず、響きそのものを重視しつつ、非常に構築性に優れ、いかにも現代における交響的作曲とはこういうものだ、というアカデミックなもの。が、それでいて、堅苦しくなく、芳醇な耳障りのよさがある。そこは、武満にも通じるフランス流の音の作り方を、ガッチリとマスターしているのだろう。

 また耳触りがよいといっても、ポップで感傷的な旋律がひたすら流れるだけで、和声的工夫や主題の展開、オーケストレーションなどの構築性に欠けるものではけしてない。時には現代技法を駆使し、なんだかよく分からない音か鳴っている抽象的な部分もある。しかし、それでいて、やっぱり耳障りがよい。そこが不思議で、面白い。
 
 第1楽章、演奏時間は約15分。まず弱音の弦楽が深刻な導きを演じ、ソロヴァイオリンがそれに応える。その動機を全体で引き継いで、ヴィオラなどにも繋がってゆく。少しずつ主題は展開を始め、ゆっくりと広がってゆく。そして第2主題にあたるものか、次に突如としてオーケストラに動きが現れる。切迫感と焦燥感。それはすぐに溶解し、溢れる。低音の呻きから、第1主題に近いものがじわじわと立ち上ってゆく。それが拡大し、膨れあがったところで再びアレグロ、そしてアンダンテへ。主題の展開がせわしなく交錯し、冒頭の主題がテンポを速めて執拗に繰り返される中、アレグロ主題も複雑に折り重なってゆく。いまや2つの響きは完全に融合して、まさに巨大な災厄の到来である。いまとなっては、予言的な響きだ。予言は破局の未来へ向けて、我々に示唆を与える。最後に、再び低弦の呻きが現れ、ティンパニと共に金管のコラールを導いてゆく。この金管の和音は武満に通じるもので、独特だ。木管と弦楽がそれを引き継いで、冒頭のヴァイオリンソロが動機が変形されながら戻ってくる。

 第2楽章、演奏時間は約8分。いきなり武満の「波の盆」のような響きが聴こえてきて面白い。偶然か、狙っているのかは不明。第2楽章は、間奏曲と捕らえて良いらしい。透明で、緊張感がある。弦楽がそれを断ち切るが、平和を希求する動きに淀みは無い。動機を小展開させながら、弦楽や木管が歌い継いでゆく。中間部から動きが現れ、激しい流れとなる。耳をつんざく、金管の咆哮。木管の応酬はしかし、鳥の歌のようだ。轟々と打楽器が打ち鳴らされ、破局は近づいてくる。だが、次に現れるのは、破局ではなく平和な歌だ。時は移ろい、夢幻的な和音が霧の中に流れてゆく。その中から、冒頭の武満風の動機が戻ってきて、この幻想的な楽章を終える。

 第3楽章、演奏時間は約11分。ティンパニと打楽器に導かれ、オーケストラが囁いてゆく。次第に速度と音量が上がるが、弦楽のピチカートに断ち切られて、その後に複雑なフーガ。低弦の支柱動機に合わせて、弦楽が次々に幽霊めいた不気味な主題を連ねてゆく。そして、フーガも突如として裁断される。だが、低弦の動機は続いている。そこから、フーガ動機を使った小展開となり、不気味さが増してゆく。やはり、未来には破局が待っているのだろうか。一瞬の全休止の後、乾いた打楽器アンサンブル。激しいアレグロとなる。そしてまたも、別の動機による速いフーガ。ここは勇ましく進行する。フーガにアレグロのリズムが突き刺さってきて、嫌が上にも複雑さを増す。音響的にもオーケストラの厚みが増し、金管や打楽器も激しく鳴り響いて、緊迫感が増幅する。それが頂点を迎えぬまま一気に収束して、ティンパニの導入により暗く重いコーダとなる。金管と木管がコラール主題を応酬させ、弦楽も加わる。その果てに、ハープとチェレスタの上昇音から、なんと澄んだ鐘が8回、打ち鳴らされる。そして1楽章冒頭の響きが一瞬だけ戻って、終結する。この印象的な鐘の音は、未来への希望の鐘なのだろうか。

 他の曲で、比較的入手しやすいCDでは、尾高忠明指揮で札幌交響楽団が演奏する、オルガンとオーケストラのための幻想曲がある。また、非常に愛らしい調性曲のピアノ連弾作品集も良い。



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