塚原哲夫(1921−1978)
2016年4月執筆現在、Wikipediaにも情報のない、完全に謎の作曲家。TBSヴィンテージJクラシックスで初めて知った。戦前の日本領朝鮮で生まれ、中学を卒業して本土へ戻ってより、日本大学芸術大学で池内友次郎に、日大を中退して東京音楽大学作曲科で信時潔と橋本國彦に師事した。1944年に「音楽コンクール」作曲部門では、ピアノ三重奏曲で2位をとっている。
戦後はジャズバンドを組み、ジャズテイストを組み込んだ作品:交響組曲「異国の踊り子」で音楽コンクールで1位をとった。それからアメリカへ留学し、作曲をコープランドなどに、指揮をラインスドルフに学んだ。
帰国後は「ツカハラ・オーケストラ・シンフォニック」を組織して、指揮と編曲を行った。これは、ポップスオーケストラのようなものだったという。
作曲では映画やドラマのサントラや、純粋音楽も作った。晩年は一般へのクラシック普及のため「ジュニア・フィルハーモニック」なる青少年オーケストラを組織し、楽団長兼指揮者として精力的に活動していたが、78年の年末に第九を練習しているさなか、突然倒れ、急逝した。
解説の片山杜秀によると、塚原は中間音楽の担い手として活動した。中間音楽とは、クラシック(藝術音楽)とジャズ、ロック、ポップスなどの大衆音楽の中間という意味で、セミ・クラシックのようなものだという。ソ連が推奨していた社会主義リアリズムもその一種で、藝術音楽として書かれるが、それは大衆に理解されなくては意味がない。12音音楽などは、もっての外というわけだ。
伊福部昭が云う、ハイブローとローブローの概念で云うと、ミドルブローということになる。当時は、このミドルブローを本気で追求する人がいた。いまは、あまりいない。音楽で云うと、ハイはどんどんハイになって、お客さんがついてこない。ローは握手券のオマケにCDがついてくるありさまである。しかし、その中間のミドルというのは、中途半端な感じで、受け入れられない。
第1交響曲(1962)
TBSの委嘱で書かれたこの純粋音楽は、いわゆる中間音楽として書かれていると解説にある。確かに、当時の作曲家がリスペクトしたソ連の交響曲にかなり影響されている部分があり、つまり社会主義リアリズムに準じているとすらいえる。これは、芥川也寸志や林光の交響曲にも同じことが云える。
4楽章性で、30分前後という正統的な交響曲。第3楽章のスケルツォが短い。
第1楽章はソナタ形式。8分ほど。序奏のグラーヴェメンテで、統一主題(第1主題)が現れる。これがいきなりショスタコーヴィチ5番にクリソツなのがまずご愛嬌。アレグロでは絃楽によって第1主題が展開され、これも冒頭主題の性格を持っている。第2主題は木管による慰めの歌。これもすぐ激しい動機に変化して、展開部は第2主題が主に扱われて、シリアスに進んで行く。このアレグロの扱い方も、いかにもソ連音楽風で、ファンには馴染みのもの。しかしあまり盛り上がらずに、再現部で再び苦悩主題が登場し、深刻なイメージとなる。そのまま、苦悩は解決されないで終結される。
第2主題はレント。同じく8分ほど。三部形式の中に小さな三部形式が入る、複合三部形式。ビィブラフォーンの冒頭から、オーボエの旋律。ここらへんも、意外にシリアスで、無調っぽさすらある。絃楽器による主題はあくまで苦悩を示し、シリアスだ。嘆き節というより、純粋な悩みといった風情がある。中間部では木管のおどけた調子も登場し、この辺の諧謔さもショスタコーヴィチ流。
第3楽章スケルツォ、3分ほど。「現代的な運動を表現しようとしたもの」とある。第1楽章の深刻な主題と関連があるといい、確かにショスタコっぽいという意味では関連がある。鋭い音形のスケルツォから、金属打楽器の不思議な音色がリードし、変拍子もあるトリオへ。スケルツォへ戻って音形は変形し、激しいコーダへ。
第4楽章はアダージョで、6分ほど。三部形式。絃楽の重々しい統一動機から、中間部ではトランペットやクラリネットなどの管楽器が解決策を提示するも、解決はされない。トランペットの無調的な旋律は、現代の哀しみをいや増す。絃楽が戻って、第3部となる。絃楽と管楽器が融合して、深い哀しみを表現する。そして、そのまま哀しみの中で終結する。
聴後感から云うと、この内容では、立派なシリアス交響曲だ。これで中間というのなら、当時のハイとローがいかに底辺が高かったか、ということになると思う。今では、上記したがローはロー過ぎて、音楽は握手券の付属となり、ハイはハイで身内しか演奏会に行かないようなものが権威ある作曲賞を受賞して楽壇を支配している。
個人的にこの曲との出会いは、それらは、本当に音楽なのだろうか? という現代的命題を暴き出してくれた、恐ろしい曲だった。
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