フレーンニコフ(1913−2007)


 当サイト掲示板にてGOLDさんより紹介を受けた、チーホン・ニコラーイェヴィチ・フレーンニコフ。とうぜん、作曲家であるが、かのジダーノフにより1948年、35歳の若さでソ連作曲家同盟の書記長に任命された。同年度の総会では、ショスタコーヴィチプロコーフィエフを名指しで形式主義的と批判したことで高名である。

 その後も、「イカサマの選挙」によりソ連崩壊までその地位にあって、ソ連作曲界を牛耳った。

 反面、その地位を利用して、自ら批判したショスタコーヴィチやプロコーフィエフらを曲によっては擁護したという証言もあり、評価は難しい。

 雪解け以降は作曲や演奏に復帰し、特にヴァイオリン、ピアノ、チェロの協奏曲が多い。またバレエ、オペラ、映画音楽も多数手がけている。

 日本ではソ連びいきだった芥川也寸志と交流があり、日ソ音楽協会が1948年に設立された。ソ連崩壊後も長命を保ち、94歳という天寿を全うした。交響曲は3曲ある。


第1交響曲(1935)

 モスクワのグネーシン音楽大学における卒業製作。3楽章制で、演奏時間は20分ほど。軽交響曲といえる。

 13年後にはさんざんショスタコを批判するフレーンニコフも、学生時代は7歳年上の天才作曲家の影響を受けざるを得なかったというべきか。いきなりショスタコアレグロでふき出してしまう。

 この時代、ショスタコは3番まで作曲し、発表している。しかし2番と3番はある種の機会音楽であり、1番の影響が濃いと観るべきだろう。

 序奏なしで、ファゴットによるおどけたアレグロから木管、絃へと主題が移ってゆく。すぐに第2主題。あまり変化が無いが、やや軽やか。音の運び方も和音もまるっきりショスタコ的だ。ここにフレーンニコフのスタイルは、あまり感じられない。低絃のうめきから展開部か。1、2主題を短く展開してゆくが、主題そのものに大幅な変容はなく分かりやすい。あまり大仰に盛り上がらず、淡々と進んでゆき、終結がやけにあっさりして厭世的なのも、ショスタコの1番の影を感じさせる。

 2楽章はアダージョ・モルトエスプレッシーヴォ。ここはショスタコと違って情感がある。ドライな旋律だが、ロシア人らしい感傷が心地よい。音も分厚く、チャイコフスキーっぽい音の運びがある。こういうのを亜流ととるか、ロシアの伝統の継承ととるかで評価は変わってくる。盛り上がりも充分。

 3楽章は再び当時の最先端音楽へ。キャルキャルという不思議な音の絃楽主題に、管打がぶっこんでくる。金管の強烈な直性的音響がロシアだ。第2主題は木管とヴァイオリンにより、やや感傷的。そのままかなり長い中間部へ突入し、アダージョふうで進む。従って第3楽章は、もっとも演奏時間が長く全体の半分近い。ところがいきなりアレグロが戻る。変奏されているが冒頭主題であり、大きな3部形式と分かる。ビリビリの金管主題、狂ったような木管と絃。意味もなくバッシャバッシャ鳴るシンバル。これぞ、正しいソ連音楽。


第2交響曲(1942/44)

 4楽章制で35分ほど。作曲時期も初演時期も、大祖国防衛戦争末期である。

 1楽章は激しい戦闘アレグロ。まるで赤軍の突進めいた勢いの良い第1主題。すぐさま夕日に佇むような、民謡を思わせる安息の第2主題。それが発展して盛り上がって小展開を築いてゆく。メランコリックなヴァイオリンとクラリネット、ファゴットのかけあい。展開部は第1主題より。金管のかけあいなどが、いかにもソ連音楽でかっこいい。頂点でテンポが落ち、第2主題の展開へ到る。ここは暗く沈みこみ、朗らかさは無い。アダージョで鎮魂を歌う。ヴァイオリンソロが、第2主題をしっとりと歌って展開する。再現部は木管による第1主題より。勝利のアレグロが響きわたって、第2主題の再現は無く、そのまま終結部へ突進して終わる。

 2楽章は長いアダージョ。フレーンニコフは、器用なメロディーメーカーに思える。クラリネットから主旋律が始まり、少しずつ発展しながらフルートや絃楽へ移ってゆく。金管も加わり、主題の展開は熱を帯びながら続く。この情熱や感傷は、ソ連音楽というより正しいロシア音楽に思える。そうはいっても、社会主義リアリズムの点では、まぎれもなく正しいソ連音楽でもある。頂点では金管のファンファーレや打楽器の扱い、和声などにまだショスタコーヴィチの影響が如実に感じられる。頂点からはまたもショスタコーヴィチ的ファゴットソロに、ヴァイオリンとハープが絡む。クラリネットも加わり、室内楽的な世界が独特の響きを放つ。

 3楽章スケルツォ相当のアレグロモルト。ここはもっとも短い楽章となる。機械的な主題から、ピョンコピョンコと跳ねる面白いリズムに到る。魔法使いの弟子や天王星にあるような、ああいうおどけた感じ。すぐ中間部へ入って、跳躍リズムパターンと流麗な絃楽の主題が交錯する。中間部はやや長く、途中に一瞬、加わるトロンボーンの響きも面白い。緊張感をもって展開して、冒頭へ戻る。3部形式。シロフォンの使い方が特徴的だ。コーダではティンパニも炸裂し、激しい終結を迎える。

 4楽章はアレグロ マルチアーロ。重々しいが勇壮なテーマを序奏にして、映画音楽みたいなかっこいい弦楽主体の進軍アレグロへ。少し続いて、木管群によるおどけた第2主題が登場。第2主題はしかし、すぐさま激しいこちらも進軍調に小展開。地味な経過部が続いて、本格的な展開部へ。第1主題が調子っパズレに進む。ここはカノン風。それが納まると第2主題展開。優雅さが復活して、一時の夢を見る。再現部は短く、スパッと。第1主題を執拗に再現しつつ小展開。激しいアレグロが復活する。ここも、第2主題を再現せずにコーダへ突入し、勝利の終結! まったくもって、実に正しい社会主義リアリズム。


第3交響曲(1973)

 2番よりしばらく経って、ソ連作曲家同盟の仕事も落ちついたころか、雪解けの後ということか、しばらくぶりに作曲された交響曲。3楽章制で、なんと15分ほど。

 第1楽章、フーガ:アレグロ コンフォーコ。冒頭より狂ったようなトランペットのトリル、そして獰猛なアレグロ。ややあって第2主題は少し落ちついた、おどけた調子のもの。少しプロコーフィエフの響きがするか。展開部後半は強烈なフーガ。いや、規模的にはフガートだが。そして再現部無しか小展開として展開部の一部で、畳みかけて一気に終結する。

 第2楽章は、インテルメッツォ:アンダンテ ソステヌート。緩徐楽章。1番、2番より厳しい音色ながら、旋律美は健在。主旋律の後に、凄まじい不協和音がする。これまで自分が批判してきたものを否定するような響きだが、表現の大枠は外れない。後半はもっと音列的な、無調的な息の長い旋律でぐいぐい迫ってくる。狂気的でありつつ、叙情的な面も見せる。

 第3楽章、フィナーレ:アレグロ コンフォーコ。1楽章のトランペットが弦で再現。シロフォンもカキカキ鳴って、小太鼓もザクザク進む。ここでも弦から煙が出るようなフーガ。金管が暴力的に殴りこんできて、第2主題は一転してメロドラマ。厚い弦楽のとろける響きは、ちょっとハチャトゥリアンの香りも。それを繰り返しながら、夕焼けが沈んで、冒頭へ戻るが導入が少しついて、それから本格的に狂ったアレグロが再び登場。それが発展しそうな、しなさそうなというもやっとした場面で、一気にダンダカダン! で終結してしまう。

 3番にしてようやく自分自身の狂い方を身につけた感があるが、この後、フレーンニコフは30年以上も時間があったが、他の作品を書き続け、交響曲はこの第3番で終わった。その理由は分からない。


 なお、当作曲家は日本語表記ではフレンニコフというのが一般的だが、キリル語表記では Хренников フレーニカフ という発音が近い。折中で、フレーンニコフとした。





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