チェレープニン(1899−1977)


 チェレープニンは父子して作曲家であるが、ここでいうのは子どものほうの、伊福部昭が師事した、チェレプニン賞の、アレクサンドル・チェレープニン。日本では(というかロシアでも。)そんなにメジャーな作家ではないが、当時はまずまずの実力者であったらしい。

 ディアーギレフのバレーリュスのためにバレー音楽も書いたようだが、交響曲は4曲もあって、なかなか聴かせる。

 全体的に、中途半端にフランス主義なストラヴィーンスキィ風の、そしてたまには東洋趣味も見せるよ、といった音楽で、電気が走るような素晴らしさは、無い。本人には悪いが、オモシロ交響曲といったところ。しかし、まずまず斬新なアイデアも活かされており、そういう意味では、たまには鑑賞するのも悪くない。


第1交響曲(1927)
 
 いままで聴いてきた中では、オネゲルに近い響きかもしれない。不協和音ではあるが、耳障りなものではなく、小気味の良いアレグロはロシア音楽というより、もっと西欧に近い音がしている。

 1番でもっとも特徴的で斬新なのは、2楽章のヴィバーチェがまるごと完全な打楽器アンサンブルなのだ。私の知るかぎり、交響曲でこのようなスタイルをとっているのは、まず無い。1番は1927年の作曲であるが、プロコーフィエフも、打楽器のみの楽章は造っていない。もっと後になると、例えばフサの「プラハのための音楽1968」のようにそういう音楽も出てくるのだろうが、この当時では、かなり大胆なアイデアだったはずだ。

 しかも、そのリズムも、後年の打楽器アンサンブル曲のような、偶然性を採用した不規則なリズムではなく、いわゆるふつうの正統的な拍子割りで、これだけ聴かせる音楽は、逆に難しいと思う。こういうのはね、好きなんですよ。逆に現代曲の不規則にリズムが刻まれているのは、苦手なんですよ。保守的なのかな。

 ※どうも2楽章は世界初の打楽器アンサンブル曲のようです。これまではヴァレーズの「イオニザシオン(電離:1931)」が初めてとされていたが。
 
 3楽章はアンダンテで、ここの憂鬱げな旋律(クラリネット)はだいぶんロシア的な旋法に感じられる。しかしそれもバイオリンがソロでさらに気の沈んだ音楽を奏でだすと、こんどはやはり近代フランス風の響きに切り替わる。4楽章はそれなりに盛り上がる。が、不安げな様子がいかにも1次と2次の二つの大戦の間に挟まれた世相を繁栄しているようで、なかなか興味深い。


第2交響曲(1951)

 1947年から51年にかけて、しばらくぶりに書かれた2つめの交響曲。1楽章は、冒頭のマエストーゾは点描的だが、主部にはいると急に新古典的になって、1番での前衛制は見られない。しかし、無調っぽいレント楽章の2楽章をはさみ、3楽章では奇妙なアレグロがスケルツォの代わりをする。しかし舞踊的ではなく、スケルツォそのものではないと考えていいだろう。こういう部分は、やはりプロコーフィエフの影響でもあるのかな。祭太鼓のような大太鼓やティンパニがイカス。トロンボーンの激しいソロも聴きもの。
 
 4楽章はまーその〜、ふつう。作曲は20世紀だが、どちらかというと19世紀末の雰囲気がある。正直、ストラヴィーンスキィにとても似ている。センスが似ているのだと思う。


第3交響曲(1952)

 こいつはどうやら「中国風」という副題があるようだが、私のCD(BIS CD 1018)にはそのような題は無い。1952年の作だから、2番から続けて書かれたものらしい。
 
 しかし「中国風」とはよくいったものだ。チェレープニンは大の中国好きで、上海を拠点に活動し、奥さんを中国人にしたほど。だから、どのように中国風なのは、ご想像におまかせしますが、期待を裏切らないとだけ言っておきましょう!

 ズバリ「中国風ペトリューシュカ」と言ってよいかと。えっ、バルトークの「中国の不思議な役人」? あんな、たいそうなものじゃないですよ!(失礼)
 
 それがシンフォニーだというのが、面白いところ。わざわざコンテンツをもうけません。1楽章から、バレー音楽のような雰囲気で、中国(というより東洋風)音階炸裂。流れるような和音の進行が、優雅なバイオリンのソロが、うーん、ノーコメント(笑)

 「チャイナさ〜ん」
 
 あ、言ってしまった。 
 
 2楽章のアレグロ・ペザンテが、ペトリューシュカのような部分。しかも、本家よりだいぶん簡略化されている。3楽章には物憂げなオーボエソロが登場するが、中国風新世界より。ワハハ。面白い。なんか、こんな感じの楽曲を、中国人作曲家の曲で耳にしたことがあるなあ。「黄河」とか。

 いろんな楽想がバラバラに連結されている奇妙な構成がウリの4楽章は、あまり中国ふうではない。でも、バルトークに似てるか? いや、これはハリウッドか?


第4交響曲(1959)

 4番のみ、3楽章制になっている。1958−59年の作で、ここでチェレープニンは再び新古典主義風の交響曲を書き、そのまま77年に没するまで、筆は折られたままだった。
 
 規模はこれまででもっとも大きく、伝統的な3楽章制交響曲の急−緩−急ではなく、どちらかというと急−急−緩(モデラート−アレグロ−アンダンテ)で、まるで未完成の印象を与える。4楽章がないので、規模は大きいが演奏時間としては、これまでと変わらない。
 
 ここでは、今度はプロコーフィエフの雰囲気が味わえる。こういう書き方が良いのかどうかは分からないが、どのような曲かというと、そうなのだからしょうがない。近代的な和声や技法で書いた昔風の音楽という様子がありありで、そういうのが好きな人には良いが、わたしはそれほど面白くない。2楽章のチューバソロとか、打楽器アンサンブルとか、それなりに斬新な部分はあるのだが、やはり、そう、社会主義リアリズムに則った作品と言われれば、だれも疑いはしないであろう曲に仕上がっている。たぶん本人はそのつもりはないだろうけど。

 3楽章のラストだけ、いきなり無調のようにゲンダイっぽい。なんなんだ。

 個人的に、チェレープニンの交響曲に関しては、1番がもっとも面白い。次が3番。4番と2番は同点。







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