エルガー(1857−1934)


 エルガーもシベリウスブルックナーと並んで長く苦手な作曲家だったが、それらを克服してようやく(2013初稿執筆時)食指が伸びてきた感がある。フランクも実はあまり聴かない作曲家で、交響曲の中でも、作りは堅実なのだが古典派ほどきっちりせず、じわっと長々展開するような部類が苦手なのだと自分でも認識できる。まして、循環形式で同じテーマが少しずつ形を変えて出入りされると、確かに全体の構築性は増すのだが、逆に個々の構成を掴みづらく、譜面で研究しながら聴いているのならともかく、ただ聴いている分にはちょっと厳しい。

 とはいえ、長い長いと感じていたエルガーも、演奏時間だけをみると1時間以内だし、バカみたい長いというわけではない。ただ本当に長いだけで何の展開も効果も無いような第3国クラシックの交響曲を聴いているのだから、真に実力のある本物の第1級交響曲が聴けないわけがない。あとは好みの問題というだけで。

 自分の好みも少しずつ変わってきたのでしょう。


第1交響曲(1908)

 正統的な4楽章制で、国民楽的観点でイギリス的かどうかというと分からないが、ノーブリーな雰囲気は堪能できる。これはエルガーその人の人柄や性格によるかもしれない。イギリスといっても狭いようで4つの国の連合王国であるし、イングランド的というのが正しいのかもしれないが。

 交響曲は既に名声を得ていたエルガーが中堅作曲家として満を持して書いた感のある大作で、欧米では特に演奏頻度が高いというが、日本ではそうでもないと感じる。旋律と情緒大好きな日本人には、やや堅苦しい、すました響きに聴こえるのだろうか。

 20分に到る、最もヴォリュームのある第1楽章。序奏の木管とヴィオラによる優雅な旋律が統一動機、モットー主題となる。この序奏が長く、やがて全合奏になる。4分ほどもなると序奏はまた木管のみとなって消え、主部アレグロとなる。

 やおら、悲劇的な雰囲気、かつ荒々しく第1主題が登場。金管も吠え、ティンパニも映える。拍子が変わり、やはり短調でゆるやかな第2主題。全体の半分ちょっと前あたりより展開部。劇的な効果が光る。途中で、脈絡も無く序奏の統一主題が紛れ込むあたりが、分かりやすいととるか分かりづらいととるかw

 第1主題、統一主題、第2主題と展開され、よく聴くと構成はしっかりとしており、正統的で、同時代のマーラーのように人を食ったような展開は無い。神々しくコーダを築き、モットー主題に回帰して楽章の幕を閉じる。

 第2楽章はスケルツォに相当する三部形式のアレグロで、舞曲ふうだが、演奏時間が7分と全体の中では短い。しかも主部は行進曲調で、かなり面白い。トリオ部では、絃楽の主旋律が愛らしい。再び主部に戻り、トリオと交錯しながら更新は続くが、コーダでは次の緩徐楽章を予感させる調子となり、アタッカでアダージョへ続く。

 アダージョの第3楽章は、絃楽の優美な旋律が聴き物。長い旋律だが、同時代のドイツ・オーストリア系のアダージョとちがい、ワーグナーゆずりの無限旋律というよりかは、動きがあって聴きやすいだろう。二部形式で前半は優雅で物憂げなアダージョ。これは全楽章の主旋律からの展開だという。後半(構成的には全体の後ろ1/3ほどか)はモットー主題が現れ、それが安らかな音楽を作る。

 第4楽章も順当に序奏付きソナタ形式。序奏は低音木管を主体とし不安な心持ち。しかし決然と、勇ましい第1・第2主題が登場する。付点のリズムの第1主題。そして行進曲ふうの第2主題。正確には序奏主題による結尾部もある。これはいきなりテンポが落ちて冒頭の感じに戻るから分かりやすいw 初めて、シンバル、バスドラム、スネアドラムの打楽器も現れる。

 展開部は怒濤。コーダから輝かしい栄光の大英帝国が表現され、壮麗な音楽伽藍により、閉じられる。そうは云いつつも、あまりにけばけばしくならないのが質素堅実のプロテスタント的なところだろうか。

 エルガーって、いいな(笑) むしろ高名な小曲や変奏曲より、そう思える音楽。


第2交響曲(1911)

 3番は未完なのでエルガーの最後の完成した交響曲。1番と演奏時間、編成がほぼ同じで、構成も似ている。当時のイギリス国王エドワード7世へ献呈される予定だったが、1910年に国王が崩御したため、追悼曲となった。エドワード7世は、威風堂々の1番の中間部の旋律を気に入り、歌詞をつけてほしいと依頼。戴冠式頌歌を作曲したという逸話があり、エルガーとの関わりは深い。

 また、総譜に18世紀のイギリスの詩人、シェリーの「歌」という詩の一節がメモ書きされているとの事である。

 “Rarely, rarely, comest thou,Spirit of Delight!”

 ただし、これは、私は大して深い意味は無いと思う。あるとそれば、仲のよかった敬愛する国王への想いの現れか。

 やはり、全曲で最も規模の大きな第1楽章。アレグロで第1主題があり、意外に金管がドイツロマン派的に吠えるのが面白い。第2主題はテンポを落とす定番。しっとりとした部分より展開部へ到ると思われる。旋律も展開もオーケストレーションも1番よりかなり渋く、大衆的な部分は少ない。そこは、好き嫌いが別れるだろう。1楽章から打楽器が入る。

 1番と異なり、2楽章が緩徐楽章。ラルゲットながら、演奏時間は長い。2番で叙情的な旋律を味わうには、ここだろう。ただし、追悼の音楽なためか、暗い。金管の輝かしい展開をふまえ、絃楽器とのかねあいが素晴らしい。中間部のオーボエの長い悲歌。トロンボーンの葬送行進曲。また絃楽へ天国へ逝った魂の安息を願う。
 
 3楽章ではロンド:プレストで、スケルツォ楽章を代替する。ここも、8分で最も短い部分。せわしいテーマが深刻ぶって進んで行く。ロンド楽章でもあるので、テーマが入れ代わり立ち代わり。中間部では打楽器もリズムを刻み、怒濤の展開。コーダもいよいよプレストで、鋭く集結する。

 4楽章はモデラート・マエストーゾ。やはり、終楽章に相応しい勇壮なテーマを展開する。それでも展開の途中で葬送行進曲ぽくなるのは、2番そのものの大きな特徴だろう。その後、輝かしい国王賛歌となり、大英帝国の栄光をみつめ、国王への追悼の想いは成就する。

 かなり通好みで、エルガリアンにはたまらないだろうが、一般的に一番より人気は無いというのは良く分かるw


第3交響曲(1932−未完 1997:ペイン版)

 経緯だけを見ると、まったくマーラーの10番(クック版)にほぼ同じ。奥さんが亡くなってより作曲する気が無くなっていたエルガーが、BBCより作曲依頼を受け、最後に渾身のちからで作曲を始めたが、残念ながら病気に倒れ、遺稿を燃やしてくれと遺言したが遺族は捨てきれずに、スケッチが残った。

 そのスケッチというのが曲者で、一部は総譜形式になっており、演奏できるようになってはいたらしいが、あとは何段かの簡易オーケストレーションで、しかもバラバラ。そこもマーラーの10番に相似する。

 そうなると、それを楽想を研究して構成する作業が発生する。うまくつながらない部分は、自分で「作曲」してくっつけなくてはならない。まして、4段、それ以下、ピアノ譜、あるいは単音でしか音がないから、フルオーケストラにするには、残りの部分も自分で作曲して(オーケストレーションして)補完しなくてはならない。補筆というが、ほとんど補筆者がエルガーの残した素材を元に作曲し直しているに等しい。

 それでも、最低限の作曲に務めたクック版は評価が高い。クック版を元にして、他の人が手を入れる余裕をわざと作っている。

 私はペイン版もエルガーそのものもあまりくわしくないので、このペイン版というのがどこまでエルガーの残した素材を加工しているのか分からない。

 中には、エルガー自身が他の自分の曲のテーマからの引用した部分もあるようで、それをふまえて、ペインも他のエルガーの楽曲よりの引用をしているようだが、それは完全にペインの創作である。

 したがってこれも、あくまで参考程度の曲というのをふまえて、1番2番と比較せずに、聴くものなのだろう。

 第1楽章を含め、全体は先行する完成品である1番2番を充分に研究し、同じような編成や構成を無難にとっている。

 冒頭、厚みのあるテーマが堂々と鳴りだし、ここらへんはエルガー自身の総譜であるようだ。第2主題は同じく未完に終わったエルガーのオラトリオからの引用だといい、ペインの作であろうかと思われる。展開部は順当に第1第2主題を扱い、分かりやすい。華々しく盛り上がり、コーダでも堂々とした伽藍を築く。

 スケルツォ楽章である2楽章では、冒頭よりタンバリンが鳴り、異国情緒がある。これは、エルガーとしてはどうなんだろう(^^; いや、エルガーの交響曲としては。スケッチにあったものなのか、エルガーの他の曲からの引用なのか。打楽器の扱いは、クック版のシロフォンなどもそうだが、とても難しいです。激しいものではなく、どちらかというと牧歌的なトリオも含めて、穏やかな調子。集結部は、静かに消える。付随劇音楽「アーサー王」からの引用。

 3楽章は緩徐楽章だが、かなり重々しい。美しい場面だが、全体に悲劇的な音調で支配されている。叙情的な旋律も無いではないが、この悲観的・悲哀的なシーンは、老いた自身への邂逅にも聴こえてくる。後半には素晴らしい盛り上がりも見せるが、長くは続かない。冒頭のテーマが一瞬回帰し、これも静かに集結する。

 エルガー自身のスケッチが残っているのはほぼここまで。

 第4楽章は冒頭のファンファーレ以外何も無く、ほとんどペインの創作であるという。ここらへんを許せるかどうかが、今作を聴く鍵であろうが、私は前記した通りエルガー聴きでもないので特にこだわりは無い。

 かなりかっこいい冒頭の金管と打楽器の饗宴から、すぐに絃楽による第2主題へ。ここは他の作品からの引用。解説によるとこれも付随劇音楽「アーサー王」からの引用。そこからは展開部であるが、まあまあ、よい雰囲気で進んでいると感じる。1番2番と比べると打楽器がなんか浮いている気がするが。

 再現部で第1主題がしっとりと帰って来て、そこからまた感動的に盛り上がる。が、この楽章も、最後はドラの無常な響きの中に消え入って終わる。エルガーの交響曲にドラがいいのかどうかは、さすがの私も判断がつかないが。

 色々、エルガリアンを自認するネット評も参考にしたが、おおむね版として好評であった。中には、エルガーっぽい響きをつぎはぎして模作しただけのインキチ、みたいな人もいたが、それは、その人それぞれであろう。

 少なくとも、好きな人はいろいろ演奏を集めて聴き比べて楽しむ余地はあるようだ。

 個人的には、やはり打楽器の扱いが、「エルガーの交響曲として」 イマイチに感じた。


オマケ

第0交響曲(第1オルガンソナタ)(オーケストラ編曲:ゴードン・ジェイコブ)(1895/1946)

 当サイト掲示板において、tcity 様より紹介を受けた。エルガーが若いころに書いたオルガン独奏のためのソナタを、エルガーの死後オーケストラ編曲し、それを初演から数十年後の1988年に録音したレコード会社が「交響曲第0番」と称して宣伝したという。当時、遺族と、指揮者のボールトの紹介で編曲は吹奏楽で高名なイギリスの作曲家、ジェイコブが行った。ジェイコブはオーケストレーションも得意な、優秀な教師でもあった。

 正統ソナタであるため、4楽章制で、演奏時間は25〜30分。内容も古典的で、エルガーの傑作である交響曲1番や2番に比べるといかにも若書きですっきりしている。オーケストレーションは感傷的な弦楽器、効果的な管楽器や打楽器など、「エルガー風味」が流石にうまい。

 1楽章はアレグロ・マエストーソ。順当なソナタ形式。3拍子で堂々としてわかりやすい第1主題が序奏無しで始まり、小経過部を経て優雅で感傷的な9/8拍子による第2主題。実にいかにもなソナタ形式で良い。展開部は第1主題が主に扱われる。音調は優雅なまま推移。やがて堂々して打楽器も登場し、盛り上がる。その後、ゆるやかな経過を経て再現部では堂々と順に再現され、コーダでは再び第1主題がもっとも盛り上がって登場し、「威風堂々と」終結する。
 
 2楽章はアレグレット。三部形式の間奏曲。装飾音符風の導入から、感傷的な主題が弦楽で奏される。その主題は最初は断片的だが、次第に長くなってゆき、全体が登場する。主題は木管に引き継がれ、ややテンポが落ちる。が、すくに復活して夢見心地の舞曲のようになる。ここが中間部。それから冒頭へ戻って、あくまで静かにこの間奏曲は推移して、アタッカで第3楽章へ。

 3楽章、アンダンティーノ・エスプレッシーヴォ。表情豊かに、やや速いアンダンテというほどの意味。短い導入の後、実に美しい緩徐旋律が流れる。これは、エルガーが当時スケッチしていた旋律集の中から選んだものという。まるでマーラーを思わせる息の長い感情豊かな旋律が、じっくりと盛り上がって行く。その後、第2主題も登場してそれも静かに、美しく熱を帯びて感傷的に推移する。そのまま両主題を合わせたようなコーダへ向かい、静かに楽章を終える。

 4楽章はプレスト(コモド)である。コモドは気楽に、という意味。ソナタ形式。忙しい第1主題がひっそりと登場し、一気に盛り上がるがすぐに鎮まる。そしてクラリネットで軽やかな第2主題が現れる。第2主題もそのまま小展開で打楽器も激しく盛り上がって、静まって展開部へ。展開部で最初に登場するのはなんと第3楽章の主題の変形。展開部は音量も下がって地味ながら、最後は盛り上がる。そのまま激しい再現部〜コーダとなって、ドカドカ盛り上がって一気に終結する。




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