6/25
完全に月イチのペースになりました。上期下期に分ける必要も無くなってきたような(^^;
ギーレン/バーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団 クリスティーネ・シェーファーSp
ベルク:「ルル」組曲 L2007
マーラー:第4交響曲 L2007
2007年ライヴ。見事なプログラムである。両方ともソプラノを使用し、またベルクとマーラーという、関わりいあのある2人。面白い。こういう知的なプログラムをこれからは組んで行く必要性があると思う。ただ耳障りの良い聴衆を慮っているようで実は逆に聴衆を小馬鹿にしているプログラムは、定期とは違うポピュラーコンサートでやるべきだ。
とはいって、肝心の定期に人が入らないのでは意味が無いけど(^^;
まあそれは話すと長くなるので……。
ルル組曲は正確には歌劇ルルからの交響的小品というもので、未完に終わったルルの最後の方の音楽的組曲。ルルはとんでもない頽廃的なオペラで(笑)その音楽もダラダラデロデロ、エログロの極みであると同時に大変美しい。
だが、もともと急死したベルクが何らかのために書いておいた歌劇の中の音楽の寄せ集めなので、正式な組曲ではないし、終わりも唐突である。
それを抜いても、ギーレンの生々しくもえぐみと抉りのある演奏は良い。例えば同曲でもシノーポリはドロドロがまさに血みどろだが、ギーレンはその辺は一歩引いて音響の再生に徹している。
次はマーラーの4番。同じくソプラノを伴う。
アプローチとしては今度は逆にシノーポリに近いかなあとか。妙なアクセント音形を強調して、知っている人にこそ「オッ!」と思わせる。ただ、硬質な響きはやはりギーレン。マーラー特有の柔らかな旋律美も、歌わせつつ、かっちりとタテの線を合わせてきて、けしてフニャフニャにならない。ここを勘違いして、マーラーの初期交響曲はいくらホモフォニックとはいえ、なあなあなアンサンブルでは緊張感が死ぬ。1楽章の盛り上がりはデモーニッシュでリリカルな演奏が主流の4番といえども気味悪さが際立つ。
2楽章はテンポが遅めでじっくりと進み逆に不気味。ここでも死に神のヴァイオリンはまさに死に神として活躍する。3楽章も良い。美ひい……。しかし構成はキッチリと押さえてある。ある種、理想の演奏ですね。さすがギーレン。昔の演奏を聴いているとセカセカギスギスしてたけど、最近のはそれでいて歌うところはしっとりとウェットな風味を出してきて(ウェットそのものではない)実に趣深い思います。
最後の大強奏のバスドラ ズドオオオオオ!!w
どんだけだよ(笑)
4楽章はソプラノがちょっとドラマティックすぎるかな……生々しいぞ(^^;
★5つです。
5/27
頑張って聴く。
1921年チェコに生まれ、パリでオネゲルやブーランジェに作曲を師事し、アメリカへ亡命していまも健在のフサ生誕80周年作品集。
ウィンザー/イサカ大学ウィンドアンサンブル フサ:スメタナファンファーレ、フレスコ画、打楽器と金管バンドの為のディヴェルメント、打楽器とウィンドアンサンブルの為の協奏曲、ピアノとウィンドアンサンブルの為の協奏曲、アルトサクソフォーンとウィンドアンサンブルの為の協奏曲、この地球を神と崇める
珍しい協奏曲やディヴェルメントを配し、「プラハのための音楽1968」ではなく大規模な交響詩である「この地球を神と崇める」を持ってきているのに価値がありますな。
スメタナ初期の交響詩「ヴァレンシュタインの陣営」よりのテーマによる、トランペットとクラリネットと打楽器による大規模なファンファーレで幕を開ける。これは起伏に富み、打楽器もハデで、面白い。3分が一気呵成に終わる。
フレスコ画は印象音楽のよう。初期の同名オーケストラ曲を吹奏楽にしたのだが、ちょっとイマイチ。(オケのほうが聴きやすい)
ディヴェルメントは金管バンドによる。不協和音バリバリだが、普通の音楽なのが良い。勢いがあり、金管のみなのにこの色彩感はどうしたことだろう。4楽章で10分ほどの軽妙かつ刺激的な音楽。
白眉は打楽器と吹奏楽による協奏曲。プラハのための音楽1968にも似た緊張感と荒々しさ。そして狂騒がある。規模も大きい。金属打楽器主体の1楽章はマエストーソで神秘的だ。2楽章は木琴で雰囲気を変えた緩徐楽章。最後はカオスの奔流的アレグロ。タムタムも爆裂し、強烈に推移する。これはフサの代表作になって良い。
ピアノ協奏曲も面白い。こちらはストラヴィーンスキィのピアノとウィンドの為の協奏曲も思わせる新古典的な作り。打楽器も控えめ。旋律もしっかりしている。
跳躍するサックスのソロへ打楽器とピアノがシュールな伴奏をつけて始まるサックス協奏曲は、変わってかなり現代的。打楽器協奏曲に近い。2楽章はその打楽器のソロもたっぷりで、オスティナート技法のサックスが呪術的に進行する。3楽章は全体のエピローグとして機能している。
25分を超える大規模な3楽章制の交響詩「この地球を神と崇める」は、原題は Apotheosis
of This Earth といい、1970年の作曲で、環境問題をテーマにしている。が、「プラハのための音楽1968」のバランスの良さと比較するとちょっと構成に難ありと感じる。
60年代から70年代にかけては「公害で人が死んだ」時代であり、その凄まじさは現代の若い人にはちょっと想像がつかないだろう。私がかろうじて、その末端を知っているくらいである。私が子どものころは、工場町だったわが町には粉塵や煤塵の観測機械が役所にあって、「今日の煤塵濃度は〇〇ppmで基準内です」とか電光掲示板に出ていた。
それはそうと、1楽章「Apotheosis」は不気味かつ神秘的な導入部であり序曲。ひたひたと迫りながら次第に盛り上がって壮大な緊張感を形成する。2楽章「Tragedy
of Destruction」は凄まじい環境の破壊を音楽で表現している。つまり、暴力的なアレグロである。ちょっと緩慢かも……。3楽章「Postscript」はエピローグ。セリフ入り。「This
Beautifulu Earth……」
ちょっとタイトル負けしてるかなあ。
5/23
むかしは週に数回は更新してたが、いまや月1回に成り下がってしまった。
BISの新譜を。
リンドベルイ/ノルウェー室内管弦楽団 ペッテション:絃楽のための協奏曲第3番
クリスティアン・リンドベルイはもともと世界一といっても云いトロンボーン奏者だが、指揮や作曲もやっている。それが自国スウェーデンの誇る大作曲家ペッテションを録音しだしている。cpoでの交響曲全集が終わったいま、ペッテションを体系的にやってくれるのはBISをおいて他に無いだろう。セーゲルスタムなどで撰集はできているが、イマイチ出来にばらつきがある。リンドベルイには、今後、交響曲全集を期待する。
さて演奏だが、初期のペッテションの大曲である絃楽のための協奏曲第3番。絃楽合奏だけで50分を超える。調性と非調性をつなぐ叙情が既に心地よい。cpoについで2番目の録音だと思うが、ドイツの楽団だったcpoと異なりギスギスしておらず、聴きやすい。特に2楽章は良い。
キーンとした冷たい叙情がたまらないです。
4/25
しばらく旧盤を聴き直しており、新譜をしばらくぶりに聴く。
アバド/ルツェン祝祭管 マーラー:6番 2006年ライヴ
病気が治ってすぐの演奏らしいが、気迫が物凄い。録音がものすごく遠くて、いかにも会場録り。
しかも、これはカペルマイスターというCD-Rレーベルだが、カルナムジークという別のCD-Rレーベルからおそらくまったく同じか、日付違いの2006年ライヴの録音が出ていて、既に持ってた(笑) 聴いた記憶なしwww
新譜じゃない(爆)
気合は入ってるが、音質は良くない。ものすごく遠くて、いかにも会場録りっていう雰囲気。
でも、流石にアバドの棒です。情感とか、素晴らしいものがある。アバドは病気してから、いきなりなにかを悟ったらしく、これまでとは印象の異なる(我輩好みの)演奏をするようになった。
ちなみにディスコグラフィーに認(したた)めたが、念の為記すと、
今回聴いたもの KAPELLMEISTER/KMS-208/9 2006/08 ルツェン
既にあるもの Karna Musik/KA-307M 2006/08/11 ルツェン
久しぶりに持っているものを聴き直して聴き比べてみたが、カルナムジークのほうがぜんぜん音がいい。比べ物にならない。どういう経緯だろうか。放送用流出と会場録りの差だろうか。それほどちがう。
参ったなー。
カペルマイスターはあまりに音が遠くて悪いので★3半にしました。
めったやたらと集めていると、たまにこういうこともあります。反省はしません。
3/28
エリシュカ/札幌交響楽団 スメタナ:我が祖国
先年の10月に驚天動地のライヴをしたコンビによる、ライヴ前日のセッション録音である。
まずあまりのレベルの高さにおののく。ライヴも良かったが、このセッションもパッションの高さといい、アンサンブルの見事さといい、負けていない。
これほどの上品さと典雅さ、さらには真に迫る迫力と音楽の訴える力をもった演奏は昨今無く、まさに往年のチェコの名匠とチェコフィルのものに匹敵するかある面では凌駕しており、21世紀に到りこれほどの演奏を聴ける幸せをかみしめる。
ノイマンもクーベリックもマタチッチも亡き今、そして冷戦終了後の混乱を経験し、悪い意味でのグローバル化の波の洗礼を受けたチェコフィルであるいま、
これを超える我が祖国は、現在、まず世界に無いと断言できる。
まずライナー冒頭から解説の片山センセが振るっている。
「日本のオーケストラにしては立派な我が祖国ですね、なんて、もしもどこかで言う人あれば、甚だ乱暴な物言いで恐縮だが、思わずぶっとばしたくなる。」
泥臭いチェコの空気と水と土の臭いがするような独特の響きを「本場ならでは」というのならば、この演奏はそんな味わいは当然無い。
技術的にも、日本のオケらしいアッサリした感じは消えていない。
だがそれを超えて余りあるのがフレージングの良さと、札響の本気モードならではの精緻な響き、そして北の大地の氷をも溶かす熱気だ!!!
第1楽章からすべてのフレーズが美しく響き、特に2楽章は冒頭から見事。こういうド名曲を如何に聴かせる事が難しいか。
3楽章4楽章の迫力も充分。まして、5・6楽章など、燃え燃えの燃えたぎりかつ、歌のセンスのよさとアンサンブルの見事さ。
歌といっても不自然に時代的なルバートだの、アーティキュレーションだのというのではなく、実に自然ながら、フレージングが超一流なのである。(片山センセの云うところの節回し。)
セッションならではの丁寧さもあって、最後まで飽きない所かまた初めから聴きたくなります。しみじみとした渋い落ち着きがありかつ情熱もある、滋味あふれ最高の演奏。
私の我が祖国のページはこちら。
3/15
CDR盤だがよさげなものを買っておいた。
マイケル ティルソン トーマス/ケルンWDR交響楽団 マーラー6番 L2008
相変わらず抑制の効いた渋いオヤジの闊歩みたいな冒頭で、初めからノリノリの先日のリゲティ盤とは大違いだが、さすがライヴなのかリピート後の提示部辺りから急に熱がこもってきて、一気にあのMTTがノリノリノリノリノリノリに大変身(笑) サンフランシスコ響とのライヴとは何かちがう、すましてない真実のやんちゃ坊主がいるようである。
特に展開部後半からの熱気は凄い。ギンギンに鳴る。金管なども初めはけっこう緊張していたのかラッパのソロも外していたが、もうここまで来ると失敗を恐れぬ大胆さが功を奏して大波に一気に乗った観あり。
2楽章はスケルツォで、2008年なのにそれも嬉しい。だいたい2000年代になると2楽章はアンダンテだが、調の関係からもアンダンテ→フィナーレのほうがしっくりくる。トリオ部の平安、スケルツォ部の業火、さすがMTTといえる。
アンダンテにおいての前半の安らかな息づかい、後半の怒濤の盛り上がり、フレージングも完璧、展開も見事、演奏もうまく、間も充分。云う事が無い。
4楽章の初めの鐘の不気味な事……なんともリアルだ。運命のテーマのティンパニの雷鳴のような迫力。オーボエソロの戦き……アレグロの前の怒濤の切迫感!! この4楽章は期待させる!!
4楽章が凄い6番は文句無しに凄い。たいていの演奏はこの4楽章でスタミナ切れになる。
これは凄い!
金管が間違っても突き進む!(笑)
精力絶倫である。まさかあの端正なMTTからこのようなムキムキの音楽が出てくるとは!! どうした事だろうか!? ソロのとらえ方(鳴らし方)も納得できる。鐘が相変わらず切迫感のある独特の鳴らし方。ふつう、カランコロン、カランコロン……だが、ガシャガシャガシャ、ガラガラガラ! って(^^;
ハンマーすごっっっ!
ティンパニ狂ってる!wwww
ラッパだけがへたってきてるぞ!!おい頑張れ!!!
2回目の展開部も凄い。めちゃくちゃに近い。打楽器も音響が崩壊している。その後の一時止揚の部分のアンサンブルは流石にMTTの冷静さ。美しい。カウベルは相変わらずガシャガシャだが(笑)
2番ティンパニ自重しろwwwww
まだパワーが衰えない……。
こんな興奮はテンシュテット/ロンドンフィル、そしてカラヤン/ベルリンフィルのライヴを聴いて以来である!!!
最後の衝撃も殺人級。これはいったい、マイケール!!! どうしたんだチミわ!!
★5つ……いや、この統率され狂いまくった4楽章に敬意を表し☆! マーラーベストのCD-R盤のコーナーに追加
3/7
店頭じゃ売ってなさげな、なんともマニアックな盤を入手。
アンドラーシュ・リゲティ/ハンガリー・テレコム交響楽団 による マーラー6番 2001年のライヴ。オケによる自主製作盤。
指揮者もオケもなんですかそれって感じ(^^; 値段もやや高かったし……。
ところがどっこい、演奏が物すごすさまじい。
この6番、超ノリノリノリノリノリノリノリである!!!
買って大正解。
やはり、ここまでやってくれないと6番は面白くない。中途半端も良くないが、いくらスコアを客観的に解析したって、我々はスコアなんて普通は読まないんだから(笑) どうでも良くはないがけっこうどうでもいい。
1楽章の冒頭から暴走寸前、しかも、変な名前だが、ハンガリー交響楽団の事らしくて、演奏が普通にうまいのである。日本のオケよりぜんぜんうまいと思う。テレコム社という、日本のNTTに相当するハンガリーの電話会社の持っているオケというので、カネがあるから奏者もうまいのが集まっているのだろう。アンサンブルに特段の乱れもなく、凄い勢いで突き進む。リピートはもちろんアリで20分は速いと思う。
(もっともさすがにベルリンとかシカゴとかとは比べられないが。)
2楽章の主部とトリオの一時止揚との対比もうまい。これは指揮者もうまい。アンドラーシュ・リゲティとは何者か?(調べるとブタペスト響とか振ったり、オーケストラアンサンブル金沢とか振ったりして、CDも多くけっこう有名なようだ。)
ここまで勢いのある6番は久しぶりに聴く。テンシュテットの再来かと思ったが、彼ほど鬼気せまってはいない。そこはまだ客観的で、叙事詩的だ。それこそ、実はマーラーなのだ。叙情詩的叙事詩。感情的すぎてメチャクチャになったり、逆に客観的にすぎてスコアを鳴らしましたはいおしまいではない、面白さがある。それは焦燥感である。6番にはどうしても焦燥感がなくては、音楽にならないと思う。
3楽章も別に遅くはないが、これまでの楽章と対比で、素晴らしいアダージョに聴こえる。じっさい、第1主題のゆったりさはアンダンテではない。ホルンのソロひとつとっても、物すごく美しい。フレージングの確かさよ。はっきり云って、そんなに聴いて意味があるの? と心配されるくらいマーラーを、6番を聴いているアホな我輩だが、
こういう演奏に出会えるんだから、そりゃいつまでも聴き続けるでしょ!!!
って感じです(^^;
盛り上がってカウベルが連打される個所のなんと厭世的で、悲哀的音調なのだろうか。感情の起伏の無いロマン派音楽なんて音楽じゃねえ(笑)!!
4楽章になって流石に崩れてきたが、1回目2回目のハンマーのあとの部分なんか、マーラーは崩れるのを想定して描いてるような部分もある。ここは、本当にメチャクチャである。ここをタテの線を合わせて〜なんてやってたら、日が暮れる。やってしまうオケもいるけど。
展開部第3部への一時止揚の後の盛り上がりも凄い。流石にトランペットに疲労が見られるがw 最後まで緊張感とノリを忘れない昨今希有の名演。
文句無しに★5つ。マーラーベスト変更したい。
3/6
ダニエレ・ガッティ/フランス国立管 でマーラーの6番を聴く。2007年のライヴ。
ガッティは当時30代のロイヤルフィルとの5番を買って、イタリア人らしいというか、ずいぶんメロディーや全体の表現に重きを置く指揮者だと思ったが、当時はスコアを明確に鳴らすのが流行りだしたころで、若かったのもあってか、その後いまいち表に出てこなかったような気がする。
ガッティは1961年生まれだそうだから、それでもまだ40代であるが、このライヴでもフランスのオケからかなり濃厚なドイツ的表情を引き出している。フレージングは一昔前の巨匠を思わせる歌っぷりだし、4楽章もタメを充分にとって劇的さをこれでもかと強調。
それでいてアンサンブルが崩れないのが凄い。
6番もそうだがマーラーは中途半端に盛り上げられてもストレスが溜まるだけで、やるならこれくらい豪快にやってほしい。真逆が、とことんスコアを分解する手法だが、どっちつかずのものが最も質が悪いと思う。
1楽章などライヴならではの凡ミスもあるが全体的に流石に演奏もうまい。
2楽章そして3楽章から特に熱がこもってきて、メロディーラインなどは涙ちょちょ切れだが、マーラーがわざわざ書いた特殊奏法もしっかり聴こえてきて憎い。
4楽章が最も素晴らしい。4楽章が良い演奏は良い6番だ(笑)
やっぱり4楽章のオペラ的な手法(オペラは門外ですがw)は多少の芝居っけが必要です。淡々と演奏されても、ちょっとついてゆけない部分がある。
しかし、それより凄いのはけっこう自由なパリの客(笑) 3楽章の終わりに ブーッ と鼻はかむわ、4楽章で うぇっふしっ! とくしゃみはするわ、録音なのにドキドキする。
なによりガッティの唸り声がいちいちうるさい(笑) バーンスタインかお前は。
アンサンブルの乱れも加味し、それでもこの表現力で★5つといきたいところだが、CDR盤独特のもんやりした音質を考慮して★4つ半。
2/21
ふと気がつけばまたマーラーの6番が5枚くらいあるので、少しずつ聴いて行く事とする。
ではまず、マーツァル/チェコフィルでマーラーの6番。
このシリーズも、ナンバーによって賛否両論のようなのだが……ライヴだとしても5番はアンサンブルに難アリといったところだったが、全体的な表現は古風で良かった。
6番もだいたい、そんな感じだろうと思った。
その前に、SACDとDVDオーディオと両方ディスクが入ってるんですが(^^;
いちおう、両方とも聴ける環境にあるが、何十万かはしたけど、何百万もするステレオでも無いし、もう音質の差が分からんわwww
なんとなく、DVDオーディオ(2ch)のほうがクリアーに聴こえる……かといって、SACDが悪いというのでは無く、SACDのほうがホールで聴く音に近いというか……5chだし……もう、こうなったら好みの問題ですなあ。CDはこれからどこに行くんだろう。SACDで音質が著しく向上したはいいが、CD自体売れてない。もう、聴衆は音質にはこだわらない時代になってきて、より簡単に聴ける手軽さがウケる時代である。ダウンロードとかね。確かに、あんな歌謡曲やポップスで音質もへったくれもないもんだが。
それはそうと、演奏ですが。
マーツァル(マーカル)って人はしかし、オーケストラを乱暴に鳴らしますねえ。ノリはノリノリで、まるでライヴ録音なのだが、ラッパが音を外そうが絃楽器が間違えようが、関係ないんだな。セッションなんだから、直せよと云いたい(笑)
1楽章は凄いよく表現が行き届いた面白い演奏だが、上記の通り、セッションにしては荒い。これはいただけない。カウベルの優しさとか、浄化された感じとかとっても良いと思うが、その前の部分の乱暴さは参った。ライヴなら「ちょっと興奮しちゃったんだね」ですまされるが、何回もいうがセッションでしょ。
……と、思ったら、セッション&ライヴだった。なにそれー(笑)
2楽章スケルツォも冒頭は拍子抜けだが全体的に勢いがあってノリがいい。……ノリだけかこの指揮者は?(笑)
マーラーの6番はあの尾高サンですらライヴではアンサンブルがメチャクチャになってたくらいだから(オケも札響だったけど)指揮してたら変なアドレナリンでも出るのだろうか。
アンダンテの歌い方はさすが。ダレず、急がず、この世の嘆きを歌いつつ、彼岸への憧れを現し、かつ、音楽としてまとめている。嗚呼、カウベルの切ない事!!! (鳴らしすぎ?w) この盤で白眉は3楽章か。
そして案の定、4楽章が甘い。この4楽章で……いや、4楽章まで緊張感とパワー、そしてアンサンブルを持続させる演奏というのは、そうは無い。(日本のオケなんか最悪である。) 6番の何が難しいかって、4楽章だと思う。長い上にグチャグチャな音楽だ。そして、なぜグチャグチャなのか、なんでマーラーはグチャグチャな音楽を書いたのか、を示してくれる演奏の皆無な事。グチャグチャをそのままやったってそりゃグチャグチャだわなwww
ただしハンマーは凄い(笑)
したがって展開部はけっこう良い。盛り上がりや、展開の仕方は凄い迫力!! アンサンブルは荒いけど(笑) 最後も疲れて緊張感が薄い。
しかしこの破天荒な音楽が4楽章で、6番が古典的だっつうんだから、世の中の人はいったい何を聴いているのか分からんな。
うーん、しかし○4つか、4つ半か……。前に聴いた5番を○3つ半にしてるんだよなあ。4つだな(笑)
2/13
邦人作品集の続き。諸井三郎追悼記念ライヴ盤。
山田一雄/東京都交響楽団/園田高弘Pf 1978年ライヴ
交響的楽章 1928
第2ピアノ協奏曲 1977(遺作:神良聡夫補完)
第3交響曲 1944
ブックレート解説の片山センセも云っているが、諸井の交響曲は日本産としては究極の逸物揃いであり、あまりに構成的かつ純音楽的すぎて逆に日本人には難しい作品になっているのか、サッパリ返り見られていない。。
1977年に諸井が急逝した後、翌年に関係者各位の努力で素晴らしいレベルの追悼演奏会が開かれたのだが、お客の入りはイマイチで、この国のクラシックの聴衆は永遠に遥か彼方を向いて足元を見ないという事なのだろう。
しかし、ナクソスも他のレーベルも不況で元気がない今、そういう秘蔵音源がキングレコードから正規盤で初出したというのは、福音である。
プログラムは作家の初期・中期・晩期と俯瞰できるようになっており、諸井が初めから最後までオーケストラに意欲を燃やしていた証左でもある。
諸井(1903−1977)の25歳のときの習作が交響的断章。いかにも近代西洋っぽい旋律と構成が、若いときからの諸井の趣味を現している。ベートーヴェンとフランクをこよなく愛した諸井は、民族っぽいもの、踊りやお話などに付随する音楽を好まず、厳然たる音楽による音楽を標榜し実践した。この若書きのオーケストラ作品からもそれは如実に伺えるが、そういう作品は展開(主題労作)が命なのだが流石にまだ甘い。
晩年の作というか遺作のピアノ協奏曲第2番は後期の諸井らしく実に細かい展開が魅力。細かすぎて堅苦しいほどである。ただ全体の構成は面白く、例えば急緩急がコンチェルトの常套だが、ラストがパンパカパーンではいかにも西洋なので日本には馴染まないとして、妙なところで「日本らしさ」を追求し、急急緩の構成である。ひたすら音楽が音楽の力で時空間を切り刻んで行く面白さ。
交響曲第3番はナクソスから新譜も出たが、あっちはちょっとアッサリしすぎて、「大日本帝国の落日の交響曲」「黄昏の交響曲」というわりにはイマイチサッパリしてるなあと思ったが、それは現代人の指揮が良くなかったようで、初演者ヤマカズの濃厚なアプローチ(演奏時間もナクソスより7分くらい長い)で聴くと、いかにもガミラスに茶色くされた地球といった無常観で実に良い。神々の黄昏ならぬ帝国の黄昏とは良く云ったものである。
特に濃厚なのが1楽章で、トランクィル・オーバーチュア(心穏やかな序曲)からアンダンテ・モルト・トランクィロ・エ・グランディオーソ(心穏やかになりすぎない堂々としたアンダンテ)とあるが、帝国の雄大さと、落日の祈りに支配された展開部がたいへんに魅力的。また3楽章アダージョ・トランクィロの美しい旋律も聴き逃せない。構成も然る事ながらこの部分の歌い方はヤマカズの面目躍如な指揮である。
戦後の初演では、このような黄昏を通り超えた戦前の亡霊の音楽がピーターと狼やハチャトゥリアンのピアノ協奏曲といっしょにやられたというが、まあウケるわけはないわな。
願わくばとにかく、諸井は交響曲全集を早く作るべきである。
2/8
ちょっとマニアックな盤を買う。
サッシャ・ゲッツェル/ボルサン・イスタンブールフィルハーモニー管絃楽団
レスピーギ:バレー組曲「シバの女王ベルキス」
ヒンデミット:ヴェーバーの主題による変容
シュミット:バレー組曲「サロメの悲劇」
まあしばらくぶりのベルキスの新譜という事なんですがwww
※我輩のベルキスページはこちら。
ベルキスは日本では吹奏楽で高名なのだが、オーケストラの原曲版のCDは5種類目。というかたぶんこの5種類しかないと思う。吹奏楽版には興味無いので、ずっとオケのベルキスを聴いている。
期待していたのだが、うーん、なかなか難しい演奏というか録音……。雰囲気はサイコー。オリエンタルなムードがムンムンのムン。しかし、アンサンブルは荒く、とにかく録音が変。やたらとエコーがかかっているくせに、なぜか管も絃もビビッドで、生々しいというか、エロイというか(笑)
2楽章戦いの踊りで、4楽章のテノール部はトランペット代用なんですが、その1楽章「ソロモン王の夢」と3楽章の「ベルキスの暁の踊り」はめちゃくちゃ雰囲気いいんですが、戦いの踊りと狂宴の踊りがなんか変ですね。いや、聞き流すぶんにはまずまずなんですけど、じっくり聴くと、なんかバランスが悪い……ように感じます。
ヴェーバーの主題はあんまり録音を持ってなくて、たぶん2種類目だし、そんなに聴く曲でも無いのですが、ヒンデミットにしてはノリノリである(笑) このエキゾチックな主題がヴェーバーのものとはにわかに思えないけどもそうなのだろうか。演奏は……善し悪しが分からない(笑) まあ普通ではないかと。うーん、でもやっぱりアンサンブルが荒いかなあ。
そしてサロメの悲劇。これも2種類めだと思う。というか、CDは確実にあるのだが、聴いた記憶がないな。
うーん、のっけからエキゾチックだぞ(笑)
しかしこっちはかなりまともなフランス音楽です。まあシュミットらしいというか……。(ドイツ人のフランツじゃなくって、フランスのフローラン・シュミットです。)
これもまずまず良いのだが、なんでフォルテになるととたんにガシャガシャするんだろう。オケなのか、指揮者なのか。
1/27
やっと12月末に頼んでいた邦人作品集が届いた。
奏楽堂ライヴ2。ちょっと詰め込みすぎた嫌いもあるが、貴重な企画である。以下、曲目ごとに軽く感想。
福田滋/リベラ・ウインド・シンフォニー 2008ライヴ
團伊玖磨:オープニング・ファンファーレ〜神奈川芸術フェスティバル → 團らしいスカッとしたファンファーレ。
芥川也寸志:祝典組曲 No.3 行進曲(Marcia in Do) → これが今回の白眉。かなりぶっ飛んだ主題と作り。
松平頼則:日本舞曲第2 → 松平の珍しい調性もの。
平尾貴四男:諧謔曲「南風」 → 発想は良いがそれっきりという感じ。
須賀田磯太郎:諧謔曲「南風」 → 須賀田にしてはキリッとしている。
早坂文雄:映画音楽「海軍爆撃隊」より(編曲:平原伸也) → 早坂らしいウンジャモンジャとした進行。
伊福部昭:マルシュ・トゥリヨンファル(編曲:今井聡) → 伊福部の楽想の変遷をめぐる事のできる秘曲だが、音楽の面白さというより資料的価値が高い。
黛敏郎:シロフォン小協奏曲(編曲:小清水章) → シロフォン(片岡寛晶の演奏はマリンバ)はうまいが、吹奏楽では魅力の7割程度か。
松村禎三:交響曲より第3楽章(編曲:宗形義浩) → これはもっとイマイチ。6割か。
北爪道夫:森のファンファーレ〜愛・地球博のために → なんともアニメ調。コダマが鳴きすぎ。
湯浅譲二:火星年代記よりMarch → 先生、これ行進曲「新潟」とおんなじじゃね?(^^;
白石茂浩:フルートと吹奏楽のための「夕鶴幻想」〜つうの回想(編曲:福田滋) → 1時間半のオペラを4分にまとめられても……。
伊福部昭:SF交響ファンタジー第2番(編曲:福田滋) → 悪くないけど良くもない。
木山光:Black Symphony → 残念ながらカット版との事。これが最も面白い。木山にしては調性っぽい部分もある。晩夏に狂った死にかけのセミみたいな曲。
黛敏郎:スポーツ行進曲(編曲:松木敏晃) → 新編曲。流石にスッキリしている不思議。
今作は芥川と木山がとても出物でした。正直、どうでもいいような曲目もあるので、木山の交響曲をカットしないでほしかった。
参考までに木山のブラックシンフォニーは交響曲のページに加えました。
また吹奏楽。
山田一雄/NHK交響楽団メンバーによる管楽アンサンブル
小山清茂作品集
吹奏楽のための「太神楽」
吹奏楽のための「もぐら追い」
吹奏楽のための「おてもやん」
吹奏楽のための「越後獅子」
吹奏楽のための「木挽歌」
イングリッシュ・ホルンと吹奏楽のための「田植唄」
なんだN響め、我輩が生まれる前からちゃんとN響ブラスってやってたんじゃねえか。
まさに日本民族楽派の雄たる内容だが、1曲ぜんぶ数分なのも日本人らしくて(^^; この手のものは展開が続かないですね、どうしても。小曲のオンパレードで、ぜんぶで30分くらいしか無い。小山はもともと構成力に乏しいので、小品が魅力なのですけども。
始めて聴く曲も多く、越後獅子なんて今だったらバカ殿ですね、バカ殿www ただ楽しいだけではなく、意外と現代的な和音も使っているし、打楽器も面白いし、何よりヤナーチェクと同じく発話旋律を使っているから、しゃべっているように聴こえるし、ちゃんと最初からそういう技法で書いている。ただ、田舎臭いとか民謡だとかで嫌うのは真価を理解していない。
特に木挽歌はオケ版・吹奏楽版とも録音数が凄いのだが、ヤマカズの演奏はとても迫力のある独特のもので必聴である。岩城の演奏がスタンダードと思われていたが、こっちのほうが野趣あふれている。
次が、オーケストラアンサンブル金沢による委嘱作品集。オケも企画に参加しているので自主盤扱いで安いので重宝するシリーズ。(クラシックの企画ものはオケのレンタル代が高い。オケの自主参加だと、そのレンタル代がかからないので安く上がる。)
外山雄三、ロジェ・ブトリー/OAK/木村かをりPf/デイヴィッド・ジョーンズDrums
新実徳英:協奏的交響曲〜エラン ヴィタール〜
渡辺俊幸:ドラムスと小オーケストラのためのエッセイ
ブトリー:ウラシマ〜8世紀の日本の伝説による〜
これは正直、そんなに興味があったものではなく、交響曲のページで新実の新曲を追加したいと思ったため。(ブトリーはもちろん邦人じゃなくてフランスの人w)
案の定、そんなに我輩的にこれはと思うものではなかった。新実の曲はピアノが独奏を務め、独特の響きはするのだが、なんだかなあといったところ。最後のコーダに岩城、ご母堂、と近親の死が続いたために調性による祈りの部分が来る。が、残念ながら全体とそことの乖離が統一性を破壊している。タイトルのエラン・ヴィタールとは「生命の奔流」という意味合いだそうです。
渡辺は完全に調性もので、もう半分ポピュラー音楽。しかしドラムスとオーケストラは音色がまったく合わないのだがそこはうまく合わせている。ドラムも、なんかめちゃくちゃうまい。オーケストラホールに合わせて超絶技巧を叩ける人。ブトリーも調性だが、標題音楽なのか抽象音楽なのか、まあ交響詩なんでしょうけど。きれいな曲ではあるが、ナクソスによくあるマイナー作曲家のマイナー曲といったところ。
値段値ってとこですかね(^^; 参考までにこちらも新実の交響曲のページにエラン・ヴィタールを加えました。
本命。
小澤敏郎/神奈川大学吹奏楽部
佐村河内守:吹奏楽のための小品
YouYubeで動画を見たときは、なんかパッとしない曲だなあと思っていたのだが、CDでじっくり聴くと、まずまず良くなってきた。その面白さは、まあ吹奏楽がどうのこうのより、邦楽器と西洋楽器の独特の融合にある。同CDのオリジナル邦人作品で、いかにもブラスブラスしているものと比べて如実にその差異が分かると思うが、とにかく異質である。専門的には和声なんかも面白いのだろうが、そこまで詳しくはないので控える。
邦楽器の扱いが独特というのは、私見であるが邦楽器と西洋楽器の合奏はかなり難しく、楽器の物理的な音程や奏者の拍のとり方が違うのでそもそも合わせるのは至難である。邦楽器が混じる作品ではたいていが協奏曲形式なのはそのためだと思う。むりやり西洋楽器群と邦楽器群を合わせても、合奏同士がかなり歪になる。そういう効果を目指した曲ならまだしもだが、そういうのもあんまり面白くないし、邦楽器同士だって合奏を前提としていないので、やっぱり妙になる。
佐村河内は、邦楽器を意識する事なく、必要な分だけ必要な個所で 「普通に」 使っている。協奏でも対立でも無い。普通である。つまり邦楽器も西洋楽器と同じく吹奏楽の一員として対等に扱っている。(法螺貝までも!)
それはなかなか面白い視点だと思いますね。
「小品」なのだから展開も佐村河内にしてはささやかなのだが、個人的には後半のアレグロがもっと続けば良かったなあ、というところ。
しかしこの緊張感は異常だ。メチャクチャなゲンダイものというでもなく、作風はネオロマンでこの緊張感を保つのはで容易はない。
まあ今回、ちょっと遅れて邦人ものの続きとして4枚を聴いたわけだが、芥川と木山、そして佐村河内のそれぞれの「小品」が出物だった。
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ハイティンクの続き。
ハイティンク/シカゴ響でマーラーの第3交響曲
この凄まじいシリーズの第1弾。2006ライヴ。
3番ってえのは、マーラーの中でも難しい部類で、なんてったって長いわけです。中には3番マニアみたいな人がいて、1楽章のトロンボーンのソロがどうたらとか、ニ短調がどうたらとか云い出すが、この曲でたいていはそこまでこだわる人はいない。
実は我輩も3番は苦手で、特に3楽章が良くない。あれは長い(笑) 長いというのはただ単に演奏時間が長いだけではなく、長く感じる(つまりつまんない)という事であって、1楽章なんてとっても面白くてちっとも長く感じないのだが、2楽章以降はとたんに厳しくなる。好みの問題もあるが……。3番は作曲技術的には4番への橋渡し的な作品で、はっきり云ってやりすぎだと思う。全体の構成力にやや欠ける。当時は人気があったというがそれは6楽章が愛の讃歌で、当時の聴衆のロマン趣味に気に入られただけだと思う。1時間我慢すれば、素敵な最終楽章が待っているよという事だ。
また1楽章は第4主題まであるソナタ形式で、ご丁寧に再現部まで4つの主題を再現するほど、構成構造として長くなる要因がしっかりしているが、3楽章などはそういうわけでもなく。。。
まあ、ハイティンクだが。
SACDだが、こりゃライヴの割りに録音が抜群に良い。これは、次の6番が録音に不満があるというのも頷ける。6番はもっさりしている。
そして演奏だが、ハイティンクは3番に向いていると思う。この曲にそんなにマーラーらしいエキセントリックな部分やヒステリックな部分は無く、どちらかというと安寧とした精神状態にある。もちろん、マーラーらしいどろっとした部分は、1楽章の不気味な低絃などのパッセージ等に出てくるが、隠し味だ。
1楽章も前記した構造を分かりやすく、かつ音楽的にも理詰めの論文解説みたいにならないで、またとうぜん大暴れのデロデロにもならないで、実に美しく自然に演奏している。この1楽章は面白い。2楽章も美しい。マーラーの良さを全面に押し出す好演。マーラーは元来こういうホモフォニックな作曲家ですよというのを、とてもきれいに語っている。
3楽章も長いが巧い。この舞曲は本当に踊りたくなる楽しさを持っている。後半、ちょっとしつこい部分も、演奏自体はあっさりしているためか、あまり重く感じず、すっきり聴ける。この曲で重々しいのは勘弁である。
4楽章・5楽章は清浄の極み。天国の調べとか、大自然の讃歌とかいうのは、こういう演奏から表現されるべき。そして6楽章……。
こ、こいつは滅法……絶品白眉!
うーん、究極の演奏の1つだろうなあ。前半のパッセージは遅いが全体としては遅くないです。ゆっくりゆっくりアッチェレして行く感じ。そしてラストは、魂が抜けます。こんな演奏実演で聴いたら、気絶しますわ。
(やたらタイコの音が生々しい。)
マーラーの美も醜も酸いも甘いもかみ分けた、凄く良い演奏かと思いました。
○5つ。マーラーベストも変更したい。
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正月からマーラーを林屋喜久翁。
なんたってマーラーイヤーですからね!!
マーラー生誕150年!!!
大晦日からのハイティンクつながりで、ハイティンク/シカゴ交響楽団 マーラー:第6交響曲 2007年のライヴです。
SACDなので高いんですが、高いだけの音質です。特に絃がいい。90分のゆっくりな演奏ですが、こんな上質な6番は滅多にないです。4日間も演奏してその編集としても、ライヴでこれなら奇跡です。特上物の6番です。
このレベルのハイティンクがシカゴを振るというのがまず奇跡だし、マーラーを振るというのも奇跡。まして、撰集の勢いで録音を続けているのも奇跡。神よ、全集にしてください!!
演奏はじっくり楽譜を攻め込むタイプで、まさにハイティンクの芸を極めたもの。6番ならではのカオスやヒステリック、エキセントリックはあくまで全て消化されている。だが、いくら平静を装うとも、マーラーが音符に仕込んだそれらの狂気そして狂喜は、どれだけハイティンクが冷徹に演奏しようとも演奏の隅々に如実に現れる。そういうものは、むしろテンシュテットやバースタインでは埋没してしまって出てこない。そこにハイティンクの凄さがあるし、そこまで聴けるマーラー的耳巧者が聴くべきものだろう。まさに玄人好みの6番だと思う。
特に2、3楽章のテンポの保ち方は逆に寒けがするほどの恐ろしさ。4楽章の緊張感も凄い。1楽章だけ、やや物足りないか。絃は良く聴こえるが管は遠く聴こえる。打楽器はかなり遠い。(特にハンマーやティンパニ)
しかし、この演奏を迫力が無いとか柔和だとか云っちゃってるWEB評には驚く。 確かに全体的に丸っこい表現だが、録音状態のせいもあると思う。また、それはただ単にその人の望む「ここだーー!!」という個所とハイティンクのそれとが若干ずれているだけで、4楽章第3展開部の前あたり(金管のタメから2番ティンパニの大活躍以降)のちからの入りようといったら!! さしものシカゴ響もここのためにそれまでパワーを押さえていたのではないか(特にホルンとトランペット)というほどの迫力である。この演奏はいかにも6番的なトゲトゲした演奏の表層的な聴き方を好む人には確かに不評だろうが、曲と音楽の内実をとらえようとしている人には何かを与えてくれるだろう。騒ぎ立てるだけの演奏からは聴こえてこないマニアックな音形も面白い。それは確かにマーラーがちゃんと聴こえてくれるようにと書いたものであるのだから。
○4半。マーラーベスト変えました。
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