12/31

 ジルベスターまでストラヴィンスキーを聴きまくります。ところでジルベスターってどういう意味?

 クラフト/ロンドン響でミューズを司るアポロとアゴン 聖ルカ管でオルフェウス
 デイヴィス/シュトゥットガルト室内管 舞踊組曲 弦楽の為の協奏曲 ミューズを司るアポロ ヴェノーサのジェズアルド400年祭のための記念碑(笑)
 アンサンブルアヴァンギャルド(室内楽作品集)
 新しい劇場の為のファンファーレ(2Tp) 弦楽四重奏のための3つの小品 3つのやさしい小品(2Pf) 墓碑銘「フェルステンベルクのマックス・エゴン王子のための」(Fl Cl Hrp) 5つのやさしい小品(2Pf) 2重カノン「ラウル・デュフィ追悼」(弦楽四重奏) 子どもの為のワルツ(Pf) 5本の指(8つのやさしい小品:Pf) ドイツの行進曲の思い出(2Pf) 花のワルツ(2Pf) 3つの小品(Cl) パプロ・ピカソのために(Cl) 弦楽四重奏のための3つの小品(2台のピアノ版) (-_−;) 

 このCDには他に「ストラヴィンスキーへのオマージュ」ということでブーレーズやシュニトケ、ベリオ、カーター等の作品も入っています。

 さーーて、いよいよマニアックの度合いを増して参りました。(笑)
 
 ストラヴィンスキーの裏3大バレーとも云える………かどうかは知りませんが、新古典主義の代表作で、バレーが3曲です。しかしなんといっても地味!表3大バレーに比べると、あり得ないくらい地味です。とはいえ、それもさもありなん。3大バレーの技法を封印して、あえてそのように作曲されているから。
 
 ストラヴィンスキーは弦楽の持つ叙情性が大嫌い。管楽合奏とかでその方向性を模索していたが、ドゥキシンというバイオリン奏者と出会い、彼が非常にシビアな音色を鳴らすバイオリニストだった為、弦楽器でもそのような非情緒的な響きを探求できるんだと開眼。

 それで、新古典主義ではガイコツ踊りみたいな弦楽部がどんどん書かれることとなった。
 
 ミューズを率いるアポロは3曲の中では最も早く、1928年のもの。エディプス王のすぐ後だが、なんとも弦楽合奏の為の音楽で、しかも抒情という抒情、情緒という情緒が排されており、ただ踊る為の音楽だけがそこにある、といった、鬼のような音楽。旋律は機械的で、リズムは精密機械的。(笑) せめて管打楽器があれば音色的にも面白さが出るが、かなり厳しい曲。

 次がオルフェウスで、1947年。新古典主義でも後期のもの。1957年のアゴンは一部に12音が取り入れられたものだが、中では最も響きが面白い。
 
 3曲とも、クラフトの指揮は、案の定、生ぬるい。というかどっちつかず。
 
 デイヴィスさんは、コリンやアンドリューではなく、デニス・ルーセル・デイヴィスという知らない人。

 しかし、一般の音楽ファンで、ヴェノーサのジェズアルド400年祭のための記念碑と聴いて、「ああ、3つのマドリガルのオーケストラ編曲だろ? けっこう好き」 とか云う人がもしいたら、
その方は神です。豪快なストラヴィンスキー神です。

 名前すら聴いたこともねえよ。(笑)

 室内用オケによる、3曲からなる組曲で、1960年の編曲作品だから、けっこう12音の時期なんですね。でも、新古典主義的な音楽に、そういう後期のオーケストレーションということで、まずまず面白い小曲に仕上がってます。

 ニ調の協奏曲は弦楽とソロバイオリンの為の小曲で、メジャーどころではカラヤンの豪快に重い指揮がなんとも的外れで面白いですが、これはもっと古典派的な活き活きとした指揮でした。それはそれで良いか。
 そしてこれもミューズ。この曲をここまで
抒情的にやってしまって、良いか悪いかといえば、悪いのでしょうが、こうでもしないと聴けないよう。(笑)

 いやー、さて、最後の室内楽作品集。タイトルが英独入り交じり、この年末にドイツ語辞典を引っ張り出して訳を考え、参考書と付け合わせをするとは思わなかった。しかも1曲だけ、どーーしても分かんないのがあり、音友社の解説本にも載ってない。きっと新しく発見されたものなのだろう。
 
 それは1917年作曲の「ピカソのために」(原題:Pour Pablo Picasso) というクラリネットソロ曲。しかも20秒しかねーし!!
 
 さておき、ストラヴィンスキーの小品の魅力は、室内楽なのに、管弦楽のような響きをする楽器の数々でしょうか。あと、その旋律とか、書法が、初期なら初期の、新古典なら新古典の、そして12音までも、ストラヴィンスキーの特徴をよく表していて、とても面白い。

 またピアノの為のやさしい小品なども、5つと3つを足して2で割って、それぞれ小管弦楽のための組曲1番2番に編曲しているので、聴き比べが非常に面白い。そう、ストラヴィンスキーは天下一品の編曲家でもあります。というか編曲マニア。

 ピアノ曲集としても聴けるし、弦楽四重奏曲も2曲コンプリート。珍しいクラリネットソロ曲もありで、とても資料的価値も高い。今回の中では、最高のものです。
 
 しかもこのCDは、凄腕を集めたらしく、マニアックな盤ながら、すごい演奏も良いのです!

 けっきょくジルベスターどころかこんなマニアックな曲々で年を越してしまいました。(笑)
 
 つまり、2006年は、不協和音バリバリの「新しい劇場の為のファンファーレ」で開けました。うーん………。


12/30

 ストラヴィンスキーの続きです。

 クラフト/フィルハーモニア管 火の鳥(全曲 ペトリューシュカ(1947)
 クラフト/ロンドン響でハルサイ フィルハーモニア管で歌劇「ナイチンゲール」
 ベルティーニ/ケルン放送響でハルサイ シュトゥットゥガルト放送響で火の鳥(1919)
 
 クラフトの3大バレーは、こっちのほうがエディプス王よりかはずっと良かったですが、なにせ超有名曲で、他に凄い演奏がありすぎ。クラフトはなんかやっぱり優等生なんだなあ。時々、おっ、というこだわりの表現や鳴らし方があるにも係わらず、時々で終わっている。それが全体を包み込んでいないような。。。上手ですがこれといって感動もなく、★4つで。じゃなくって、SACDなんで○4つで。5chのわりには、分離は悪かったなあ。

 ハルサイは、これはなかなか良かったですね。リズムが活き活きしてて。春祭に限らずリズムの死んだストラヴィンスキーって、旋律の死んだチャイコフスキーみたいなもんで、聴く意味がない。

 ロンドン響って、けっこう金管とかがバリバリした音を出すんですが、それをそのまんまで汚く鳴らすか、迫力ある音として鳴らせるかによって、ロンドン響の指揮って変わってくるような気がします。クラフトはまずまず、スピード感ある、良い音楽をしていると思います。とはいいつつ、ま、こういう指揮は、別にクラフトだけではないのでー。

 特に金管の鳴らしっぷりを聴く春の祭典と云えるかな。これでスヴェトラーノフ級の、身震いするような底力があれば文句無しですが、そこはまあ、御大と比べてもしょうがないか。テナーチューバもっと鳴らしてください。

 選ばれし乙女への賛美 からやたらと迫力が出て、なんか妙。吹き出してしまった。面白いので★5つ。

 全曲版のオペラのナイチンゲールの歌は、コンロン、クリュイタンスに続いて3種類めかなあ。アゴンみたいに作曲期間に間があり、断裂してて、あんまり、よくできた音楽でも無いので、交響詩のほうが断善に聴き易いのですが、歌を聴く人は、これも面白い音楽といえるでしょう。

 やっぱり第2幕からの、チャイナ旋律でしょうかねえ。日本からのマヌケな使者やメカバードも面白い。ナンチンゲール役のソプラノは、しっとりと歌う人でした。

 しかし「チンペー!」 が口癖の内大臣って。。。

 一方、ベルティーニはさすがの指揮。やっぱり只者ではないですね〜。あああ、まったく惜しい人を亡くした。

 火の鳥は1997年のライヴで、凄い良かったですがオケがね。やや、ちょっと物足りない。カタイんですよね。もともとそういう音のオケでしたかね。あんまり印象に無いオーケストラですが。ベルティーニの棒を拾いきるには客演では無理なんでしょう。その割には、標準以上なのがまた凄いところですが。★5つ。
 
 ハルサイが良かった。こっちはなんと2002年ライヴです。しかも併録で、ドビュッシーの夜想曲と海! まずこれが良い。(笑) 特に海の、なんという質量感。まさに液体がたまりにたまっている空間の音楽が、鳴り響きました。その手腕あっての、あのマーラー8番の巨大なる水のこぼれる様を表現できるのでしょう。

 それと同じアプローチで春の祭典。古巣のケルン放送響ならではの、ベルティーニの棒の隅から隅までを拾いきり、表現する。素晴らしいですね。さすがだ。
 
 ガックンガックンするような演奏ではないが、ただ流麗に流すものでも無い。そこは荒々しく、かつ、丁寧に進んで行く。漫然としがちな2部の冒頭もうまい。変拍子も、矍鑠とした75歳の棒とは思えぬリズムの生命力。まさに円熟の極みのマエストロ。なにより、空間に音が満ち満ちている。こんな音楽はベルティーニしか聴けない。あー、現場で聴きたかったなー〜。

 ベルティーニの確かな感性は、聴き慣れたこの音楽に、またこれまでとは異なる魅力を引き出して、私たちを喜ばせてくれる。これが新譜を聴かずにはおれない秘密ですよね。

 なんで正規レーベルはこういう演奏をCDにしないのか、世界7不思議に匹敵する謎であろう。★5つ。ベストを変えるまでには至らなかったが、もうそれらに匹敵する次点演奏です。


12/29

 マーラーほどではないが、地味にストラヴィンスキーも20枚ほどたまっていて、今日からジルベスターまでストラヴィンスキー三昧となるでしょう。

 というわけで、手始めに以下など聴きました。

 クラフト/フィルハーモニア管 他 エディプス王 結婚
 フェドセーエフ/ラージ響 ペトリューシュカ1947年版 ティホノフ/モスクワヘリコン劇場室内管 マヴラ
 ヴァント/バイエルン放送響 火の鳥第3組曲(1945年版) プルチネッラ (あとプロコのVn協1番が併録)

 ロバート クラフトって、ストラヴィンスキーの弟子なんですが、本職はなんなんでしょうね? 指揮者、作曲家というより、音楽学者のイメージがありますが………。

 ナクソスで進行中の、前にあちこちのレーベルで出ていたクラフト指揮によるストラヴィンスキー作品集を集めたものの第1弾がエディプス王と結婚というマニアックさで、私は嬉しいですが、他の人は何人嬉しがっているだろう?(笑)

 だが、指揮はイマイチでした。悪くないのだが、新古典主義のストラヴィンスキーをやるのに決定的なもの、つまり、リズムのキレが足りない。好き好きなものかもしれないが、しかし、リズムが斬れないストラヴィンスキーなんか、意味がない。生ぬるいし、惰性に流れがちで、特にわざと音楽の抑揚が排されたエディプス王なんか、つまんないことこの上ない。これはびっくりした。

 結婚はまあ、それでも、聴けなくは無かったが………打楽器アンサンブルでリズムが切れないって、点数は低いと思いますが。(笑) ★は4つかな。個人的に。他の演目もあるので、そっちに期待します。クラフト氏。
 
 フェドセーエフのペトって意外ですが、OLYMPIAの不親切なCDではまるで情報が無く、オケの名前も不確かです。ラージ交響楽団なんてあるのか?
 モスクワ放送響のことなのか? チャイコフスキー記念大モスクワ放送交響楽団の略か??
 トラックも1つだし。(しかもゲホゲホが聴こえるので、ライヴらしい。)
 
 でも、演奏はメチャクチャ面白いです。あくまで面白い、であって、正統的ではないでしょう。もう、スヴェトラ先生級のメクャクチャ。イジリすぎ。エンタメすぎ。昨今流行りの、音楽サーカスみたい。凄い演出です。あちらこちらの崩しや、タメもそうですが、幕間のドラムロールがやり過ぎ! クレッシェンド、デクレッシェンド、ゲネラルパウゼ、そして超スピード! ドガドガドガドガ………! そんなに速くては幕なんか引けましぇーん。

 各シーンもちゃんと丁寧に描いており、ピアノもうまい。なにより静と動の対比が、とても上手です。もちろん、指揮さばきも素晴らしく、リズム処理もうまい。ストラヴィンスキーはこうでなくては、という演奏。3幕のド迫力が特に脱帽。3幕って………マニアなこだわりですな、フェドセーエフ先生。(ムーア人の部屋。ペトリューシュカ、バレリーナ、ムーア人のドロドロストーカー劇の場面。) 4楽章もハルサイみたいな打楽器ドカドカ金管バカスカがなんとも。。。こういう曲だったんだ。(笑)

 そして最後は、演奏会用です。それもまた………派手。(笑) ★5つ。

 ペトリューシュカベスト変えました。

 そしてアンセルメから久しぶりに聴いた、1幕もののオペラ・ブッファ、マヴラ。ペトと併録で、こっちを聴きたくて買ったCDですが、嬉しいオマケのフェドセーエフのペトでした。
 しかしマヴラって、音友社の作曲家別名曲解説ライヴラリーにも解説が載ってないし、ネットで探しても皆無。どんなストーリーのオペラか知りません。
 マブラからの「パラーシャの歌」や「ロシアの歌」のほうが高名らしい。

 ロシア語の歌で、ジャケット中の写真にはバラライカを持った田舎娘(?)に男性がセクハラで抱きついているので、なんかそういう男女のゴタゴタ喜歌劇っぽいです。
 
 作曲年代的には、1921年で、新古典主義の初期のもので、プルチネッラ、管楽器の交響曲、小組曲2番、そして8重奏曲と近いもの。簡潔な書法なのだが、まだリズムと旋律の扱い方、オーケストレーションが後期の新古典主義に比べると生々しいというか、肉厚的。後期になると極限までそぎ落とされてガイコツみたいになってゆくのは、ファンならご承知の通り。

 歌の旋律が凄い楽しいのもさることながら、なにより異彩を放っているのがアコーディオン。タンゴのリズムが取り入れられており、とても印象的。タンゴと云えば、1940年のオーケストラの為のタンゴですが、あれの20年近くも前の先取りみたいに聴こえます。

 知らない指揮者だが演奏も上手です。★5つ。

 さて、ヴァント。ドイツ音楽の権化が、こういう音楽も得意としていたというのは、いわゆる裏メニューみたいなものなのだろうが、それがまた良い。しかも、このザッハリヒな指揮者はやはり、ストラヴィンスキーといえども、新古典主義に神髄を聴かせてくれた。ダンバートンオークスは既に持っていたが、曲がマイナー。今回はメジャー曲です。

 火の鳥のどこが新古典主義? と思われた方、エディションに注目。ここでヴァントは原典版でも、最もメジャーな1919年版ではなく、1945年の最終版を使用。これが、弦のアップダウンとかが変えられていて、とてもモダンな響きになっているのです。曲も、イントロダクションの後に火の鳥とイワン・ツレヴィチのパドゥドゥと火の鳥の踊りが加わったもので、1919年版より情景的に豊かですよ。ヴァントのキリキリした指揮は、まさにこの1945年版をして本領発揮というところでしょう。★5つ。
 
 火の鳥ベスト変えました。

 プルチネッラは、良い曲ですが、やや古典的すぎる嫌いがあって、ベストにはいれませんでした。凄い良い曲ですけどもね。ヴァントはやや固すぎる嫌いはあるが★5つ。

 併録の、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲1番も、凄いギシギシと音を立てるような名演でした。(ソリストはエディス・ペイネマンとかいう人)

 朝比奈といい、ベトやブルだけでは計り知れない、ヴァントの魅力。こういう裏メニューのほうが、私の表メニューで、凄い嬉しいです。


12/26

 ゲルギエフ/ロッテルダムフィル マーラー:6番

 ストラヴィンスキーを聴くはずがやはりマーラーを聴いてしまいました。

 1994年のライヴ録音で、CD-Rの海賊のくせに 日本市場向商品 限定盤 とか書いてあって裏の表示も日本語の、我輩のようなマニアを狙い撃ちの生意気なCDです。でも買うのがマーレリアーナーの悲しい性よ。

 さすがゲルギー、えらい荒々しい、スピード感あふれる、プルプル指揮でアンサンブルの乱れもなんのそのの豪快な演奏ですが録音はイマイチ。いちおうステレオですが分離なんか無いに等しく、まさに会場録りで、レンジがたまに乱れるし、ホールのうーーんと上のC席とかで聴くとこんな感じでしょう。

 打楽器はスネアがなんか凄い気合。

 1楽章の、アンサンブルやポリフォニーを犠牲にした荒々しさと推進力、迫力は、好き嫌いが別れるところだろうが、これはこれで説得力があると思います。主旋律が際立ち、聴き易いし、なによりこの荒ぶる魂の生命力を聴きたい。このころはまだゲルギーの髪も多かったろう。
 
 その勢いでスケルツォに突入してこそ、この演出も活きるというもの。アンダンテが2楽章の最新板でも別にいいですがね、おのずとアプローチも異なるだろうし、なんか別の曲みたいなんですよね。
 
 というわけで、私は、少なくとも、2楽章がスケルツォの演奏とアンダンテの演奏を単純に比較するのは止めようかと思っています。指揮者で云うと、まさにテンシュテットタイプと、アバドタイプとでもなるのでしょうか。

 ゲルギエフはテンシュテットタイプの典型で、彼よりは、さらにコッテリですね。2楽章のトリオとの対比も、スケルツォが荒々しいぶん、曲の浮沈が際立って面白い。このスケルツォはティンパニに座布団1枚。

 3楽章もゲルギー節炸裂で、テンポはアンダンテギリギリ、旋律をゆったりとたっぷりと鳴らしまくり、対旋律はやや控えめ。ここをシノーボリみたいに対旋律のほうを鳴らして面白くする手法もありだが、やはりこっちが正統でしょう。個人的には、対旋律って、両方とも旋律なのだが、どちらかが(たいていは上だと思うのですが。)主でどちらかが従だと思うのですが如何。両方とも主ってこと、あるのかね。対旋律だからって、対等に鳴らす必然性があるのでしょうか?

 4楽章冒頭はやや焦燥感のあるテンポが生々しい。崩れているというわけでも無く、たぶん指揮がいつもより余計にプルプルしたのでしょう。陰鬱な鐘が良。しかしこれで録音が良ければ最高なんですがねえ。

 録音秀逸ならば
だが、あんまりよくないので★5つで。

 あといつぞやの、井上/JMOのプログラム、マーラー、伊福部、ハチャトゥリアンを、ただのマニア好みのプロと解説したが、私なりに関連性を考えてみた。

 3人に共通なのは、その旋律の歌謡性。モノフォニックな部分。

 しかしマーラーとハチャトゥリアンにはその歌謡旋律をモノフォニックながらポリフォニックで際立たせる特殊な手法が一致している。

 そして伊福部とハチャトゥリアンにはその民族性が一致している。

 という、絶妙な3角関係にある3人の作曲家であろう。………ってのはどうですか。


12/25

 朝比奈/大フィル マーラー9番(L1975) マーラー9番(L1983)

 古くは近衛秀麿により既に大正13年に日本に紹介されているマーラー。(1番) 戦中もマーラーの演奏は続けられ、ドイツでは禁止されたこともあり、日本は貴重なマーラーの演奏史をもっている。世界初のマーラー全曲録音は、なんと近衛による4番のSPらしい。
 
 しかし、9番の日本初演は、意外や1967(昭和42)年の、コンドラシン/モスクワフィルだそうで、存外遅い。そして、その初演の5年後の1973年には、朝比奈は大フィルの定期でマーラーの9番を取り上げている。もちろん、関西初演であったことだろう。

 75年のこのグリーンドアの録音は、朝比奈の2回目で、まだ初演からも7年後。そして1983年、キングの記録による3回目は、朝比奈最後の9番の演奏とのことです。

 さて………。

 さすがの朝比奈といえども、日本のオケでは、9番はやはり難しいらしい。アンサンブルの問題もあろうが、それ以上に、鳴って欲しいところでまるで鳴りが足りない。これはマーラーに限らず、日本のオケの 「お茶漬けサラサラサウンド」 の典型だが、まあそれは、特徴というか、しょうがないのか? その反面、オーケストレーションの薄い部分ではいきなり枯淡の境地に達しているから、なんとも。。。アンサンブルとパワーさえあれば、大地の情感など日本のオケの独壇場だと思うのだが、ま、無い物ねだりはやめましょう。

 75年と83年の8年間の間に、朝比奈のテンポはグッと落ちたように見せかけ、中間楽章はあまり速さとしては変わっていない。1楽章は4分、4楽章も4分ほど、83年の演奏のほうが長い。クレンペラーと同じく、遅いというよりそれは、1音1音の幅を大きくとっているのでしょう。

 個人的には、9番はあまりセコセコと演奏してほしくないですね。ようするに1枚ものはちょっと苦手。3楽章が狂ったように速い演奏もあるのだが、それも頂けない。グチャグチャなだけですので。75年盤は、やはりまだ 「とりあえず演奏してみようか」 感がアリアリ。

 久しぶりにポケットスコアを引っ張り出して、83年盤を聴きながら眺めました。難しい曲です。分かんなくなる箇所が続出。そしてやはり、2楽章はやや長いと思う。

 83年盤では、1楽章の精緻に満ち満ちた短いフレーズの神業的なつながりを、朝比奈は丁寧に丁寧に紡いでゆく。ティンパニの3連符ソロも、凄いゆっくり。構造の妙をまさに分解して行く感じだが、解析しているのとはまたちがう味があってよい。だが、例の 「騎士が倒れ伏す」 部分では、大フィルはパワー不足で欲求不満。なにより、シンバルが軽すぎ。(笑)

 テンシュテットの9番のシンバルを聴いてほしい! 

 3楽章なんかは、軽めで良かったが、口径のちがうものを何種類か用意しないのかな?

 4楽章は、カラヤンみたいな、物凄く緊張感のある、よい音楽でした。テンポをどうとっていたのでしょうか? 4拍か? 8拍か? 中間部の大地のエコー(ハープと木管の他所)なども、淡々と進み、大地と気づかないほどだが、そこはもはや、桃源郷の遊びではなく、現実の問題が山積しているマーラーの傷んだ心の情景なのでしょう。そこをシャイーのように郷愁と描くか、クレンペラーのように現実と描くか。

 凄い良い指揮なのですが、個人的にはオケに物足りなさが残り、両方とも★4つで。

 ギーレンのクック10番、アバドとテンシュテットの4番を正月に残し、年末までクラフトのストラヴィンスキー集(ナクソス)を聴き倒したいと思います。


12/24

 朝比奈/大フィル マーラー8番

 1972年のライヴです。大フィル定期演奏会100回記念。

 なんと解説によると、関西初演はもちろん、日本で3回目の演奏らしい。8番の初演はヤマカズ大先生による1949(昭和24)年だそうで、それから昭和47年まで1回しか再演されてないらしい。まあ、規模から考えればさもありなん。

 というわけで、ここではまだまだ 「とりあえず演奏してみるか」 といった感じがありありで、オルガンは電気、舞台も反響板に穴があくくらい引いてやっと入るもの。従って音響はけっこう悪い。録音も残響をバッサリカットしてイマイチ。ステレオの分離は凄く良い。

 しかし朝比奈は只者ではない。マーラーといっても奇をてらわず堂々とテンポ感正しく圧倒的に鳴らして行くのは他のナンバーと同じ。
 
 私はこの演奏で初めて、8番の自分なりのイメージをつかむことができた。ブックレートにもあるのだが、朝比奈はこの音楽を水のイメージでとらえている。私は、少なくとも、この音楽は光なのだと思っていた。燦然と放射するマーラーの陽の部分、マーラーの交響曲のうちでもっとも光り輝いているイメージ。

 しかし、それでは1楽章の冒頭など、もっともっと鋭く、ピカーッと放射しなくてはならないが、そういう演奏は少ない。ショルティぐらい。それが不満だったが、なんと、マーラーのスコアはそうではなかった。なぜならば、1000人だの、800人だのが総奏で声と音を鳴らして、そんな光り輝く鋭いイメージになるわけがない。質量的、物理的に不可能だろう。
 
 ここは、器に満ち満ちた聖なる泉、光り輝く清浄なる液体が、どおっ…! と大質量をもって巨大な聖杯から溢れ出てくるのだ! 

 その液体は本当に水なのかもしれないし、水のイメージの巨大なる光の洪水かもしれないし、宇宙を充たすエーテルなのかもしれない。それは魂の奔流なのかもしれない。

 その圧倒的な質量感こそがマーラーの求めていたものだとしたら!

 この交響曲がここまで巨大なのはなぜだろうか? ここまで巨大ならば、1000人も800人も関係ない。この音楽でそこまで人数が必要ないのは、いろいろな反マーラー8番派が指摘しているつとおり。というか、私もそう思う。無駄に厚いし、無駄に大きい。ここまで人数を必要とするほどの音楽ではない。マーラーは、ただ単にその肥大性のため、意味もなく大人数を指定した。

 しかしそれはちがいました。マーラーの云う宇宙、そうでなくとも母なる海、そして大滝の流れ落ちる様子、そのような光と水の大量の流れこそが8番の真なるイメージであったとしたら! もう、何人いたってかまわないのではないか。10000人の第九をするくらいなら、10000人の8番をやってほしい。究極に巨大になって初めて、8番はその真の姿をわれわれ凡百に見せてくれるような気がします。(さすがに合わすのが難しくて無理だと思うけど。笑)

 そうなるとショルティのあの弾丸のような鋭い演奏は非常に特殊なもので、ベルティーニの優しい蕩々と水を湛える様というのが本筋なのだろうか?

 という意味で非常に示唆に富み、ラストもすさまじい盛り上がりで感動したので、★5つ。マーラーベスト変えてみました。(あとベストに日本人のマーラー指揮者を加えまた。)


12/20

 朝比奈隆/大フィル マーラー6番 

 1992年ライヴ。かなり良い演奏。やっぱり朝比奈はマーラーが凄いと再確認。しかし晩年のせいなのか、ところどころかなり指揮が乱れる難あり。79年のほうが、録音は悪いが全体としての評価は高い。細かいところでは金管等のミスも目立つ。大フィルはレベルが落ちたのだろうか?

 しかしこれは、もしクレンペラーが6番を演奏していたらと思うと、こうなるだろうという典型の演奏に思う。朝比奈はやっぱりクレンペラーに芸が似ている。
 
 まず全体としてテンポが速いが、別に焦っているようには聴こえない。どちらかというと淡々と進む。構成力もあり、しかもそれがCGで解析されるような演奏ではなく、とても自然に音が鳴っている。職人業。

 1楽章の盛り上がりも良いが、3楽章が凄い。なんと12分で、アンダンテよりもやや速いように感じる。こうなると、「3楽章アダージョ派」とは別の音楽に聴こえる。まあ、わたしはどちらも好きですが。こういう、無駄な情緒やことさら美音を際立たせるような流儀に敢然と対抗しているのはまさにクレンペラーの芸当ですね。

 4楽章も迫力万点で素晴らしく良いが、指揮かオケか、両方か、時おりガクガクッとヒザカックンするように音楽が崩れる。これは残念〜!
 
 やっぱり朝比奈はマーラーだよ!!

 朝比奈のマーラーはあと昔のビクターとキングの8番と9番を中古で、グリーンドアの9番を入手してありますので愉しみです。

 最後に、拍手が4分間も収録されている。凄かったのは分かるが、なんで?(笑) ★4つ。


12/16

 クレンペラー/VPO ヴィーン芸術週間ライヴ 1968年

モーツァルト:セレナーデ第12番 第41番交響曲「ジュピター」

 セレナーデの12番なんて初めて聴きましたよ。(笑) 管楽合奏曲なんですねー。VPO木管部隊の極上アンサンブルがクレンペラーの棒により、なんともいえぬ味わいを醸しだしておりますです。最高。ジュピター自身があんまり聴かない曲ですが、まさにシンフォニックって感じで、まあ、いまでは聴けない音楽ではありますね。

ベートーヴェン:コリオラン序曲 第4交響曲 第5交響曲

 コリオランって好きだなあ。ある意味運命より運命ですよね。(笑) エグモントもいいけど、レオノーレよりはコリオランだなあ私は。クレンペラーのコリオランがまた、徹頭徹尾クールに進むから、よけいに不気味なのだけれども、さすがに天下のVPOは、その中にも独自に味付けをしていて、なんとも良いです。

 しかし、4番と5番………!!

 もう、これ以上大編成で対抗配置で重厚で堂々としてうるさいベートーヴェンは、無いでしょうね。これはある意味至芸ですね。さいきんのベーレンライター版のベトを愛する人は、ぶっ飛んでしまうでしょうね。僕はとっても好きですけども。これぞ「べえとおべん」っていう厚さで。(テンシュテットだと熱さとなるが。) 5番が凄いのはなんとなく分かるが、4番がねえ………! 重いんですよ。(笑)

シューベルト:第8交響曲「未完成」

 キューキョク盤ですね、私の。未完成はこれ以外いらない。もうほんとに。テンシュテットの未完成もゾクゾクきたが、クレンペラーは異常だよ。この冷たさは!! ヴィンナワルツ? 何が? 死の舞踏でしょ? 嘆きの歌でしょう? 2楽章の優雅さ? どこが優雅? 哀しい死の吐息でしょう? 哀しすぎて涙も出んわ。

ラモー:ガヴォットと6つの変奏(クレンペラー編)

 これはスタジオ録音もあるが、NPOよりVPOのほうがだんぜんイイ! ニュアンスがいい。しかもクレンペラーの編曲もうまいんですよ。ソロとかバッハ的かつヴェーベルンのような音色旋律っぽい部分もありで。木管重視なのがまたクレンペラーの趣味が出ている。

ブルックナー:第5交響曲

 これはVPOのやつも良いのですが、やはり私はスタジオ録音に軍配を。なんですかね、VPOの音色が、硬派な5番に合っていないのかなあ。ほとんどブルックナーを聴かない我輩が云うのも何ですが。あのスタジオ録音はある意味神的演奏ですね。特に最後のホルンのコラールが爆発してるし。こっちはそういう意味で、古風で大人しいんですよね。それがまた味があるという人もいるでしょうが。

マーラー:第9交響曲

 これはね、ホント、神の演奏ですね! 最新のシャイーのような明快さはもちろんはじめからありません。だからそういう演奏と比較はできない。ちがう次元で聴きたい。しかし対抗配置の分離がこんなに良いとは流石だ。同録音はこれで3種類めですが、音質はテスタメントが最高です。1楽章が凄い! 身悶えして聴いてしまいます。次が3楽章が凄い。たった1小説のスネアドラムはVPOらしく本革の太鼓でズボー! というような、低い音ですね。2楽章はちょっと長くて間延びしている嫌いがある。ここは難しい部分だ。4楽章がクレンペラー流で、24分で粛々と進んで行く。素晴らしい。嘆き節もお耽美もここには無い。音楽の美のみがある。
 
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番

 いまさら何を云ってるんだと云われそうですが、バッハって面白いですよね(笑) いやバロックや古典派を聴くくらいなら般若心経を聴いていたほうがマシだと思っていた私が云うのですから、なんぼか進歩してきたんでしょう。しかしメカニックな曲だなあ。そういう意味で、対位法の権化みたいな曲ですねえ。まあバッハだって自分で作曲しててフーガがわけ分かんなくなってたりする曲もあるそうですから、バッハの作品を神として扱うものなんなんでしょうが、まあ、基本ですよね。音楽の。基本をここまで聴かせる人って、もうそんなにいないでしょうよ。クレンペラーは凄いなあ。ここには、バッハの作品をことさら祭り上げるような、清浄でも無いのに清浄さを強調するような偽善的な演奏はありません。

 バッハは楽しい。それで良いと思う。

R.シュトラウス:交響詩「ドンファン」

 クレンペラーのシュトラウスも、地味に凄い演奏が多い。7つのヴェールの踊りなんか、カラヤンなどとは対照的に、かなり肉感的です。ドンファンも、あんまり洒脱さは無く、あくまで堂々としていますが、そこはVPOがその中にも独特の軽妙さや上方ギャグみたいな情感を持ってきて、なんとも不思議なものに仕上がってます。

ヴァーグナー:ジークフリート牧歌 トリスタンとイゾルデより前奏曲 ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲

 クレンペラーはジークフリート牧歌が好きだったようで、けっこう録音持ってます。個人的には、そう好きでも無い曲ですが。トリスタンも前奏曲だけというのがなかなかマニアックな演目です。マイスタージンガーは、ぜんぜんベックメッサーのテーマがおちゃらけて無いで、逆に笑ってしまった。その対比が面白いのにね。

ブラームス:ドイツレクイレム

 ブラームス自体、もともと苦手なんですが、ドイツレクイレムなんて拷問曲の筆頭でしたが、これは良かった! これだけ実は芸術週間じゃないのでしょ? よく知りませんが。モノラルですが、音質は最高です。活き活きとしたリズムが、だれがちな曲にメリハリを与え、迫力も万点、合唱もけっこう良いし、やはり管弦楽が、最高にうまい。ブラームスのけして派手ではない、大衆的でも無い、地味だが美しい旋律が、よく活かされた演奏に思えました。


12/4

 ベルティーニ/都響 マーラー:第8交響曲(SACD) 

 指揮者が亡くなって、もうすぐ幸いに9番が発売されるが、その他の録音済みナンバーの発売はまったく不透明だそうな。もったいない。なんとかしてほしいが。

 売れないのかねえ。

 この演奏は良いですね。たしかに、ケルン放送響に比べたら、都響はいろいろな意味で不満続出ですが、これはこれで良い味もある。日本のオケとしては頑張っている。1枚組で聴き易いし、SACDの音響は素晴らしい。解釈はベルティーニ一流のものがさらに練られて、浄化され、澄みきった感じだし、奏者が全て日本色なのでコッテリした迫力や濃さは無いのを弱点ではなく長所としてよく活かしてある。流石だと思う。

 惜しい人を亡くしましたなあ………。SACDなので○5つ。

 しかし、この前のゲルギーの放送録音も観て思ったのだが、あの「栄光の聖母」役のソプラノは、あのたった2節しか出番が無いのか?(笑) 1部にはまじって歌っているのかな? そこまでは確認しませんでしたが。マーラー先生………こだわりすぎ。
 
 マーラーベスト変えてみました。

 デュオ・ウエダ 伊福部昭ギター作品集

 伊福部昭のギター3部作に、奏者が編曲した曲を含めたもの。伊福部ワールドはいま確実にひろがってきている。武満とならんで日本を代表する世界的巨匠として目される日は近いだろう。

 日本組曲(ギターデュオ版) ギターの為のトッカータ 交響譚詩(ギターデュオ版) 古代日本旋法による踏歌 SF交響ファンタジー第1番(ギターデュオ版) 聖なる泉(ギターデュオ版)

 日本組曲はやはり、だいぶん原曲のピアノ組曲に雰囲気が近い。しかしギターの曲じゃねえな。(笑)
 6重奏版より、すっきりとして曲の核心を楽しめるか。
 
 トッカータは速くて、超絶技巧。すごい。意外に交響譚詩がすごい面白かった。管弦楽より、第2楽章など、よく旋律が聴こえて良かった。本当に意外だった。
 
 正直、箜篌歌が無いのがミソで、箜篌歌はきれいな曲なんだけど、ちょっとダラダラと長い嫌いがあるのね。踏歌はアレグロの部分もあり、3部形式で聴き易く、ボリュームもちょうど良い。なかなか激しい演奏で、良かった。

 そして出色はSF交響ファンタジー第1番のギターデュオ版!! これはアリか、アリなのか!?(笑) ギターが奏でるゴジラサウンド。アリなんです。伊福部ワールドは、こういう表現も可能にするところがすごい。聖なる泉のオマケもついて、かなり満足できるアルバムでした。


12/1

 グループ:メゾソプラノ ガーベン:ピアノ

 ペッテション:歌曲集 裸足の歌 6つの歌

 私はオペラが苦手というか嫌いなのでその派生でやはりというか歌曲もどちらかというと苦手で、ほとんど聴きません。大好きなマーラーですら、歌曲はほとんど進んでは聴きません。交響曲の中の歌唱部は、まあ、しょうがないんで(w)否応なく聴いてます。(あくまで交響曲の一部で構造的にも歌曲じゃないですしね。)

 そんな数少ない歌曲体験で、やはりこれわという感銘を受けたのは……シュトラウスの最後の4つの歌、ストラヴィンスキーのチーリンボン……あとダントツにすばらしいのは伊福部昭の諸歌曲ですね! 特にその昇華された大地の力というのは、他に類例を見ないでしょう。弟子の松村貞三も感銘を受けています。

 初期の ギリヤーク族の古き吟遊歌 サハリン島先住民の三つの揺籃歌 アイヌの叙事詩に依る対話的牧歌 も最高ですし、後期の 摩周湖 オホーツクの歌 等もすばらしい。藍川が聖なる泉(モスラにでてくる歌)まで歌曲として唄っている。ということはマハラ・モスラやファロ島原住民の歌とかも可なのか?

 そもそも日本語の歌曲は歌詞も分かって良いですが、他言語はことばも含めて「音楽」として聴かないとならなくて、対訳を読むのも興ざめだし。

 そんななか、数少ない歌曲体験で、ちょっと魂を抜かれた音楽がありました。ペッテションの「裸足の歌」です。24曲、50分からなる歌曲集で、1曲は数分程度なので聴きやすい。CAPRICEの合唱組曲版を前に聴きましたが、それよりcpoのピアノ伴奏のソプラノはしみじみとして良かったです。
 
 ペッテションといえば地獄の底のような、心の中の悲鳴を音符にしたような怨念音楽ですが、若いころのこの歌曲もそういうチェーンで木を切るような雰囲気かと思いきや! 

 なんという清浄感! そして旋律の愛らしさ! 高山植物の小さくも強靭で可憐な花々のようなこの珠玉の歌の数々。

 ペッテションの交響曲の、無間地獄のようなうめきの中で、一瞬間だけ、光がさすような、微笑みかけられるような、魂が洗われる瞬間があるのですが、ただの思いつきでそんな真の名旋律が現れるわけがなく、裸足の歌という美しい前例があって、初めて書けるのでしょう。裸足の歌がペッテションの原点といわれるのはそのせいなのでしょう。
 
 さて、しかし、併禄の6つの歌曲はそれより古い曲ですが、こっちのほうはいわゆる「ペッテ節」の萌芽が見られ、かなり虚無的な無調の歌で不気味な部分もある。

 20−30代にこういう両極端な歌曲を作った青年の待ち受ける運命を我々は知ってるわけで……。やるせない気持ちがますますこの美しい歌の価値を高めています。

 しかも、やはりというか、曲はそんな凛として透明な抒情に満ちあふれているのだが、タイトルが凄い。内容もたぶん凄いのだろうけど、スウェーデン語はさすがに………。 (訳は英語のタイトルと他の人の訳を見て適当に考えました。)

 1.嘆きの歌 (←いきなりこれかw)
 2.賢さ、そして強く握れ
 3.お母さんは貧しい
 4.愛は間ちがう
 5.星と檻
 6.何かを無くした
 7.花よ、語りなさい
 8.冬の歌 
 9.大きくなるまで待ちなさい
10.処女と微風
11.吟遊詩人の昇天
12.きみは知っている
13.きみはうそつき
14.主は牧場を行く
15.海の犬
16.小さな口論
17.私は何かを考える
18.足元の花
19.無くしたもの
20.あこがれ
21.いざ、冬来れり
22.日曜の地にいる友だち
23.ハエの飛ぶ時に
24.私の光が消えて行く (←そして最後がこれか………orz)

 きれいだけど、どこか陰があり、強靱だが、どこか儚い。その儚げな美が、私を惹きつけてやみません。


11/29

 クレンペラーは、テスタメントの8枚組、VPO芸術週間のライヴを聴いてますがその途中でまた。

 井上喜惟/ジャパングスタフマーラーオーケストラ/緒方恵Vn

 マーラー:第10交響曲(全集版) 伊福部昭:ヴァイオリンとオーケストラのための協奏風狂詩曲 ハチャトゥリアン:第3交響曲「交響詩曲」

 2003年の、2回目の定期演奏会の模様だそうです。1回目のマーラーの6番は正直表現がうんぬんよりもまだ技術的に完全にアマだったのですが、今回は相当練習したようで、セミプロレベルまで達している。

 特にマーラーの10番に技術の向上が顕著で、3曲のうち、最も時間をかけて練習したらしい。全体的にまったりとした、柔らかな響きに包まれていて、ブルックナー的な表現だったが、それが良いか悪いかは別として、とにかくアンサンブルが良かったような。これは健闘していると思う。私はこういう、マーラーと同化するのとも、分析的にアナリーゼするのともちがう、常によりそうような、夢幻的な表現は、10番の1楽章にはあってると思った。クック版なら分からないが。★4つ。
 
 伊福部は、アルメニアフィルでも10年前にこの指揮者は振っているが、ぜんぜんこっちのほうがうまい。これはりっぱな演奏だ。どうもやはりというか、伊福部の曲は、外国人には演奏が難しいらしい。音楽的には、そうスラヴ音楽とちがうようには聴こえないのだけれども、いざ弾こうとすると、今回のソロなども、奏法が根本から異なって弾かなくてはならないらしい。だからといって日本人には簡単かというとそうでも無いのだろうが、イメージとして捉え易いのではないか。トランペットは苦しそうだったがソリストともども検討を讃えて★5つ。

 最後は、2003年はハチャトゥリアン生誕100年ということで、この曲を持ってくるあたりがシブイ。というか、日本初演なんだそうな………!!!

 チョット、ビックリだ。ホントかね。

 しかし、半端でないこの曲、日本のオケで………しかもアマチュアで、大丈夫かな???

 まず冒頭はテンポが間延びしている。トランペットは随所で音をはずしている。なにより絶対的にパワーも足りない。やはりキビチイか!

 しかしまあ、パワー不足というか、そういう表現なのでしょう。井上自体、あまり爆発しない指揮者のようであるし。(この曲で爆発しないで、どうするんだという話もあるだろうが。)

 テンポが遅いと、オルガンのトッカータが終わったあとの第2主題というかモノローグが、寂しさ倍増! なる………こういうこっちの効果をねらったのだろうか。解説では、この演奏のテーマは怒りと鎮魂(アルメニア大虐殺に対する。)といえるらしいが、なるほど。確かにこれは純粋な祈りだろうか。

 最後のコーダ(?)の行進曲調の部分は、指揮者によってテンポがぜんぜんちがうが、譜面はどうなっているのだろうか? 自由に設定できるのだろうか? ふつうは凄い速くてマーチテンポかそれ以上だが、チェクナヴォリアンが異様に遅く、それはそれで迫力があるが、その流儀だろうか? つまりアルメニアつながりで独自の理由があるとか?

 29分をかける演奏は最後は大迫力で、トランペットよりもむしろトロンボーンが………!(笑) ★は、シンフォニックな表現は文句無いが、やはり技術的に厳しいので、4つで。

 しかしよく見たら、まさにわしにジャストフィットな演目だなあ。(笑) 好みって似るのかな。


11/25

 川上敦子 伊福部昭ピアノ作品集

 ピアノソロのための日本狂詩曲 WP
 トッカータ ピアノ版 WP
 日本組曲(ピアノ組曲) 
 2台のピアノのためのリトミカ・オスティナータ WP

 川上敦子、岡原慎也 Pf

 先日の、伊福部昭音楽祭in音更の会場で売られてたもの。全て初演録音等のライヴ録音。
 
 日本狂詩曲は2004年編曲の、伊福部先生最新作。相変わらずピアノを管弦楽に、管弦楽をピアノにと、ラヴェルばりの確かなお仕事である。私も会場で川上さんとお話しした時、日本狂詩曲をデュオではなくソロでというので、にわかに信じられなく、えっ、ソロで、ソロですか? と何度も聴き直した。曲は、日本狂詩曲の核を見事にさらけだしており、むしろ2台より神髄を味わえる。伊福部昭、流石に只者ではない。しかし録音は初演の模様であり、ぎこちない。まだ、川上敦子の実力ならば、まだ曲の真価を発揮できると信じて、★4つ。この曲は、まだこんなものではない。と思う。
 
 トッカータは元はギターの曲で、野坂恵子が案の定、25弦箏にしている。んで今回、ピアノ版だが、ピアノがいちばん面白いような気がする。★5つ。

 日本組曲は、並のピアニストでは、弾ききれない。特にチェレプニンも好んで弾いたという1楽章「盆踊」は、管弦楽版ではトロンボーンが担当してる、最後のほうの左手の5連符とか、けっこうパワーで押し切る部分もあるため、女性ピアニストでは特に物足りないが、川上敦子はあの細い腕のどこからこんなパワーを引き出すのか、ちょっとふしぎだ。2楽章など寂しすぎてもっと艶っぽくても良いが、川上は技巧派として売っているらしいし、なんでもかんでも要求するのは酷だろう。★5つ。伊福部先生も認めた演奏だそうです。

 2台のピアノのためのリトミカ・オスティナータは、1971年に原曲のピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータより編曲されたそうだが、なんと、たぶんあまりに難しすぎて、だーれも演奏せず、2004年に川上と岡原によって初演されたそうな。ソロピアノが難しいのもさることながら、管弦楽の伴奏部をそのまま2番ピアノにもってきているため、2番も異様に難しいらしい。確かに、1番ピアノはソロを弾くだけでイッパイイッパイであろう。

 演奏は凄い良いが、なんとも、録音が、2番ピアノがとっても遠くに聴こえて、なんか変。じっさいピアノをそういうふうに並べたのか? んなわけないよね。きっと。

 まあこっちは努力を認めて★は5つで。これを余裕で弾くピアニストは、たぶん神。どんなに世界的に有名なピアニストでも、とりあえず初めて譜面を見たら 「冗談だろ」 と云うと思う。頑張ってレパートリーにしてください。モーツァルトとか弾くより、客、入るんじゃね? ここんとこリトミカを実演でもCDでも聴く機会が増え、にわかに、伊福部作品の中でも屈指の出来と認識するようになった。(それまで正直よくわかんなかった。)

 次は私の大好きな協奏風交響曲をお願いします。


11/21

 クレンペラーの、1950年代の古い録音を集めたクアドロマニアという4枚組のCDを買いまして、既に持ってる音源も多かったですが、音質の向上を期待しまして。だいたい、良かったです、ええ。しかし、モーツァルトも、シューマンも、ブルックナーもマーラーも、やたらと速え。
 
 クアドロマニアってなんの意味か分かりませんが、ドイツのCDらしいのですが、Quadromania の横にカタカナで クアドロマニア と書いてある………。たぶん、ポップアートの一種として外国語を書いて、日本語が選ばれたと思うのだが、ええ。
 
 そんなわけだが、日本人のわしが観ても、ちーともポップではない。せめて漢字で 九亜怒呂魔丹亜 とか書いてあったら、笑ったのだが、ええ。

 まあ、それはさておき。(笑)

 ナクソスの邦人シリーズ、早坂文雄です。ようやくきたか。しかも待望のピアノ協奏曲!! この曲と、交響的変容、そして交響組曲ユカラと、早坂の管弦楽曲最高傑作3部作でしょう。
 
 しかし、解説にもあるが、ピアノ協奏曲は、思っていたより、ずいぶんと、早坂にしては装飾的な音形だった。2楽章形式で、内容もけして古典的ではないが、ピアノのソロの扱いが、技巧的だった。導入の雄大な響きも伊福部流である。2楽章は、早坂らしい、軽快なアレグロ。なかなか活劇調の、楽しい音楽ですね。
 
 作曲年代としては、1948年ということで、まだ模索期ともいえるから、そういう折衷的な作風は致し方ないところか。やっぱり、最高傑作は、ユカラでしょう。新録期待してます。日フィルの再演盤もいいけど(タワレコの復刻買いましたか? 私は原盤で持ってます。)ライヴなので、よりクールなスタ録を。
 
 ちなみに、曲名はユーカラですが、アイヌ語の発音により近いのは、ユカラ、だそうです。TVで二風谷のエカシ、萱野茂が云ってた。

 それにしても、ヤブロンスキーは、前作の深井あたりから、ようやく日本音楽をつかんできたねえ。大澤も重たかったが、伊福部は演奏は上手だったが表現としてはサイアクだった。今回は、かなり軽やかで、左方右方も典雅な部分をうまく表現しているように聴こえましたが、みなさまの評価は如何。ピアノも良かった。

 特に序曲は、本当に快演だった。日フィルのやつはテンポ重すぎ。序曲というが、ほとんど行進曲みたいなものだから。重いと疲れる曲ですよ。


11/12

 本日は札幌交響楽団の定期演奏会に行ってきました。

 高関健/札幌交響楽団/ジョセフ・リンVn

 ムソルグスキー:はげ山の一夜(原典版)
 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
 バーンスタイン:シンフォニックダンス〜ウェストサイドストーリーより
 バーンスタイン:管弦楽のためのディヴェルメント

 珍しいプログラムです。チャイコのヴァイオリン協奏曲以外は、実演では初めての曲。はげ山の原典版とディヴェルメントに到っては、まったく初めて聴く曲。
 
 原典版って前にアバドとBPOで紹介されて話題になった記憶がある。地味に、リムスキー=コルサコフの編曲版とは曲そのものがちがうようです。 荒々しいというか、おどろおどろしいというか。しかも、やや、長くてシマリがない。(笑) R=コルコサフは流石というのを再認識する曲なのかなあ。札響の演奏は、ちょっと戸惑い気味でした。

 ジョセフ・リンって若い人で、かなりの天才肌というのがビシビシ伝わってきた。あんなにフレッシュなチャイコのVn協はたぶん初めて聴いた。ちょっと私の中のチャイコとはニュアンスはちがったが、お客の反応は凄い良かったので、きっと凄いのだろう。アンコールはバッハの無伴奏パルティータで、超絶技巧でした。あいつはすげえ奴だ。

 けっこう札響の定期会員って保守的なイメージがあるので、バーンスタインの曲なんかどうかなーと思ったのだが、みんなけっこう楽しんでた。高関センセ、ノリノリだったなあ。きっと指揮者の選曲なのだろう。うーーーんと前に(学生時代)札響で秋山指揮、ハネケンのピアノでバーンスタインの第2交響曲「不安の時代」をやったのを聴いたことがあったが、拷問のような曲だった。バーンスタインの純粋音楽は2流だというのは実は公然の秘密。しかしこういうポピュラーな曲は、実に良い。

 ちゃんとマンボで 「マンボ!!」 と云ったのが良かったなあ。

 しかしティンパニの真貝先生はマラカスでティンパニを乱打して獅子奮迅の活躍でした。他の打楽器奏者の人も、おつかれさまでした。

 ディヴェルメントって完全に始めて聴いた曲だったが、まあまあですかね。8曲の組曲形式で、バルトークものよりもずっとずっとポピュラーで、どっちかというと、吹奏楽系の曲。冒頭のファンファーレではけっこうゲンダイオンガクだが、ワルツ、マズルカ、サンバときて、5曲めのターキー・トロットで完全に、ああやっちゃったよコレってなって、スフィンクスとブルースでやや晦渋かな、となりつつ、最後の行進曲「BSOよ永遠なれ」で大爆発。(笑)

 そう、これは、ボストン響100周年記念の曲だそうです。
 
 高関健は8曲めをアンコールしてました。スタンドプレーありの、まあ、アメちゃんにしか書けない曲ですね。

 初めての曲は、知的好奇心を刺激してくれるので、好きです。また、こういう派手な曲は実演に限りますね!


11/10

 クレンペラーの途中ですが、学生時代に買い損ねてよりずーーーーっと10余年間探していた音源を中古で購入しました。

 それはコンドラシン/モスクワフィルの、ハチャトゥリアンの第3交響曲「交響詩曲」です。

 1964年の、共産政権バリバリのこの録音の意味するところは、現代の録音や西側の録音の何十倍も深いのです。

 この曲は、当初は大祖国防衛戦争勝利記念のための大規模な祝典序曲でしたが、内容があまりにぶっ飛んでいたため、当局より 「こんなものが祝典音楽のはずがない、正気の沙汰ではない」 として弾圧され、長年封印されていたものが、雪解けの後、1963年になってようやく第3交響曲として日の目を浴びたという曰く付き。つまり録音は、その翌年である。

 私はハチャトゥリアンのファンであるがこの曲のファンでもある。しかし録音は少ない。私の所持は、5種類だと思う。そのうちムラヴィンスキーのものは初演の模様と云われているもので、録音が異様に古いため資料的価値は高いが鑑賞には適さず、実質は4種類か。このコンドラシン、ストコフスキー、チェクナヴォリアン、そしてシャンドスのグルシチェンコ。輸入盤等をよく探せばまだ他にあるとは思うが、今のところ、私はこれだけです。
 
 さて、コンドラシン。表現の根本が異なる。
 
 冒頭の15本の別動隊トランペットによる大ファンファーレ、こんなに不協和音がまじっているとは気づかなかった。わざわわさコンドラシンが、重なり合う音符の中から不協和音を選んで強調させているとしか思えない。他の演奏では、こんなに聴こえて来ない。

 不協和音がナイフのようにグサグサと突き刺さる祝典ファンファーレなんか、聴いたことないよ。(笑) ファンファーレに混じるスネアドラムも、銃声や軍靴のようなのは、彼のショスタコの8番にも通じる表現ですし。
 
 その後の、これもおよそ祝典とはほど遠い、白色彗星並の重厚オルガントッカータも、超スピードで、超絶技巧にもほどがある。
 それと、凶暴ファンファーレがまじってもう………これは………!

 重武装戦闘機関車が速度を落とすようにテンポが落ちた後、まるで奴隷となった捕虜が貨車から引きずり出され、連行されてゆくような、スパルタカス級に陰鬱なモノローグによる第2主題。何回も云いますが、えー、これは祝典音楽です。(笑) 

 弦楽の単純な旋律による悲劇の進行も、これほど厚く鋭い響きは、コンドラシンだけだろう。バリバリの金管が重なって、深刻さがいや増す。
 
 それも納まると、こんどは木管群が鋭いパッセージでオルガンを模倣し、まるで祝典を茶化しているようでもある。
 
 打楽器が入り、表紙が変わると、ギクシャクとした中にも緊張感がみなぎり、クレッシェンドして、やがてそれが大爆発。白色彗星の復活。地球、危うし!!
 
 そして最後は! 何百人もの人間がみんなで大行進!! スターリンが云った、「走れ、よろこべ!!」 兵士も労働者も役人も政治犯も子どもも老人も男も女も、みな走らねばならない、喜ばなければならない!!
 
 人々は広場に集まり、歓喜の涙を流し、独裁者を讃える! 「ウラー! ウラー!!」(背中に銃口)
 
 しかし突然倒れる。そして終わる。たぶん、撃たれたんじゃないかな。ちなみに、これは、あー、祝典音楽です。(………。)
 
 ハチャトゥリアンの反骨精神における最高傑作。そういう意味では、この曲の運命は不遇でもなんでもなく、当局の指摘は的を得ていた。ハチャトゥリアンは分かってて作曲したにちがいない。ブラボー。

 ある意味ショスタコより破壊力がある音楽だというのを再認識させてくれる指揮でした。とうぜん
☆! また、スヴェトラーノフの録音が無いのが惜しまれる曲でもあります。


10/30

 しばらく、たまっているクレンペラーを聴き続けることにしました。
 
 クレンペラー/フィルハーモニア管 ベートーヴェン:第3交響曲 大フーガ(弦楽合奏)

 いま所属しているオケで英雄の練習をしていることもあり、何種類か、むかし買ったのを聴いていたが、ついぞクレンペラーの3番は無いのだなあ、などと思い込んでいたが、よく考えたら正規スタジオ録音盤であるんだよね。(笑) というわけで中古で買い求めた。

 もう、私はもともとベートーヴェン聴きではないために、クレンペラーとテンシュテットだけでベートーヴェン交響曲は充分すぎるのだが、中でも、クレンペラーでしか聴けないナンバーは、5番、6番、7番、9番に、この3番が加わった。
 
 さすがにマーラーのように、1曲で50種類も60種類も聴いているわけではなく、その10分の1ぐらいだが、(笑) 今までは、良いと言われていた朝比奈を聴こうが、フルヴェンを聴こうが、長いつまんない曲としか印象が無かった3番も、マタチッチやテンシュテットでようやく曲として捉えられるようになり、そしてクレンペラーである。
 
 この全体を貫く悠然たるテンポ感! それでいて単調にならぬリズム感! ベートーヴェンのドラマとしてではなく、あくまで音楽として語る雄弁さ! 鳴り響く弦楽器、歌う木管、ささやかだが強い自己主張の金管とティンパニ!!
 
 完璧だ。私にとって魂の髄までシンクロできる英雄交響曲があったとは驚いた! クレンペラー先生、参りました。いままで見過ごしていてごめんなさい。
 
 1楽章の徹頭徹尾インテンポは、ベーレンライター版の表現のようで、当時としては、なんの表情も表現も無いと云われても仕方がないだろうが、いまでこそ、価値がある。3番の革命的な構造美を楽しむには、こうでなくては面白くない。表情が無いと云っても、ティンパニの強烈なアクセントなど、ありますよ。目立たないだけで。

 2楽章が白眉! この空々しさ! 寒々しさ! 冥界の底から響いてくるような、同じくクレンペラーの未完成のような、この不気味さ。けして派手ではないぶん、じわじわと浸食される恐怖がある。しかし126小節以降の、ヒタヒタと地獄から沸いて出てくるような表現は、どんな雄弁な演奏よりなお迫力がある。地獄のトランペットの凍りつくような響き! オエッ。
 
 3楽章は、特別遅いわけではなく、これくらいのテンポでも充分。6分半です。しかもスピード感がちゃんとある。ときどき、なんかリズムがグチャグチャになるところも無いわけではないような気もするが………。(笑)
 
 4楽章がまた良い! この楽章が、たぶん3番のネックだと思うんですよね。変奏曲とはいえ、交響曲の終楽章としては構成的に弱い。

 それを徹底したインテンポが支えるわけよ。

 フェルマータを伴う主題の呈示が終わり、颯爽と主変奏がはじまると、たいていはテンポが上がる。特に行進曲調の部分は。それをぜんぶインテンポ! 現代の古楽器演奏ではなく、フルオーケストラの1960年の演奏で! なんという豪華な響きだろう。中間部の美しさも最高だし、なによりコーダの、超ド級戦艦のような迫力で、もうブラボーというか、アヒャヒャヒャ状態でアッパラパーになってしまいました!!

 
です。ベルリンフィルのライヴで3番ないのかなあ。(4・5番がテスタメントの新譜で出るみたいですが。)

 しかし、やけにヴァイオリンの分離が良いなあ、と思っていたら、先生、
対抗配置でしたね!!

 いやー、素晴らしかったです。続けて2回、聴いてしまった。


10/28

 ゲルギエフ/ロッテルダムフィル 他 マーラー:第8交響曲
 
 知人より、放送音源をDVD-Rでダビングしたものをいただきました。

 いやー、良かったですねえ。面白かったですよ。この曲は、作曲技術的にけして上手な曲ではないので、人によっては、唖然とするほどとりとめが無い。マーラーの拡大性の最たるもので、その拡大性について行けるか、それをどう指揮するかで、曲が生きも死にもするオソロシイ音楽です。

 そういやゲルギーは歌劇場でオペラを振りまくって腕を上げたのでしたね。まとめるのが向いているのかもしれませんね。
 
 1楽章はテンポが遅めで、しかし乱暴ではなく、シャイーにも似ていましたが、まずまず良かったなあ。個人的にはショルティみたいな迫力とスピード感のある演奏が好きなんですが。
 
 2楽章が、上手だったですね。音楽的には飽きてくる部分ですが、独唱と合唱と管弦楽の対話を、どう演出するかですよね。ラストも、盛り上がりました。
 
 それにしても、
ゲルギエフのあの指揮!!

 本当に合唱が微妙にどんどんズレて行く。(笑) あれ、なんであんなにフラフラする必要があるのかちょっとわかんない。普通に振れば良いのに、手先が震えるから打点がわかんねー。
 
 しかも、自動的に、両手が プルプル プルプル と震えるんですよね。(笑) あれで何かを指示しているのだろうか。そのわりには、何も反応は無いけれど。たいして無い髪もしょっちゅうかき上げるし。必要ないでしょう。というか切れよ。(笑)

 そういや、来年のPMFはまたもゲルギーが来てくれるそうです。なにをやるんだろ、o(^o^)oワクワク
 
 ★は4つですね。

 あと、ゲルギーの燕尾服はあんまり似合いませんねえ。ああいう、汗っかきの体育会系(労働者系)にはそもそも向いてない服なのかなあ。
 
 ムラヴィンスキーのホワイトタイはカッコ良いですよー〜。


10/22

 クーベリック/バイエルン放送響 他 マーラー:第8交響曲(SACD)
 シャイー/ロイヤルコンセルトヘボウ管 マーラー:第9交響曲

 クーベリックのライヴ全集はこれでいちおう完結らしい。4番のみ、音源があるはずなんだけど、未発見とか。惜しい。しかし、演奏はたいへん内容が濃くて、素晴らしいものばかりなのだけど、どうしても放送音源らしく、音質がイマイチ。この8番もシリーズ初のSACDなのだが、あまりにリアルな音質すぎて、テープから由来するらしいキュルキュル、チュルチュルという擦った音が入っているし、歌手の発音もボケている。でも全体の表現としてはやはり素晴らしく、★じゃなくって○は4つでどうでしょうか。
 
 それより、やっと聴いたシャイーの9番。

 評判通りの、
すンごさですね!!

 これは感動を通り越して、ちょっと目が点でした。

 まずこの究極のアナリーゼ! 1・4楽章が凄いのは、スコアが凄いから、その通り演奏するだけで凄い。

 やはり、この曲で、瞠目すべきは中間楽章だろう。

 2・3楽章が、どれだけ人を惹きつけるか。2・3楽章で、お客が椅子から背中を放したら、本物だ。いや、こら凄い、凄いです。2楽章のロンド主題の描き分け、そして繋ぎ方、絶妙で、あー凄かった。A主題のトボケ方、B主題のいやらしさ、C主題の郷愁、なんとも凄い。

 そして3楽章の、ロンド主題の粗野、中間部の(これが凄い、こんな演奏初めて聴いた。)4楽章に匹敵する厚みのある響き! そしてラストの狂乱!! 全曲中、たった1楽章しかないスネア(小太鼓)も
ドァー!!と凄い効果。この曲に、スネアドラムがあるって、気づいていない人も多いのでは? 本当に、スゴヒしか云いようが無いです。アヒッ

 中間楽章がそうだからして、30分という遅めの1楽章は、冒頭から幽玄的、それから次第に明らかになる主題。すべての音符、すべてのフレーズが、マーラーの意図する所を完璧に汲み取っていて、しかも、その構造を解きあかしている。まさに、アジャパーである。
 
 そして4楽章が、美音の洪水だけで終わってないのが、やはり、さすが!!

 1つ1つの、例の回音によるテーマがなんと丁寧に鳴らされていることか。それでいて、主題の変奏風の展開も丁寧だし、大地の歌のような箇所(ハープをバックに木管がそれっぽく奏でる部分。)ではしっかりと大地の響きが。(あー、お願ひ大地出してェー〜!)

 最後の、これまた例の、亡き子第4曲の引用、個人的には、よく分かってないんですが(聴き比べてもよう分からん。)たぶんそこであろうという引き延ばされたヴァイオリンの旋律のなんという切れ切れさと、なんという強靱な意思。うむむ、これはブラヴォーです。
。です。でました。9番で2種類め。
 
 そんなわけでマーラーベスト変えてみました。
 
 なんでシャイーのはSACDにしなかったんだろうなあ。


10/21

 スヴェトラーノフ/ロシア国立響 マーラー:第8.9.10交響曲

 再発売が決まったらしい全集より。この全集は良いですよ。
 
 当全集で、スヴェトラーノフらしく暴れん坊将軍なのは6番だけなので、他のナンバーは星が低いらしいが、とんでもないはなしで、かなり抒情的に鳴らしつつも変な所で、凶暴な一面を見せたり、遅いテンポの中でマーラーの内部を解剖してみたりとなかなか芸が細かい。

 ただし、スヴェトラーノフは全奏のさい、特に金管に音が濁る嫌いはあるので、そういうの気にする人は苦手かも。

 8番は解剖系で特に1部が遅い! シャイーの1部も遅かったが、あれは気持ち悪いだけだった。しかしスヴェトラーノフは遅い中にも、リズムに曖昧があまり無く、合唱もねっとりとして、なんとも………。
 2部はテンポはふつうだが、丁寧な表現でまずまず良かった。★5つ。
 
 1部と併録の10番は全集版で、これがまた遅いの!! 凄い圧倒的な圧力で攻め込んでくる。空恐ろしい、スヴェトラーノフ一流の解釈で、こういうのもアリです。
 心臓に悪かった。★5つ。
 
 んで、期待したのが9番! しかしこれがイマイチだった。1枚ものだからなんとなく速いとは分かったが、1楽章は速いだけでなく軽い。ゲホ。

 2楽章は汚いだけで、3楽章は暴れすぎ(笑) スヴェトラーノフらしいといやそうかもしれないが、戦前のワルターのような焦燥が無い。するとタダでさえ浮きがちな3楽章が浮くわ浮くわ。トホー。

 唯一、4楽章だけが、ドドドド………というような迫力があって(美音のくせに。)、豪快というか、これだけ素晴らしかった。ので、★4つ。 


10/13

 野平一郎 ピアノ
 湯浅譲二ピアノ作品集
 
 メーカーに3枚だけあった在庫を、以前注文した時のツテでわざわざ知らせてきてくれて、買ったもの。
 
 湯浅のピアノ作品9曲がぜんぶ入っているそうな。

 2つのパストラール スリースコアセット セレナード「ド」のうた 内触覚的宇宙I プロジェクショントポロジック オンザキーボード 内触覚的宇宙II〜トランスフィギュレーション サブリミナル・ヘイJ メロディーズ (作曲順)

 非常に面白いもの、難しくてよくわかんないもの、この2つに収斂された。

 2つのパストラールは湯浅の初めての作品で、かなりメロデイアスな作品。武満ほど繊細ではなく、松村ほど太くもない。なんともちょうど良い。

 スリースコアセットはいきなり無調で、これはちょっとキテた。(笑)

 セレナードはドの音を中心に連打される音楽。なんともおかしい即興的なもの。
 
 内触覚的宇宙I は有名なシリーズだが、この1番はちょっと難しい。
 
 プロジェクションはもっとも分けわかんなかった。こういう音楽は、マリンバとかのほうが面白いかもしれない。
 
 オンザキーボードも有名な曲だが、こういう最新録音でないと、ピアノの共鳴胴の中の響きを捉えきれないので、はじめて、曲の神髄にせまった録音だと思った。これは良い。

 内触覚的宇宙II もピアノの共鳴(余韻)を最大限に活用した傑作。これも非常に面白い。
 
 サブリミナルはなかなか遊び感覚に満ちた小品。そして1997年の最新作メロディーズは、湯浅の中の旋律というものの概念が集約されているように感じられる。

 野平一郎のピアノは現代曲の演奏らしく曖昧さがまったく無く、非常にクリアで、幾何学的魅力にあふれ、とっても良かったです。
 
 ああ、湯浅のCD、もっとでないかなあ。


10/8

 テンシュテット:マーラー選集

 これも買ってからずいぶん寝かせておいて、ようやく聴きました。(−д-)

 マーラーの3番から7番までのライヴ録音集で、7番だけが未発表だったらしい。というわけで、シカゴ響との7番以外は、いちおう既持です。

 また例によって元は海賊で、録音状態は上の下から中の中ぐらいまで。スー音やもっさりした再生音はまだ良いとして、録音レベルが勝手に下がるのはやっぱり頂けないなあ。
 
第3交響曲:ロンドンフィル&コーラス 他 L1986

 海賊より格段に音質が改善しているが、スースー音は致し方のないところか。しかしテンシュテットの上手な盛り上げ方が存分に発揮されて、意外に良かったです。1楽章はよりもむしろ、やはりというか、楽章が進むほどにノリが良くなって、6楽章が素晴らしかった。そのように計算してあるのだったら凄いことだ。構造的解釈は、強い自己表現の陰になってしまっているのも、仕方のない部分であろう。

第4交響曲:ボストン響 L1977

 テンシュテットの4番って地味にハズレが無くて好きなのだが。ここでも、1楽章から構成的によく練られていて、それでいて3楽章なども情感があってしかも流されておらず飽きさせない。2楽章も楽しいし、なにより4楽章が毒々しくてステキ。

第5交響曲:コンセルトヘボウ管 L1990

 海賊ではあまりの雑音に辟易したが、大分改善されている。それで初めて、ロンドンフィルの神のような演奏に匹敵するということが分かって、そうなると、コンセルトヘボウの上手さも光ってくる。これは良い。

第6交響曲:ニューヨークフィル L1986

 テンシュテット秘蔵の6番のはずなのだが、いかんせん録音がダメポすぎ。海賊に比べてかなり良くなってはいるが、4楽章で録音が勝手に遠くなったり音量が下がったりはどうにもならん。勿体ないの極致。
 
第7交響曲:シカゴ響 L1978

 意外と古い録音だ。テンシュテットの7番も地味に素晴らしい。オーケストレーションの妙を解析する昨今のタイプではなくて、いわゆる昔の、音楽の塊を捉えて、ぐいぐい引っ張って行くもので、対位法的な楽しみ方というよりやはり、7番という特異な音楽を特異ではなく普遍的に楽しめる、いまとなっては稀有の演奏。しかも70年代! 5楽章の勢いは古典派交響曲のソレに通じていて、まことに楽しい。マーラーのねらったパロディー通り。この時代はまだマーラーの7番はハテナ?交響曲の代表だったはずなのだが、シカゴの客の熱狂は、演奏解釈の普遍性と底力を示しているようで興味深い。


9/27

 テンシュテット:ベートーヴェン交響曲全集

 半年ぐらい前に買ったやつをようやっと聴きましたデスよ。(-∀−;)

 しかも全種類海賊版で出ているやつですが。(笑) 音質はやはり向上しており、嬉しいですね。とはいえ、クリアー度ではやはり落ちて、上の下ぐらい。

 中では、私はキールフィルによる5番だけ聴いたことが無かったです。

第1交響曲:メークレンプルクシュターツカペレ L1968

 1番って、たぶんベトベンの中でも、いちばんマイナーということでたぶんよろしいかと。内容も、1/3はハイドンだし。でも、これはこれで、細かい部分でベトベンらしくて、なかなか面白い音楽ですよね。でも、ベトベンを聴いたーッていう感じはしないかな? テンシュテットの演奏は、やたらと熱いもので、この曲の隠れた熱血部分をホジクリ返してます。

第2交響曲:ボストン響 L1977

 2番はホントにウマイ具合に1番と3番の中間というか、なかなかマニアックな名曲ですね。偶数ナンバー云々はおいといて、優しい部分と荒々しさと同居した、隠れたファンをもっていそうな音楽です。テンシュテットの2番はグッと3番に近いか。

第3交響曲:ヴィーンフィル L1982

 テンシュテットはベトベンの中で3番を偏愛していて、やたらと録音がある。まあ〜わからんでも無い。録音はやや緩いが、ヴィーンフィルっぽい艶やかさなどなんのその。轟々と推し進んでゆくような気迫が聴き物。
 
第4交響曲:ニューヨークフィル L1980

 4番って、またぞろ偶数ナンバーがどうとかで、ワルターあたりのようなカマっぽい演奏とか、あるいは、ブリュッヘンタイプの、古典派っぽい軽快なやつとか、ありますが、なんでこんなまた、5番系の4番かなあ。(笑) ティンパニ鳴りすぎだろう。嫌いじゃないけど。(笑)

第5交響曲:キールフィル L1980

 まあ有名な5番ですが、テンシュテットの運命はライヴでのみ何種類かありますが、彼はこの曲で大嵐を表現したかったのだとしか思えない、大荒れというか大暴れの演奏。(汗) ティンパニは雷鳴、弦は風、金管は雷光。その中の素晴らしい旋律群は、人間の魂か。

第6交響曲:ボストン響 L1975

 さて、最高に問題なのが6番と、同じくボストン響による8番。同じ日のタングルウッド音楽祭の模様らしいのですが、とういうわけか
鳥の声が入っている。

 わしは最初、海賊で聴いた時、どんな野外会場だ!? といぶかしがった。チュンチュン、チチチ系の声。タングルウッドってそんな大自然の中でやるのか?

 しかし、どうも、これはテープらしいという情報も得た。

 下衆なアメリカでは、ベトベンの田園に、田園らしきい「演出」で、鳥の声を流すという。

 んなこたぁないだろう、と、思った方。わしもそう思いたい。が、じゃこの鳥の声は??? 2楽章に入ってます。せっかくの演奏も、台無し。(ほんとに鳥の声が入ってるという人もいます。)

第7交響曲:ボストン響 L1977

 1楽章はタッッタタとちゃんと6/8拍子なあたりがさすがというか、嬉しい。でも音質がやはり模糊としており、残念。まあ元は海賊だしねえ。

第8交響曲:ボストン響 L1975

 6番と同じく、2楽章で鳥の声。演奏は良いのに、なんかだかなー。(ほんとに鳥が鳴いてるのか?)

第9交響曲:ロンドンフィル L1991

 数あるテンシュテットの第九の中でも最強に凶暴だといわれているこの1991年のライヴ。テンポの揺り動かしと、強音部の取りつかれたような迫力が並大抵ではない。だから、いちばん凄いのが4楽章。歓喜の歌の、呈示部のラストの大盛り上がり、ティンパニもいっしょになってどこまでもクレッシェンドするのは、テンシュテットとフルトヴェングラーでしか、わしは聴いたことが無い。

 お客さんのブラボーも狂ってるが、こんなのをナマで聴かされたら、たぶん自分も泣きわめいて絶叫しながら拍手するだろう。
 
 あとオマケで、序曲が3曲。コリオラン、プロメテウス、エグモント。どれも濃厚な響きと思いがキレのよいリズムが、私は好き。


9/26

 シノーポリ/フィルハーモニア管 マーラー:第9交響曲 第10交響曲よりアダージョ

 ようやっと、シノーポリの全集も完結〜。

 しかし期待を裏ぎらぬ名演でした。全集を俯瞰して、シノーポリは、個人的には合唱の入ってないナンバーが良かった。大地は、独唱だから、これに含まれない。
 
 特に弦楽の凄味があった演奏だったと感じました。9番は、弦楽の迫力と緊張感がなければ、とたんにガタガタになってしまう弱点(?)があって、マーラーの中でも特殊な音楽だと思いますね。長いだけで漫然と流れがちな演奏は、たいてい弦のアンサンブルがゆるゆるのはずデス。

 シノーポリは厳しいまでの弦楽の引き締めで、それがあって初めて、管打のアクセントも生きるというか、これまでのナンバーとはそういう意味でも、一線を画しているのでしょう。
 たいへん良かったです。中間楽章も、よく考えられた演奏で、奇をてらったものではなく、自然でした。また4楽章を5番のように演奏する指揮者がたまにいて、カンチガイも甚だしいと思っているマーラーファンは多いと思いますが、シノーポリはとても美しく、ある種ドライな響きの中に、人間の心の美しい部分を花咲かせたような面と、はげしい葛藤の面をちゃんと描いていたように思います。 ★5つ。
 
 もちろん、9番をそのように素晴らしく演奏する指揮者の10番が、変なはずが無い。


9/19

 オークションで黛敏郎の秘曲を発見した。非売品CD。
 21世紀へのラプソディ〜電子楽器とオーケストラのための
 
 1991年作曲の、15分ほどの協奏曲風の狂詩曲である。指揮はでました岩城宏之でオケは東京響。
 
 盟友・芥川の「オルガンとオーケストラのための響」をも思わせる作風で、自由なまさにラプソディー。電子楽器とはローランドの電子オルガン(ピアノ)とシンセサイザーのことで、それを3台も使って、ブ厚く伊福部流のオスティナートに支配されたオーケストラに自由に入り込んでくる音を表現しているが、なんともオモシロ音楽になっていて良い。普通のシンセの音から、ギョワーンという効果音から、ゴロゴロ、ピチャンポチャンという自然音、能の「イヨーッ」から、鳥の声のピヨピヨまで、テープよりも自由になっているのが電子楽器の強みか。黛センセはこれで21世紀の作曲の方向性を模索したようだが、いまのところ、そういうふうな曲はあまりできていない。もう、オケストラに電子楽器は流行んないのか?
 
 シノーポリ/シュターツカペレドレスデン フェルミリオンcontralt ルイースtenor マーラー:大地の歌

 昨今の全集指揮者は大地を平気で外すから、不愉快でたまらぬ。というわけでシノポリの全集もようやく大地まできました。
 
 オーケストラの厚さを充分に引き出しながら、堂々と歌唱と対抗させつつ、やや、歌が強い。テノールは1楽章では無理している感がアリアリで二日酔いみたいだったが、3楽章と5楽章はとても良かった。コントラルト(アルト)も充分に声が出ていて良かったと思う。もう少し、枯れても好きだが。4楽章はテンポが遅くて、歌い易かったようだ。

 6楽章がまた絶望的で素晴らしい。中間部のフルートは息も絶え絶え。その後の弦楽の美しさたるや。アルトは暗く響くが、確かにそういう美ではある。あくまで開放的な美を求めるのならばソプラノかもしれないが、それよりしっとりとして、本来のマーラーの求めた鬱的気分が反映されているような。なんかしっくりこないメゾソプラノよりは良いと思う。
 
 ★は5つで。大地の5つって個人的には久々に出た。

 シノーポリのマーラーは、ナンバーが進んでゆくごとに良くなっていくと思った。あとは9番か。


9/12

 なんかゴタゴタしてぜんぜん音楽を………。

 それでもチンタカタッターと通勤途上でプロコフィエフバレー音楽全集を聴きました。

 ロジェストヴェンスキー/ソビエト文化省響及びボリショイ劇場管

 プロコフィエフ:バレー「道化師」 「鋼鉄の歩み」 「道楽息子」 「ロメオとジュリエット」 「シンデレラ」 「ドニエプルの上で」 「石の花」 

 9枚組(ドドーン)

 初期の曲は道化師なども個人的にはイマイチだったが、やはりキテたのが鋼鉄の歩み。ショスタコも真っ青の刃物系&機械系&闘争系音楽。不協和音? それってフツーの和音のことじゃろ? こんな刺激的な音楽は、ちょっと他に無いですね! (ただの現代騒音楽とか論外。)

 そして後期グランドバレー3部作であるロメジュリ、シンデレラ、石の花。これがまたすごい!

 チャイコフスキーのグランドバレーを目指したとされる長大な曲で、それぞれ約50もの踊りのための音楽による。

 ロメジュリは組曲でも高名だが、演奏会用に曲順とかバラバラで、やはり全曲を通すと、筋と音楽とのかかわりがよく分かる。
 
 シンデレラは初めて聴いたが、さいしょはインパクト薄かったが、やはりロメジュリより音楽の質は高い。ロマンティック度と幻想度が段違いだった。特に第2組曲の終曲でもある、第2幕の終わりの曲「真夜中」の情景描写のうまさたるや、それだけでも聴く価値がありましょう。

 石の花は多分3部作でも最もマイナーだろうが、ウラル地方の民俗音楽も取り入れられて、プロコには珍しくズンドコ節も聴かれる。ハチャトゥリアンのガイーヌの初演に接して刺激を受けたということです。

 しかしちょっと筋が頂けない。ウラル地方の民話を元にされており、石フェチの石屋の親父が石の女王の国に行って孔雀石の花を彫りあげ、石の力を地上の人々に知らしめるのだが、石屋夫婦の愛情とか、鉱山の国の幻想的な情景とか、意外と音楽はファンタスティックだが、どうにも、主人公が親父なので、いただけない。シンデレラやジュリエットにかなうネームバリューが無いということだ。

 演奏はやや録音の古い物もあるが、ロジェストヴェンらしい堅実なリズム処理が安心して聴けるし、しかもそれが上手い。ときおりハメを外すのも忘れない。
 
 なかなかよい買い物でした。(むかしビクターから分売されていたメロディア音源のやつです。)
 
 ………やっぱりショスタコよりプロコのほうが上手いよ。絶対。


9/3

 ライナー/シカゴ響 Rコルサコフ:シェヘラザード ストラヴィンスキー:交響詩「ナイチンゲールの歌」

 なんとSACDによる復刻盤。音質最上級ながら、録音がやはり古い(1960と1956)という、なかなか奇妙な響きです。発売当時のLPの音ってこんな感じなのか?

 もちろん目当てはストラヴィンスキーだが、演目としては師弟コンビのオリエッタルチックな曲ということで、なかなか通好みで良いもの。演奏会とかにも使えるでしょう。

 しかし残念ながら(?)我輩はシェヘラザードって苦手。(笑) なにが面白いかなあ、この曲は。まあ「良い曲」というのは分かりますが、いまいち単純素朴で、そのくせ長く、どうも聴き続けられないです。聴いてて寝たし。3楽章から落ちて、ナイチンゲールの冒頭で飛び起きました。(爆)
 
 そのようなわけで、ナイチンゲールの歌は、アメリカのオケとライナーらしい、えらいドライなんだけど、妙なエンタメ性もあるという、なかなかアメリカンストラヴィンスキーな演奏で良かったです。ストラヴィンスキーベストに加えてみました。○5つ。

 あとテンシュテット/フィラデルフィア管 チャイコフスキー:第6交響曲 グリンカ:ルスランとリュドミラ序曲 コダーイ:ハーリ・ヤーノシュ組曲 ドヴォルザーク:第8交響曲

 ライヴ録音です。このメモリーズっていうレーベルは、正規なのか?
 
 悲愴は、テンシュテット唯一とされており、以前海賊で所持している。が、音質が悪くて、演奏もイマイチだったように思えた。★は3つのはず。

 今回は同じ音源らしいが、録音年の表記は異なっている。正直、分からないです。

 音質は改善され、3楽章と4楽章が特にノッてて良い。★は5つで。

 それにしても(笑) アメリカの客、3楽章の終わりで嵐のような拍手。ついでに喝采。orz 日本もアメリカも関係ないじゃん。日本人は曲の途中で拍手して恥ずかしいとかいう評論家、わざとそう云っているのだろうか? なんという自虐的な。
 
 ええと、000クラシックスのやつも3楽章から聴き直してみました。あれえ、こんなに良かったのか。良かったんだなあ。人間の耳は本当にアテにならないな。たいしてかわんねー。

 ★5つに昇格。

 というか同じですわ。やっぱり。たぶん、000クラシックスの1982年が正しいのでしょう。
 
 グリンカは素晴らしい演奏で、弦楽がゴシゴシいってるのが凄い。これがギコギコいってたら、重くてヘタなんですけど、ゴシゴシゴシゴシと重パワーで弓から煙が出てきそう。ムラヴィンスキーみたいですよ。さすがですね。しかもテンポはけして速いほうではなく、余裕。オケも指揮者もどっちも凄い。でも録音レベルが勝手に下がったりして、ダメ。★4つ。
 
 ハーリ・ヤーノシュ組曲が相変わらずの出来で。本当、有名曲を流していないんですよ。マゼールとかメータとか弟子にしてもらえよ。フントに。この緊張感、集中力、でも重くない、疲れない、楽しい。そして演出の凄さ。カッコイイ、心からそう思うハーリ。★5。
 
 さらにドボ8ですよ。

 音質は正直上の下くらいですが、わしは音質よりも演奏の中身を重視するタイプなので。音質は良いにこしたことはないですが。まあ録音レベルが上がったり下がったりは論外ですが。

 1楽章から真剣そのもの。リズムも最高。愁いを帯びた序奏から、テーマのノリ。表情の描きわけ。金管と低音の響き。スゲー

 2楽章は穏やかに過ぎるが、バイオリンソロからの日の出、芽吹きの喜びすなわち生命讃歌の喜びは、素晴らしい伸びがある。中間部の深刻な部分も、チャイコフスキーあたりの重交響曲のように鳴る。

 ドヴォルザークのスケルツォにしては優雅な3楽章。こちらは流れるようなテーマの連続が良い。音楽が断絶していない。テンシュテットの大きな魅力で、その分くわしい解析が犠牲になる場合もあるが、ドヴォルザークは別にいいだろう。

 そして4楽章。トランペットの伸びやかなファンファーレ。それから次第にテーマが紡ぎだされる構成的な手腕。また例のテーマは嫌いな人は本当に嫌いなようだが、わしは好きです。しかし、普通はジャンジャン、ジャンジャカジャンジャンと軽めに流すか、ズンズンズンズン、ズンズンドットーとドリフ状態なのだが、テンシュテット、強烈です。大まじめにベートーヴェンのテーマのようにズンダカダッダー、ズンダンズンダンです。トルコ帝国の行進のようだ。(笑)

 中間部のアンダンテ的な箇所のていねいさ、情感たっぷりの演奏も、テンシュテットの独壇場でしょう。美しい。

 この、ドボ8に秘められた動と静の対比の表面化も、見事です。さすが分裂大好き指揮者です。

 全体的に、これほど重厚なドボ8は初めて聴きました。ドイツ風ということで良いのかな。
です。でました。こりゃー凄いです。


8/31

 テンシュテット/ミネソタ管他 ベートーヴェン:第9交響曲

 テンシュテットの第九はこれで私が確認しているだけで4種類めだろうか。けっこうあるね。だいたい、テンシュテットは最も多い録音はマーラーではなくベートーヴェンで、ベートーヴェン振りだったのです。

 しかし濃いい第九ですよ。この人の第九は。まあ、確かにフルトヴェングラーに近い解釈だろうか。まさに楽狂いというか。
 
 冒頭の和音から、なんか厚いというか、暑苦しいというか。呈示部の主題も、リズムが強調され、ガクガクしているのだが、それが荒々しく聴こえるが、ガサツというわけではない。(まあ人によってはガサツ、汚いという聴く人もいるでしょう。冒頭のタンタタ! も絶妙にアッチェレしているが、つんのめっていると評価されても仕方がない。)
 
 まあとにかく、熱血、濃厚、情熱と、ベートーヴェンの一面を最高に良くとらえた演奏であると思います。良いなあ。真実の人間のドラマトゥルギーですよ。これがもう少しテンションがあがると、狂気度がいや増してきて、第九の暴力的な側面がさらけだされるが、そこまででもないです。
 
 また全体的に、テンシュテットは流れを重視していて、細かい解釈を犠牲にしても音楽全体の流れを追求するので、流れを犠牲にしても楽典の構成を解釈したりするタイプとは対極を成し、聴き手を選ぶものでもある。もちろん、適当に流しているわけではなく、ちゃんと総譜を把握している。でないと、流そうにも流せない古い職人型の指揮者なので。

 2楽章なども早すぎていかん、とかいう感想が出てきそうだが、時間的にはそうでもなく、いかに上手にバランスを持って進めているかが分かる。フレーズというか、音楽のつながりを大切にしていて、ブツブツ途切れない。ベートーヴェンやブラームスをやるのに凄く大事な要素です。

 ただし、3楽章はまずまず遅め。たっぷり情感型であり、典型的な濃厚アダージョ。ちょっと雑音が多いが。

 4楽章、管弦楽はさらに熱っぽい、独唱も熱演だが、合唱は荒いかもしれない。それだけ、興奮していたのかもしれない。せっかくの神秘的な部分も、ちょっと世俗っぽい。
 
 しかし良い曲ですよねえ。本当に良い曲だなあ。

 音質良好とのことだが、やはり悪い。★5つでどうでしょう。


8/28

 ギーレンの全集、ようやく完結〜。アヒー
 
 マーラー:第8、第9、第10交響曲(1楽章)。

 8番は、ソニーのやつもあるが、イマイチで、こっちもやはり、イマイチだった。得意じゃないのか、一所懸命やってるのだが曲があわないのかは不明。曲の特質と合ってないのだと思われるが分からない。細かい動きにこだわりすぎて、8番のスケール感がまるで死んでいる演奏。上手だけど途中で飽き飽きのタイプ。ようするにつまんない。★4つ。

 それとは逆に9番が名演だからよけい分からん。

 ギーレンみたいな解釈タイプはたいてい9番とかは苦手のはずなんだが………。なぜなら、解釈しようにも基本的に未完成だから。楽譜は出来ているけど、マーラー特有の指示の部分で、ほとんど真っ白な譜面になっているはず。特に2・3楽章。ここがキモ。
 
 そこで開き直って、バンバン脳内で補筆できるか出来ないかで、変わって来るのでしょう。
 
 1楽章からぐいぐい引っ張ってゆく。すごいですね。テーマは伸びやかで、深酷情感タイプではなく、ここはやはりギーレンなのだというか、楽譜忠実再現式。それでも、これだけ、聴かせるから、嬉しいです。音楽そのものも、それだけ底力があるということでしょうが。
  
 さて、中間楽章。1と4がよくて、真ん中が意外とガックリの演奏も多い。ある意味、やむを得ないのかもしれないが。

 おっとー、この2楽章レントラーの異様に遅いクレンペラー級のテンポはー!!

 クレンペラーの技法に似ているとするとその意味するところはただひとつ。やはり、構造の解析に他ならない。

 2・3楽章はテンポ設定が非常に難しいらしく(指示が足りない。)そこをどのように組み立てるかで、ガラッと9番の性格が変わるというようなことを前にバーンスタインか、ベルティーニか、忘れたが、誰かが云っていた。

 たいていつまんない演奏は漫然とテンポを流しているので、よく聴いてみると面白いと思います。

 元より、つなぎ目の荒いガクガクした音楽なので、メリハリの効いたテンポだと、面白さが倍増です。(草稿を、テーマごとにハサミで切ってつなげ直して作曲したことが分かっているそうです。)
 こういうところに、7番などで最高の手腕を発揮するギーレンの天才的なリズム感覚が生きてくるとはなあー。
 
 納得。
 
 さて、2楽章よりも、もっとガクガクした3楽章。ブルレスケ。しかもロンド。ロンドといえば………7番5楽章以来の、ロンドです。マーラーの最後のロンド。

 もう、パロディーも、何もかも、糞め、という自棄っぱちな音楽になっていることに注目。

 テンポが3種類あるということで、それをいかに際立たせる事ができるかで、飽きさせずに聴かせられるかが変わって来ると思います。

 最初から猛スピードで飛ばす指揮者もいますが、テンポIIIとかになると早すぎてメチャクチャになる嫌いがある。逆にそれを狙っているのだとは思うが。

 ギーレンの余裕のある、しかも緊張感もあるテンポ設定はさすがにうまい。

 中間部の、トランペットが奏でる4楽章のテーマの前段も、涙を誘う。それをクラリネットがすぐにパロディー化するのも意味深です。

 ラストの狂乱も、余裕の表現で、かつキリっとして、すごい良かったです。打楽器、よく鳴っているし。

 ホントに狂乱している演奏も、それはそれで味があるといや、ありますが。
 
 そして有名なアダージョですが。まあこれはもう特に多言は無用でしょう。よい音楽です。★5つ。文句無し。(もしこれがライヴで溢れんばかりの高揚があれば☆でしょう。)

 9番がよい指揮者で、10番が良くない人はいままで1人たりともいないなあ。

 1楽章のみの全集版ですが、ある意味、9番の1楽章より分かりやすい音楽です。生々しい生への執着が生まれているからだろうか。彼岸からマーラーはまた現世へ戻ってきた。マーラーはやはり、現世の作曲家だったのでしょう。★5つ。

 10番はクックの終楽章も良いですが。1楽章だけでも、魅力は充分ですね。

 しかしなんで大地を抜かすかなー。もったいねえ。レーベルの意向でしょうどうせ。ギーレン自身は海賊で演奏してるのだし。てっきり正規で出ると思って、買わなかったからなあ。失敗した。大地。


8/27

 福田滋/リベラ・ウィンドシンフォニー
 団伊玖磨 吹奏楽作品集Vol1

 しかしリベラ、いつぞやのライヴ盤に比べたら、スタジオ録音のせいかもしれないが、格段にレベルがアップしてますね。

 そして嬉し恥ずかしの団伊玖磨作品集! 続きも出るらしいので乞うご期待ですね! ウヒェヒヘハハハ。

 若楠行進曲 パシフィック・フリート ブリジストン・マーチ 行進曲「青年」 JASDF March 行進曲「べっぷ」 祝典行進曲 新・祝典行進曲 March "YOKOSUKA" 吹奏楽のための奏鳴曲(ソナタ)
 
 団は行進曲の天才であるとすら思えてくるこの珠玉の数々。若楠行進曲はカッチョエエファンファーレ付、2つのテーマと1つのトリオを持つ正調行進曲で、そのテーマの良さもあり、格別の出来。

 パシフィック・フリートは8分を超すグランドマーチ。テーマが3つあると思われる壮大なもの。トリオを挟んで、リピートも全て主題を再現してコーダという作りのもの。

 ブリジストンマーチは団が初めて作った吹奏楽マーチらしい。早めのテンポで颯爽とした曲。
 
 祝典行進曲はまさに永遠の名曲、名曲中の名曲ということを再確認。

 しかし新・祝典行進曲は、私が持ってる作曲者指揮の録音ではなんと9分半にも及ぶ超ロイヤルグランドマーチであるのだが、この録音では収録時間の関係か、カットされて5分半ほどのものになっている。第1テーマ・第2テーマ・第3テーマ・トリオ×2・テーマ3種リピート・コーダという構成のはずなのだが、リピートのテーマが第1で終わっているバージョンでした。そして、このマーチのトリオの、木管のテーマ、タカタカ・タカタカというやつ、私にはスリキズ・キリキズ・ユキノモトと聴こえて面白いです。ハープも大活躍し、ロイヤルな雰囲気に溢れた新感覚のマーチです。
 
 圧巻はやはり吹奏楽のためのソナタか。

 第1楽章はアレグロは完全なるソナタ形式を意識したもので、第1主題も第2主題も、テーマはなんと沖縄旋律による。

 師である橋本國彦の第1交響曲にも通じるような、日本クラシックとしての沖縄旋律が、珍しいし、それがまたシルクロードにも通じる団の教養的なエキゾチックさにも通じていて、なかなか聴かせる音楽です。

 第2楽章がマエストーゾによる葬送行進曲。

 ヨーロッパではけっこう葬送行進曲はワーグナーやベートーヴェン、マーラーもある重要なジャンルの音楽だが、日本には少ないということで、団はその形式を選んだとの事です。

 夕鶴や祝典行進曲、第2交響曲の団の明の部分とは正逆の、ひかりごけや第3、第5交響曲等の、団のシリアスで暗い魅力を伝える重要な曲です。
 
 こういう企画は大歓迎したい。

 団のマーチはしかしタッタター、タッタターというリズムのテーマが頻繁に出てくる。


8/24

 三村奈々恵のマリンバのアルバムを新中古で買ってみました。シュワントナーのマリンバソロ曲、ヴェロシィティーズが聴きたかったので。

 エンヤ:カリビアンブルー
 シュワントナー:ヴェロシィティーズ
 モリコーネ:デボラのテーマ
 クライスラー:美しきロスマリン
 レヴィタン:ウィ・トゥー
 鷲見音右衛門文広:変化する共鳴の長さ
 バッハ:シャコンヌ
 パッヘルベルのカノンによるトランスフォーメイション
 三木稔:マリンバ・スピリチュアル
 
 編曲、三村含めいろんな人

 しかし三村………なぜ天は二物を与える。(笑) 
 
 どこかで帳尻が合い、男運が悪いとか、酒癖が悪いとか。知りませんが。

 うーん、演奏はさておき、聴けた曲も少なかったなあ。同じマリンバものでも、グレニーのアルバムの方が良かったような。山口多嘉子、高橋美智子、安倍恵子などともまた色がちがうので、なんとも云えないが。
 
 シュワントナーと三木稔がまともなオリジナル作曲で、あとは編曲もんだしね。鷲見(マジメな作曲家らしい。)の曲はわけわからん。 レヴィタンの曲は、マリンバトリオの曲をマリンバデュオにしたそうで、なんだかよく分かりませんが、第2楽章は良かった。編曲ではやっぱりパッヘルベルのカノンはどんな編曲でも良いなあ、と強く感じました。
 
 目当てのシュワントナー、もっと激しい曲かと思ったが、ただのミニマルミュージックだった。まあ正確にはちがうけど、ちょっとショボー。

 2枚めでないとこ見たら、売れなかったのかしら。構成に難ありでしょうね。と思ったらけっこうあった。公式サイトで確認できます。別に買おうとは思わんが。。。
 
 個人的には、緊張感が無くて苦手なタイプの演奏家。それがちがう表現で(たとえば解放感のある、とか、余裕がある、とか。)魅力なのかもしれませんが。マリンバスピリチュアルも、もっと厳しい表現が好みだった。こんなにソフトでいい曲なのか………? 普遍的な表現というやつか?
 


8/20

 ジークハルト/アーネムフィル マーラー:第6交響曲 SACDで再確認。マルチチャンネルよ。
 
 しかしSACDはマジで音が良いですね。何回確認しても衝撃的です。技術的にいうと、デジタル録音の01のデコボコが、通常の技術の
64倍の細かさで記録できるということです。そこまで細かいと、もうナマ音の周波数とほとんど変わらないみたいです。だから空気の音感まで伝えるのかなあ。感動ですね。

 さて演奏は、変に気張ってもいないし、かつ漫然としているわけでも無い。スタンダードなナンバーとして最適です。オランダのオーケストラがまずマーラーへ敬意を評して共感しているし、ヴィーンの円熟指揮者もまたマーラーを大切に鳴らしている。それが良い。
 
 ただ、個人的には4楽章にもう一工夫欲しかったところか。1〜3までは、文句無いと思います。

 録音が良いので、通常版でもいろいろな楽器の音が聴こえて来ると思いますが、特に打楽器がすごい。バスドラやティンパニ、それにトライアングルなどです。打楽器というのはもっとも原始的な楽器です。人の息や弦の摩擦で空気を振動させるのではなく、ただ、物体、金属や木や動物の革を叩くという事で空気の振動を産み出す。つまりそれだけナマでダイレクトな振動を伝える楽器なわけです。たぶんですけど。
 
 その振動が、SACDではよりリアルに味わえる演奏になってます。そこも、なかなか楽しいです。○は4つで。


8/17

 ミュンフン/フランス放送フィルハーモニー管弦楽団 マーラー:第6交響曲 L2005

 今年の4月の最新録音。海賊ですが。
 
 チョンミュンフンは本当に捉えどころの無い指揮をするやつで、いつぞや芸術劇場でやった4番は本当に良かったのに、この6番はまた奇妙な演奏。
 
 全体的には、迫力があり、勢いもあって、なにより2楽章はスケルツォで、硬派な好みの演奏だが、ときどき、ホエ? という変な解釈がある。非常にトリッキーな。それが狙っているのか天然なのかが分からない。特に多楽器が奇怪しいし可笑しい。いきなりバスドラやチャイムだけ、ボリュームが他のCDの5倍ぐらいになる。
 
 2楽章や3楽章のバスドラ、ズドドドドドド!! やりすぎです。あり得ません。カラヤンですらそこまでしないぞ。
 
 さらにびっくりしたのが4楽章のカネ。鳴らしすぎ。1812年じゃないんだから。キーン、コーン、って、能天気な甲高い音で学校のチャイムみたいだった。(笑)
  
 しかしハンマーはへぼい。
 
 なんとも評価に苦しいこの演奏。もっとふつうにやっていたほうが、オケの実力もあるし、良かったような。★4つかなあ。


8/16

 こまめに聴いてゆく事にしました。
 
 ハイペリオンというイギリスのマイナーレーベルがあって、合唱とかイギリス作家とかバロック以前の音楽とか、強いんですが、なぜかアメリカの現代作家シュワントナーの新譜。吹奏楽とか合唱で人気急上昇のシュワントナー。私も、吹奏楽作品は好き。室内楽作品集もナクソスから出ています。今回は、オーケストラ作品集です。
 
 リットン/ダラス響 マイヤースVn フスティス horn ディアスorg
 シュワントナー管弦楽作品集
 
 突然の虹 1986

 神秘的といいつつ映画音楽っぽい展開を見せるシュワントナーだが、和音とリズム進行と打楽器の扱いが独特で、シュワントナー節を効かせている。

 不安げな旋律を打楽器が支えるといった風情で、どこか捉えどころが無い。

 ちなみにタイトルと曲の内容は特に関連が無い。ように思える。虹? どこが?

 大抵、何かの詩の一節からとられたりしていて、侮れない。そういう場合、その詩にインスパイアされたとか作曲者が云いだしても、かまわない事をお薦めしたい。どうインスパイアされたとかは、本人にしか分からない事柄なので。
 
 天使の炎 バイオリンとオーケストラのための幻想曲 2001

 プロコフィエフの未完オペラと同名の曲。(そりゃ炎の天使。)

 プロコのそれは第3交響曲でそのハゲシサを垣間見る事ができるが、さてシュワントナーは。(ちがう。)

 冒頭から、口径の小さいドラの東洋的な世俗的響きと、現実世界を超越した人間の苦悩を示すバイオリンソロ。イカス!!

 終始緊張感のある響きが支配して、やはり打楽器が面白い特徴を示している。それとバイオリンの乾いた音がなんとも心地よい。

 テンポ的にはドカドカという激しいものではなく、レントあたりの響きが延々と続くタイプ。 

 なかなか印象的な、美しいバイオリン協奏曲でした。

 秋の向こうに ホルンと管弦楽のための詩曲 1999

 秋の向こうは冬だと思うのだが。

 独特の金属打楽器によるフラジオレットや、バスドラを主体とする重い連打音、ピアノの重低音など、これはいわゆるシュワントナー節全開。さらにホルンのソロが吼えまくるという嬉しい悲鳴。

 現代作家とはいえシュワントナーは激しい調性といった部類で、このホルン協奏曲でも中間部に、たいへん美しい、バーバーのような弦楽合奏がある。

 これはモロカッコイイ系のシュワントナー音楽でした。

 晩秋と初冬の侘しさやもの悲しさ、切なさ、さらには嵐の激しさと、それらの中の美をみつめた、大変に良い曲です。
 
 九月頌歌(セプテンバー カンティクル) オルガン、金管、打楽器、ピアノと弦楽合奏のための幻想曲 2002

 オルガンやピアノは良いとして、オーケストラから木管を抜くだけで、こんなに長い編制表示になるとは。(笑)

 頌歌とはいえ、なんとも冒頭より重々しい。

 そしてオルガンが、オルガンが………! 白色彗星デター!(笑)

 金管が………!

 これイカス曲だなあ!

 中間部では再び、弦楽のみの瞑想的な曲想が来る。

 3部形式で最後は冒頭のように荘厳なオルガンと金管のコラールの中、打楽器が重連打、ダースベイダー級のカッコ良さ。

 お薦めは、秋の向こうに と セプテンバーカンティクル です。

 この人、吹奏楽も管弦楽も室内楽も基本的に何も変わらないんだな。イカス。しかし、曲風は変わらずとも、吹奏楽の方がよりデッドだし、室内楽の方がクリアーなのは面白いものだと思った。シュワントナーの作品集はこれから増えてゆくだろう。少なくとも、現代アリメカでは、コリリアーノとかよりは、断然好きな作曲家です。


8/15

 小林研一郎/チェコフィルハーモニー管弦楽団(SACD) マーラー:第3交響曲

 いやもう、暑くて暑くて連日窓全開なもんですから、夜、ロクにCDも聴けません。

 それなのに、ロジェストヴェンスキー指揮のプロコフィエフ:バレー音楽全集とか買ってしまって。(爆)

 未聴分がたぶん200枚を超えてしまっている。これを聴き倒すには、マジで退職後とかになりかねねえ。(Д°;)

 しかしSACDは、何回聴いても音がよい。CDの音って、いくらクリアーでも「録音された音」なのですが、SACDは、ホールで実際に聴く音にかぎりなく近いです。いやホントに。

 コバケンのマーラーは実のところチェコフィルレベルでないと、音楽が想い通りに動いてくれないので、貴重な音源です。名古フィルとか日フィルは正直、オケが表現しきれてないよ。
 弦も管も。そしてアンサンブル全体も。つながりが悪いし、自分のパートしか聴いてない。マーラーもベートーヴェンも同じですよ。合奏ってそうじゃないよね。きっと。

 チェコフィルは、スタジオ録音なので、スコア見ながら聴きましたが、かなり丁寧に演奏していた。コバケンならではの崩しもハッチャキも無いのだが、その分、とってもきれいで、情感たっぷりに鳴っていました。これがCDだったら、物足りないとか云えるのだろうけど、SACDでは、それで充分。コバケンの陶酔や集中、まるでいとおしむように、慈しむように、マーラーを大切に鳴らしていた。この3番は、なかなか良かったです。

 しかし唸り声も立派な音楽のうちになってしまっているのだなあ。(笑) 


7/30

 ネルロ サンティ/PMFオーケストラ
 ロッシーニ:セミラーミデ序曲 泥棒かささぎ序曲 ウィリアムテル序曲
 レスピーギ:ローマの噴水 ローマの松 ローマの祭 

 私の2005年のPMFも本日でおしまいです。

 いやあ〜、去年のゲルギエフも凄かったけど、今年のサンティもいろんな意味で勉強になったし、凄かった。なんなの、あれ。あの凄さ、どれだけの人が分かっただろう………って、1曲めから恐ろしいまでの万雷の拍手だったので、みんないろんな意味で感動したのでしょう。良かった良かった。本当に良かった。

 何が凄かったのか、順に感動を追憶してみたいと思います。忘れないうちに。
 
 まずサンティはイタリア音楽の神髄をまっさらなパレットであるPMFという学生オケに伝えようとして、それを今年のオケは素晴らしく汲み取った!! しかも今日は両翼配置。両翼というとクレンペラーあたりのドイツ音楽の巨匠がするようなイメージがあるが、イタリア音楽でもとは。

 また、一口にイタリア音楽といってもいろいろあるでしょうが、今日はとにかく、まずロッシーニが驚いた。

 あの軽妙さ! それなのに、屋台骨がしっかりしている。同じピッチカートでも、モーツァルトとベートーヴェンが奏法が異なるであろうのと同じように、とうぜん、ロッシーニとブラームスだって異なる。ロッシーニを重々しく演奏したところで、それはもはやロッシーニではないでしょう。

 今日は本当にオーケストラに羽が生えたのかと思うぐらいの、なんという浮遊感、それもドビュッシーのようなモヤモヤしたものではなく、あくまで軽やかで、しなやかで、しかも、誇り高いというか、自己主張が強い。サンティのゾウアザラシみたいな身体より、重厚な音がでたらそりゃスヴェトラーノフかマタチッチというところだろうが、その長めの指揮棒より紡ぎ出される音楽は、本当に軽妙で清々しく、爽快だった!! 空を飛んでるようでしたよ。
 
 特にウィリアムテルが凄かった。よく知ってる曲だけになおさら! 1回演奏したことあるので分かるのですが、ティンパニも、楽譜の指示の半分くらいの音量で叩いてました。しかし金管はバリバリ、そして、ぜんぜん重くない!! これが凄い。嵐の場面のトロンボーンの鬼のスライド!! 
 
 やっぱり聴いてる人は聴いてるのでしょう、凄さまじい拍手の嵐で、気をよくしたサンティが、アンコール開始!!

 
前プロでアンコールなんてはじめて聴いたですよ!!!

 オケも戸惑っていたので、あれは本当に嬉しい予定外だったのでしょう。ウィリアムテルの後半の、例のトランペットのソロから、終わりまで、演奏してくれました!!!

 いままでCDとかで聴いていたロッシーニはありゃ、
ドイツ風ロッシーニだったのです!!!
 
 カラヤンじゃダメか、やっぱり!!
 
 いやもう参った。既に。

 それならば、レスピーギはどうなるのか? 
 
 どうにもなりませんでした。軽やかさはまったく変わらず、しかし、地中海の風のごとき、爽快さも変わらず。あれがイタリア音楽としてのレスピーギ? そうなのですか?

 造形がまずとてもしっかりしている。しかしぜんぜん響きがオシャレで、艶があり、レスピーギのラヴェル風の管弦楽法を、ロシア音楽やフランス音楽の亜流にせず、かといってR.シュトラウスのような近代ドイツ流としてもとらえていない。つまり、近代イタリア音楽? というのでしょうか?

 そう、云われても、納得せざるをえない説得力でした。
 ちなみに松の鳥の声はテープでした。

 アッピア街道や、祭の金管の、あのカーンとキタラホールに響きわたる爽快感! ドイツ流のファンファーレでは、あの燦然たる輝きは出てこないでしょう。
 
 木管のひねった演技、そして弦楽のあくまで流れるような滑るような響き。特に噴水のキラメキ、松の清浄感、祭のワクワク度、すべて完璧。交響詩ですのでね、情景描写が命!
 
 音質はあくまで透明で、ホールの天井から天使でも降りて来るんじゃないかと思った。いえいえ、酔ってません。(笑)
 
 アッピアや、主顕祭の迫力も、万点!! でも明るい。重くナーイ!
 
 あー、イタリア行きたくなったです。
PMFサイコー!!!


7/29

 SACDでコバケン/チェコフィルのマーラーの2番を聴いてみました。

 1997年に録音済みだったのだが、キャニオンが金がなくてクラシックから撤退したのを受け、オクラ入りしていたものをエクストンが拾ったやつ。この時のゴタゴタのせいでコバケンはマーラーコンプレックスとなり、「マーラーなんてもうしましぇぇん!!」 と金八先生ばりに私の前で叫んでいたが(前に地元に日フィルといっしょに来たことがあるんです。) それから3年ほどたち、いまではぜんぜん名古フィルや日フィルでしてる。(笑)
 
 チェコフィルではもうしないという意味なのかねえ。アホケナージ………まちがったアシュケナージはしてるけど。あんなつまんないマーラーも無かったが。N響はどうなんだろう。ライヴでは実は凄いイイ指揮者だとか。
 
 しかしSACDは良いですわ。大分慣れてきましたけど、相変わらず良いです。分離といい質感といい、特に金管が良いなあ。チェコフィル独特の、流麗な響きが、よく出ていました。なんか弦は逆に、ちょっと抑えられて聴こえましたが。ホールでじっさいに聴く音に、本当に近いです。
 
 ライヴではないですが、3楽章の激しさはなかなか良。1楽章と2楽章はその代わり、ややおとなしいが、その分、コバケンには珍しくというか、楽典通りの流れや主題の移り変わりを楽しめる。
 
 1楽章の〈区切り〉も、区切ってないというか、解釈の問題ですが、何を区切るのかというのが楽譜には書いていないため、ただ単に一時停止するのが区切りなのか、という問題に直面しております。(私が。)

 このように素通りでも、音楽的には何かを〈区切って〉いるのかどうか………研究の余地があります。
 
 指揮には大きく分けて2種類あり、楽譜の隅まで細かく鳴らすタイプと、全体の流れを重視するタイプ。コバケンはいまや珍しい典型的な後者ですが、その中間ぐらいにまでなってます。そうするとコバケンの指揮はとたんにやる気を無くしたような安っぽいものになるのですが、今回は、それが無い。だからまずまず良かったです。
 
 4楽章も緊張感があって良かったが、5楽章が、やや間延びしたか。惜しい。まあ5楽章はもともと間延びしている音楽なので、非常に処理が難しいですが。2番が嫌われる理由もそこにあると思います。
  
 テンシュテットで重要なものが出ています。が、その前に、たまってるやつの中から少し。
 
 テンシュテット/ボストン響 
 ブルックナー:第4交響曲 L1982
 
 テンシュテットのブルックナーの良さを知ってる人は、良くも悪くもけっこう通なのではあるまいか。私はブルックナーは苦手だからあんまり聴かないのだけれども、テンシュテットのは好きです。それで、いわゆるブルックナー聴きと云われる人の評論を読んでみると、テンシュテットのブルは邪道らしい。(ドラマティックだかららしい。よく分からないけど。)
 
 しかしこの強靱なまでの「ドラマティックさ」は、かくあるべし的な音楽理念を超えた迫力を有している。

 1楽章や4楽章の仰ぎ見るような迫力もさることながら、私が特に唸るのが、3楽章(スケルツォ)の素晴らしさ。この生命力、そして勢い、トリオの自然な流れ、凄いと思います。いきおい、ブルックナーのスケルツォは大嫌いで、それがブルックナー嫌いの理由のひとつなんだけれども、野暮で、田舎臭くて、チンプきわまりない。マーラーばかり聴いていると、音楽にパロディーや皮肉がないともの足りず、素直に聴けなくなってしまうのだろうか? まったく意地悪い聴き手にとって、ブルックナーは呆れるほどに惚けている。
 
 それが、テンシュテットにかかると、この引き締め方だ。うーん、スゲー。
 
 もちろん、緩徐楽章の濃厚な歌いあげも、文句が無い。

 異盤(レアモス)よりも音が良いと思うので、このシベリアンタイガー盤を★5つ。モスを4つに変更します。
 
 そしてみなさんお待ちかねー!!
 
 巨匠の来日公演の模様が、FM大阪の音源を元に、CD化!!!
 
 テンシュテット/ロンドンフィル
 モーツァルト:第35交響曲「ハフナー」 L1984
 マーラー:第5交響曲 L1984
 
 待ってましたアアア!!! ウウウリィィィィィ!!!(超超超超チョー興奮)
 
 まずモーツァルトから聴こう。

 テンシュテットの古典派、モーツァルト、ハイドンというのはレパートリーも限られているが、活き活きとしている点では追随を許さない。特に楽典的な演奏をする指揮者とは一線を画し、まさに同時代の活きているモーツァルト、ハイドンが聴こえる。オーケストラ編制はさすがに昔の大編制だから音的には昨今のアッサリとした、昔風の音ではないが、演奏解釈としては、むしろ、現代の新古典派ともいえるものより、好きです。ザッハリヒって、そもそも、おかしくないか? 
 
 「あーちょっとハイドン君」
 「なんでしょう、閣下」
 「今度の日曜の晩餐会に、遠くから友人がくるから、新曲を頼むよ」
 「(ゲッッ、あと4日やんけ!!) おまかせください閣下」
 
 てなもんでオラオラオラと書いてウラウラウラと練習してもうほとんどぶっつけ本番なのが、当時の様子なのでしょ? きっと。それなのに、あの素晴らしい出来なのが、ハイドンやモーツァルトが現代に残っている証拠なのでしょう。たぶん。
 
 なにより生命力が、生々しさが優先されなくては面白くない。「天使のような演奏、モーツァルト」 アリエネー。
 
 テンシュテットの、息をして体臭のするモーツァルト、良いです。★5つ。

 さてマーラーの5番!!
 
 テンシュテットはライヴがとにかく爆演系なので、それだけの指揮者に間ちがわれていますが、実はちゃんと楽譜を読み込んで、つながりとか、構造とか、しっかり把握しています。スタジオ録音を聴けばよく分かる。(その代わりノリが無いのでイマイチですが。←標準以下という意味ではないです。)
 
 だいたい、彼は現場の叩き上げ指揮者であり、古いタイプの指揮者なので、そこまでちゃんと楽譜を読み込まないと指揮できなかったのではないでしょうか。あとは指揮のタイプの問題で、アーベントロートやフルトヴェングラーと、ホント、同系列だと思いますよ。
 
 というわけでいつ聴いても彼の5番は特別、そして格別でしょう。

 1楽章の深い慟哭、そして2楽章の葛藤。かれほど人間の生きる様としての、マーラーの生きていた様子としての愛と憎しみと生と死のドラマツルギーを拾い上げてまとめあげて解放している指揮者は、マジでいません。演劇系というのだろうか? 正直、だからクサイ(クドイ)という人もいるでしょう。
    
 さいきん、ようやく5番のコラールがパロディーなんだと理解できるようになりました。アルマより進歩してきたぞ。フフフ………。(@∀@;)

 3楽章はおそらくマーラーの書いたスケルツォ楽章の中で最も複雑なものです。(怪奇、とまでは云いません。7番があるから。)

 スケルツォでトリオが2つあってソナタでワルツという………。

 いろいろな解釈ができますが、この5番の中心であることには変わりない。全体でも第3楽章でありつつ、第2部でもある。

 聴き手も、把握するのもひと苦労だが、なにより、聴かせるためには何が必要な措置か? わたしは、やはり、リズム処理だと思います。この変幻自在に変わるリズムも、5番の特徴のひとつで、じつは2楽章もそうなんですが、スコアを時折見失いかねないほど。

 テンシュテットは、あくまで自然なリズムで、良いと思います。処理しすぎで妙にスコアが透けて見えたりしないし、処理もせず濃くて暑苦しくもない。変に処理してアレレでもない。好きですね。しかも、情熱的なんです。
 
 アダージェットも、濃すぎず、ネットリなのは曲がもともとそうだから、こりゃしょうがないとして、淡すぎず、陶酔的で 「GOOOD!」(パルパティーン議長風)
 
 音楽にパロディーが堂々と忍び込んできた、というかパロディーを目的とした(メインとした。)音楽のための音楽によるパロディーが4番(の4楽章。)だとすると、それを歌や歌詞の力を借りずに器楽だけで試みたのが、5番の5楽章だと思います。それがピカチュウ級に進化したのが7番の5楽章なのでしょうが。
 
 ホルンのシグナルそしてカッコー動機で一気にメルヘン世界への回帰を見せた後、堂々とロンド形式がスタートするが、すぐに擬古典的なフーガとなるあたりもメルヘンとの対比でパロディー満載か。テンシュテットはそれらを大きな普遍的な流れとして聴かせる。澱みなく、時間の流れが流麗であればあるほど、起伏が激しければ激しいほど、その中で生きる人間のちっぽけさとその皮肉が効く。2回も3回も肩すかしを食らわせ、それも厭味たらしいが、いよいよ出現した壮大なるコラールも、高らかに鳴るだけ鳴った挙げ句、アレアレー、シューンと呆気なくしぼむのも皮肉だ。マーラー先生、ブルックナーはそんなコラールしてません! しかも、最後は、わざとらしいハッピーエンド。ショスタコーヴィチなど眼ではない。盛り上がれば盛り上がるほど、これがまた皮肉が効く。
 
 まことマーラーらしい無常観をよく表している。
でーす。文句ないです。

 マーラーベスト、ラトルと再び入れ代わりました。やっぱり僕は何だかんだ云って、テンシュテットです。


7/24

 準メルクル/PMFアカデミーオーケストラ 
 グラネルト:カタファルク(日本初演)
 ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲 
 R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
 
 またもやPMFです。今度は今度で中堅の精気溢れつつも整然とした余裕のある指揮を聴いてきました。シュミードルさんとのオープントークモあり、メルクル氏はドイツ系だったんですねえ。
 
 さてグラネルトもドイツの現代作曲家で、すぐ後ろの席に座ってたオッサンがその人でした(笑) 20分ほどの現代曲であるが、まあ、正直、よくある西洋現代曲のお手本みたいなもので、西洋人が書いた武満っぽい冒頭から、カオスになって、また元に戻ってました。ロッシーニの曲の引用が最後にあるということで、メルクルもピアノを弾いてレクチャーしてたが、ぜんぜん気づかなかった。(笑)
 
 ダフクロはホントに難しい曲で、ニュアンスが難しいのでは? お固い指揮の堅実なダフクロだったが、どうだろう。悪くはなかったが、評価が分かれるかも。あんなのフランス音楽じゃないとか。まあ学生オケだからな。フランス音楽云々もなかなかナンセンスなとらえ方だし。わしは良かったです。
 
 そして英雄の生涯。あんまりふだん聴かない曲なんだけど、さすがシュトラウスの手腕はたいしたものだ。あんな曲が同時代にあったマーラーに同情しちゃう。マーラーに比べてなんという洗練さか!! 凄い曲だった。
 
 まあ打楽器マニアとしては、英雄の戦いにおいて、3/4拍子にムリヤリ割り込んでくるバスドラの4連符が聴きどころか。1、2、3、1、2、3にドドドドンと、凄い発想ですよね。というか難しいよ、あれ。
 
 先週のマーラーの1番とも違い、堅実な指揮でなくばとても太刀打ちできないような難曲を、ノリノリでさばくメルクルはハデさは無いが、たいへん良かったです。コンマスのソロも上手だったし、なにより、今年は金管がうまい。
 
 第1ヴァイオリン6番プルトの連中は、ようやく弓がうごき出してきました。

 さあ〜来週のサンティでいよいよ今年のPMFオーケストラ(室内楽もいっぱいやってます。金とヒマが無くって行ってないだけですが。)も締めくくりです。若手→中堅→大ベテランという、いつもの流れですが、どのような老練の棒を聴かせてくれるのでしょうか?


7/18
 
 ストローベル/ベルリン放送響
 プロコフィエフ:アレクサンドル=ネフスキー(全曲版)5.1ch

 手持ちのSACDをちまちま聴き直していますが、改めて、その凄さを実感しています。音質が良いを通り越し、音そのものの質感、響感が段違いという状況です。

 楽器をしている方は実感としてもっとよく分かると思います。私は打楽器をしているので、打楽器で例えさせていただきますと、アレクサンドル=ネフスキーはやたらと鐘(チャイム)が鳴りますが、チャイムって、あの「のど自慢」でキンコンカンコンなっているやつです。あれを叩くと、カーン、という音の後に、
………という音のウネリが生じます。トライアングルもそうなんですが、もともと倍音の多い楽器ですし。その余韻すら空気感を通して伝わってくるという………看板に偽り無し。

 そのうねりは、奏者でないとなかなか実感として分からないのですが、それがスピーカーから聴こえてきたときは、さすがの私もギョッとしました。
 
 曲としては、アレクサンドル=ネフスキーはカンタータ版より全曲版のほうがなかなか面白いナンバーがあって、良いです。以上。(笑)
 
 ふつうのCDで、まだマーラーの全集が残っている。そうとう聴き進んでやってきたのですが………。全集なんかいっぺんに2つも3つも買うもんじゃないですね。

 ギーレン/SWR 交響楽団の全集より、7番を聴き直しました。7番はバラでも買っていましたので。

 ギーレンの手法が最もちょうど良く発揮されるマーラーのナンバーがこの7番なのではないかとすら思えてくるこのマニアックな鳴らし方。ふつうの演奏なら埋没してしまうようなパッセージもきちんと拾ってあるし、あまつさえさりげなく強調。
 
 重くなく、リズムを把握し、バランスもよく、書法も隅々までよく鳴らしてあり、1枚もので聴き易い。7番が苦手という人ほど、ぜひ、聴いてもらいたい。そんな普遍的な演奏です。5楽章だって、このように整理されて聴くと、マーラーの意図がよく分かるが、さらに踏み込んでそのパロディー性を楽しむまでになるには、何種類か聴き込む必要があるかもしれない。

 もちろん★5つ。

 なお、マーラーの交響曲ベストからは外れてしまいました。

 私好みの個性的な演奏(録音)の発表が増えてきていますので。でも、これから入ってゆけると、マーラーの7番って面白い。そういう演奏です。

 ギーレン、スヴェトラーノフ、シノーポリ、残るは後期を残すのみ。でも、大地が、シノーポリしか無いので。時間の問題かと。(文字通りその時間の確保が最大の問題なのですが。)
 
 ついでに6番も。

 ラトル/VPO &BPO 合同オーケストラ。
 RVW :タリスの主題による幻想曲
 マーラー:第6交響曲

 しかし、よくもまあこんなアホな企画を立ち上げて実行しただすなこのパーマのオッサンは!
 
 どうせ正規ですぐSACDとかで出るのだろうと思いつつ、海賊を買ってしまいました。

 タリスの主題は、好き嫌いの別れるところでしょうが、グリーンスリーブスよりゃマシかな、と。ヴォーン=ウィリアムスって交響曲も良いので、廉価で全集が出たようですから、これを機会にそろえて聴いてみるのをお薦めします。定価で買うほどじゃないのも事実なのですが。参考:RVW の交響曲ページはこちら。
 
 さてマーラーです。

 この合同オケの定義もよく分かりませんが、とにかく「凄い!」 というだけなら、それは正解! それ以外には無いでしょう、こんなもの。スーパーオケだの、スーパーで買った桶だのかは知りませんが、どんな理由つけたって、パフォーマンス以外に特に意義があるとも思えん。
 
 ピッチも無理やり合わせたようだし………。でもそのアホをホントにやっちゃうラトルってやっぱ、凄いかなあ。
 
 それはそれとして、演奏は良いですが、音が………! すっげえ遠い時もあれば、すぐ近くの時もある。音域が異様に高いときは最高音でレベルが勝手に下がる。こりゃ会場録りか!? ええ加減にせえよ、と海賊に云ったところで始まらぬが。。。
 
 表記も違っていて2楽章はスケルツォと書いてあるのに案の定アンダンテ。まあラトルは昔から2楽章アンダンテ主義者だから………。
 
 個人的には、2楽章はスケルツォ以外あり得ない。マーラーの指示がどうとか以前に、音楽がそうなっているでしょうに。作曲家の指示が、必ずしも音楽的に最善かというと、それは大きな間違いです。作曲家とて、自分の音楽を把握しきれていないところに、大作曲家の作曲した超名曲の所以があるだろう。作品が独立して、生きているのです。1楽章の興奮醒めやらぬまま、スケルツォへさらに突入。それから、アンダンテでひと心地つき、それからさらに、怒濤の4楽章へ。アンダンテが先にきちゃうと、どうも、意表をついて違和感あるし、スケルツォからフィナーレって、つながり悪いと思うけども………。
 
 しかし、こうも2楽章アンダンテが普及してくると、事態は変わってくる。アンダンテの意義を考えてみたいと思う。
 
 いつもお世話になっているCOMEDIA のIANIS さんはアバドの6番(2楽章アンダンテ)を聴いて、間奏曲のように演奏していると評した。そもそもアンダンテであってアダージョではなく、どんなに長くても楽譜通りの速度だと15分。18分とかになっていると、明らかに「遅い」と思う。緩徐楽章というよりかは、確かに、間奏曲の趣がある。スケルツォの規模と比べてみても。
 
 6番の古典的性格を鑑みると、緩徐楽章とはいえ時にスケルツォより短い古典派シンフォニーの緩徐楽章を参考にすると、その意味では6番のアンダンテも立派な緩徐楽章だろう。
 しかしマーラーの中のワーグナー/ブルックナー的嗜好を考えると、他のナンバーのような大きな規模のアダージョ楽章と比較して、やはりこれは簡易緩徐楽章、あるいは、間奏曲的緩徐楽章といえるかもしれない。
 
 1番と2番には、レントラーはあるけど緩徐楽章は無い。3番ではじめて、そしていきなり最大級で、マーラーは愛に満ち満ちた6楽章というアダージョを書きあげる。それは4番にも引き継がれ、私の見解では、4番の3楽章は立派な疑似フィナーレを形作っている。(それで4楽章のパロディー性が活きる。)
 
 5番は、しかし、緩徐楽章はあるが、いわゆる「例のアダージェット」であり、5番全体の中でも浮いていて、軽い。これを3番や4番の緩徐楽章と同列に考えるのは、無理です。7番も変わっていて、2・4楽章が、セレナーデ楽章だが、これも正直、緩徐楽章とはいえまい。この2曲においては、まさしく大規模な「間奏曲」のような効果を発揮してはいまいか。
 
 8番は別格で、2部の前半部がいわゆる緩徐楽章に匹敵するという指摘もある。
 
 あとは………大地の歌と、9番の、人間世界を遊離しているような、究極の「アダージョ」になる。。。
 
 はて、6番のアンダンテを考える時、5番と7番の性格を無視するわけにはゆかないだろう。6番のアンダンテは、5−7番の中期3部作の中では、ごくごくふつうの性格を有してはいまいか。となると、6番のこのアンダンテは、間奏曲的な扱いで正解なのか………? (その割には曲想的にやはりアダージョ的な部分も有しているが。)
 
 さあ、6番のアンダンテが、5番や7番のそれらと近い性格を有していると仮定する。そして、問題は、ついに、それが2楽章なのか3楽章なのか………ということになる。
 
 5番と7番が5楽章制なのがヒントかもしれない。6番はその疑似古典形式により4楽章だが、もうひとつ楽章があってみる。すると………もう1つある楽章は、7番に従い、似たような緩徐楽章か………? その妄想の楽章が、2楽章なのか4楽章なのか………? どちらにせよ、そうすると、スケルツォは、3楽章以外に無くなる。

 さて、しかし実際は、6番には4つの楽章しかない。交響詩巨人から1番になった例も参考にしたい。(5楽章→4楽章となった。)
 
 このアンダンテは、2楽章なのか、3楽章なのか、ではなく、2楽章なのか、4楽章なのか………と、考えてみる。前は、1楽章からどうつながるか、終楽章へどうつながるか、で考えてみたが、それとは発想を変えてみる。仮シンメトリーの中心である3楽章へつながる音楽なのか、それとも3楽章からつながる音楽なのか、だ。

 うーん、どうでしょう。(笑)
 
 ここまで好き勝手に云っておいてなんだ、という感じですが。
 
 どっちでもいいのかなあ………。個人的にはぜったい3楽章、というより、上記の発想で云うと「スケルツォの後」なのですが。
 
 ラトルに戻りますが、ラトルらしく、4楽章で飽きてきた。(爆) 音質あんまり良くないので、★4つで。


7/17

 今度はPMF2005オーケストラを聴きに、札幌へ行ってきました。この時期は本当に北海道の音楽ファンにはたまらない季節です。
 
 サッシャ ゲッツェル/PMFオーケストラ
 ライナー キュッヒルVn
 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(カデンツァ:ヨアヒム作曲、キュッヒル編曲)
 マーラー:第1交響曲
 
 ゲッツェルは若手のレジデントコンダクターで、今回は情熱的な若者らしい身振りの大きい指揮を魅せてくれました。

 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はまさに全ヴァイオリン協奏曲の王とも云える大傑作なのは、皆様もご承知の通り。あまりにシンフォニックな大曲なので、そこらのヴァイオリニストなら曲に負けちゃって長くてつまんないアブナイ曲でもある。
 
 キュッヒルはVPO教授陣の1人。VPOヴァイオリン奏者で、いつも来てくれる人。去年のチャイコのヴァイオリン協奏曲はPMF修了生の若手がソリストだったので、正直、イマイチだったが、今年のように教授が授業も含めて、演奏すると、こんな素晴らしいものとは!!!
 
 オーケストラのメンバーにとって、凄いソリストと共演するというのは、本当に勉強になるのですよ。
 
 演奏自体ももちろん凄かった! BPOやVPOクラスのオケはメンバー1人1人がソリストとしても食ってけるほどの腕前なのはこれもご承知。しかし岩城宏之のエッセイによると、VPOのメンバーは 「私なんか、ヘタだからソリストなんてムリですよ」 と謙遜して、本当に活動しないらしい。

 ところがどっこい、何がヘタですか教授!!! 勘弁してくださいよ!!!
 
 伸びやかにして、艶やか、上品な香り立つその音!! そ、それがヴィーンの音ってやつなんですか!? 参りました。

 しかも個人的に勉強になったのは、曲の組み合わせ、この動機(メロディー)がソロからどうオケに伝わってゆくか、またオケからどうソロに戻ってくるか、展開部でどう展開してゆくか、再現部でどう再現されるか、ロンドでどう繰り返されるか、ベートーヴェンやブラームス級の構築性・書法になると、本当にそれをつなげてゆくのが難しい。楽器を演奏するのに難しいというより、つながらないと音楽にならないので、曲を演奏するのが難しい、という意味。まあプロのオケなら黙っていてもやるか、分かってないヘボオケヘボ指揮者ヘボソリストもいるでしょうが、ふつうは音だけでやるのでしょうが、教授はちゃんとヴァイオリンを使って第2の指揮者のようにオケへ指示を出していた!!

 「ホイッ、これを受け取って!!」 「次はこっち、私に返して!! ようし、うまくいった!!」 眼や仕草で授業していた。それを受け、弦楽も管楽器も、目の色を変えて演奏。指揮者も勉強になった事だろう。
  
 学生オケってそういう無色な部分にどう指揮者やソリストが色をつけてゆくかを聴く楽しみがある。まあ年によっては色を受けきれないレベルの時もあるんですが………。今度は、来週が準メルクル、再来週がネルロ サンティなんでこれも乞ご期待!!
 
 ちょっと初っぱなから感動した。
 
 マーラーでは、教授陣がトップに。1番なんてCDでは単純で、なかなかの演奏でなくば、つまんなくて聴けない曲なんですが、やはりマーラーは実演だった。

 1楽章のクラリネットによるカッコウの動機。

 VPOクラスともなると、音楽と一体化し、椅子から落ちるほど飛び跳ねながら 「カッコー! カッコー!」 吹いていた。先日地元にも来たシュミードル先生ですが。

 どっかの受信料を使い込んだ放送局のオケみたいにすました顔でなんか吹かないのね〜。

 そういうふうに吹く、のではなく、マーラーの求める音を吹いたら自然にそうなる、が正解です。しゃっくりみたいな 「カッコー!」 ですからね。音楽に対する真剣さの違いの現れ。
 
 3楽章の弦バスソロは、パート全員でソロを弾いたのは私は初めて見ました。あの〜TVとかもふくめて。11人が! まるで1人で弾くかのごとく弱音で一糸乱れぬ動き。あれもトップのVPOのヘルベルト マイヤー教授の勲等の賜物でしょう。

 4楽章もなかなか練られた、そして考えられた演出があって、指揮さばきもキリリとしていたし、キュッヒル教授がトップで顔を真っ赤にしてこれでもかと熱演!!

 それへつられて学生トップも鬼の演奏。しかしプルトの最後の方はその半分くらいの動き(笑)

 だからおまえらは6番プルトに座らされるんだ!!

 しかもオーケストラは後ろのプルトほど音がよく聴こえるのが上手いオケなんだぞ!! そんなことも知らないでヴァイオリン弾いてやがんのか。アマオケのトラじゃあるまいし。プンプン#

 最後はホルンももちろん総譜の指示通り補助のトランペットとトロンボーンを加えて、総立ち。

 指揮も阿修羅のごとく、まさにマーラー、バーンスタイン、テンシュテットのような。1番ってホント、良くも悪くも若者の、ほろ苦い青春の曲なんですね。 キャニオンから選集を出したころの朝比奈隆が、1番は恥ずかしくていまさらもう振れないと云っていたらしい。
 
 勢いもあり、勢いだけでもない、本当に良い演奏でした。こっちも思わずブラーヴォー! を連発してしまった。


7/14

 先日、地元でPMF室内アンサンブルの演奏会がありました。地元に来るのは3年ぶりかなあ。
 今回も、ヴィーンフィル奏者による木管アンサンブルです。

 ちなみに前回の模様はこちら。(7/23)

 PMFウィーン(VPO首席奏者) 木管アンサンブル
 ヴォルフガング シュルツ(フルート)
 クレメンス ホーラック(オーボエ)
 ペーター シュミードル(クラリネット)
 ミヒャエル ヴェルバ(ファゴット)
 ヴォルフガング トンベック(ホルン)
 マリア プリンツ(ピアノ)

 演目 ライヒャ:木管5重奏 ベートーヴェン:5重奏曲 サン=サーンス:デンマークとロシアの歌による綺想曲 リムスキー=コルサコフ:5重奏曲 
 アンコール プーランク:6重奏曲より3楽章、次いで2楽章
 
 メチャ混みだったのは、まずは良かった。田舎でこれだけのメンバーなのにガラガラとなるとさすがに恥ずかしいので。しかし、演目が渋いし、なによりわしはふだんオーケストラ聴きなので、ちょっと苦手な分野ではあった。というわけで、仕事帰りのメシのすぐ後ということもあり、ライヒャとベトはほとんど落ちてました。(笑)

 いやーー〜〜気持ちよかった〜〜。
 
 なにせ極上のアルファ波が寸断無く攻撃してくるもので。

 うまいとかをもう通り越した、神の領域でしたね。あのアンサンブルは!
 
 楽器の音がしないんですよ。信じられない。ひとかたまりで、素晴らしい、まさにアンサンブル。全てが溶けあった、音色。音響。掛け合いも完璧で、タテの線とかそういうレベルではない。阿吽の呼吸って西洋にもあるんだなあ。
 
 ヴィーンフィルメンバー、おそるべし!!!

 曲は、個人的にはR=コルサコフとアンコールのプーランクがやはり好みで面白かった。ベートーヴェンは初期の作品でほとんど古典派。ライヒャも、演奏は良かったけど曲はつまんなかった。サン=サーンスは掘り出し物の佳品といった風情でした。


7/3

 ついにSACD再生装置一式を買ってしまいました。

 はりきって7.1ch マルチサラウンドは良いのだが、ソフトがまだそこまでついてきていない。マルチとはいえ、5.1ch がせいぜいなので、当分は、バックサラウンドスピーカーは飾り物なのです。
 
 しかし………
音良すぎ!!!
 
 びっっっっつくりした。スピーカーそのものも、そりゃグレードアップしてはおりますが、そういう問題ではなかった! 音声記録方式そのものが異なるのがSACDです。だから従来のシステムでは再生できない。侮れぬDSD 方式。
 
 もうね、フツウの2ch でも、ぜんぜん文句無いです。透明感、つまりクリアー度、そして奥行き、左右どころか、音全体の中の各楽器の分離、そして融合、段違い。全体でモワッとしているのではなく、ホールのようにブレンドされた響き。映像で云うなら、昔のブラウン管とプラズマハイビジョンって感じ。部屋が臨時コンサートホールになっちゃいました。マジで。これはすげえすげえ。これまでのCDなんかあまりに平面的で聴けないです。モノラルに聴こえる。(じっさいまだあるからしょうがないので聴くけど。)

 まあ装置のグレードにもよるでしょうし、モノラルでも良い音楽は良いので、割り切って聴く必要があるのでしょうが。あと、音が良いと単純に云っても、音質云々というより、やはり音響全体、でしょう。ラジカセよりコンポ、コンポよりバラ買いアンプとプレーヤー、それらより、SACDといった具合でしょうか。
 
 いつもは音楽を聴きながら原稿を書きますが、音が良すぎて気になって手につかないぐらいです!! リサイクルショップで、足置き付のリクライニングチェア買ってきてしまいまった。うーん、極楽極楽。極人の休日状態。(笑)
 
 困ったのは★の評価。音質面で、良くも悪くもCDと比較にならない。同一のレベルで★をつけられなくなってしまいました。SACDは別個にするか、特別な基準を儲けるか。(例えば、自動的に★をプラスワンして数えてもらうとか。)
 
 でもやっぱり別個だろうなあ。だって、CDじゃないんだから。
 
 ★じゃなくて、○にしますか。相撲では○も星取りというし。黒星はなんか意味もなく縁起が悪いから、○で数えて、気絶は◎にします。決定。
 あと、それぞれ2ch 、 5.1ch、まだ無いけど7.1ch と記すことにします。
 
 初めて聴いたSACD、BIS の武満徹作品集2です。2ch
 尾高/紀尾井シンフォニエッタ/リンドバーグTb
 雨ぞ降る 群島S ファンタズマ/カントスII レクィレム ハウスローザウィンド ツリーライン
 
 しかし、冒頭より、このクリアー度たるや、恐れ入った。しばらく、演奏云々より、音質に感動してしまうでしょう。小ホールにいるというより、ホールのステージの上にいるようじゃよ。このアンサンブルの細やかな動きが手にとるように伝わる様は感動です。うわー、技術の進歩万々歳。
 
 まあ武満なんで、演奏の内容はまだあって無いようなものです。ソリストも相変わらずまだ被献呈者だし。ファンタズマ/カントスはトロンボーンソロの2よりクラリネットソロの1のほうが実は好きなんですが。

 なによりやっぱり凄かったのは、聴き慣れた弦レク。こんなに弦楽の重なり合いが複雑で、前衛的な音楽だったのですね〜〜。武満の書いた楽譜通りの音が、やっとスピーカーからも聴こえてきたような気がする。
 感動。
 
 続いて、SACDでぜひ聴こうと思っていたアバド/BPO のマーラー6番を。2ch

 海賊CD-RはDGの正規CD盤とたいして変わらないらしいので、ここはSACDを期待したい。DGにしては、音がモッサリして、分離が悪かったとのことですが、じっさい、CD-Rもそうなんです。さて………。あれあれ、音質そのものは、たいして変わらんぞ??(笑) しかしこの絶妙な奥行きが、決定的な違いなのでしょう。

 同じブレンドされたホール音でも、微妙に、奥と手前で、楽器の質感に違いがあります。これが凄いところなんでしょう、きっと。

 あと、2ch とはいえ、5つのスピーカーが堂々と鳴り響くので、この音響的な広がり、悠然たる交響楽のホールいっぱいに鳴り渡る様が、部屋で少しでもリアルに追体験できるって、やっぱり感動です。通常CDが前の両サイドからだけ音がするんですが(当たり前)それが左右、前両サイド、正面と包み込むように鳴るということですね。それらが分離すると、マルチチャンネルということでしょう。(ついでに7.1chになるとそれへ後ろ両サイドが加わる。)
 
 マルチだったら分からないけど、残念ながらノーマルステレオなので、◎ではなく、○5つで。これに慣れたら本当にCDには戻れないぞ。ヤヴァイヤヴァイ!
 
 まだSACD体験はこの2点ですが、室内楽的な部分では、各楽器のクリアーさが際立ち、大管弦楽においては、まさにホール全体でブレンドされた交響楽をリアルに楽しむことができる、と感じました。あとはマルチチャンネルの凄さですかね。チラッと聴いたけど、MTT のマーラー、 5.1ch、かなり良さげです。



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