クレンペラー(1885−1973)
いまでも真剣に作曲をやる指揮者は多い。指揮もやる作曲家と作曲もやる指揮者との区別は曖昧だが、クレンペラーは作曲もやる指揮者でいいだろう。
同時代ではフルトヴェングラーがまた真剣に作曲をやっていて、彼にとっては指揮は二の次というか、作曲がメインだと思っていたというからちょっと驚く。(あの曲で? という意味です)
クレンペラーも自作のオペラの再演とか、演奏とかの希望を何度も証言しているが、残念ながらあまり省みられなかったようだ。交響曲に関しては、これまで自作自演の録音しか無かったが、今回、新録で発売され、あらためて世に問われた。
なお、高名評論家のU野氏によると、クレンペラーには全部で6曲の交響曲があるそうです。ホントかね。
第1交響曲−2つの楽章のための−(1961)
標題の通り1楽章と2楽章からなる。クレンペラーはプフィッツナーの弟子だそうで、プフィッツナー自体が日本ではあまり馴染みのない作曲家ではあるが、ロマン派というよりは、けっこう新古典的な作風に感じている。ということは、クレンペラーの交響曲は、そう、けっこう新古典的だったりして面白い。1番はそれでも、まだ進歩的な面が見えるのだが。
1楽章の冒頭の暗い導入部が終わると奇妙な音階による第1主題が登場する。
それの展開の扱いなども、まあ、正直1流半ぐらいかな。素人っぽいのは否めない。
しかし第2主題が非常に魅力的で、ハリウッド調というか、それへ絶妙に不協和音がからんできて、チープさとギリギリの駆け引きを行っている。こいつが楽しい。
そのけっこうオマヌケな主題を延々と繰り返して展開(しているつもりなのだろう。)しつつ、ジャーンと終わってしまってすぐ2楽章へ入る。
これがクセモノで、さいしょ静謐な音楽がひたひたと聴かれるのだが、中間部でいきなり星条旗よ永遠なれ(だと思う)が割り込んできてまるでアイヴズ!! うひょー、なんじゃこりゃあッ! すごい不協和音だ! それから冒頭に回帰して、終わり。
1961年の作曲のようで、クレンペラーの頭の中は、晩年までしっかりとゲンダイしていたのだなあ、としみじみと思わせるなかなか面白い音楽です。古典ばかりが彼のレパートリーじゃないし、ストラヴィンスキーとかヴァイルとかもすばらしい演奏を残しているので。
しかしアイヴズだよなあ。アイヴズをアレしてると思うけどなあ。
第2交響曲(1968)
完成した時点では、すでに晩年となっている。
こちらはもっと古典的な外観をし、4楽章制で20分〜25分ほどの軽交響曲。
1楽章から刺激的な主題がほとばしるが、構成的には古典的なもの。交響曲自体が古典的と云われればそれまでだが、形式というのは大事だ。この時代は、ねえ、12音がバリバリに響いている中での、この古典制ですから。クレンペラーの中にある音楽、それを如実に物語っているのではないだろうか。
第2主題も深刻なものであり、それからなんとも(やはりというか)ハリー・ポッターかと思わせるピッコロのテーマが出たりと、飽きさせない。このあたりの通俗性と真面目なものとの同時存在はマーラーの意志を、そして形態的にはプフィッツナーのそれを継承していると強く感じる。また、打楽器は控えめに使用されているが、効果的な書法はいかにもマーラー的。
2楽章はアダージョだが、これも悲壮的で重いドラマを湛えた深いものと、美しく祈りを湛えたものとがうまく合わさっている。簡易版ブルックナー、短縮版マーラー。
スケルツォはピッチカートをよく使ったもので、テーマがこれも馴染みやすく感じるが、ワルツが登場したりなんだりと錯綜的な手法も使われ、かつてドイツ後期ロマン派と現代ドイツ音楽の最先端をかいま見た巨匠のアイディンティティーがちょっとのぞき見える。
4楽章でもそれは引き継がれて、なんかウニャウニャ……。妙な旋律も復活している。これがけっこう民謡ッぽい。
ここは、自分の指揮では意外に整理されておらず、ゴチャゴチャした印象を与える。
新しい指揮で聴くとそれがちゃんと呈示されて、わりと面白い音楽に仕上がっているのに気づく。特別、壮大なフィナーレとかそういうものではなく、アッサリとラストをしめ、そこが古典的かなあ。RVWの交響曲にも似ているか。
クレンペラーの交響曲は、思っていたよりかは、レベルが高い。ふつうに聴かれるようになって、良かったと素直に思った。ファンとしても。
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